↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/12

第10話 豪雨の手取川と四十里の水工学

第10話です! いよいよ最終幕「手取川治水決戦と大団円編」開幕!

織田信長四万の大軍が加賀へ侵攻。待ち受けるのは、日本屈指の暴れ川・手取川!

天正五年秋。加賀国・手取川の北岸は、地鳴りのような濁流の轟音に包まれていた。

 白山連峰から激流となって日本海へと注ぎ込む手取川は、連日の秋雨によって茶褐色の泥水が激しく波打ち、川幅いっぱいに暴れ狂っていた。

 北岸の松任城の本陣にて、神崎陸は物見櫓から対岸の南岸を見据えていた。

 対岸の平野を埋め尽くしているのは、見渡す限りの赤と黒の旗指物――天下布武を掲げる織田信長の筆頭軍団、柴田勝家率いる四万の大軍だった。

「クソッ……ものすごい数だ! 先頭に並んでいるのは、あの長篠で武田騎馬隊を皆殺しにした鉄砲隊だぞ!」

 物見台の手すりを叩いたのは、柿崎景家だった。十文字槍を握る拳に青筋が浮いている。

「その数、およそ三千挺……! あんな鉄の筒から鉛の弾を一斉に撃ち込まれちゃ、越後自慢の騎馬隊も近づく前に蜂の巣だ! 三段撃ちの連射を食らえば、いかに軍神の加護があろうとひとたまりもねえ! だが手取川がこの大増水じゃ、川を渡って斬り込むこともできねえ!」

 柿崎の悔しげな叫びに、樋口与六も大福帳を抱えて顔を曇らせた。

「長尾軍の兵力は二万……兵数でも倍近く劣っております。川を挟んでの睨み合いが続けば、越後の兵糧が先に尽きてしまいます……!」

 重苦しい沈黙が広間を支配する中、白縮緬の陣羽織を纏った長尾景虎が、紫水晶の瞳を静かに陸へと向けた。

「……陸。そなたの顔を見ればわかる。この四万の大軍を破る策が、すでにその胸中にあるのだな?」

 景虎の眼差しには、微塵の疑いもなかった。陸に対する絶対的な信頼が、その澄んだ声音に満ちていた。景虎は歩み寄ると、自らの白銀の髪を一筋編み込んだ小さなお守りを、陸の首へとそっと掛けた。

「余の太刀は越後を護るが……余の心は、常にそなたと共にある。必ず無事で戻れよ」

「約束します、景虎様」

 陸は力強く頷き、机の上に広げられた手取川流域の等高線図を指差した。

「景虎様。敵の鉄砲三千挺は確かに脅威です。ですが、鉄砲には絶対に覆せない構造的な弱点が二つあります」

「弱点……?」

「一つは、雨と湿気です。火縄銃の黒色火薬は、水滴を浴びれば一瞬で湿気て着火しなくなります。雨覆いという革の覆いをつけても、激しい水流や泥水をかぶれば銃身の中に水が侵入して暴発するか不発に終わる。そしてもう一つは――川を渡っている最中は、足場が不安定で絶対に鉄砲を構えて撃てないということです」

 陸は図面上流の渓谷をトントンと指先で叩いた。

「手取川は、日本屈指の急勾配河川です。上流の白山山系から河口までの高低差は千メートル以上。この地形を利用して、水工学による【巨大な罠】を仕掛けます」

「罠だと……?」

「ええ。川を渡らせるんですよ。敵自らが、喜んで手取川の激流へ飛び込んでくるように仕向けるんです」


 その日の昼。手取川の上流数里、両岸を険しい絶壁に挟まれた狭隘な渓谷。

 激しい雨が降り注ぐ中、陸の指揮のもと、数百名の越後工兵と工夫たちが泥まみれになって巨大な土木工事を進めていた。

「蛇籠を川底に沈めろ! 太い栗の丸太を井桁に組んで杭を打ち込め!」

 陸の怒声が渓谷に木霊する。

 竹を編んで作った網籠に、河原の重い丸石をぎっしりと詰め込んだ【蛇籠(じゃかご)】。これを川底に何重にも敷き詰め、巨木の木枠と生石灰モルタルを流し込んで急流を塞き止めていく。

 陸が建造していたのは、近代土木でいう【時限式仮設堰塞堤(フラッシュフラッドダム)】だった。

 豪雨によって山から流れ込む膨大な雨水を上流の渓谷に堰き止め、巨大な人工湖を形成していく。水面は見る見るうちに上昇し、満水に近づいていく。貯水量数十万立方メートル。それが一気に決壊すれば、流速毎秒十メートルを超える巨大な人工鉄砲水となって下流を呑み込む。流体の破壊力は、速度の二乗に比例するのだ。

「陸殿! 起爆の仕掛けは完了いたしました!」

 与六が泥に濡れながら駆け寄ってきた。

「堤防の最重要支柱の継ぎ目に、生石灰と信図(火縄)を仕込みました! 崖上の綱を一気に引き抜けば、中央の楔が外れ、水圧で堤防全体が一瞬にして連鎖崩壊いたします!」

「よし、完璧だ。流量計算はどうだ?」

「はい! 上流を堰き止めたことで、下流の手取川の水位は、これから半刻ほどで一気に三尺(約一メートル)近く低下します!」

 与六の報告通り、上流で水を遮断した結果、下流の松任城付近の手取川は、一見すると雨が止んで水位が下がったかのように浅瀬が広がり始めていた。

「これを見れば、柴田勝家は『川水が減った、今こそ好機』と誤認して全軍渡河を命じるはずだ」

 陸の読みは、完璧だった。


 深夜十一時。

 激しい雷鳴が轟き、稲妻が暗黒の夜空を白く引き裂いた。

 下流の松任城付近。水かさが減った手取川を見て、織田軍総大将・柴田勝家が全軍へ下知を飛ばした。

「見よ! 天が我らに味方したぞ! 手取川の水位が落ちた! 全軍、川を渡って上杉本陣へ攻め寄せよッ!」

 四万の織田軍が歓声を上げ、手取川の浅瀬へと怒涛の勢いで雪崩れ込んだ。

 浮橋が次々と架けられ、三千挺の鉄砲隊を擁する前田利家や佐々成政の軍列が、川の中央へと進出していく。

 だが――その時、上流の堰塞堤を守る崖の上で、不穏な影が蠢いた。

「見つけたぞ……川を塞き止めているのは、この怪しげな堤防か!」

 闇を裂いて飛び出してきたのは、織田軍の別働隊・滝川一益配下の精鋭素破数十名だった。柴田勝家の軍師が、川の不自然な減水に気づき、上流へ放った偵察暗殺部隊だった。

「堤防の番人どもを皆殺しにせよ!」

「敵襲ッ! 陸殿をお守りしろ!」

 護衛に就いていた柿崎景家が、十文字槍を振るって闇の中の忍びたちを薙ぎ払う。

 激しい白兵戦が展開される中、敵の素破の一人が、火をつけた焙烙玉を堤防の信図めがけて投げ込んだ。

 ドガアアアンッ――!

 凄まじい爆風が吹き荒れ、土嚢が吹き飛ぶ。

「しまっ……! 起爆の引き綱が千切れたぞ!」

 柿崎が絶叫した。

 崖から堤防の要石へと繋がっていた信図が、爆炎で焼き切れてしまったのだ。

 下流では、織田軍主力三万が、川の真ん中を渡り終えようとしている。今すぐ堰を開放しなければ、織田軍は対岸へ上陸し、長尾軍本陣は鉄砲の集中砲火に晒されて壊滅する!

「陸殿、危ない!」

 与六の悲鳴を背に、神崎陸は躊躇なく泥にまみれた堤防の急斜面へと駆け下りた。

「俺が直接、手で楔を叩き落とす!」

 大槌を握りしめた陸の頭上めがけて、敵の素破の抜き身の太刀が、雷光の中で閃いた。

「死ねッ、越後の小役人!」

「陸殿に指一本触れさせるかよおおおッ!」

 背後から飛来した柿崎の十文字槍が、素破の胸板を串刺しにして絶壁へ縫い留めた。

 飛び散る血飛沫を顔に浴びながら、陸は大槌を両手で振り上げ、満水の水圧で悲鳴を上げる堤防の中央の巨木楔へと、渾身の力で叩きつけた。

「ぶっ壊れろおおおおッ!!」

 陸の渾身の一撃が、巨木の楔を粉砕した。

 メキメキと音を立て、巨大な堤防に亀裂が走った。

【土木・兵站ミニ解説:手取川の扇状地と出水特性】

白山を源流とする手取川は日本でも有数の急流河川であり、豪雨時には一気に危険水位に達します。川底の勾配が急なため、水流の破壊力は平野部の河川の数倍に達し、渡河作戦中の軍勢にとっては天然の巨大トラップとなります。


次回『第11話 織田軍壊滅、激流を呼ぶ一撃』は明日18:00更新! 決戦クライマックス!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。