第二十五話 『月を見に上がっただけなのに、なぜか一言が気になってしまいました!』
神社暮らし、普通のお月見もたまには少し微妙な空気になります!
一巻 鐘が鳴る前の夏
第二十五話 『月を見に上がっただけなのに、なぜか一言が気になってしまいました!』
——
朝の倉庫整理が終わったあと、白雲神社はいつもより少し広くなったように感じられた。
古い灯籠を外へ出して日に干し、祭り用の布を一枚ずつ広げて埃を払い、古い紐とまだ使える紐を分けているうちに、倉庫の中にあった時間が境内のあちこちへ流れ出したようだった。縁側の端には畳まれた布が積まれ、軒下には小さな鈴のついた飾りがいくつか吊るされた。
月夜は縁側に座って、布飾りの端を指先で伸ばしていた。陽射しを受けた布は暖かく、長くしまわれていたもの特有の乾いた匂いがした。埃は払ったはずなのに、何かが染み出してくるような気がした。
「それ、あんまり強く引っ張らないで。」
小麻里が横で言った。
「破れますか?」
「古い布は機嫌を損ねると破れる。」
「布にも機嫌があるんですか?」
「あるものみたいに扱うと長持ちする。」
月夜はそれを聞いて、なんとなく手の力を抜いた。
木乃葉は縁側の反対側で、祭り用の布を肩に掛けたまま立っていた。正確には整理を手伝うふりをしていたのに、いつの間にか一人で舞台衣装のように羽織っていた。
「どう?」
木乃葉が聞いた。
「働いている人みたいですか?」
月夜が聞き返すと、木乃葉は少し傷ついた顔をした。
「そこでどうしてその質問が出るの?」
「整理中ですから。」
「普通は綺麗とか、似合ってるとか、神様っぽいとか言わない?」
「木乃葉はもともと神様じゃないですか。」
「その言葉、褒め言葉みたいで妙に誠意がないね。」
小麻里が布を畳みながら低く言った。
「誠意は仕事で見せて。」
「小麻里、今日ちょっと厳しくない?」
「今日だけじゃないよ。」
月夜は笑いをこらえながら、布の端を折った。そんなふうに言っても、木乃葉は結局、完全に遊んでばかりいるわけではなかった。小麻里が黙って指させば紐を持ってきたし、結が呼べば重い箱を運んだ。ただ、そのたびに一言ずつ付け加えるだけだった。
結は倉庫の奥で古い木箱を確認していた。いらないものは捨てず、使い道を変えられそうなものは別に分けていた。
「月夜。」
結が呼んだ。
「はい。」
「この箱、二人で持とう。」
箱は見た目より重かった。中には古い御札の紙と小さな木札が入っていた。結が片側を持ち、月夜が反対側を持つと、重さが腕にかかった。
「腰に気をつけて。」
「はい。」
「腕だけで持たないで。」
月夜は結に言われた通り姿勢を直した。すると重さが少しだけ楽になった。結は何も言わずに歩調を合わせてくれた。箱を運び終えたあと、月夜が手首を軽く回すと、結がすぐに見た。
「痛い?」
「少しだるいくらいです。」
「あとで温かいお湯で洗って。」
「そこまででは……」
「その程度が積もる。」
心配しているとはわざわざ言わなくても、もう手首を見ていた。
木乃葉がそれを見て、そっと笑った。
「いいね。結が手首まで気にかけてくれて。」
月夜はすぐに手を体のほうへ引いた。
「その言い方は何ですか。」
「どんな言い方?」
「何でもないことを、何かあるみたいにする言い方です。」
「私の特技だよ。」
「自慢しないでください。」
小麻里が割って入った。
「木乃葉が言うことは、だいたい半分は差し引いて聞いたほうがいい。」
「半分も残してくれるの?」
「かなり甘く見てる。」
木乃葉はため息をつきながら尻尾を揺らした。月夜はその動きを見て、今回はわざとすぐに視線を逸らした。以前みたいに見続けていると、また気づかれそうだったからだ。けれどあまりに早く逸らしたせいで、かえってばれたらしい。
木乃葉が笑った。
「今、見てないふりしたでしょ。」
「あ、違います……」
「尻尾を見てないふりする技術が少し上がったね。」
「そんな技術、覚えたくなかったです。」
昼食は簡単だった。おにぎりと冷たい麦茶、小さく切った漬物だけだったが、働いたあとに食べたせいか不思議と美味しかった。木乃葉は自分のおにぎりの中に梅干しが入っていると言って、妙に大げさにがっかりし、小麻里は「くじ引きでもないのに、どうして一人だけ当たりを引いた顔をしてるの」と言った。
結は月夜に麦茶を注ぎながら尋ねた。
「午後は少し休む?」
月夜は手についた米粒を取りながら首を横に振った。
「いいえ。できるだけはやります。」
「無理しないで。」
「はい。無理する前に小麻里が先に止めろって言いそうですから。」
小麻里が目だけを上げた。
「わかってるなら楽だね。」
「否定はしないんですね。」
「間違ってないから。」
その答えがあまりにも当然で、月夜は小さく笑ってしまった。最初にここへ来たときは、誰の顔色をうかがえばいいのかもわからなかったのに、今は誰がどのタイミングで小言を言うのか、少しは予想できるようになっていた。
***
午後の白雲神社は少し眠たげだった。蝉の声は長く伸び、縁側の下の影は濃くなったが、四人は少しずつ手を動かし続けた。布を畳み、木札を拭き、古い箱に新しい紙を敷いた。
するとふと、木乃葉が空を見上げた。
「今夜は月がよく見えそうだね。」
その一言に、月夜も何気なく空を見た。まだ昼で、月は見えなかったが、そろそろ夕焼けが始まりかけていた。
「夜にですか?」
「うん。」
木乃葉は月夜を見て笑った。
「見に行く?」
「どこへですか?」
「少し高いところ。」
月夜は答える前に結のほうを見た。結は少しだけ木乃葉を見ると、特に何も言わずに言った。
「遅くまではだめ。」
小麻里が低く付け足した。
「屋根から落ちたら怒る。」
月夜はそこでようやく瞬きをした。
「屋根ですか?」
木乃葉はひどく平然と笑った。
「月は高いところから見ると綺麗だから。」
月夜は少し言葉に詰まった。そして木乃葉の尻尾がのんびり揺れるのを見ながら、考えた。
***
夕方になると、倉庫整理は静かに終わった。
古い布はまた畳まれて箱の中へ入り、日に干した灯籠は軒下へ移された。古い鈴は、結が別に小さな布へ包んで木箱の中にしまった。月夜はその様子を長く見ていたが、誰もそれ以上は説明しなかった。代わりに小麻里が空箱を片づけるよう言い、木乃葉は自分の分の紐を結びながらも「これなら今日はかなり真面目じゃない?」と聞いた。
そして木乃葉がまったく同じことを三回繰り返したとき、小麻里が答えた。
「真面目な人は確認を三回もしない。」
「褒められたい気持ちは罪じゃないよ。」
「罪じゃないけど、三回も同じことを言われると面倒。」
その言葉に木乃葉は大げさに胸を押さえ、月夜は結局笑ってしまった。変な夢も、古い鈴も、昼のあいだに少しずつ後ろへ押しやられた。完全に消えたわけではなかったが、白雲神社の夕方は人をそうさせるらしかった。手を洗い、食事の支度をして、温かい汁の匂いを嗅いでいるうちに、頭の中の難しいものが少しだけおとなしくなった。
夕食は和え物と焼き茄子、味噌汁だった。木乃葉は茄子をつまみ上げてしばらく見つめてから口を開いた。
「これは大人の味だね。」
月夜が尋ねた。
「嫌いって意味ですか?」
「違う。まだ理解してる途中って意味。」
小麻里がすぐに言った。
「じゃあ食べながら理解して。」
「小麻里は食べ物との関係が早すぎるね。」
結は静かに笑いながら、月夜の椀に味噌汁を少し足してくれた。
「今日はたくさん動いたから。」
「ありがとうございます。」
食事が終わり、後片づけまで済ませたころには、外はもう暗くなっていた。
奥の居室の中には灯りがともり、障子の向こうに柔らかな光が広がった。夏の夜特有の湿った空気が、縁側の端に座っていた。遠くからは虫の声が聞こえ、昼のあいだ騒がしかった蝉の声はほとんど消えていた。
月夜が布巾を干して振り返ろうとした瞬間、後ろで木乃葉が手招きした。
「月夜。」
「はい?」
「さっき約束したでしょ。」
月夜は少し考えてから、昼に聞いた言葉を思い出した。
「月を見に行くってやつですか?」
「うん。今がちょうどいい。」
月夜は反射的に結のほうを見た。結は茶碗を片づけていた手を止め、木乃葉を一度見た。
「遅くまではだめ。」
「どこかへ行くわけじゃないよ。上に行くだけ。」
小麻里は手拭いを畳みながら、顔も上げずに言った。
「落ちたら二人とも怒る。」
「どうして二人ともなんですか?」
「ついていったほうにも責任がある。」
木乃葉は笑いながら、月夜の手首を軽く掴んだ。
「大丈夫。私が掴んで行くから。」
「それが余計に不安なんですけど。」
「私を何だと思ってるの?」
「たまに神様で、たまに事故の原因になる人です。」
「正確で傷ついた。」
木乃葉はそう言ったが、手は離さなかった。指が触れた場所は思ったより暖かくて、その温度のせいで月夜は少し返事が遅れた。
それから木乃葉は奥の居室の裏手にある低い軒下へ月夜を連れていくと、木の柱と石段の間を慣れた様子で踏んで上がった。月夜は最初の二歩からもう迷った。夜気で冷えた木が足の下で一度、手をつく場所が曖昧で一度。
「ゆっくり。」
木乃葉が上から手を差し出した。
「ここに足を乗せて、その次はこっち。」
月夜は言われた通りに動いた。一度腰がぎこちなく傾くと、木乃葉の尻尾の一本がそっと後ろから支えてくれた。
「……尻尾でも掴めるんですか?」
「うん、けっこう有能でしょ?」
「今ちょっと柔らかくて驚きました。」
「その感想は悪くないけど、今言われると私が少し変に浮かれる。」
「じゃあ言わないでおきます。」
「もう言ったよ。」
そんな会話をしているうちに、二人は屋根の端まで上がってきた。木乃葉が先に座り、月夜は慎重にその隣へ腰を下ろした。瓦は昼のあいだの熱をほんの少し残していて、夜風は首筋をゆっくり通り過ぎた。
目の前には白雲神社の境内が見下ろせた。昼間は見慣れていた境内や鳥居、石段が、夜になると少し違う顔をしていた。
木乃葉が空を指した。
「見て。」
月夜は顔を上げた。そして月夜の見つめた先には、月が浮かんでいた。
ひどく大きいわけでも、妙に赤いわけでもなかった。普通の夏の夜の月だったが、屋根の上から見ると、不思議なほど近く感じられた。暗い空の真ん中に白い光が静かに浮かび、その光が木乃葉の髪と尻尾の先へ薄く降りていた。
月夜はしばらく何も言えず、ふと呟いた。
「——月が……綺麗ですね。」
言ってから、月夜はその言葉が妙に静かになったことに気づいた。
木乃葉が横でゆっくり笑った。
「それ、どういう意味か知ってて言ったの?」
月夜は最初、何のことかわからなかったが、少ししてどこかで聞いたことのある言葉だと思い出し、顔に熱が一気に上がった。
「あ、違います。今のはただ月が綺麗で……」
「うん、月が綺麗だね。」
木乃葉はそう言って空を見上げ、月夜は視線をどこに置けばいいのかわからず、指先で瓦の端に触れた。
「そういう意味で受け取られると困るんですけど。」
「どう受け取ったの?」
「質問を質問で返さないでください……。」
木乃葉はそれを聞いて小さく笑った。風が吹き、尻尾の一本が月夜の脇腹にほんの少し触れてから離れた。
「じゃあ今日は、ただ月が綺麗ってことにしておこうか。」
「今日は?」
「うん、今日は。」
月夜は答えられなかった。ただ月を見た。空は静かで、下の神社は暖かかった。変な夢も、古い鈴も、今は遠かった。
月夜はしばらくじっとしてから、口を開いた。
「……明日も、天気がいいといいですね。」
木乃葉が目を細めた。
「それはまた、どういう意味?」
「ただの天気の話です。」
「本当に?」
「本当です。」
木乃葉は笑った。月夜も、今度は少しだけ笑った。
一巻完結なのです!特に話すことはありませんが、こいだぬき氏は最高なのです!
ほまでり氏の絵もえっちなのですよ!




