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ブルーエンペラー ―魔力なき少女の旅が〝青き皇帝〟を呼び覚ます―  作者: カントウしょうゆ
第二章 咎の一角

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第九話 託すⅤ 呪い

 背後の殺気に瞬時に振り返ろうとしたが、左方から迫る拳を目にし、咄嗟に腕で頭をガードした。


 視界が揺れる。直後に身体は水平に飛び、周囲を取り巻いていた木に打ち付けられた。

 剣が手から落ち、その場でカラカラと転がる。

 一瞬飛んだ意識を取り戻すとすぐに首元を、大きく粗野な手に掴まれた。


 ベルの身体が宙に浮く。

 その褐色な手を引きはがそうとするが微動だにしない。バタバタと足を動かすが無意味に空気を掃いた。


 ベルの目に映ったのは、他の奴らより一回り大きなオークであった。

 通常の魔物とは一線を画す威圧感を纏っている。上向きに伸びた牙。筋骨隆々な褐色の肉体。そして、背後に広がる〝飛膜の翼〟。異常な個体であることは一目で分かった。


――本物の、ロード……!


 オークの口が不意に開いた。


「ヤッテクレタナ」


 耳を疑った。野太い声がカタコトの言葉を紡いだ。


――コイツ、言葉を……!?


 かつて父親に教えてもらった知識が湧き出す。

 魔族の中でも、より知能が発達し、人間の言葉を使う種族――〝魔人〟

 しかし、本来オークは魔人ではなく魔物に分類され、喋るなど前代未聞であった。


「ダガ、ココニ来タノガ、アノ青髪ノ男デハナク、オマエデ良カッタ」

「なん……だと」


 懸命に声を出すが、掠ったようなものしか出ない。


「捻リ潰シヤスイカラナ」


 ベルの引き攣った顔を見て、ロードはニヤリと口角を上げた。


「人間ノ女ハ弱イ」


 その言葉は鼓膜を超え、記憶を刺激する。


 〝これだから女は〟


 脳裏に焼きついた、男たちの蔑みの目。今、目の前の醜悪な魔物と重なる。実力も、知識も何も認められない。積み上げたものは《《あそこ》》では全くの無意味に変わった。


 ベルの人生に付きまとう〝呪い〟がここでも彼女を襲った。

 オークの手を剥がそうとしていたベルの力が抜けて、だらんと垂れ下がった。


――あぁ、そうか。あたしは女だから弱いのか


 彼女の首を絞める力は徐々に増していき、意識が白濁していく。

 ベルの耳に届く音が単なる振動となった。


 真っ白な頭の中で、デトの言葉がよぎる。


 〝行ってこい〟


 同じようなフレーズを以前どこかで聞いたことがある。そんな気がした。

 デトの低く、重い声。鋭く、真っ直ぐな視線があの日の父と重なる。


 〝理想を貫きたくば、力を得るしかない。行ってこい。その手で証明してみせろ〟


 ベルの手に青筋が立つ。

 直後、ベルの首を絞めていたオークの手首が鋭角に折れ曲がった。


「ガァッ……!」


 ベルの拳が横から突き刺さっていた。

 オークの太い指たちの力は緩み、ベルが解放される。

 彼女はサッと足をつけて、顔を下に向けながら首をさすった。


 折られた手首を押さえながら、後ずさるオーク・ロード。

 ロードがベルを睨みつけようとすると、奴の表情が強張っていった。


「どいつもこいつも」


 ベルの体から異様なオーラが放たれる。単なる暴力的な威圧感ではない。歪んでいて危険を本能に訴えるものだった。


 彼女は知らない。確かにそれはデトと同じもの。


「女だなんだ、好き勝手言いやがって」


 ベルがゆっくりと顔を上げる。


「そんなにあたしが下等に見えるなら、正面から叩き潰してやるわよ」


 手の甲をオークに向け、人差し指を立てた。

 こちら側に指を招く。


「来いよ。半端者のキメラ」


 オークの顔は赤褐色に満ちていった。


「図ニ、ノルナ!!」


 黒い飛膜の翼を広げ、重い足音を響かせながら、ベルの方へと走り出した。

 先ほど折った腕とは反対の手が振りかざされる。


 ベルは、オークが繰り出した腕に片足で飛び乗り、踏み台とした。

 跳んだ勢いのまま顔面に側方から蹴りを入れる。

 しかし、想定したよりもよろめかない。


 脇を後ろから鷲掴みにされた。

 遠心力が身体にかかる。

 投げ飛ばされた身体。

 両足で着地をすると摩擦を利用して速度を殺す。


「フハハ。ヤハリ、ヒンジャクダナ!」


 飛膜を広げ、飛空してくるロード。

 ベルは突っ込むロードの攻撃の軌道から抜け出す。

 破壊的な打撃が、地面に衝撃を与えて砂埃が上がった。


 逃げたベルをロードが追う。

 自信を浮かべる表情が迫ってくる。


「ドウシタ! サッキノ威勢ハ!」


 丸太のような足が、ベルを薙ぎ払おうと空気を切る。


 直撃。


 ロードはにやりと笑った――が、その表情はすぐに消えた。

 弾き飛ぶと思われた小さな体は、幹のようにその場にどっしりと構えていた。


 ロードの足は確かにベルの頭部を捉えたかに見えた。

 しかし直撃の瞬間、彼女は両腕で強烈な蹴りを受け止め、ブレない体幹でその破壊的な衝撃を完全に殺しきっていた。


 ベルの目つきはまるで捕食者であった。


 一瞬怯んだロードの緩みをベルは逃さない。

 蹴りだされた足に沿ってオークに近づき、鍛え上げられた褐色の肉体をストレートに殴打する。


 空気が震えた。


 オークはバランスを崩し、鈍い音を立てて背から倒れる。

 ベルの頭から血が伝うが、その目に宿る覇気は失われていない。


「自分の肉弾戦《得意分野》で粋がってんじゃないわよ」


 起き上がろうとするオークから離れ、転がっていた自分の武器を拾った。

 片手で持ち上げ、剣身を肩に乗せる。


「生憎あたしは剣《こっち》が専門よ」


 片足ずつ大地を踏み締め、立ち上がるロードは「ハッ」と、鼻を鳴らした。


「得意分野ダト? 関係ナイ。殺シ合イデハ!」


 一歩踏み込んだかと思うと、巨大な褐色の肉体が爆発的な速度で距離を詰めてきた。


「勝ツコトダケガ、スベテダ!」


 叫びながらオーク・ロードは最高速度を見せる。

 飛膜が風を切りながら、巨大な体躯が一直線を描いた。

 オークはその金髪ごと噛み砕こうと、鋭い牙を光らせる。


「ええ、そうね」


 吸血鬼に似た犬歯がベルの目に映った。


「んじゃ。斬るわ」


 銀色に輝く刃が肩から離れ、天を通る。そして、強く踏み出した足と共に大地へ。


 ―― 一角《いっかく》 ――


 大きな弧を描いた剣筋が猪頭を、褐色の肉体を、真っ二つに裂いた。

 振り切ったと同時に広がる振動が、技の重みを表す。


 慣性のまま、分たれた肉塊がベルの脇を抜けて地面に滑った。

 摩擦音と共に砂埃が舞う。


 戦場にはただ一人、気高き騎士が立っていた。

 風で葉が擦れあう。静寂が訪れた。


 ゴブリンの死体、オークの死体を見下ろす。

 ベルは思い出したように呼吸を荒げた。


 気迫が途切れ、頭痛が襲った。

 頬に流れる血を拭う。

 だが、ベルの目は死んでいない。


――戻らないと


 まるでおもりが付いているかのような足取りで動き出した。

 首に張り付いた汗が気持ち悪さも感じないほど、ただ一心に彼のことを思う。


――まだ、デトが戦っている


 ひたすらに足を動かすが思うように運べない。

 喉を通る空気の音はただ耳に響いた。

 膝の力が抜けてしまう。


 不意にベルの体は膝から崩れ落ちた。

 その時、彼女の身体は誰かの生身の腕により支えられる。


「どこへ行く」


 もう聞き慣れた声に顔をあげれば、そこには青い髪が垂れていた。

 デトの顔はいつもの通り平然としていた。


「ここで合流だと言っただろう」


 不思議なことに、黒い手袋以外に、彼の上半身は何も身につけていなかった。

 しかし、彼の肉体には血や泥が疎らについている。

 彼の鍛え抜かれた腕の中で、ベルの全身の力が抜けた。


「なんで上裸なのよ……」


 デトは少し間を置き、静かに言う。


「戦果だ」

「そりゃ、ご苦労さん」


 ベルの強張っていた頬が少し緩んだ。


 ***


 第九話 託す 完


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