苦しみ
その場の空気が音を立てて凍ったような気がした。
けれどもマリエッタはそれを気にも留めずにディディエを振り返る。
そして、いたたまれないような表情を浮かべるディディエに問いかけた。
「ディー様、サンドイッチに毒が入っているの?」
「はい?」
想定外の質問だったのだろう、ディディエの目が点となる。
マリエッタはたたみかけるように、質問を投げかけた。
「王太子殿下が気にされているようなの」
ディディエは深く長いため息を吐いたあと、絞り出すような声で言った。
「いいえ、毒は入れておりません」
マリエッタは王太子のほうを見て、聞いたことをそのまま伝えた。
「王太子殿下、ディー様はサンドイッチに毒を入れていないそうです! よかったですね!」
元気よく、はっきりとした物言いだった。
王太子は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべたあと――我慢できなくなったのか、噴きだすように笑い始めた。
「ふっ、はは、あはははは!!」
マリエッタはどうして笑っているのか理解できずに、再度ディディエを振り返る。
ディディエはこのように笑う王太子を見たことがないからか、わからないと首を横に振っていた。
モローは顔を青ざめながら「ついにお壊れに」などと小さな声で言っている。
マリエッタは対応を間違えてしまったのか、と戦々恐々としていたが――。
「ディディエはよき伴侶となる女性と出会ったようだな」
その言葉を聞いて、自暴自棄になって笑っていたのではないと気付く。
「マリエッタといったか。その年でそのように天真爛漫に振る舞えるということは、さぞかし両親や周囲の者達から、大切に育てられたのだろう?」
その問いかけに対し、なんて答えればいいのかと戸惑っていたら、ディディエが代わりに答えた。
「いいえ、王太子殿下。彼女、マリエッタは十歳のときに親元を離れ、本来結婚するはずだった者の拠点で暮らすこととなりました」
ディディエはマリエッタの隣に腰を下ろし、そっとやさしく手を握る。
「マリエッタ、続きを王太子殿下にお聞かせしてもいいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
ディディエはマリエッタの出生を、国や立場などを伏せた状態で話し始めた。
「当時、十歳だったマリエッタは結婚に必要な条件を満たしていないという理由だけで幽閉され、侍女や教師としか会わない暮らしを八年も続けていたそうです」
王太子はマリエッタのことを、この年になるまで両親に深く愛され、のほほんと育った娘だと思っていたのだろう。
実際のマリエッタはそのような環境におらず、竜を召喚しなければ立場なんてあったものではないという恐怖に駆られながら生きてきたのだ。
「それで、どうしてディディエと結婚することとなったのだ?」
「魔法の暴走で飛ばされ、クリスタリザーシーの森に下り立ち、夜霧の魔女が住んでいた家で暮らすこととなったそうです」
「そのあと、ディディエと出会ったと?」
「はい。私は彼女を夜霧の魔女と信じて疑わない状態で出会いました」
それからいろいろあり、ディディエはマリエッタを愛するようになった。
「なるほど、そういう事情があったわけか……。知らず、機微に欠ける発言をしてしまった」
マリエッタは首を横に振る。
人は大なり小なり、苦しみを抱えて生きているのだ。
それを最初から見抜ける者などいないのだろう。
「王太子殿下も、大きな苦しみを抱えて生きていらっしゃるのだろうな、と感じておりました」
「それは――そうだな」
王太子は幼少期からディディエと比較され、自分の立場が危うくなるのではないか、という危惧さえ抱いていた。
その結果、王太子はディディエを亡き者にしようと画策した。
「私の弱さが招いたものだが……永遠に、許されることではないだろう。しかし」
王太子は顔を上げ、まっすぐな瞳でディディエとマリエッタを交互に見た。
「この私の弱さに付け入り、ディディエの暗殺を勧めようとする者がいた――がっ!!」
それを口にした瞬間、王太子の首を一周するように呪文が浮かび上がる。
「なっ!?」
「これは!?」
浮かんだ呪文が王太子の首をギリギリと絞め始めた。
「がっ、あ――ひっ、ぐううう!」
王太子は白目を剥き、苦しみ始める。
これはいったい――と思っていたらグリージャが叫んだ。
『強力な禁句魔法ですわ!!』
それを聞いてマリエッタはハッとなる。
一度だけ、魔法書で読んだ覚えがあったのだ。
「喋ってはいけないことを口にしたら、命を奪われるっていう魔法!?」
『ええ!』
『ワア、大変!!』
メルヴ・トゥリーが呪文を唱えたあと、頭上の葉っぱを抜き、蔓を伸ばして王太子の首に貼り付ける。すると、王太子は意識を失い、ぐったりとうな垂れた状態になった。
「メルヴ・トゥリー、何かしたの?」
『ウン、魔法ヲ、止メタノ』
それは一時的なもので、長く維持できる魔法ではないようだ。
「い、いったいどうしてこんなことが起こったのかしら?」
「王太子殿下は何者かに唆されて、暗殺事件を起こしたという話をされかけていましたが」
ならば、今回の事件も犯人は別にいるのではないか。
そんな推測が浮かんでしまう。
「ディー様、どうしましょう?」
「王太子殿下をここに置いておくのも心配ですね」
『大丈夫ですわ。邪な感情を持つ存在が近づけないよう、私がここに結界を張っておくから』
グリージャが守備魔法に優れている、家猫妖精としての本領を発揮するという。
「でも、その魔法を使ったら、グリージャがここに残らなければいけないのでは?」
『そうですけれど、緊急事態ですので』
『ダッタラ、メルヴ・トゥリーモ、ココニ、残ルヨ』
マリエッタも、と言いたいところだが調査しなければならない。
王太子のことはグリージャとメルヴ・トゥリーに任せるしかないようだ。
「モロー秘書官」
「はい」
「私達と一緒に来てもらいますが、よろしいでしょうか?」
「それって、私に選択権があるのでしょうか?」
「ありませんね」
「ですよね。はい、同行します」
王太子についての話を聞かれてしまった以上、モローを野放しにできない。
彼が犯人である可能性も踏まえ、ディディエと行動を共にしてもらうこととなった。
「すみません、拘束するような形になってしまって」
「いいえ、これで王太子殿下の容疑が晴れるのであれば、いくらでも協力しますよ」
ひとまず、グリージャとメルヴ・トゥリーをこの場に残し、宿に戻ることとなった。
「グリージャ、そのサンドイッチは食べてもいいからね!」
『当然、いただきますわ』
「メルヴ・トゥリー、水筒の中に蜂蜜水があるから飲んでね」
『アリガト~!』
王太子はメルヴ・トゥリーの葉っぱを首に巻いた効果なのか。少しだけ穏やかな表情を浮かべて眠っている。
ただこれも長くは続かないというので、急いで調査しなければならないだろう。
モローを連れ、宿への転移する。
下り立った先は宿のラウンジで、リードが優雅に茶を飲んでいるところだった。
「お祖父様、ただいま戻りました」
「早かったな」
リードはモローの存在に気付くと、眉を顰める。
「貴殿は、王太子殿下の秘書官ではないか」
「閣下、しばしここでお世話になります」
「何、どういうことだ?」
「実は――」
ディディエは先ほどあったことを、すべてリードに報告した。
リードは話を聞いているうちに、眉間に皺が寄っていく。
「ここにきて王太子殿下が白で、他に黒幕がいるかもしれない、ということになるとは……」
沈黙が支配する場に、コンシェルジュがやってくる。
「マリエッタ様、ゾフィア様とお友達方が訪問されているようですが」
先触れもなしにやってきたようだ。
何か判明したのかもしれない。
マリエッタはディディエとリードから了承を得てから、彼女らをスイートルームのラウンジに呼び寄せた。




