第9話 狙われた兵站奉行と、軍神の神聖激怒
第9話、第3幕完結話です!
越後の急成長に危機感を抱いた敵方の刺客が、陸を標的に急襲!
その時、軍神少女が放った怒りは想像を絶するものでした――!
焼け付くような熱さと、凍えるような悪寒が、交互に身体を責め立てていた。
神崎陸の意識は、暗い泥水の中を漂うように揺れていた。毒矢の猛毒が神経を麻痺させ、胸の鼓動は激しく乱れている。
(……死ぬのか? 俺は、こんなところで……)
薄れゆく意識の向こうで、誰かの必死に泣き叫ぶ声が聞こえていた。
「嫌だ……逝くでない、陸! 目を開けよ! 毘沙門天など要らぬ! 神仏の加護などどうでもよい! 余の命をいくらでもくれてやるから……陸を、余のたった一人の理解者を返してくれえええッ!」
頬に、温かく濡れた滴が幾筋も落ちてくる。
長尾景虎の涙だった。軍神と呼ばれ、決して弱音を吐くことを許されなかった少女が、子供のように声を上げて泣きじゃくっていた。
「景虎様、しっかりなさってください! 陸殿が普段から書き残されていた手引書に、毒を吸着する方法が記されております!」
樋口与六の叫び声がした。
「微粉末にした木炭を水に溶かして飲ませるのです! 炭の微細な孔が、胃の中の毒素を吸着して外へ排出させます! さらに甘草とドクダミの濃厚な煎じ汁を!」
無理やり口の中に流し込まれる苦い液体。喉を詰まらせそうになりながらも、陸の身体は反射的にそれを飲み干した。さらに左肩の傷口が鋭い刃物で小さく切開され、毒血が強く絞り出される。
激痛と共に、ドロリとした黒い血が床に滴り落ちた。
一刻、二刻――。
地獄のような苦悶の果てに、陸の全身から激しい汗が噴き出した。神経の麻痺が解け、視界を覆っていた暗雲がゆっくりと晴れていく。
「……ん……」
掠れた呻き声を漏らし、陸が重い瞼を開いた。
最初に映ったのは、朝の淡い光と、泣き腫らして真っ赤になった紫水晶の瞳だった。
「あ……」
景虎が息を呑んだ。
彼女は甲冑を着たままで、その膝の上に陸の上半身を抱きかかえていた。白銀の髪は乱れ、美しい顔は涙と煤で汚れていた。
「り、陸……!? 陸なのか……!?」
「……景虎様……泣きすぎですよ……顔が、台無しだ……」
「陸ぅッ!!」
景虎は感極まった絶叫と共に、陸の胸元へと抱きついてきた。
華奢な身体が激しく震え、陸の首筋に少女の温かい涙がとめどなく溢れ出る。
「よかった……本当によかった……! そなたが死んだら、余は……余はどう生きていけばよいか分からなかったのだ……!」
「大げさだな……俺はそう簡単にくたばりませんよ」
陸が苦笑しながら、弱々しく景虎の背中に手を添えた――その時だった。
ドオオオオオンッ――!
直江津の海の方角から、空気を引き裂くような砲撃音と鬨の声が轟いた。
「敵襲! 海からの敵襲にございますッ!」
槍を手にした柿崎景家が、血相を変えて奥の間に飛び込んできた。
「沖合に三十隻を超える船団が現れやがった! 能登と越中の海賊衆だ! 先ほどの上方豪商の生き残りどもが手引きしたに違いねえ! 火矢と焙烙玉を満載した火船で、直江津港の北前船を焼き払う気だ!」
「何だと……!?」
景虎の瞳が、瞬時に氷点下の殺気へと凍りついた。
「陸を傷つけたのみならず、余らの希望たる船団までも灰に帰す気か……! 許さぬ、一人残らず叩き斬って魚の餌にしてくれる!」
立ち上がろうとする景虎の袖を、陸が弱々しく引いた。
「待ってください、景虎様……」
「陸!? 動いてはならぬ!」
「慌てる必要はありません……。直江津の港には、あらかじめ【罠】を仕掛けてあります……。俺を、港の防波堤へ連れて行ってください」
朝八時。直江津港の突堤。
冷たい海風が吹き荒れる中、湾内へ向かって海賊たちの火船数十隻が突入してきていた。
「燃やせェ! 越後の新造船をすべて焼き尽くせ!」
船首に掲げられた松明が赤々と揺らめき、無数の火矢が雨あられと港へ射ち込まれる。
だが、担架の上から戦況を見据える陸は、冷静に老船大工の辰造へ命じた。
「辰造さん、港の導流堤の水門を落とせ!」
「へいッ!」
辰造たちが巨大な木製水門の巻き上げ機を解放した。
ドスンッ! という重い地響きと共に、港の入口のバイパス水路が遮断された。
その瞬間――潮の干満差と川の流れが防波堤に衝突し、港内の海流が激変した。
「な、なんだ!? 舵が利かねえ!」
海賊たちの火船が、突如として発生した激しい逆潮流に巻き込まれ、次々と港の浅瀬の岩礁へと押し流されていく。
ガガガガッ! という破壊音と共に、先頭の十数隻が岩礁に乗り上げ、完全に座礁した。
「さらに、この防波堤だ!」
陸が指差したのは、海賊船が衝突した防波堤の基礎だった。
通常の木杭や石積みなら簡単に崩壊するはずの堤防が、ビクともしていない。
「生石灰と火山灰、海水を混ぜ合わせて固めた【古代コンクリート(ポゾランモルタル)】だ! 水中で炭酸カルシウムの結晶を形成し、年月が経つほど岩より硬くなる! 火矢程度で燃えるかよ!」
「す、すげえ……! 船がぶつかっても石垣が微動だにしねえぞ!」
柿崎が歓声を上げる。
「柿崎殿、防波堤の投石機を使え! 投げるのは石じゃない、生石灰の樽だ!」
「生石灰を海にぶち込むのか!? よし、野郎ども、放てェッ!」
大型投石機から放たれた数十の樽が、座礁した海賊船の甲板へ直撃し、炸裂した。
真っ白な粉末が海水と混ざり合った瞬間――ジュワアアアアッ! という凄まじい沸騰音と共に、百五十度を超える高熱蒸気が海賊たちを包み込んだ。
「ぎゃあああっ!? 熱い、海が煮えたぎってやがる!」
「目が、目が見えねえッ!」
化学反応による高熱蒸気とアルカリ性の煙に巻かれ、海賊たちは恐慌状態に陥って海へ飛び込んだ。
「かかれェッ!」
白馬を駆った景虎が、愛刀を一閃させて座礁船へ斬り込んだ。
軍神の神速の刃が敵を薙ぎ倒し、わずか半刻足らずで海賊船団は全滅。手引きしていた黒幕の商人たちもことごとく捕縛された。
直江津の港と北前船団は、陸の工学技術によって完璧に死守されたのだ。
正午。直江津の突堤に、越後軍の勝鬨が響き渡った。
景虎は刀を納めると、担架の上の陸の元へ歩み寄り、その手を取った。
「陸……そなたのおかげで、港も船もすべて守られたぞ」
「よかったです。これで越後の海運は盤石ですね」
陸が微笑むと、景虎は愛おしそうに陸の額へそっと自らの額を重ね合わせた。
「二度と……そなたを一人にはさせぬ。余が生涯をかけて、そなたの盾となろう」
紫水晶の瞳に宿る絶対の愛誓に、陸の胸が温かく満たされた。
だが――その平和を打ち砕くように、西の街道から一頭の早馬が猛烈な砂煙を上げて港へ駆け込んできた。
「緊急の注進! 加賀より緊急の注進でございますッ!」
落馬するように転がり出た使番が、叫んだ。
「織田信長配下の筆頭家老・柴田勝家、羽柴秀吉ら率いる四万の大軍が加賀を制圧! 数千挺の鉄砲隊を擁し、越前・加賀の国境を越えて手取川へ迫っております!」
「何だと……ッ!?」
景虎の表情が一変した。
天下布武を掲げる織田家の最大軍団四万。
ついに日ノ本最強の鉄砲軍団が、軍神の首を獲るため、手取川の激流を挟んで対峙しようとしていた。
【土木・兵站ミニ解説:兵站拠点のセキュリティと要人警護】
兵站総監やインフラ技術者は前線で刀を振るう武将以上に「軍勢の心臓」です。兵站中枢の喪失は数万の軍の壊滅に直結するため、城郭の縄張り(設計)においても倉庫群や物資集積所、担当奉行の居館には多重の防壁と警護網が敷かれました。
次回より最終幕突入!『第10話 豪雨の手取川と四十里の水工学』は明日18:00更新です!




