第二十一話 『一緒に手を動かしていたら、少しずつ隣の席が自然になっていました!』
神社暮らし、今日は大きな出来事の代わりに、指先から少し近づきました!
一巻 鐘が鳴る前の夏
第二十一話 『一緒に手を動かしていたら、少しずつ隣の席が自然になっていました!』
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朝から陽射しがよかった。
よかったからといって涼しいわけではなく、白雲神社の夏の日差しはいつだってまっすぐすぎて、縁側の端に触れただけでも木の匂いが先に熱を帯びた。それでも今日は、不思議と少し重くなかった。前の日があまりにも静かだったからなのか、それとも、ああして静かな一日を一度過ごしたことで、ここのリズムが体に少し馴染んできたからなのか、月夜は目を覚ますなり、なんとなく外の風鈴の音を探した。
障子の向こうから差す光はもう明るく、庭のほうからは水を汲む音が聞こえていた。
外へ出てみると、結が井戸端でたらいに水を張っていた。軽く袖をまくった腕に水滴がいくつかついていて、陽射しが当たるたびにそれが小さく光った。小麻里は本殿の前にしゃがみ込み、何かを結んでいた。白い紙と赤い紐、それから小さな鈴が二つ。いつもより手が忙しそうだった。
「起きたね。」
結が先に言った。
「手伝ってくれる?」
月夜はそれを聞いて、すぐに頷いた。
「何からすればいいですか?」
結はたらいのひとつを顎で示した。
「本殿の横に置いてある榊を替えないと。」
「水が古くなりすぎてる。」
小麻里がそこで短く付け足した。
「こぼさないでね。」
「最初から不安にさせますね。」
「先に言っておいたほうが、あとで面倒が少ないから。」
月夜は小さく唇を尖らせてから、すぐにたらいを受け取った。
水は思ったより重く、両手でしっかり抱えないと腕がすぐ揺れるほどだったが、本殿までの道は遠くなかった。問題はそのあとだった。本殿横の榊立てを持ち上げようとしたところで、足元に溜まっていた水に気づかず、つま先が滑った。
たらいの水が片方へ大きく傾いた。
「あっ——」
その瞬間、横へ倒れかけたが、すぐ隣から伸びてきた手が先に脇を支えてくれた。結だった。いつ近づいたのかわからないほど自然で、水はどうにかこぼれなかったが、月夜はそのまま固まって息だけを飲んだ。
「大丈夫?」
結がすぐ近くで尋ねた。
一瞬、結と月夜の距離が近すぎて、月夜は半拍遅れて答えた。
「は、はい……たぶん。」
結はすぐにたらいをまっすぐに直してくれると、何でもないように手を離した。
「重かったら一人で持たずに呼んで。」
「転んだら床も濡れるし、月夜も濡れるから。」
月夜はなんとなく耳の先が熱くなるのを感じながら、花器のほうだけを見た。
そのとき後ろから小麻里が言った。
「だからさっき先に言ったでしょ。」
「転んではないです。」
「ほとんどだったよ。」
「差はけっこう大きいですけど。」
小麻里は持っていた紐を一度引いて結ぶと、今度は月夜を手招きした。
「それ終わったらこっち来て。」
「結び方を教えるから。」
月夜は本殿横の榊の水を替えて戻ってきた。近くで見ると、小麻里は紙垂を扱っていた。白い紙を一定の間隔で折って垂らす飾りだった。小麻里は黙って月夜に紙を一枚差し出し、指先で折る場所を示してくれた。
「ここを先に。」
「その次は反対。」
最初は簡単そうに見えても、実際に手で真似してみると意外と歪んだ。紙の端が揃わず、折り目もどこか頼りない。月夜が三回目くらいでとうとう息を吐くと、小麻里が手を差し出した。
「貸して。」
紙を渡すと、小麻里はごく自然に月夜の手首を一度取って、角度を変えてくれた。
「手に力が入りすぎ。」
「これは折るんじゃなくて、形を作るの。」
その言葉と一緒に、指先が少し重なった。冷たくはなかったが、外で作業していた手らしく、少しだけ涼しかった。月夜はなんとなくその感触が気になって、余計に集中しようとした。
「こうですか?」
「うん。今のはいい。」
月夜はその言葉を聞いて、もう一度紙を折ってみた。今度は形が少しだけまっすぐだった。
「お……」
思わず声が出た。
月夜の声を聞いて、小麻里の口元がほんの少し上がった。
「そのくらいなら、今日中には形になりそうだね。」
「褒めるのとからかうの、絶対一緒にしないと駄目なんですか?」
「どっちも本当だから。」
そのとき、縁側のほうで見ていた木乃葉がのんびり口を挟んだ。
「いいね。今日は二人とも、なかなか息が合ってる。」
「木乃葉は手伝わないんですか?」
月夜がすぐ言い返すと、木乃葉は平然と頬杖をついた。
「私は雰囲気担当。」
「その言葉、最近どんどん信用度が下がってるんですけど。」
「代わりに綺麗に見える角度は見つけるの得意だよ。」
木乃葉は笑って言った。
「さっきも二人とも、けっこうそれっぽかった。」
「余計な感想じゃなくて、紐でも切って。」
小麻里が切るように言った。
「怖いなあ。」
そう言いながらも、木乃葉は結局鋏を持って近づいてきた。三人で紙垂を揃え、結が替えた榊を本殿の横に戻しているうちに、午前は思ったより早く過ぎていった。
大したことはなかった。水を少しこぼしそうになって、紙を何度か折り損ねて、木乃葉は二回ほど余計なことを言い、小麻里は三回ほど小言を言った。結はその間を静かに整えた。
それなのに不思議と、月夜はそれがよかった。
この神社ではもう、誰がどこで何を言うのか、少しはわかる気がした。そして自分がそこにどう混ざればいいのかも、ほんの少しだけわかる気がした。
***
昼食は、午前中ずっと手を動かしていたせいか、いつもより少しおいしく感じた。味噌汁は濃すぎも薄すぎもせず、薄く焼いた卵は一口大に切られていて、冷たく和えた菜っ葉は箸がもう一度伸びる味だった。月夜は茶碗を持ったまま、思わず呟いた。
「結お姉ちゃんって、料理もすごく静かですね。」
口にしてから、料理が静かというのはどういう意味なのか少し変だと感じたが、むしろ結は月夜の言葉を聞いて小さく笑った。
「うるさい料理もある?」
「あるじゃないですか。なんか、これも入れてあれも入れて、味がすごく主張してくるやつです。」
月夜は言った。
「結お姉ちゃんのは、そういうのじゃなくて。」
向かい側から、木乃葉がすぐに口を挟んだ。
「じゃあ、結のご飯は人を安心させるほうだね。」
「なんだか少し変な言い方だね。」
結は笑って言った。
「でも、悪くはないかな。」
小麻里は箸で卵焼きを一切れ取りながら、淡々と付け足した。
「結お姉ちゃんのご飯は、食べると、さっき何があったかを少し気にしなくてよくなる気はする。」
小麻里の言う通り、午前中ずっと本殿の横で作業をして、結に支えられて転ばずに済んで、小麻里の手に手首の角度まで直してもらったことがまだはっきり残っているのに、いざご飯を食べていると、その全部が少し丸く感じられた。大きな出来事ではなく、ただ一日の中にあったことのように。
昼食のあとには、自然と片づけが続いた。結が汁椀を集め、小麻里が残ったおかずに蓋をかぶせ、月夜が湯呑みをひとまとめにした。木乃葉は最初、縁側にもたれて眺めるだけのつもりの顔だったが、小麻里が無言で一度見ただけで、結局起き上がって皿を二枚ほど運んだ。
「これくらいなら、私も結構働いたんじゃない?」
木乃葉が言うと、小麻里は即座に答えた。
「その質問を自分でする段階なら、まだまだだね。」
「冷たいなあ。」
「正確なの。」
月夜は笑いをこらえながら、器を持って井戸端のほうへ出た。外は相変わらず暑かったが、井戸端の周りだけは石床が冷えていて、足元の空気が少し違っていた。結が先に水を汲み上げていて、小麻里は洗う器を順番に置いていた。月夜もその横に座り、湯呑みから拭き始めた。
しばらくは水音だけが続いた。器同士が軽く触れる音、たらいに水が当たる音、遠くで蝉がもう一度大きく鳴く声。不思議と、三人でいると、無理に話さなくても気まずくはなかった。
むしろ先に口を開いたのは結だった。
「さっき、驚いた?」
月夜は手を止めなかったが、何を言われているのかすぐにわかった。
「少しは。」
月夜は素直に答えた。
「転びそうになったことより、急に結がすぐ横にいたことのほうが驚きました。」
結は少し瞬きをしてから、ごく淡く笑った。
「それはごめん。」
「謝ることじゃないですけど。」
小麻里が横で湯呑みをすすぎながら言った。
「結お姉ちゃんは、もともと静かだから。」
「いるのにいないみたいに近づくし、いなさそうなのにもういるほう。」
「その言い方、ちょっと怖いんですけど。」
「怖くはないよ。」
結がたらいにもう一度水を注ぎながら言った。
「ただ、慣れて速くなっただけ。」
その言葉を聞いて、月夜は自分の手に持った湯呑みを見下ろした。まだ自分は、何かを持って歩くときにどこを先に見るべきかも、完全には慣れていないのに。
「私もいつか、そうなりますか?」
何気なく尋ねると、小麻里がすぐに答えた。
「少なくとも水はあんまりこぼさなくなるでしょ。」
「それ、基準が低すぎるんですけど。」
「高くしたら、あんたが大変でしょ。」
その言葉に、月夜は顔を上げた。小麻里は相変わらず器だけを見ていて、口調もいつもと変わらなかった。けれど、そんなふうにぽんと投げる言葉が、ときどき人を妙な気分にさせた。
「お姉ちゃん。」
月夜が呼んだ。
「なに。」
「さっき、紙垂の折り方を教えてくれたの、少しよかったです。」
小麻里の手がほんの一瞬止まった。
「何が。」
「うまくできなかったのが、お姉ちゃんの手を一度通したら、すぐできたところです。」
月夜は少し迷ってから付け足した。
「そういうの、なんだか安心して。」
小麻里はすぐには答えなかった。代わりに、すすいだ器を片側に立ててから、短く言った。
「そのくらい、慣れれば誰でもできるよ。」
「でも今の私は違うじゃないですか。」
結は水を汲み上げる手を止めず、小麻里は今度は否定もしなかった。代わりに、ごく小さく言った。
「じゃあ、慣れるまでは横で見てればいいでしょ。」
その言葉が終わった瞬間、変に沈黙が深くなる前に、木乃葉が縁側のほうから声を上げた。
「そこの三人、あんまりほっこりした雰囲気作らないで。私抜きで仲良くなるとちょっと寂しいんだけど。」
月夜はすぐに振り返った。
「木乃葉はさっき働いてなかったじゃないですか。」
「働いたよ。皿を運んだよ。」
「二枚です。」
「数で数えると冷たくない?」
その言葉に、結まで笑い、小麻里も小さく息をつきながら口元を動かした。その短い笑いのおかげで、さっきまで井戸端に薄く降りていた空気が少しほどけた。
片づけが全部終わったころには、午後の光がもう一枚やわらいでいた。月夜は乾いた手を服の裾で拭き、しばらく井戸端の石柱に手を置いた。冷たかった。今日一日も、大したことはなかった。けれどその代わりに、結が近くまで来て月夜を支えてくれた瞬間や、小麻里が手首を取って紙の角度を直してくれた瞬間が残った。
それは事件と呼ぶにはあまりにも小さかったけれど、それでも確かに、ただ通り過ぎてはいかない種類のことのようだった。
そ、その! 私が!……冨樫になったわけじゃなくて、なりたいんですけど……正直に言うと、また知り合いの友達のバンドのボーカルが逃げて、代打で出ることにはなったんですが、それで二十日近く休んだ言い訳にしたいわけじゃなくて……許してください!




