第十一話 追撃Ⅱ 瑠龍
夜風が吹き抜け、燃え盛る炎の音だけが広間に響き渡る。
ベルは荒い呼吸を繰り返し、血に濡れた剣を下ろした。
オゼロが静かに降り立ち、ベルの横に並んだ。
「ひと段落……といったところでしょうか」
ベルは足元の肉塊を見下ろしながら、首を振った。
「いいえ……まだ、デトが戦っているわ」
すると、長髪の男の遺体の様子が変わっていく。
頭部のほうから首へ。首の切り口から胴体へ石化し、色を失っていく。
「こ、これって……」
そしてはじける、石となった長髪の男。
まるで、最後のエネルギーを吸われたかのように、残りカスが舞い散った。
***
西の森の奥。木々がなぎ倒され、抉られた大地が、そこで行われている戦闘の次元の異常さを物語っていた。
デトの放った重い前蹴りが、オリヴィアの細い身体を捉えた――かのように見えたが、オリヴィアはわずかに後退しただけで、無傷のまま不気味な笑みを浮かべていた。
またも彼女の掌に衝撃を喰われた。
デトはその場で身体を回転させ、逆の足で彼女の横を狙う。
オリヴィアは彼の俊敏な動きに対応できず、蹴りを直接胴体に喰らった。
空気ごと揺らす衝撃により、オリヴィアは吹き飛ぶ。
身体を回転させながら勢いを殺し、着地をした。
デトの強烈な一打をくらった後だというのに、彼女は笑う。
「相変わらず、重い一撃ね。お腹いっぱいよ」
深緑色の服の袖口から覗く右手の凶器――護拳と一体化した刃が、月明かりを弾いて鈍く光る。
「〝暴食〟様にそんなこと言われるとは、光栄だな」
「フフフ……。知っているのね、この〝咎印〟のこと」
オリヴィアは自分の胸元を撫でた。彼女の身体に直接刻まれた紋様。他の原欲の徒とは異なり、六角形の一角の円が赤く塗りつぶされている。
デトが鼻で笑う。
「大罪を咎とは思っていないのに、その異能を咎印とは呼ぶんだな」
「細かいことはいいじゃない。でも……確かにちょっとおかしいわね」
乾いた笑いをすると、オリヴィアは少し遠い目をした。
「この能力を得てから、私とまともに戦える奴なんていなくてね。少し楽しいわ」
妖艶な雰囲気を放つ彼女は小さく笑い、デトの目を真っ直ぐ見る。
「あなた、ボーテス出身ですって?」
デトの目が鋭くなった。
見つめるオリヴィアの瞳は何かを見透かしたように据えている。
「その破壊的な力に、青い髪……あなたもしかして
〝ブルーエンペラー〟
なのかしら?」
一瞬の間、空気が冷えた。
デトは黙ったままだ。
愉快な表情をするオリヴィアの目には、冷たい無表情のままのデトが映る。
徐にデトは目を閉じた。
そして、静かに言う。
「……知らんな。誰だそいつは」
「……そう。確かに噂の容姿と違うし……見当違いだったかしらね」
オリヴィアの笑みが月夜に照らされる。
「でも、もしも本当にあなたがブルーエンペラーなら」
彼女の牙が月光を不敵に反射した。
「ここで、潰しておくべきかもね」
次の瞬間、オリヴィアの身体がブレた。
風すらも置き去りにする速度でデトの懐に潜り込むと、彼女の華奢な手のひらが、そっとデトの腹部に触れた。
予備動作も、殺気もない。ただ〝触る〟というだけの無防備な行為。それゆえに、デトの反応はほんのわずかに遅れた。
彼女の掌がほんの少し彼の腹を押した。
直後、空気が爆ぜる落雷のような轟音。
デトの強靭な肉体が、砲弾のごとく後方へと弾き飛ばされる。背後にあった何本もの樹木の幹をへし折り、粉砕しながら一直線に森を削り抜け、ついに大木に激突してようやくその勢いは止まった。
朦々《もうもう》と舞い上がる土煙の中、デトはわずかに口の端から血を流していた。
「これは、あなたのものよ。全て消化させてもらったわ」
デトは俯き、大木に背を預けている。
オリヴィアは被膜の翼を大きく広げた。
「それと……残念だけど、私の部下がしくったみたいだからお開きにさせてもらうわ」
翼がうねり出し、彼女の身体は宙に浮く。
夜空に向かって飛び立った。
月明かりに彼女の艶やかな髪が照らされる。
悠々と上空を翔けていた時――
「おい、待てよ」
重く低い声が聞こえた。
木々が枝葉を揺らす。森全体の空気が淀んだ。
異変が、広がる。
オリヴィアは肌で感じたそれに、地上を見返した。
吹き飛ばしたはずのデトが泰然と立ち、彼女を睨んでいた。
青い瞳は深淵に通ずるかのようである。
風が吹き始め、それは彼の周りに渦巻き、青い髪がなびく。
彼は片腕をオリヴィアの方へと突き出し、もう一方の手で手首を掴んだ。
魔法陣は開かない。だが、彼の周りに纏わりつく暗雲のような気。それは荒々しく、ドス黒い。
マナとは根本的に異なる、世界を呪うかのような底知れない負のエネルギー。デトを中心とした気流は、土を巻き込み、空間そのものを歪めるような嵐を作り出す。
彼は目を見開いた。
――嵐響呪奏・
嵐が〝龍〟となる。
瑠龍――
大気が咆哮のように轟いた。
具現化した嵐の龍が、天を穿つようにオリヴィアへと牙を剥く。
「この、化け物がッ……!」
オリヴィアの顔から完全に余裕が剥がれ落ちた。
彼女は両手のひらを突き出し、破壊的なエネルギーを真正面から迎える。
空間をも喰らい尽くしそうな龍が彼女を飲み込んだ。
全てを潰す呪いの渦。
「……ッ! 食い切れないッ……!!」
オリヴィアの呼吸が、悲鳴が、轟音にかき消される。
彼女のいた空間を龍が喰い破って天へと昇っていき、通り去った道には一切を残さない。
やがて呪いの塊は夜の空に溶けた。
彼の背後に渦巻いていたドス黒い気は、すでに霧散している。
デトはオリヴィアのいた空中から森の下へと目を落とす。
鬱蒼と茂る木々。
じっと、その先を見つめた。
眼差しの奥に、暗い冷徹さを孕んでいる。
「次は逃さん」
デトはゆっくりと身体の向きを変え、木々の隙間から遠く見下ろすアリスタの街へと視線を向けた。
その中心部からは、暗い夜空に向かって黒々とした煙が立ち昇っていた。
デトは夜風に瑠璃色の髪を靡かせながら、その煙をじっと見つめていた。
***
月明かりを遮る青々とした葉の傘の下、オリヴィアは深緑の衣装を赤く染めていた。
無数の傷跡を残した身体を、木に預け、座り込む。
彼女は、満身創痍の姿に似つかわしくなく、ニヤリと口角をあげた。
「フフフ……とんだ化け物がいたものね。さすが、皇帝と言ったところかしら」
血を吐く。
それでもオリヴィアは、喘鳴に不気味な笑みを混ぜて呟いた。
「でも、邪魔はさせないわ」
長い髪の隙間から、紫に輝く瞳が覗いた。
三途の川を眺めた目ではない。
深く、重く、意志を宿している。
三日月のように歪んだ彼女の笑みが、影に沈む。
「〝咎魔〟を復活させる、その時まで。……フフフ」
甲高い笑い声は弱々しい。だが、そこに孕む狂気だけは、這い寄る呪いのように静寂の森の奥深くへと溶けていった。
***
第十一話 追撃 完




