罪を犯した。罪を殺した。
...薫に会いに行かなきゃ
湿った冷気が皮膚に刺さり、革靴が地面を叩く音だけが響いている。
薫がいる場所は、林道か、A棟校舎の屋上しかない。
階段を上り、扉を開ける。
雨雲の下、ぼんやりと佇む薫の姿があった。
扉の開く音に、ゆっくりと振り向く。
「兄さん、来てくれたんだ。」
いつもと変わらない、無機質な笑みが口元に浮かぶ。
「今朝の速報、見た?」
「...あぁ、見た」
「偶然かな...」
視線を逸らしたまま、蒼の左手がそっと項に触れる。
「被害者、僕たちに少し似ていると思わない?」
華奢な体。無垢な顔立ち。澄みきった双眸。
まだシワひとつ刻まれる前に、社会に汚される前に――人に殺された。
「完璧な被害者、哀れな被害者。選ばれたのは、あまりにも白すぎる羊だった。」
「羊?」
「白い、純潔な羊だよ。」
「電話ボックスの中で、絶望した羊がいた。不潔に染められて――
罪にされていた。」
「罪にされていた、って......どういう意味なのか?」
蒼の声はわずかに低くなる。
「罪の本質、ってこと。」
「あるいは、贖うためのもの。」
「贖うために、罪を犯したっていうのか?」
わずかな間。
雨音だけが、屋上に落ち続ける。
「罪を犯した。罪を殺した。それだけのことだ。」
「罪を犯した。罪を殺した。」
弟の声が、頭の中で何度も反響している。思考は真っ白に満たされ、何も考えられない。ただ、その言葉だけが、しつこく響いている。
屋上を後にし、行き当たりばったりに廊下を駆けていく。
雨音は、まだ途切れることなく続いている、ざあざあと降りしきる雨は、一向に止む気配を見せない。どれほど時間が経ったのか、もう分からなかった。
真っ暗な廊下の突き当たりが、果てすら見えない。先ほど屋上から薄暗い校舎へ入った途端、急激な明暗差に目が追いつかず、古いテレビの砂嵐のように白いノイズが視界を覆っていた。ただ、窓を叩く雨音と、革靴が床を打つ音だけが、校舎に混じって響いていた。
揺れる視界の中、ざらついた手すりに左手を添えながら、階段を下りていく。
不意に、鋭い金属の縁が親指を掠めた。遅れて走る痛みとともに、温かな血が冷え切った指先から滲み落ちる。鉄錆じみた匂いが、湿った空気の中に広がっていった。
帰り道、親指の傷口から垂れた赤い血の雫が、ぽたり、ぽたりと地面へ落ちてく。まるで傷を負った獣のように、血の跡だけが足取りを残していた。深い傷口から走る痛みが、指先から腕へじわじわと広がっていく。ぼんやりとした頭は、さらに混乱していった。
家の扉の前に立つ頃には、空はすでに完全な黒へ沈んでいた。鍵を握った右手で、ドアを無理やり押し開ける。軋むような音が静かな空気を切り裂く、ぞわり、と肌が粟立った。
何もしたいことがない。
何も知りたいことがない。
精神的な疲労に沈んだ僕の頭には、眠気だけが重く残っていた。
雨音だけが響く世界の中、冷えた体を無理やりベッドへ横たえる。かさぶたになった傷口も気にしないまま、湿った布団へ身を縮めた。喉は締め付けられるように、呼吸さえ苦しくなってきた。
そのままに、寝てしまう。
視界が涙に覆われて、窓から差し込む薄い光だけが、白い輪郭を曖昧に浮かべていた。
心が、ぽっかりと空いている。
何か大切なものを失ってしまったように。
二度と、埋まることのない穴みたいに。
――軋むような音が、再び響いた。
ぼやけていた意識が、一瞬で引き戻される。
扉の開閉音?
幻覚かもしれない。
錯覚かもしれない。
気のせいかもしれない。
弟が帰ってきたのかもしれない――
...デモ、オトウトハモウシンデイルハズダ。
その瞬間、背筋がぞわりと粟立った。
あの音は、聞き間違いじゃない。
錯覚でもない。
寝室の外に、誰かがいる気配がする。
吐き気が喉元までせり上がり、痙攣するような鋭い痛みが胃を駆け抜けた。
呼吸が乱れる。
腹を裂かれる。
首を刺される。
頭を殴りつけられる。
臓器を無理やり引きずり出される。
全身を何度も刺し貫かれる。
血が泉のように溢れ出していく。
残酷な光景が頭の中を埋め尽くしていく。
誰かを呼ばなければならない...




