第十話 神速Ⅱ 原欲の徒
デトが飛び出した。
急速に縮まる少女との距離。
ベルは目を見張った。
彼の光線のような拳が届く前に、少女の手がそれを遮ったのだ。
理解が拒まれるような恐怖感がベルを襲う。
デトの攻撃を見切ったからではない。
少女は微動だにしなかった。
あのデトの拳を受けても、少女の身体は一切の揺らぎを見せることはなかった。
ただ、少女の黒髪とユニークな衣服が靡くだけ。
まるで、少女の手のひらに衝撃を吸収されたかのようであった。
デトの目にも驚嘆の意が表れていた。
少女の足がデトの脇を狙う。風と共にその細い足が空気を薙いだ。
デトはすぐに腕を当てて防御をした――が、周囲を揺らす衝撃。落雷のような激音と共に、強靭な肉体は吹き飛ばされた。
「デト!」
「お仲間の心配している場合?」
すでに間合いに入られた。
少女の右手を見れば、護拳とナイフが一体化した武器が、指にはめられていた。
その刃がベルの頸椎を目掛けて走る。
咄嗟に少女の腕を掴んだ。
だが、完全に止めることができない。
ジリジリと刃が詰め寄る。
ベルの首筋に汗が伝った。筋肉が張り詰め、小刻みに震える。
ベルは左拳を握り、少女の腹部を狙う。だがしかし、それも少女の左掌に受け止められてしまった。デトの攻撃と同様、期待する衝撃が得られない。
すると、口角を上げていた少女の表情は崩れ、眉を顰めた。
「この感じ……あなたもしかして、
〝呪器〟?」
「……なんの、話よッ……」
少女は呆れた顔をした。
「あっ、そう。無自覚なのね」
ベルは歯を食いしばり、少女の腕を押さえるがそれも限界に迫る。
横目で、右方向から何かが飛び込んでくるのが見えた。
ベルは頭を下げ、少女の腕を解放する。
止められていた刃は急速に軌道に乗り、風を薙いだ。
少女は金髪を見下ろし、燕返しのように武器を方向転換させた。
だが、少女の身体が、くの字に曲がる。
脇腹をデトの脚が突いたのだ。
細身の体は吹き飛んだ。少女は二転三転、勢いを殺すように身体を捻っている。やがて、地面に足を着けて摩擦を借りながら静止した。
片足で身を支えながらデトは呟く。
「何でも喰えるってわけじゃなさそうだな」
少女は再び口角を上げ、デトを睨みつけた。
「あら。もうネタがバレたの? つまんないわねぇ」
口元を大きな袖で隠す仕草も相まって、少女はこちらを嘲笑っているかのようだ。
「聞いていた通り只者ではないわね。あの、ほら。青髪のあなた、何て言ったかしら」
「相手に名を聞く前に、自己紹介でもしたらどうだ?」
少女が一瞬あっけに取られたような顔をした。
「……フフフッ。そうね」
深緑の衣服の首元を引っ張り、少女は自身の鎖骨付近を剥き出しにした。
若々しい肌に刻まれた正六角形の紋様。各頂点と中央に小さな円、それらが直線で結ばれている。そして、頂点の一角が赤く塗りつぶされていた。
「私の名前は オリヴィア 。原欲の徒の幹部よ」
「原欲の徒……咎魔教!?」
ベルの叫びにオリヴィアが明後日の方向に視線をやり、うんざりとした表情をした。
「あーちょっと。咎魔教なんて呼ばないでもらえる? 私たちこれのこと、咎なんて思ってないから」
オリヴィアが身体に刻まれた紋様をなぞりながら言う。
「んで? 自己紹介をしたけど……あなたの名前は?」
「……デト」
「デト……ね。じゃあ、デト? 少しおとなしくしてもらえるかしら?」
オリヴィアは右手に嵌めた凶器をギラつかせて、ニヤリと笑った。
「わざわざ幹部様が街の外まで出向いてくれるとは、随分と余裕じゃないか」
「適材適所ってやつよ? 一番厄介そうなのあなたっぽいから」
デトはオリヴィアに目を離さず、側で屈んでいるベルに声をかける。
「ベル、アリスタに戻れ。コイツは少し厄介そうだ」
ベルが立ち上がり、剣に手をかける。
「いや、あたしも戦うわ。街にはアルバさんもオゼロもいる。そう簡単に落とせはしない」
オリヴィアの笑みが一段と大きくなった。
「……オゼロ……。その子、今頃何してるかしらねぇ」
ベルの人差し指がピクリと動く。
「どういう意味よ」
「さあね……自分で見てきたら? もう手遅れかも……しれないけどね?」
高笑いをするオリヴィア。
「……ッ!」
ベルが剣を抜こうとする。が、その半身を鞘から見せたところで、デトの手のひらが制止を促した。
「挑発に乗るな」
ベルはデトの横顔を見た。変わらない。極めて冷静な顔つきであった。
「アリスタに戻れ」
二度目のその言葉は先ほどよりも芯を感じた。
ベルは瞳を強く閉じた。剣を握る手は震えている。やがて、震えが止まると構えを解いた。
「……わかったわ」
剣を納め、ベルは崖の方に身体を向けた。
「生きて、合流よ」
ベルは崖の下を目掛けて、飛び降りた。
アリスタの状況、オゼロの安否、デトの無事。前後での不安ごとが頭に渦巻く。
後ろ髪を引かれそうになりながらも、この選択が最善であると胸に刻み、下降していった。
***
ベルの気配が崖下へと吸い込まれる。
後に残されたのは、森を吹き抜ける生温かい風の音だけだった。
「あーあ。行っちゃった。まぁいっか、どうせ一人じゃ何もできやしないわ」
オリヴィアが伸びをする。
「それに、私の役目はあんたをアリスタに戻らせないことだし」
「随分呑気なもんだ」
オリヴィアの軽い態度に対し、デトは一切揺らぎを見せない。
「……初めから俺を狙ってくれて、こちらとしても助かるな」
「どういう意味かしら?」
「俺も、お前の足止め役にすぎないというわけだ」
オリヴィアの笑みが少々強張る。彼女は目を瞑った。
「……そう」
長いまつ毛の奥から深淵を見るかのような瞳が覗いた。
「舐められたものね」
デトが首を鳴らす。
「厄介者同士、仲良くしようぜ」
「残念だけど、私はあなたを殺す気でここにきたのよ」
「残念だが、殺される気は毛頭ないな」
オリヴィアは右指に嵌めた刃を、裾から見せた。
鈍い刃が夕暮れの赤光を吸い込み、不吉に輝く。
デトは拳を握った。
周囲の温度が一段下がり、夜の気配が二人を包み込む。
戦闘の火蓋が切られる。
***




