第十話 神速Ⅰ 陽動
包帯を額に巻く。キュッと結び目を作ると、ベルは立ち上がった。
「他の冒険者はどうかしら」
「さあな」
ベルは崖の淵に近づき、森全体を見晴らす。
確かにこの場から、各地点の様子が窺えた。
まだ、残党処理は終わっていないようだ。
壮大な森の中から微かな戦闘音がここまで聞こえてくる。
「加勢しに行く?」
「もうオークは補充はされないだろう。これだけやったんだ。後は任せても文句は言われん」
背後で聞こえるデトの声。
ベルは頷いて遠くに見える城壁を眺めた。
この崖からもアリスタが遠目に見える。
東の方を向いたままベルは考えた。
死線を抜けたはずだが何故か安堵ができない。
――今回の黒幕はスピカの裏にいた奴と同じはず。目的は何?
崖の下を覗く。
――下の洞窟。まるで、私たちが来るのがわかっているかのようなトラップだった。
ただのオークの大量発生ではないことは最初から分かってたけど、こうも変だと参るな……
疑問が尽きない。頭をかかえるベル。
後ろからデトに声をかけられた。
「これで終わりだと思うか?」
振り向いて目にしたのは、デトが胡座をかいて地に座る姿。上半身裸に黒い手袋をする姿はなんとも滑稽――とも言えず、隆々とした筋肉が夕闇の中で異様な威圧感を放っていた。
あれだけのオークの大群を一人で相手にしたというのに、彼の肌には、泥や返り血こそあれど、かすり傷一つ見当たらない。
ベルはその事実を前に、わずかに背筋が冷えるのを感じていた。
「……いいえ。裏で糸を引いてる奴がいる以上、また何かを仕掛けてくるわ」
それがいつかはわからない。
ベルはもう一度、高台から冒険者たちの戦いを観察する。
彼らのことを見ていると、もう一つ疑問が浮かんだ。
「……ねえデト。どうしてオークたちは転移なんか使ったと思う?」
デトは胡坐をかいた膝に肘をつき、頬杖をついた。
「どういうことだ」
「オークの伏兵は相当な数だったわ。元々あの数を配置していれば良かったと思わない?
それも五つに分けるなんて戦力を分散させるマネせずに、一つにまとめて街を襲えばアリスタは陥落するわ」
「数が多けりゃそれほど統率するのも難しくなる。小隊に分けるのは合理的だ。……だがまあ確かに不自然な点が多い」
デトは立ち上がって、ベルの隣に立った。
「俺らの時もそうだったが、オークたちは補充をするように転移させられていた。水晶を破壊したとき一気に転移が行われたことを加味すれば、意図的に少しずつ転移させていたと考えられる」
――そうだ。それがおかしい
洞窟でのギルバルドとの会話を思い出す。
〝負傷者を出しているが、依然として優勢だ〟
――あのゴブリンが戦況を見ていたなら、何故、優勢になるようにオークたちを送り込まなかったのか。少しずつ、オークが倒されるたびに転移させる。戦闘が長引くだけだ。いずれ、劣勢のままストックが切れることを考えなかったのか? それぐらい余裕があるほど、まだ駒を残していた?
ベルは目を細めた。
思考の途中に、答えがあった気がした。
自分の思考回路をもう一度辿る。
それは素通りしてしまいそうなほど何気ない論理だった。
「戦闘を……長引かせることが……目的?」
独り言のようなベルの言葉にデトが反応する。
「時間稼ぎ……か」
すると、デトの瞳が開く。弾かれたように顔を街の方へと向けた。
隣で考え込んでいたベルもデトの仕草に気づき、彼の横顔を見る。
「どうしたの」
「この作戦自体が時間稼ぎに使われてんなら」
彼のトーンが一段下がる。
「すでに攻撃は始まっている」
デトの視線の方向で、ベルも事の重大さを察した。
ベルはすぐに通信用の魔石を取り出して、マナを流し込む。
緑色に光る――が、ギルバルドから音が聞こえない。
ベルは舌打ちをし、魔石を戻そうとしたその時、握る手の中からノイズが聞こえ始めた。
口元に魔石を近づけて叫ぶ。
「こちらベル!」
確かに繋がっている。だが、すぐに返答が来ない。
大きなノイズの奥から少しずつ、声が聞こえてくる。
『……きょう……だ』
「ギルバルド?!」
ギルバルドの声が途切れ途切れで、こちらに何かを訴えかけてくる。
『……しゅ…げき……ている。す…に増援を……』
そこでノイズごと音が消え失せた。
異常事態であることは嫌でも分かった。
ベルはすぐに身体を反転させる。
「デト! 戻るわ――」
ベルの頭が無理やりに下げられた。
直後に、空気を切り裂く衝撃がベルの後頭部ギリギリで通り去る。
「あら?」
初めて耳にする女の声がした。
何が起こったのかわからぬまま、ベルは顔を上げた。
ベルは自分の頭を押さえるデトの顔を見て、彼が睨みつける先を辿る。
一人の少女が笑みを浮かべながら立っていた。
革のブーツにすらりと伸びた足。身に合わないほど袖が広く空いた深緑色の服。そこからギラリと鈍い光を返す刃が姿を覗かせている。
一見すれば、彼女は華奢で愛らしい少女に見えた。しかし闇そのものを擬人化したような、禍々しくも歪んだ美しさを纏っている。
不気味な紫のメッシュが混ざる黒髪は、片側の顔を隠している。彼女の唇の端から覗く鋭い八重歯は、無邪気さと残虐性が同居する幼い捕食者のようだ。瞳は、冷たく澄んだ紫色をしていた。
そして彼女の背後に広げられる黒い飛膜の翼。
先ほども見たその特徴。
ベルは瞬時に理解した。この少女こそ黒幕であると。
「切ったと思ったんだけどねぇ」
まるで玩具を見ているかのようにどこか楽し気な表情をしていた。
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