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第三十話 『村で見かけた女の子に声をかけただけなのに、泣かせてしまいました!』

神社暮らし、いつも隠れてしまっていた女の子とやっと挨拶できたのに、いきなり泣かせてしまいました!

 翌朝、白雲神社には昨日作っておいた紙人形の匂いが、まだ残っていた。

 朝食の片づけを終えた月夜は縁側の端に座り、昨日結が作ってくれた小さな紙人形をしばらく眺めていた。顔も名前もない紙だったが、昨夜は本の栞のあいだに挟んでおき、朝になるとまた取り出してきたところだった。


「ずっと見てたら顔でも生えてくるの?」


 木乃葉が不意に顔を出して尋ねると、月夜はびくっとしながら紙人形をポケットに入れた。


「白雲神社ですから、何があるか分からないじゃないですか。」


「それもそうだね。」


「なんで納得するんですか。」


 台所のほうから、食器を片づけていた結の静かな笑い声が聞こえた。

 そのとき、小麻里が奥から小さな籠を一つ持って出てきた。中には空き瓶が何本かと、折って束ねた紙の束が入っていた。


「月夜。」


「はい。」


「これから村に下りるよ。」


 月夜はすぐに立ち上がった。


「また買い物ですか?」


「空き瓶を返して、これを公民館に置いてくる。」


「私も行くんですか?」


「そのために呼んだんだけど。」


 小麻里は当然のように答えた。

 数日前、次は自分から呼ぶと言っていた小麻里の言葉を思い出し、月夜の口元が緩んだ。そのまま、籠の反対側の取っ手を掴んだ。

 小麻里が月夜のほうを見て言った。


「なんで笑ってるの。」


「笑ってませんけど。」


「笑った。」


「小麻里お姉ちゃんも、もう人の顔を読みすぎですよ。」


「あんたが読みやすいだけ。」


「そっちのほうが傷つきます。」


 木乃葉が後ろから手を振った。


「行ってらっしゃい。今度は知らない女の子についていかないようにね。」


「私、いつ知らない女の子についていったんですか?」


「まだついていってないね。」


「予防型の小言ですね。」


 結が籠の横に、麦茶の入った小さな水筒を入れてくれた。


「暑かったら休んでおいで、月夜。」


「はい、結お姉ちゃん。」


 小麻里が先に石段のほうへ歩き出し、月夜は履物を直してから、そのあとを追った。


***


 雨が通り過ぎたあとの山道は、土と草の匂いが濃かった。月夜が濡れた草の葉に触れるたび、冷たい水滴がふくらはぎに跳ねた。

 村まで下りた二人は、公民館に紙の束を届けると、そのままあかね商店へ向かった。

 あかね商店の戸を開けると、小さな鈴が鳴り、扇風機は今日もたいして役に立っていない顔で、ゆっくりと回っていた。


「いらっしゃい。」


 あかねおばあちゃんが、レジの奥から顔を上げた。


「瓶を返しに来ました。」


「そこの箱に入れておくれ。」


 小麻里が空き瓶を移しているあいだ、月夜は店の奥を見回した。

 そして、止まった。

 棚が一つ、かすかに揺れた。

 菓子袋がきちんと並んでいる低い棚だった。風のせいかと思ったが、すぐ上に下がっているビニール飾りは動いていない。

 月夜は首を傾げた。

 棚の端から、髪が覗いていた。

 左右に結んだ髪。

 その下から目だけがちらりと覗き、月夜と目が合った途端、あっという間に消えた。

 月夜は瞬きをした。

 見覚えがあった。


「小麻里お姉ちゃん。」


「何。」


「あの棚、人も売ってるんですか?」


 小麻里が瓶を置こうとして、手を止めた。


「……何?」


 あかねおばあちゃんは、もう笑っていた。


「鈴女(すずめ)。」


 棚の向こうがびくっと動いた。


「そこに隠れてても、髪が全部見えてるよ。」


 今度はもっと大きくびくっとした。

 やがて、女の子が一人、とてもゆっくりと棚の後ろから出てきた。

 月夜が数日前、路地や学校の近くで見た、まさにあの髪だった。

 あのときはあまりにも早く消えてしまって、顔をちゃんと見る暇もなかった。近くで見ると、思っていたよりずっと普通で、ずっと可愛い女の子だった。

 動きやすそうな半袖のシャツに短いズボン、足元は運動靴。左右に結んだ髪は少し乱れていて、よく陽に当たっているのか、頬には健康的な色があった。

 ただ今は、その健康そうな顔全体が真っ赤だった。

 女の子は月夜を一度見て、床を見て、また月夜を見た。

 口を開いた。


「あ、ああ……。」


 閉じた。

 また開いた。


「こ、こんにちは……。」


 声はだんだん小さくなり、最後にはほとんど扇風機の音に飲まれてしまった。

 月夜もつられて姿勢を正した。


「あ、こんにちは……。」


 女の子の肩が驚くほど大きく跳ねた。


「ひ、ひぃっ。」


「……私、怖いですか……?」


 首がものすごい勢いで左右に振られた。


「ち、違います! そうじゃなくて、私、その……。」


「鈴女、何日も前から月夜を一回見てみたいって、あんなにうろうろしてたのにねえ。」


 あかねおばあちゃんが何でもないように言った。

 鈴女の動きが止まった。


「おばあちゃん!」


「学校の裏でも見て、路地でも見て。」


「言わないでください!」


「言わなきゃ、いつ挨拶するつもりだったんだい。」


「それは私が自分で……!」


 鈴女の声が大きくなって、すぐにまた小さくなった。

 鈴女が月夜をちらりと見て、月夜もその視線を返した。

 目が合った瞬間、鈴女の顔が耳まで真っ赤になり、目元が急に潤んだ。

 月夜は慌てた。


「ど、どうしたんですか?」


「何でもないです……。」


 鈴女は俯いた。

 涙が一滴、ぽたりと落ちた。


「え?」


 二滴目が落ちた。


「ちょっと待ってください。私、何か悪いことしました?」


「してないです……!」


「じゃあ、どうして泣いてるんですか?」


「分からないです……!」


 今度は本当に泣き始めた。

 声を上げてわんわん泣くほどではなかったが、恥ずかしさを我慢しようとするほど、涙が余計に出てくる種類の泣き方だった。鈴女は手の甲で目元を拭い、自分の顔がさらにひどいことになったと気づくと、唇まできゅっと噛んだ。

 月夜は完全に困ってしまった。いつもの変な出来事よりも、木乃葉の尻尾よりも、初対面の女の子の涙をどうにかするほうが、ずっと難しかった。

 月夜は小麻里を振り返った。


「小麻里お姉ちゃん。」


「なんで私を見るの。」


「こういうとき、どうするんですか?」


「あんたが慰めて。」


「なんで私なんですか?」


「あんた見て泣いたんだから。」


「原因を作った人が後始末まで担当する仕組みなんですね。」


「早く。」


 あかねおばあちゃんは、とても楽しそうだった。


「綺麗なお姉ちゃんにいきなり声かけられて、びっくりしたんだろうねえ。」


 鈴女は泣きながら頷きそうになり、慌ててまた首を振った。

 月夜は確かに見たが、泣いている相手をさらに追いつめるわけにもいかなかった。結局、ポケットからハンカチを取り出して鈴女へ差し出した。


「とりあえず、これ使ってください。」


 鈴女がハンカチと月夜の顔を交互に見た。


「使っていいんですか?」


「はい。泣いてくださいって渡してるわけじゃないですけど。」


「……はい。」


「だから、これ以上は泣かないでくださいね。」


「はぁい……。」


 返事をしながら、また涙が一滴落ちた。

 月夜は小麻里を見た。


「失敗しました。」


「そうみたいだね。」


***


 鈴女が泣き止んだころ、三人はあかね商店の前の日陰に並んで座っていた。

 あかねおばあちゃんが「泣いたんだから糖分補給」と言って、棒アイスを出してくれた。鈴女はもう泣き止んでいたが、代わりに一生残る失敗をやらかした人みたいに俯いていた。

 月夜は隣で棒アイスをかじった。


「……鈴女、だったよね?」


「……はい。」


「私は月夜。」


「知ってます。」


 鈴女はほとんど半自動みたいに答えてから、びくっとした。

 月夜はゆっくり顔を向けた。


「知ってたの?」


「……村のみんなが話してたから。」


「何て?」


「神社に銀髪の綺麗なお姉ちゃんが来たって……。」


 鈴女はそこまで言うと、また口を閉じた。

 耳が赤くなった。

 月夜はなぜか気分がよくなった。


「綺麗ってところは、鈴女が付けたんでしょ。」


 小麻里が口を挟むと、鈴女がまた泣きそうな顔になった。


「大丈夫。嬉しいから。」


「……じゃあ、綺麗です。」


 真正面から言われると、思っていたより衝撃が大きかった。月夜がアイスの棒をくるくる回すと、小麻里が小さく言った。


「二人で交互に赤くなってるね。」


「小麻里お姉ちゃんは静かにしててください。」


 時間が経つと、鈴女の肩から力が抜けていった。

 月夜は何を話せばいいのか考えた。

 初めて会った人と仲良くなる方法。たぶん、共通点を探すのがいい気がした。


「鈴女は何が好き?」


 鈴女が顔を上げた。


「野球です。」


「野球。」


「はい。」


 さっきまで小さかった声が、一段大きくなった。


「見るのも好きだし、やるのも好きです。ボール投げるのも好きで。学校の運動場が空いてたら壁に投げて捕ったりします。たまに川辺でもやって……。」


 話す速度が上がった。

 月夜は瞬きをした。さっき挨拶一つするのに三回も息を吸っていた女の子と、本当に同じ人なのかと思うほどだった。


「ポジションは?」


 小麻里が尋ねた。


「いろいろやります。人があんまりいないから。でも、投げるのが一番好きです。」


「ピッチャー?」


「はい!」


 鈴女が初めて、はっきりと笑った。

 小さくて恥ずかしそうな笑顔だったが、その瞬間だけは顔がとても明るくなったので、月夜は安心した。

 好きなものを聞くのは、正しい方法だったらしい。

 それなら、もう一歩。


「じゃあ、野球選手は誰が好き?」


「私は……。」


 鈴女が好きな選手の話を始めた。

 名前が二つ三つ出てきた。月夜は一人も知らなかったが、とりあえず頷いた。鈴女は楽しそうに投球フォームやコントロールの話までどんどん続け、隣の小麻里だけは、月夜がすでに野球という海で足がつかなくなっているのを見抜いたような顔をしていた。

 やがて、鈴女が尋ねた。


「……月夜は?」


「え?」


「好きな選手、います?」


 逃げ場はなかった。

 隣には小麻里がいた。

 あかねおばあちゃんも店の中から聞いていた。

 月夜はほんの短いあいだ、頭の中を必死に探した。

 野球。

 選手。

 有名な名前。

 何も出てこなかったが、どこかで聞いたような気がする二つの言葉だけが浮かんだ。


「……いちごオレです。」


 沈黙。

 蝉が鳴いた。

 店の中の扇風機が、ぎぃ、と音を立てた。

 鈴女が瞬きをした。


「誰ですか、それ?」


「有名な……。」


「いちごオレ?」


「たぶん。」


「飲み物じゃないですか?」


 月夜は口を閉じた。

 鈴女は一度、考える顔をした。

 それから何かを思いついたように目を見開いた。


「あ、もしかしてイチローですか?」


 月夜も目を見開いた。


「それです。」


「『いち』しか合ってないじゃないですか!」


 小麻里が横から言った。


「残り、全部飲み物になってるね。」


 月夜は首を傾げた。


「でも、惜しくないですか?」


「惜しくないです。」


 店の中で、あかねおばあちゃんがとうとう笑い出した。

 鈴女は一度息を吸って言った。


「月夜、野球知らないでしょ?」


 図星だった。

 月夜は一拍置いて、頷いた。


「……うん。」


「どうして知ってるふりしたんですか?」


「仲良くなりたくて……?」


 今度は鈴女が言葉を失った。

 そこまで言うつもりではなかったが、口から出てしまったあとでも、特に引っ込める必要はないように思えた。

 月夜は溶け始めたアイスの先を一度舐めてから言った。


「鈴女が野球好きって言うから、私もちょっと知ってる人みたいに見えたら、話しやすいかなって。」


 鈴女の顔がまた赤くなったが、今度は泣かなかった。


「……私と仲良くなりたいんですか?」


「嫌?」


「嫌じゃないです!」


 あまりにも大きな声で答えたあと、鈴女はまた首をすくめた。月夜が笑うと、鈴女も笑った。


「じゃあ、野球は私が教えます。まず、いちごオレから直さないと。」


「それは忘れて。」


「たぶん、長く覚えてると思います。」


 友達を作る方法としてこれが正しいのかは分からなかったが、鈴女はもう泣いていなかった。それなら半分くらいは成功したのではないだろうか。


***


 あかね商店を出るころには陽も傾いていて、鈴女もちょうど学校のほうに用事があるというので、三人で一緒に歩いた。

 最初は半歩後ろを歩いていた鈴女だったが、野球の話が再開すると、いつの間にか月夜の隣まで上がってきて、ボールを握る手の形まで見せていた。小麻里はそんな二人を一度見て、そのまま好きにさせていた。

 学校が見えてくると、月夜は数日前のことを思い出した。

 塀の向こうから髪の先だけを覗かせて、消えていった姿。

 路地の端から顔を出して、逃げていった姿も。

 月夜は鈴女を見た。


「ところで、あのときどうして逃げたの?」


「あのとき?」


「何日か前、路地で。学校でも見たし。」


 鈴女の歩みが遅くなった。


「……見えてたんですか?」


「うん。」


「私、見えてないと思ってたのに。」


「髪が見えてた。」


 鈴女はそれを聞くと、自分の両側の髪を一度撫でた。


「ただ……気になってたから。」


「私が?」


「はい。」


「じゃあ、声かければよかったのに。」


 鈴女が月夜をじっと見た。


「それができてたら、今日泣いてません。」


「あ。」


 学校の塀の横にある日陰まで来ると、鈴女は立ち止まった。運動場の端には、古いボールが一つとグローブが置かれていた。


「あれ、鈴女の?」


「はい。さっき練習してて、水買いに行ってたんです。」


「一人で?」


「人があんまりいないから。」


 答え方は何でもないようだったが、広い運動場の真ん中に置かれたグローブ一つが、どこか寂しく見えた。

 月夜はそちらを見ながら言った。


「私もやってみようかな。」


 その瞬間、鈴女の目が大きくなった。


「野球を?」


「うん。」


「本当に?」


「いちごオレまで言ったのに、今さら引くのもなんだし。」


 鈴女が口元を手で隠して笑った。初めて見たときより、ずっと自然な笑い方に見えた。


「じゃあ、今度キャッチボールしましょう。」


「今度?」


「嫌ですか?」


「ううん。」


 月夜は頷いた。


「いいよ。」


 鈴女は嬉しそうな顔をしたあと、また恥ずかしくなったのか、視線を下に落とした。


「じゃあ……私、神社に行ってもいいですか?」


「私に許可を取るの?」


「月夜がいるから。」


 月夜はわざと考えるふりをしてから、笑って言った。


「来てもいいよ。」


「結お姉ちゃんも、小麻里お姉ちゃんも、木乃葉もみんないると思う。」


「木乃葉もですか?」


「うん。たぶん、お菓子食べてる。」


 小麻里がすぐに言った。


「ほぼ確実に。」


 鈴女が小さく笑った。


「じゃあ、行きます。」


「逃げないでね。」


「もう逃げません。」


「泣かないでね。」


「それは……頑張ります。」


 鈴女は運動場のほうへ何歩か歩いてから、突然立ち止まった。

 振り返った。


「月夜!」


「うん?」


「今度、絶対来てくださいね!」


「どこに?」


「キャッチボールです!」


 月夜が答えるより先に、鈴女は走り出した。

 速い。

 数日前、路地や学校の近くで見た、まさにあの速さだった。けれど今度は、正体の分からない影ではなかった。結んだ髪を弾ませながら走り、入口で一度足を踏み外しかけて、何事もなかったふりをして速度を落とすところまで見えた。

 恥ずかしがり屋でよく泣くのに、野球の話になると急に速くなる女の子、鈴女だった。

 小麻里が隣で言った。


「行こうか。」


「はい。」


 二人はまた、神社へ向かう道を歩き始めた。

 何歩か歩いてから、月夜が尋ねた。


「小麻里お姉ちゃん。」


「何。」


「いちごオレって、本当に選手じゃないんですか?」


 小麻里はしばらく何も言わなかった。


「月夜。」


「はい。」


「野球は鈴女に教わって。」


「そのほうがよさそうですよね?」


「うん。」


 月夜は笑ってしまった。

 山道へ入ると、村の音が少しずつ遠ざかっていった。代わりに木の葉のあいだを風が抜ける音と、遠くから響く蝉の声が近くなった。

 ポケットの中には昨日作った小さな紙人形があり、頭の中には次に投げることになる野球のボールが一つ増えていた。

 帰る場所ができることと、また会う約束をした人ができることは、少し似ているのかもしれない。月夜がそんなことを考えていると、すぐ前で小麻里が振り返ったので、歩みを速めた。

 白雲神社の鳥居はまだ見えなかったが、帰り道ならもう知っていた。

これからは真面目に連載するっしゅ!! ……なんですけど、あれがあるんすよね……。


この一か月近く、もともとの『鐘が鳴る頃』の設定集があまりにもへなちょこへなちょこだったので、設定集を大改造してたのです!


もともとあった施設まで、設計図が描けるくらい整理してもうたのです! 増築もしたっしゅ!


しかもストーリーもある程度直したので、前の話とちょこっと変わってるところがあるかもしれへんっしゅ!


あ、文体もちょびっと? 変わったのです!

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