第二十三話 『怪しい痕を焼いたら、ここにいる理由が少しはっきりしました!』
神社暮らし、怪しい痕は焼いて、心はもう少しここに留まることにしました!
翌朝。結は、小さな木箱を持って裏庭へ向かった。中にあるのは、昨日、鳥居の内側で集めた灰色の滓だった。月夜は布巾を干していた手を止めた。
「今日、処理するんですか」
結が振り返る。
「うん」
「見ても?」
「少し離れてなら」
月夜はすぐに頷いた。前なら、たぶん、もっと近くへ行こうとした。今は、言われた場所で止まる。小麻里が横へ来る。
「成長した」
「止まっただけで?」
「前は止まってから一歩出そうだった」
「信用が細かい」
「積み重ね」
月夜は反論できなかった。木乃葉も遅れてやってくる。
「朝から何」
「昨日の残り」
小麻里が答える。木乃葉は箱を見た。
「ああ」
それだけ。月夜にはまだ特別に見えるものが、三人には日常の作業の一つらしい。その差も、最近は少し好きだった。
***
裏庭の端。低い石台。水を入れた甕。結は木箱を置く。中から、昨日の灰色の滓を紙ごと取り出した。昨日見たときより、色が薄い。
「弱くなってます?」
月夜が聞く。
「うん」
結が答える。
「夜を越して、もうほとんど残りだけ」
「じゃあ放っておいても消える?」
「消えるかもしれない」
結は御札を一枚取り出す。
「でも、ここに残す理由もないから」
その答えが、月夜には分かりやすかった。危険だから大騒ぎするのではなく、不要だから片づける。掃除と少し似ている。結が御札を紙の上に置く。
月夜は、白い痕を片づけた朝を思い出した。白い痕。小さな火。灰。今回は、驚かなかった。結の指先で、御札の端に火がつく。赤い火。小さい。
紙を舐めるように進む。灰色の滓が、少し縮む。
ぱち。
一度だけ。小さな音。それだけだった。月夜は息を吐いた。
「今日は忍法って言わないんだ」
木乃葉が横から言う。月夜は木乃葉を見る。
「前に言ったので」
結が少しだけ笑う。
「学習したね」
「私、学習はします」
小麻里が言う。
「道以外は」
「そこまで悪くないです」
木乃葉が続ける。
「怪異の扱いも、まだまだだね」
「二人とも朝から何ですか」
火が消える。結は残った灰に水を少し落とした。黒が滲む。最後には、ただの濡れた紙みたいになった。
「終わり」
結が言った。月夜は、少し拍子抜けした。
「本当に終わり?」
「うん」
「また何か出たり」
「この滓からは出ない」
結ははっきり言った。月夜は、濡れた紙をもう一度見た。灰色は残っていない。昨日の異常は、ここで終わりらしい。今度は、その先を無理に想像しなかった。
***
朝ご飯。食卓には、炊きたてのご飯。味噌汁。焼いた魚。漬物。いつも通り。月夜は味噌汁を見た。ついさっき。結は御札に火をつけていた。
今は、「熱いから気をつけて」と言っている。
「結お姉ちゃん」
「うん?」
「やっぱり変ですね」
「何が」
「さっきまで怪しいもの燃やしてたのに、今は味噌汁」
小麻里が箸を取る。
「朝だから」
「理由が強い」
木乃葉はもう魚を半分食べている。
「お腹は待ってくれないからね」
「神様まで現実的」
「神様もお腹空くよ」
「そこ、まだ慣れません」
「そのうち」
月夜は味噌汁を一口飲んだ。温かい。昨日の風鈴。灰色の滓。さっきの火。全部。少しずつ朝の中へ入っていく。
***
食事の途中、結が言った。
「月夜」
「はい」
「今日、村へ下りる?」
月夜は顔を上げた。
「何か買い物?」
「醤油」
小麻里が答える。月夜は思い出した。分校から戻った日に、買いに行くと言っていたものだ。
「あ」
小麻里が見る。
「忘れてた」
「半分」
「忘れてたんだ」
「今思い出しました」
「じゃあ十分」
結が言う。
「午後、小麻里と行ってきて」
「はい」
返事は、自然に出た。月夜は、午後の籠に醤油一本が入る重さを先に想像した。帰りは右手で持てばいい。そこまで考えてから、出発前に身構えていない自分に気づいた。
***
食後。月夜は器を拭いた。小麻里がすすぐ。結が乾かす場所を作る。木乃葉は、逃げようとした。小麻里が見る。木乃葉が止まる。
「……皿?」
「二枚」
「なんで数まで決まってるの」
「目の前に二枚あるから」
「昇給ないの?」
「働いてから言って」
木乃葉は皿を二枚持った。月夜は笑った。本当に。いつもの朝だった。拭いた湯呑みを棚に戻す。自分のもの。結のもの。小麻里のもの。木乃葉のもの。四つ。
月夜の手が、自分の湯呑みのところで少し止まった。
「どうしたの」
結が聞く。月夜は、少し考えた。
「私」
「うん」
「ここにいるの、もう仕方ないからだけじゃないですよね」
言ってから、自分でも急だったと思った。水音が止まる。小麻里が月夜を見る。木乃葉も。結は、少しだけ目を細めた。月夜は布巾を持ったまま続ける。
「最初は」
言葉を探す。
「行く場所がなかったから、泊めてもらって」
「うん」
「そのあとも、記憶がないからここにいて」
月夜は自分の湯呑みを見る。
「でも今は」
自分の引き出し。自分の座布団。自分で書き足した地図。自分で折った紙垂。そして、ここにいる三人。
「ここにいたいから、いる気がします」
静かだった。言った本人が、一番恥ずかしくなるくらい。月夜は少し顔が熱くなった。
「……何か言ってください」
最初に動いたのは、木乃葉だった。
「へえ」
「そのへえ嫌いです」
「まだ一言しか言ってない」
「顔が続き言ってます」
木乃葉の口元が上がる。
「じゃあ、白雲神社が好きになったんだ」
月夜は、少しだけ黙った。前なら、ここで誤魔化したかもしれない。今日は。
「はい」
と答えた。木乃葉が止まる。小麻里も。結も。月夜は続けた。
「神社も」
一拍。
「ここにいる人も」
今度こそ。本当に静かになった。月夜は耐えられなくなった。
「やっぱり今の忘れてください」
「無理」
三人の声が、ほとんど同時に重なった。月夜は顔を伏せた。
「なんでそこだけ息合うんですか……」
木乃葉が笑い出す。結も。小麻里も。少し遅れて、月夜も笑った。
***
笑いが落ち着いたあと、小麻里が器を一つ置いた。
「じゃあ」
月夜が顔を上げる。
「住む人は、客より仕事多いから」
原則みたいに言う。月夜は少し笑った。
「知ってます」
「まだ増えるよ」
「覚えます」
結が言う。
「急がなくていいよ」
「はい」
木乃葉は少しだけ考えてから、口を開いた。
「私は?」
「何がですか」
「私も『ここにいる人』に入ってる?」
月夜は木乃葉を見る。
「入ってなかったらどうするんですか」
「泣く」
「絶対嘘」
「尻尾がしおれる」
「それはちょっと見たい」
「ひどい」
月夜は笑う。
「入ってます」
月夜がそう言うと、木乃葉の三本の尻尾が本当に少しだけ上がった。
「ほら」
月夜が指す。
「嬉しい」
「尻尾は勝手」
「最近その言い訳多いですね」
***
午後。月夜は小麻里と沢良木村へ下りた。買うものは、醤油一本。それだけ。道は、もうかなり覚えている。分かれ道。石垣。小さな水路。
月夜は途中で、一度も地図を開かなかった。小麻里が横を見る。
「今日は見ないんだ」
「分かるので」
「本当に?」
「たぶん」
小麻里がため息をついた。
「最後でそれ言う?」
月夜は笑った。でも、足は迷わなかった。あかね商店へ着く。硝子戸。小さな鈴。
「いらっしゃい」
あかねおばあちゃんの声。月夜は棚へ向かう。醤油の場所も。もう知っていた。一本取る。会計も。もう迷わない。あかねおばあちゃんが袋に入れながら言う。
「ほんとに慣れたねえ」
月夜は、今度はすぐに答えた。
「はい」
「山の上、居心地いいかい」
月夜は醤油の瓶を受け取りながら答えた。
「いいです」
あかねおばあちゃんが返す。
「ならよかった」
それだけ言って、次の品出しへ戻る。小麻里は横で何も言わなかった。店の鈴が風で一度だけ鳴った。月夜も、わざわざ言い直さなかった。
***
帰り道。月夜は醤油の瓶が入った袋を持っていた。重くはない。小麻里は隣。
「お姉ちゃん」
「何」
「さっきの」
「どれ」
「ここにいたいって言ったやつ」
「うん」
「変でした?」
小麻里は少しだけ前を見たまま歩いた。
「別に」
「本当に?」
「むしろ遅いくらい」
月夜は足を止めかけた。
「え」
小麻里は先へ行く。
「毎日あれだけ居座ってて、今さら何言ってるのって感じ」
「言い方」
でも、月夜は少し笑った。追いつく。
「じゃあ」
「何」
「しばらく、よろしくお願いします」
小麻里は、ほんの少しだけ横を見た。
「うん」
月夜は追いついて、そのまま小麻里の隣を歩いた。神社へ戻る。鳥居。石段。風鈴。昨日直した紙垂。全部。普通にそこにある。月夜は鳥居の前で一礼した。
身体が勝手に覚えていた礼ではない。今は、自分でやった。そして、鳥居をくぐる。
「ただいま」
奥の居室のほうから、結の声がした。
「おかえり」
少し遅れて、木乃葉も声をかける。
「醤油あった?」
「第一声それですか」
「大事」
月夜は笑った。奥の居室へ入る。袋から醤油を出す。前なら、どこに置くか聞いていた。今日は、そのまま台所の棚を開けた。下段。右から二番目。
空になりかけた瓶の横に、新しい醤油を置く。小麻里が後ろから見る。
「場所、覚えてた」
「生活観察です」
「その役職まだあるんだ」
「便利なので」
結が夕飯の米を研ぎながら言う。
「じゃあ、古いほう先に使ってね」
「はい」
木乃葉が棚を覗く。
「私、醤油の場所知らなかった」
「木乃葉は料理しないからでしょう」
「神様なのに」
「関係ないです」
月夜は棚を閉めた。ぱたん。ただの醤油。ただの棚。でも、そこに物を戻すのに、もう誰かの許可はいらなかった。
それが、さっき口にした『ここにいたい』より、むしろずっと生活らしく感じた。棚の場所は、もう聞かなくていい。月夜は棚から離れ、結が米を研ぐ音のほうへ振り返った。
「次、何します?」
月夜は自分から尋ねた。
「じゃあ、お椀出して」
すぐに返事が来た。月夜は今閉めた棚を、また迷わず開けた。四つの椀を順番に出す。結のもの。小麻里のもの。縁に小さな傷がある木乃葉のもの。
最後に、自分が最近使っている椀。
「それ、私の」
後ろから木乃葉が言う。
「知ってます」
「覚えたんだ」
「毎日見てますから」
月夜は四つ重ねて食卓へ運んだ。木の椀どうしが軽く触れ、乾いた音がした。今度は、どこに置くかも聞かなかった。
その! 考えてみたら! 今日は特に話すこともなかったんですが、TS転生した私が所属VTuber事務所の配信者を全員攻略しに行く話が、最近おもしろいのです! あのてぇてぇがよいのです!




