第五話 『神社で、狐みたいな先輩に出会いました!』
神社暮らし、今日はちょっともふもふです!
翌朝。月夜は結から、小さな木箱を渡された。
「これ、裏の奉納庫の横の棚に置いてきてくれる?」
「ひとりで?」
「昼だから大丈夫」
結はそう言ってから、少しだけ付け足した。
「道を外れなければ」
月夜は木箱を抱えた。
「その最後の一言、必要でした?」
「月夜には」
「信用が育ってない」
庭の向こうで、小麻里が箒を立てかける。
「あとで行くから。先に置くだけ置いてきて」
「分かりました」
月夜は木箱を抱え直した。昨日、夜の白い影は追わなかった。今日は昼で、明るい。それなら、少しくらい一人で動ける。たぶん。
「今たぶんって思ったでしょ」
小麻里が言った。月夜は振り返った。
「顔、読まないでください」
***
白雲神社の裏手は、前庭より静かだった。奉納庫はすぐに見つかった。木箱を棚に置く。布を一枚かける。ここまでは完璧だった。
「よし」
月夜は満足して戻ろうとした。そこで。角を一つ、間違えた。数歩進んでから気づく。見覚えのない細い道。石。草。木の根。月夜は立ち止まった。
「……よし、じゃない」
昼なのに、また。道とは本当に相性が悪いらしい。月夜は引き返そうとした。そのとき。さく。草を踏む音がした。横ではない。上。月夜が顔を上げる。
最初に見えたのは、赤い衣の裾だった。木の根が張り出した少し高い場所。そこに、一人の女が座っている。金色の目。柔らかそうな髪。頭の上には狐の耳。
そして、後ろで、三本の尻尾がゆっくり揺れていた。月夜は止まった。女も月夜を見る。数秒。先に口を開いたのは女だった。
「何」
月夜はまだ尻尾を見ていた。
「……三本」
「顔より先に数えるんだ」
月夜ははっとした。
「顔も見ました」
「言い訳が正直」
女は立ち上がった。赤い衣の裾を払う。下りようとして、袖が枝に引っかかった。
「……」
一瞬だけ、すごく嫌そうな顔になる。自分で外す。月夜は思わず見ていた。
「今笑った?」
「笑ってません」
「口元」
「ちょっとだけです」
「正直すぎる」
女は石から下りた。近くで見ると、思っていたより大人びている。目元には余裕がある。でも、片方の耳だけ少し寝ている。
完璧に神秘的という感じではなかった。そのほうが、月夜には話しやすかった。
「えっと」
月夜は耳を見る。尻尾を見る。また顔を見る。
「本当に狐なんですか?」
「君にもつけようか?」
「え?」
「尻尾。あと何本かあるし」
月夜の思考が止まった。尻尾をつける。どこに。位置。後ろ。そこまで考えて、顔が熱くなった。女の目が細くなる。
「へえ」
「何ですか」
「そういうところから考えるんだ」
「違いますけど」
「顔が違わない」
月夜は口を閉じた。完全に遊ばれている。
「そっちの尻尾は本物なんですか」
話を変えた。女は一度だけ瞬きをした。
「全部そう見える?」
「見えます」
「じゃあ問題」
くるりと背を向ける。三本の尻尾が並ぶ。
「このうち一本、偽物」
「……なんで?」
「当てたら教える」
三本が揺れた。一本はゆっくり。一本は短く。一本だけ、ほんの少し間が違う。月夜は真剣に見る。女が肩越しに笑う。
「そんなに見る?」
「問題出したのそっちでしょう」
「それもそう」
月夜は少し考えた。
「真ん中」
女の耳がぴくっと動いた。
「理由」
「一番『本物です』って頑張ってる感じがするので」
「……」
「当たり?」
「君、変なところで勘いいね」
女は真ん中の尻尾を持ち上げた。本物みたいに動いていたのに、近くで見ると、ついている位置が少し違う。
「本当に偽物なんだ……」
「完成度高いでしょ」
「なんで混ぜてるんですか?」
「三本のほうがかわいいから」
月夜は女を見る。
「それだけ?」
「大事」
「二本じゃ駄目なんですか」
「ちょっと半端」
「狐の美学が分からない」
「そのうち分かるよ」
女は偽物の尻尾を元に戻した。三本とも、また自然に揺れ始める。
「それに本物三本だと、寝るとき邪魔だし」
「急に生活感」
「生きてるんだから生活するよ」
その言い方が妙に当たり前で、月夜は少しだけ笑った。
***
「ところで」
月夜は女を見る。
「誰ですか?」
「今さら?」
「尻尾の話が先になったので」
「君のせいでもある」
女は近くの石に腰を下ろした。
「木乃葉」
「木乃葉」
木乃葉は自分の名前を言ったあと、今度は月夜を指さした。
「君は?」
「月夜です」
「月夜」
一度だけ。確かめるみたいに呼ぶ。その声を聞いた瞬間、月夜は少しだけ変な気分になった。知らない人に名前を呼ばれただけ。そのはずなのに、耳に馴染むのが早すぎる。まるで、一度くらいはこうして呼ばれたことがあるみたいに。
でも、その続きを思い出そうとすると、いつものように何も出てこなかった。月夜はその空白を追う代わりに、目の前の木乃葉を見ることにした。
木乃葉は何も言わなかった。ただ、三本の尻尾のうち、本物の一本だけが、ほんの少し動きを止めていた。月夜は、木乃葉の名前をもう一度心の中で呼んでみた。変な感じがした。
初めて聞いたはずなのに、耳に引っかからない。すっと入ってくる。木乃葉は月夜の顔を見る。
「何、その顔」
「……私、名前に弱いのかもしれません」
「何それ」
「初めて聞いた感じが、あんまりしなくて」
木乃葉の金色の目が、ほんの一瞬だけ、静かになった。でも、次にはいつもの笑い方に戻る。
「じゃあ、覚えやすくていいじゃん」
月夜はその変化を見た。聞こうか迷う。でも、昨夜、小麻里に止められたときのことを思い出した。気になるからといって、全部を追う必要はない。今は。
「そうですね」
それだけ答えた。木乃葉の耳が、少しだけ上がった。
「君、思ったより聞かないんだ」
「聞きますよ」
「今聞かなかった」
「聞いても答えなさそうだったので」
木乃葉が笑った。
「正解」
「やっぱり」
「その代わり、別のことなら答える」
「例えば?」
「尻尾の手入れ」
「さっきから尻尾好きすぎません?」
「私のだからね」
月夜は呆れながらも笑った。この人。いや。この狐。話しやすい。それが少し不思議だった。
***
遠くから、小麻里の声がした。
「月夜?」
月夜が返事をしようとした。その前に、木乃葉が答えた。
「こっち」
しばらくして、小麻里が木の間から出てくる。木乃葉を見る。驚かない。
「またそこにいたんだ」
「またって何。茸みたいに言わないで」
「似たようなものでしょ」
「全然違う」
遅れて結も来た。木乃葉を見るなり、小さく息を吐く。
「会ったんだ」
「拾った」
木乃葉が言う。月夜はすぐ訂正した。
「拾われてません」
「道に迷ってた」
「それは……そうですけど」
小麻里が呆れた顔をする。
「今朝、道外れないようにって言われたよね」
「奉納庫までは完璧でした」
「帰りは?」
「木乃葉に出会いました」
「答えになってない」
結が小さく笑った。二人とも、木乃葉がいることを当たり前みたいに受け入れている。月夜は木乃葉を見る。
「木乃葉って、ここに住んでるんですか?」
木乃葉は少し考えるふりをした。
「だいたい」
「また曖昧」
「細かいこと気にすると老けるよ」
「木乃葉は何歳なんですか?」
「初対面でそれ聞く?」
「言った本人が」
「君、結構強いね」
木乃葉の尻尾が面白そうに揺れた。
***
「まだ気になる?」
木乃葉が聞いた。
「何がですか」
「尻尾」
月夜は一度、見た。
「……気にはなります」
「触る?」
月夜は少し警戒した。
「また何か言わせようとしてません?」
「今度は本当」
木乃葉は本物の尻尾の一本を、少し前へ出した。近くで見ると、かなり柔らかそうだった。月夜は結と小麻里を見る。止めない。
「じゃあ」
そっと手を伸ばす。触れる。
「……わ」
思っていたより、ずっと柔らかい。温かい。指が毛の間に沈む。表面はさらさらしているのに、その奥にはちゃんと身体の熱があった。
月夜は毛並みに沿って、ほんの少しだけ指を動かす。
「……これ、ずっと触っていられますね」
言ってから、自分で何を言ったのか気づいた。木乃葉の目が細くなる。
「へえ。気に入った?」
「感触の話です」
「私は何も別の意味にしてないけど」
「顔がしてます」
尻尾の先が、ぴくっと動く。同時に、木乃葉の肩も動いた。
「あ」
月夜の指が、毛の奥に少し沈みすぎたらしい。木乃葉が咳払いをする。
「いきなりそんな奥まで触らないで」
「すみません」
「そこ、結構敏感だから」
月夜の手が止まった。一秒。二秒。意味を考える。顔が熱くなる。木乃葉の目が細くなった。
「何想像したの」
「何も」
「嘘」
「木乃葉が変な言い方したんでしょう」
「事実」
「事実でも言い方あります」
横で小麻里がため息をついた。
「二人とも、うるさい」
結は口元を押さえている。笑っている。月夜は余計に恥ずかしくなった。
「もう触りません」
「え、嫌だった?」
「そういう聞き方もずるい」
木乃葉が楽しそうに笑う。月夜は確信した。この人。絶対、面倒な人だ。でも、嫌ではなかった。
***
木乃葉は月夜の前へ一歩出た。
「じゃあ、紹介も終わったし」
「はい」
「一個だけ」
手を上げる。中指と薬指と親指をくっつけて、人差し指と小指を立てる。妙に狐っぽい形。月夜の目が少し開いた。
「キツネサイン」
「違う」
即答。
「どう見ても」
「そんな名前つけたことない」
「今つければいいじゃないですか」
「嫌。安っぽい」
月夜は三本の尻尾を見る。
「偽物の尻尾に完成度求めてた人が言います?」
木乃葉が黙った。小麻里が吹き出した。結まで笑う。木乃葉は少し不満そうに耳を寝かせた。
「……ほんと、初対面にしては話が合うね」
月夜も少し笑った。
「木乃葉が話しやすいからじゃないですか」
言ってから、木乃葉の動きが少し止まった。ほんの一瞬。尻尾も。
「……そういうの、普通に言うんだ」
「駄目でした?」
「別に」
木乃葉は顔を横へ向けた。耳だけ、少し立っている。月夜は自分の手を上げた。さっきの形を真似する。
「じゃあ、とりあえず非公式キツネサインで」
「だから違うって」
「でも通じてます」
木乃葉は呆れたように月夜を見る。それから、自分の手を、月夜の手に軽く合わせた。指の形だけ。一瞬。
「……まあ、今日だけ」
「明日は?」
「君が迷わずここまで来られたら」
「難易度高い」
「じゃあ、私が見つける」
月夜は少し目を瞬かせた。木乃葉はもう背を向けていた。三本の尻尾が揺れる。本物が二本。偽物が一本。でも、どれも同じように、木漏れ日を払っていた。
月夜はその後ろ姿を見ながら思った。白雲神社には、まだ知らないものが多すぎる。でも、知らないもの全部が、怖いわけではないらしい。少なくとも、三本の尻尾を揺らして笑う、この変な先輩については、もう一度会ってみたいと思えた。
残響軌跡は本当にどうしたらいいのでしょう……これを完結させてからやるとなると、少なくとも一年後にはなりそうですし、一日に二話ずつやったら、あたしの身体が先に痛くなってしまいそうなのですけど……




