第三十二話 『髪を結び直しただけなのに、なぜか囲まれました!』
神社暮らし、暑さを避けようとしただけなのに、四方から手が伸びてきました!
参拝客が来た次の日は、日曜日だった。
けれど今回は、月夜も朝からそのことをちゃんと分かっていた。
昨日が土曜日だということを三回も確認したおかげらしい。実際にカレンダーを見たわけではなかったが、少なくとも一日で月曜日になることはないのだから、今日は日曜日。なかなか論理的な計算だった。
「なんでそんなに得意そうな顔してるの?」
縁側の端に座って胡瓜をかじっていた木乃葉が尋ねた。
「今日が何曜日か分かります。」
「おめでとう。」
「もう少し心を込めてください。」
「人類文明を一つ取り戻したね。」
「そこまで失ってません。」
昨日、参拝客たちが帰ったあとの白雲神社は、またいつもの大きさに戻っていた。
本殿の前には朝、小麻里が撒いた水がまだ少し残っていて、軒下の風鈴は弱い風が来るたびに軽く鳴った。昨日奉納された胡瓜は洗われて籠に入っていたが、木乃葉は朝からもう二本目を食べていた。
「それ、昼ごはんに使うんじゃなかったですか?」
月夜が尋ねると、木乃葉は胡瓜の端を口から離した。
「一本くらい生で食べてもいいでしょ。」
「さっきも一本くらいって言いましたよね?」
「それは過去の一本。」
「胡瓜にも時代区分ができたんですね。」
ちょうど台所から出てきた小麻里が、空になった胡瓜のへたを二つ見た。
一拍、沈黙が落ちた。
「……木乃葉。」
「うん。」
「三本目まで食べたら、昼はあんたの分だけ抜くから。」
「神様への兵糧を断つの?」
「あんたが自分の兵糧を食べたんでしょ。」
木乃葉は残っていた胡瓜を、とてもゆっくりと置いた。
結は台所の中で冷たい素麺を準備していた。大きな鍋で茹でた麺を冷水で何度も洗う音が聞こえ、氷が金属のたらいに当たるたび、硬い音がした。
月夜はその音を聞きながら、自然と台所へ入った。
「結お姉ちゃん、私は何をすればいいですか?」
「生姜を少しおろしてくれる?」
「そのくらいなら任せてください。」
「手までおろさないでね。」
月夜はおろし金を持ち上げたところで止まった。
「私、そんなに信用ないですか?」
後ろから小麻里が代わりに答えた。
「あるなら、そんなこと言わないでしょ。」
「小麻里お姉ちゃんは、私の信用をどこまで落とすつもりなんですか?」
「あんたが上げればいい。」
月夜は口を閉じたまま、生姜をおろした。
昼食は素麺と細く切った胡瓜、葱、生姜、それから昨日村のおばあさんが一緒に置いていった茄子を焼いたものだった。
暑い日には、熱いご飯より冷たい麺のほうがずっと早く減った。木乃葉は真っ先に器を空にし、小麻里は何も言わず二杯目をよそいながら、木乃葉の器だけ胡瓜を少なめに入れた。
「差別だ。」
「在庫管理。」
「神様と人間のあいだにも配給差があるんだね。」
「さっきあんたが作った差でしょ。」
月夜は笑った拍子に麺が変なところに入ってしまい、咳き込んだ。
結がすぐに月夜を見て、麦茶のコップを差し出した。
「ゆっくり食べて。」
「はい……。」
木乃葉が頬杖をついた。
「月夜って、笑うとよくこうなるね。」
「誰のせいだと思ってるんですか。」
「人生?」
「木乃葉です。」
「だいぶ範囲が狭まったね。」
***
昼食を片づけたあとは、暑さがさらに増していた。
縁側に差し込む陽射しは、見ているだけで喉が渇きそうなほど眩しく、蝉の声は森全体がずっと同じ音を出しているみたいに続いていた。
月夜は洗濯物を取り込む役を任された。
手拭いや薄い夏服はすぐに乾いたが、問題は風だった。片端から手拭いを取り込めば反対側の洗濯物がはためき、髪も何度も顔に張りついた。
月夜は何度もポニーテールを後ろへ払い、そのうち髪を結んでいた紐から小さな音がした。
ぷつっ。
銀色の髪が一気に肩と背中に流れ落ちた。
「あ。」
切れた髪紐が足元に落ちていた。
月夜は両手に手拭いを持っていたので、すぐには髪を押さえられなかった。そこへまた風が吹き、髪の一部が口元と首に張りついた。
「ちょっと。」
後ろから小麻里が近づいてきて、手拭いの籠を受け取った。
「先に髪をどうにかして。」
「紐が切れました。」
「見た。」
縁側に寝転がっていた木乃葉も、いつの間にか顔を上げていた。
「そのまま下ろしてても可愛いけど。」
「暑いです。」
「それも可愛い。」
「今は実用性の話をしてるんです。」
静かに見ていた結は、奥の居室から小さな櫛と新しい髪紐を持って出てきた。
「月夜、こっちにおいで。」
「結お姉ちゃんが結んでくれるんですか?」
「うん。後ろは一人だとやりにくいでしょ。」
月夜は特に深く考えず、縁側の内側の陰に座った。
そのときまでは、本当に髪を結び直すだけで終わると思っていた。
結が後ろに座り、櫛を髪のあいだにゆっくり通した。
さら、さら。
ほとんど絡まっていなかったので、櫛は滑らかに下りていき、髪が一つに集められるたびに首筋に風が直接触れた。
「少し頭を下げて。」
「はい。」
月夜が頭を下げると、結の指先が首の後ろに軽く触れた。
冷たくも熱くもない指だったのに、触れたところだけ妙にはっきりと感じた。
月夜が肩をぴくっとさせると、木乃葉は見逃さなかった。
「くすぐったい?」
「少し。」
「首筋が弱いんだね。」
「そういう言い方しないでください。」
「どういう言い方?」
木乃葉はもう月夜の隣まで来ていた。
月夜が顔を上げようとすると、後ろから結が言った。
「まだ動いちゃ駄目。」
「……はい。」
正面には木乃葉がしゃがみ込んだ。
「なんで前に座るんですか?」
「見学。」
「お金取りますよ。」
「私の神社なのに?」
「その理屈だと、神社の中では全部無料じゃないですか。」
「いいね、それ。」
木乃葉が笑いながら、月夜の前髪を一筋、指で触った。
その瞬間、横から冷たいものが首に触れた。
「ひ、ひぃっ。」
月夜が体を縮めた。
小麻里が濡れた手拭いを持っていた。
「汗。」
「言ってからやってください。」
「言ったら避けるでしょ。」
「冷たいものを急に首に当てられたら、誰だって避けますよ。」
「だから先に捕まってて。」
「なんで私、捕まってる前提になってるんですか?」
小麻里は答えず、月夜の首の横と鎖骨の近くに浮いていた汗を、手拭いで軽く押さえた。結が髪を持っていたので、月夜は大きく顔を動かすこともできなかった。
「小麻里お姉ちゃん、ちょっと待ってください。」
「じっとしてて。」
「結お姉ちゃんもじっとしてろって言うし、小麻里お姉ちゃんもじっとしてろって言うし……。」
「私はまだ何も言ってないよ。」
木乃葉が言った。
「木乃葉は一番先に手を伸ばしてたじゃないですか。」
「じゃあ、言葉にもしてあげようか?」
「言わないでください。」
「首、綺麗だね。」
「だから言わないでって言ったじゃないですか!」
月夜は体を後ろへ引こうとしたが、結に髪を持たれていて、横には小麻里、正面には木乃葉がいた。
逃げる場所がなかった。
そう気づいた瞬間、木乃葉の尻尾が一本、月夜の腰の横にするりと回ってきた。
「木乃葉。」
「うん?」
「これはまた何ですか?」
「逃走防止。」
「私、囚人なんですか?」
「可愛いほうの。」
「囚人にもそんな分類があるんですか?」
「今日できた。」
小麻里が木乃葉を睨んだ。
「尻尾どけて。」
「なんで? 結は髪を持ってるし、小麻里は首触ってるじゃない。」
「私は汗を拭いてあげただけ。」
「私は何も頼んでないんですけど。」
月夜が口を挟むと、短い沈黙が生まれた。
結がほんの小さく笑った。
「それはそうだね。」
「結お姉ちゃんまで笑わないでください……。」
ちょうどそのとき、石段のほうから聞き慣れてきた声がした。
「月夜ー!」
足音が勢いよく近づいてきた。
「来ました……よ。」
鈴女が縁側の前で止まった。
片手には野球のグローブ、もう片方には小さな風呂敷に包んだ何かを持っていた。
そして三人に囲まれている月夜の姿を見て、ゆっくり瞬きをしてから言った。
「……私、邪魔しました?」
「してないよ。」
月夜が真っ先に答えた。
そのあと木乃葉も言った。
「してない。」
小麻里は短く言った。
「邪魔じゃない。」
結は髪を梳かしながら付け足した。
「大丈夫だよ、鈴女。」
けれど鈴女は、返事を聞いてもまだ安心できていないようだった。
鈴女はおそるおそる縁側に上がった。
「月夜って、神社ではいつもこんなふうに……。」
一拍置いてから言った。
「囲まれてるんですか?」
「違う。」
月夜が即答した。
「うん。」
そして木乃葉がほとんど同時に言った。
「たまに。」
後ろから結が言った。
小麻里は一拍置いてから口を開いた。
「最近はちょっと。」
月夜は三人を順番に見た。
「意見、少しくらい合わせてください。」
鈴女がとうとう笑った。
「月夜、人気者ですね。」
「人気というより、包囲に近いです。」
「包囲されてる人のわりには、逃げないね。」
木乃葉が言った。
月夜は口を開きかけて、また閉じた。
木乃葉の尻尾は腰の横にあったが、強く巻きついているわけでもなく、小麻里の手拭いももう首から離れていた。結だって、髪を離せばそれで済んだ。
その気になれば立ち上がれるはずなのに、わざわざそうしたいとは思わなかった。
「……髪を結んでる途中じゃないですか。」
月夜の言葉を聞いて、木乃葉の口元が上がった。
「そうだね。そういうことにしておこうか。」
「なんで分かったような顔するんですか?」
「何もしてないけど。」
「顔が言ってました。」
そのあいだに結は、月夜の髪を一つにまとめて新しい紐で結んだ。
いつもより高い位置で、そのせいか首筋が前より涼しくなった。
「できたよ。」
結が言った。
月夜が髪に触れてみようとすると、木乃葉が正面から先に首を傾げた。
「いいんじゃない?」
小麻里も一度見て言った。
「いつもよりいい。」
「『いつもより』ってところが引っかかるんですけど。」
鈴女は目を輝かせた。
「可愛いです。」
あまりにもすぐに出てきた言葉だったので、月夜のほうが一拍遅れて反応した。
「……ありがとう。」
「あ。」
今度は鈴女のほうが赤くなった。
木乃葉がそれを見逃すはずもなかった。
「鈴女も入る?」
「どこにですか?」
「囲む側。」
「人員募集しないでください。」
月夜がすぐに遮った。
***
鈴女が持ってきたのは、小さな西瓜だった。
あかねおばあちゃんが「神社に行くなら、これも持っていきな」と持たせてくれたらしい。
結が西瓜を冷たい水にもう少し浸しておくあいだ、鈴女はグローブを横に置き、洗濯物を畳むのを手伝った。
「神社に来たら、みんなこういうことするんですか?」
「やらないと溜まるから。」
小麻里が手拭いの角を合わせながら言った。
「神様だって洗濯はしないといけないんだよ。」
木乃葉が言った。
「木乃葉、あんまりやらないじゃないですか。」
月夜が口を挟んだ。
「私は神様側の仕事が忙しいから。」
「さっき昼寝してたのは?」
「霊的休息。」
「便利ですね、神格って。」
縁側の端に置かれていた古いラジオから、野球中継が流れ始めた。
鈴女は手拭いを畳んでいた手を止めた。
「ちょっと待ってください。」
「どうしたの?」
「今、ツーアウトです。」
ついさっきまで遠慮がちに座っていた人とは思えないほど、体ごとラジオのほうへ向いた。
投手が投げ、解説が早口で状況を説明した。
鈴女の手も一緒に動いた。
「あ、低いです。それ振っちゃ駄目――ああっ!」
ラジオから観客の声が大きくなった。
「打ったの?」
月夜が尋ねた。
「犠牲フライです!」
木乃葉が手拭いを畳みながら顔を上げた。
「野球って、人まで犠牲にするの?」
「人は死にません!」
鈴女がすぐに答えた。
「名前が物騒すぎるでしょ。」
「走者が点を取れるように、わざと外野フライを打つんです。」
「自分を犠牲にして、ほかの人を進ませるんだね。」
「だいたいは。」
木乃葉が妙な顔で頷いた。
「人間って、球遊びにまで悲壮感を入れるんだね。」
月夜はその言葉を聞いて笑った。
「木乃葉は神社の仕事まで胡瓜を食べる仕事にするじゃないですか。」
「それは生存だよ。」
「神様って、生き残り方がずいぶん素朴ですね。」
それからは、ラジオと鈴女の声が交互に縁側を満たした。
月夜は相変わらず野球のことをよく知らなかったが、今度は知っているふりをしなかった。分からないことは尋ね、鈴女は待ってましたとばかりに説明した。
小麻里は最初こそ興味がないふりをしていたが、点が動くたびにラジオのほうを一度ずつ見ていた。結は台所で西瓜を切りながらも、鈴女の声が大きくなりすぎると小さく笑った。
木乃葉はどちらのチームを応援しているのかも分からないくせに、うまく打てばとにかく拍手した。
「木乃葉、さっきと違うチームです。」
鈴女が言った。
「上手くやったほうを応援してるんだよ。」
「それ、応援じゃないじゃないですか。」
「神様は公平じゃないといけないから。」
「今、すごくいいことみたいに言い換えましたね。」
***
西瓜は五等分にはせず、もう少し細かく切った。
小麻里が塩をひとつまみ出すと、鈴女は慣れた手つきで振りかけた。月夜も真似してみると、甘さが前よりはっきり感じられた。
「不思議ですね。しょっぱいものをかけたのに、もっと甘いです。」
「少しだけならね。」
結が言った。
木乃葉は自分の分を食べ終え、月夜の西瓜を見つめたが、月夜はすぐに皿を自分のほうへ引いた。
「駄目です。」
「何も言ってないけど。」
「顔が言いました。」
さっき自分が木乃葉に言われた言葉をそのまま返すと、木乃葉が笑った。
「ずいぶん覚えたね。」
「周りの教育がいいので。」
「誰の周り?」
月夜が答えようとしたところで、左右から同時に手が伸びてきた。
左の小麻里が西瓜の種を一つ取ってくれ、右の結は落ちてきた髪を一筋、耳の後ろにかけてくれた。
正面では木乃葉がまだ西瓜を狙っていた。
鈴女は少し離れたところから、その光景を見ていた。
月夜がゆっくり言った。
「……また始まった気がするんですけど。」
鈴女が西瓜をくわえたまま笑った。
「今回は私、入ってませんよ。」
「それを喜んでいいんでしょうか。」
木乃葉が月夜の西瓜の先を素早く一口かじった。
「木乃葉!」
「油断したね。」
月夜が皿を持って立ち上がると、木乃葉も笑いながら体を後ろへ引いた。
小麻里がため息をつき、結は新しい西瓜を一切れ、月夜の皿に乗せてくれた。
「これ食べて。」
「結お姉ちゃんがいつも解決してくれるから、木乃葉が直らないんですよ。」
「じゃあ、取り返してこようか?」
結が本当に木乃葉のほうを見ると、今度は木乃葉が自分の西瓜を後ろへ隠した。
「結、目が怖い。」
「取らないよ。」
「今のは本当に取り上げそうな顔だったよ。」
鈴女がまた笑った。
蝉の声とラジオ中継、それから西瓜の種が皿に落ちる小さな音が混ざった。
月夜は結局、新しい一切れをかじった。先ほど結び直した髪が、首の後ろで軽く揺れた。
朝は今日が日曜日だと分かっただけでずいぶん得意になっていたのに、午後になると曜日なんて、またそれほど意味のないものになっていた。
少なくとも今は、誰がどちら側に座っているのかのほうが、ずっとはっきり感じられた。
左には小麻里がいて、右には結がいた。向かいには木乃葉がいて、少し離れたところでは鈴女がラジオに耳を傾けていた。
月夜が西瓜を食べながらふと顔を上げると、木乃葉と目が合った。木乃葉が口元を上げて言った。
「何?」
「何でもないです。」
不思議と、真ん中の席は思っていたより悪くなかった。
そ、その! 昨日は家に帰ってきた瞬間にそのままぶっ倒れてもうたんですけど! 今日はまた連載するのです! 許してくださいっしゅ!
最近コスプレしようと思って、ちょっと身体を作ってるところなんですけど! そのせいで運動して帰ってきて、疲れた身体のまま作業してるので、気づかないうちに記憶が飛んで! 起きたら11時になってるという事態が起きるのです!
と、とりあえず! 真面目に連載するっしゅ!




