第二十三話 『怪しい痕を焼いたら、ここにいる理由が少しはっきりしました!』
神社暮らし、怪しい痕は焼いて、心はもう少しここに留まることにしました!
一巻 鐘が鳴る前の夏
第二十三話 『怪しい痕を焼いたら、ここにいる理由が少しはっきりしました!』
——
翌朝、結は昨日集めておいた小さな木箱を持って裏庭へ向かった。
奥の居室の脇を回ると、手入れされた土の地面が少し広く取られていて、その端に低い石の台と水を入れておく甕があった。普段は濡れた手拭いをすすいだり、灰が残るものを片づけたりするときに使う場所らしい。朝の陽射しはまだ柔らかく、木陰は庭より一段冷たかった。
月夜は小麻里から布巾を受け取っている途中だったので、自然とそのあとについていった。
「見てもいいんですか?」
結が振り返った。
「遠くからなら。」
その一言で月夜はすぐに止まった。それから月夜はなんとなく足先を一度見下ろし、石の台から二、三歩離れた場所に立った。
小麻里はその隣に来て腕を組んだ。
「あんまり前に出ちゃだめ。」
「今止まりましたけど。」
「止まってから、もう一歩行くタイプに見えるから。」
「私を何だと思ってるんですか。」
「気になったら手から出るほう。」
月夜は反論しようとして、口を閉じた。
結は木箱を石の台の上に置き、中から昨日集めておいた白い埃を、小さな紙の上へ慎重にこぼした。埃は陽射しを受けても光らず、小麦粉のように白くも、灰のように完全に死んだ色でもない、妙に目の焦点が合わないような色をしていた。
結は懐から御札を一枚取り出した。
薄い紙に赤い線が長く引かれていて、折り目もなくまっすぐだった。結がそれを二本の指の間に立てると、紙の端が風もないのにごく小さく震えた。
月夜は息を呑んだ。
御札の先に火がついた。大きな炎ではなかった。蝋燭よりも小さく、マッチよりもおとなしかった。けれど色は妙にはっきりしていて、埃の上へ触れた瞬間、それが乾いた葉のように静かに燃えていった。匂いもほとんどなかった。ただ紙の上にあったものが、最初からそんな形ではなかったみたいに、ゆっくり消えていった。
「お……。」
月夜の口が先に動いた。
「火と—」
その瞬間、結の手が素早く動いた。
炎はぷつりと消え、結はいつの間にか月夜のすぐ前に来ていた。そして何でもない顔で、月夜の口を片手で塞いでいた。
近すぎた。
手のひらは温かく、さっきまで御札を握っていたせいか、指先にごく薄い紙の匂いと冷たい灰の匂いが混ざっていて、月夜は瞬きをした。結の顔はいつものように静かだったけれど、目だけは妙に真剣だった。
「それは言っちゃだめ。」
月夜は口を塞がれたまま、目だけを大きくした。
「ふぇ?」
結はしばらく黙っていた。
何かを説明しようとする顔で唇を開き、また閉じて、少し黙ってから言った。
「とにかくだめ。」
「……。」
言ってはいけない言葉があるのはわかるけれど、理由がとにかくだめだなんて。そう言われると、かえって気になるのが人間の仕組みではないのか。
結はゆっくり手を離した。
「今の、もう一回言わないで。」
「じゃあ何て呼べばいいんですか?」
「御札で火をつけたやつ。」
「そのまますぎませんか。」
「そのままが安全だから。」
小麻里はその光景を見て、隣で少し顔をそらしていた。肩がわずかに震えているのを見るに、笑いをこらえている最中だった。
「小麻里、笑いましたよね。」
「笑ってない。」
「肩が裏切ってますけど。」
「裏切り者の多い神社だね。」
小麻里がそう呟くと、木乃葉が縁側のほうから現れた。
「誰がまた裏切ったの?」
「月夜の口。」
小麻里が答えた。
「私の口は何も悪くないんですけど……。」
「言おうとした単語が危なかった。」
結がまとめるように言った。木乃葉はそれを聞いて少し目を瞬かせ、それからすぐ口元を上げた。
「ああ、その系統ね。」
「木乃葉も言っちゃだめ。」
結が言った。
「私、まだ何も言ってないけど。」
「言いそうな顔だった。」
「結はたまに怖いよね。」
木乃葉は笑いながらも、それ以上は言わなかった。代わりに、燃えたあとの紙を見下ろした。白い埃はもうほとんど残っていなかった。ごく薄い灰色の点がいくつか紙に付いているだけで、それも結が水を一滴落とすと、すぐに滲んで消えた。
月夜はそれを見ながら、妙な気分になった。さっきまでは冗談みたいに流れていたけれど、結局、結が処理したのは昨日境内に残っていた何かだった。そしてその何かがどういうものなのかは、まだ誰もちゃんと話してくれていない。
「本当に、大したことないんですか?」
月夜が尋ねた。
結は紙を折って小さな器の中へ入れ、少し指先を払った。
「大したことになる前に片づけたから。」
小麻里が先に言った。
「だから終わり。」
「まだ質問が残ってるんですけど。」
「質問はご飯を食べてからでも遅くない。」
「その言葉、最近よく聞く気がします。」
「ご飯は大抵の問題より先。」
白雲神社では、あの妙な埃も、鳴らない風鈴も、言ってはいけない火の技みたいなものも、結局朝ご飯の前では一度後ろへ下げられてしまった。
木乃葉が月夜の隣にそっと近づき、囁いた。
「ちなみに今の、名前をつけるならけっこう格好よくつけられるよ。」
「言っちゃだめなんですよね。」
「だから心の中だけ。」
「心の中でも危なくないですか?」
「それはまだ誰も取り締まれないから。」
月夜はほんの一瞬だけ想像した。頭の中だけで叫ぶ、怪しいくらい格好いい技名。その瞬間、結がこちらを振り返った。
「月夜。」
「何も考えてません。」
「まだ何も言ってないけど。」
「……。」
小麻里が今度ははっきり笑った。
朝の妙な気配は、そうしてどこかおかしな形で片づいた。
***
朝ご飯はいつもより少し遅く始まった。
妙な埃を燃やしたあとだからか、食卓の上には温かいものが多かった。炊きたてのご飯、湯気の立つ味噌汁、軽く焼いた魚、小さく切った漬物。特別な献立ではなかったけれど、器がひとつずつ置かれるたびに、朝の奇妙な気配が少しずつ押し流されていくようだった。
月夜は箸を持ったまま、しばらく食卓だけを見ていた。
「なんで食べないの。」
小麻里が聞いた。
「食べます。」
「じゃあ食べて。」
「……さっきまで何かすごいことがあったのに、こうしてすぐご飯を食べてもいいのかなと思って。」
小麻里は何でもないように魚の身をほぐし、自分のご飯の上に乗せた。
「お腹は待ってくれない。」
「名言みたいに言わないでください。」
「正しいから。」
結は月夜の前へ味噌汁の椀を少し押してくれた。
「熱いからゆっくり。」
その口調があまりにもいつも通りで、月夜は結局小さく笑った。ついさっきまで御札で火をつけていた人が、今は味噌汁が熱いと言っている。
木乃葉はもう自分の魚を半分ほど食べていた。
「月夜は考えごとが多いね。」
「考えることが多いじゃないですか。」
「それはそうだね。」
木乃葉が箸先で自分の皿をこつんと叩いた。
「記憶はないし、神社は怪しいし、一緒に暮らしてる人たちはみんな怪しいし。」
「それを本人の口から言ってもいいんですか?」
「私は怪しいほうの担当だから。」
「担当制があったんですか?」
「今作った。」
小麻里がすぐに言った。
「じゃあ私は整理担当。」
「私は?」
月夜が聞くと、小麻里は少し考えてから答えた。
「手のかかる担当。」
「ひどいですね。」
「間違ってはないでしょ。」
反論しようとしたけれど、箸先が空中で止まった。確かにここへ来てから、怪我を見てもらい、部屋を用意してもらい、ご飯を食べさせてもらい、仕事もひとつずつ教えてもらっている。
結が静かに言った。
「最初はみんなそう。」
月夜はその言葉を聞いて、結を見た。
「結もそうだったんですか?」
「私も最初からできたわけじゃないよ。」
それを聞いて月夜が少し目を大きくすると、結はそれ以上は言わず、味噌汁を一口飲んだ。
***
食事が終わると、自然と後片づけが続いた。小麻里は器を集め、結は湯を沸かした。月夜は布巾を持って濡れた器を拭いた。木乃葉は最初、縁側のほうへ抜けようとしたが、小麻里の視線ひとつで静かに皿を二枚運んだ。
そうして動いているうちに、朝の不吉さはさらに遠のいた。完全に忘れたわけではなかったけれど、今は手の中の器のほうが現実的だった。
月夜はふと思った。
自分がこの神社に残っているのは、本当に仕方がないからなのだろうか。
もちろん行く場所はなかった。名前以外に思い出せることもほとんどないし、沢良木村の道だってまだろくにわからない。一人で山の下へ降りたところで、どこから説明すればいいのかも途方に暮れるだけで、ただ道に迷った人と言うには、失くしたものが多すぎた。
それでも、それが全部ではなかった。
月夜は拭いた器を棚に置きながら、そっと周りを見た。
小麻里は濡れた器をすすぎながらも、水が跳ねないように角度を合わせていた。結は茶碗を乾かす場所を空けて、次の手順を作っていた。木乃葉は皿を二枚運んだだけで、誇らしげな顔をしていた。
そして三人とも、妙に目を引いた。
小麻里の指先が水の中で動くこと、結が袖をまくるときに覗く手首の線、木乃葉が尻尾をよけながら腰をかがめる形。そういうものが急に、あまりにも近い生活の一部として入り込んできた。外で何もわからないままさまようより、こういう人たちと一緒にご飯を食べて、器を拭いて、くだらない言葉にツッコミを入れるほうがいい。
その考えが浮かんだ瞬間、月夜はなんとなく布巾を強く握った。
「どうしたの?」
結が聞いた。
「いえ。」
月夜は慌てて首を振った。
「ただ、私がここにいるのは、そんなに変なことじゃない気がして。」
小麻里の手が少し止まった。木乃葉も皿を持った姿勢のまま、こちらを見た。結は静かに月夜を見つめた。
短い沈黙が降りて、月夜は遅れて顔が少し熱くなるのを感じた。
「あ、いや、だから。」
「行く場所がないからだけじゃないって意味です。」
木乃葉の口元が、とてもゆっくり上がった。
「ふうん。」
月夜はすぐに目を細めた。
「そのふうん、変なふうんですよね。」
「まだ何も言ってないけど。」
「もう言ってます。顔で。」
木乃葉は手の甲で口元を隠して笑った。
「じゃあ、ここに住むのが好きになってきたってこと?」
月夜は答えようとして、止まった。
小麻里が先に視線をそらした。
「じゃあ、もっと頑張って。」
「住む人は客よりやることが多いから。」
結もごく小さく頷いた。
「ゆっくり慣れればいいよ。」
月夜は二人を交互に見て、最後に木乃葉を見た。木乃葉はまだ何かからかう言葉を選んでいる顔のようだった。
「木乃葉は何も言わなくていいです。」
「まだ言ってないけど。」
「言おうとしてる顔でした。」
「今日はみんな、やけに敏感だね。」
その瞬間、小麻里が低く言った。
「いや、あんたの顔はもともとわかりやすい。」
「あんたまで?」
また笑いが起こった。そんな空気に月夜は安心しながらも、なぜかほんの少し名残惜しい気分になった。
***
片づけが終わったあと、月夜は縁側の端に座って境内を眺めた。風鈴は今日も軒先に下がっていた。朝のように妙に沈黙してはいなかったが、風が通ると小さく鳴った。
後ろでは小麻里が手拭いを払い、結が茶箪笥を閉め、木乃葉が「私も今のけっこう働いたよね?」と言って、すぐに無視される声が聞こえた。
月夜は膝の上に手を置き、小さく息を吐いた。
その! 考えてみたら! 今日は特に話すこともなかったんですが、TS転生した私が所属VTuber事務所の配信者を全員攻略しに行く話が、最近おもしろいのです! あのてぇてぇがよいのです!




