第二十一話 『一緒に手を動かしていたら、少しずつ隣の席が自然になっていました!』
神社暮らし、今日は大きな出来事の代わりに、指先から少し近づきました!
朝。月夜が奥の居室を出ると、本殿の前に白い紙が並んでいた。細長く切られた紙。赤い紐。小さな鈴。その真ん中で、小麻里がしゃがんでいる。
「……何か作るんですか」
「紙垂」
「前にも見たやつ」
「一度見ただけで覚えた?」
「名前くらいは」
月夜は少しだけ胸を張った。その横では、結が井戸から水を汲んでいた。袖を肘の少し下までまくっている。水滴が腕を伝って、手首のところで落ちた。
「月夜」
結が呼ぶ。
「はい」
「先にこっち手伝ってくれる?」
「もちろん」
月夜は井戸端へ向かった。大きなたらいには、冷たい水が半分ほど入っている。
「本殿横の榊、替えるから」
結が言う。
「これを運べばいいですか」
「二人で」
月夜は一瞬だけ止まった。
「最初から二人なんですね」
「重いから。月夜、この前は桶を半分にしてたでしょう」
「覚えてた」
「忘れる理由ないよ」
結は何でもない顔で、たらいの片側を持った。月夜も反対側に手をかける。
「せーの、いります?」
「いる?」
「……いらないです」
二人で持ち上げる。重い。でも、前よりずっと楽だった。結が月夜の歩幅に合わせている。右。左。水面が揺れる。
「月夜」
「はい」
「足元」
言われて見る。石の継ぎ目。薄く水が残っている。以前なら、たぶん、そのまま踏んでいた。月夜は少しだけ横へ避けた。
「回避しました」
「うん」
「成長」
「かなり」
結が小さく笑った。たらいを置く。水は、一滴もこぼれていない。月夜は少し嬉しくなった。
「完璧です」
「じゃあ榊もお願い」
「まだ続くんですね」
「仕事だからね」
現実的だった。
***
古い水を捨てる。花器を洗う。新しい水を入れる。月夜が榊を持ち上げると、葉が頬に少し触れた。
「冷たい」
「朝だから」
結が葉の向きを整える。月夜も真似した。一本。もう一本。
「それ、少し外」
「こっち?」
「もう少し」
結の指が、月夜の手の横へ伸びる。触れるか触れないかくらいの距離。葉の向きが直る。
「そこ」
「……はい」
月夜は榊を見る。さっきより整っている。
「結お姉ちゃんって」
「うん?」
「直すとき、本当に静かですね」
「うるさく直したほうがいい?」
「それは嫌です」
「じゃあ、このまま」
月夜は少し笑った。結は、何かをしてくれるとき、いつも先に手が来る。足元に気をつけるよう教えてくれるときも、熱いお茶を冷ましてくれるときも。今も。
大げさに言わない。だから、あとから気づくことが多い。月夜はそれを、最近、少しずつ覚えてきた。
***
榊が終わると、今度は小麻里の前に座らされた。
「紙」
一枚渡される。
「ここを折る」
小麻里の指が角を示す。月夜は折った。ずれた。
「違う」
「早い」
「見たら分かる」
二回目。今度は反対側が長い。
「……紙に嫌われてるかもしれません」
「紙に意思持たせないで」
三回目。月夜は少し慎重になった。慎重になりすぎた。折り目が弱い。小麻里がため息をつく。
「貸して」
月夜が紙を渡そうとする。でも、小麻里は紙ではなく、月夜の手首を取った。
「力入りすぎ」
手の角度を変える。指先が重なる。月夜は一瞬だけ、そちらを見た。
「紙見て」
「見てます」
「今、手見てた」
「手も作業の一部です」
「言い訳」
小麻里の手は離れない。
「ここ」
一緒に折る。角を作る。反対に返す。
「折るっていうより、形を作る」
「前も言いました?」
「今日初めて」
「じゃあ、覚えます」
小麻里が手を離した。月夜は、今度は一人で同じ順番をなぞる。一つ。二つ。三つ。最後に開く。白い紙垂。少しだけ歪んでいる。でも、形にはなっている。
「……できた」
月夜の口から声が出た。小麻里が紙を受け取る。表。裏。
「まあ」
「まあ?」
「使える」
「もう少し褒めても」
「一個目でそれなら十分」
月夜は少しだけ嬉しくなった。
「じゃあ、もう一枚」
「自分から?」
「忘れる前に」
小麻里の口元が、ほんの少しだけ上がった。
「じゃあ、やって」
***
二枚目は、一枚目よりまっすぐだった。三枚目は、もっと早かった。四枚目で、木乃葉がやってきた。
「何してるの」
「見れば分かるでしょう」
月夜が答える。木乃葉は縁側に座った。
「月夜が紙と戦ってる」
「もう勝ち始めてます」
「本当に?」
月夜は三枚目を見せた。木乃葉が受け取る。しばらく見る。
「……普通」
「褒めてます?」
「紙垂としては最高の褒め言葉じゃない?」
それは、少し納得できた。小麻里が鋏を木乃葉へ渡す。
「じゃあ紐」
「私も働くの?」
「口だけ動かすよりいいでしょ」
「神様への扱いが」
「神様なら綺麗に切って」
木乃葉は何か言おうとして、諦めた。鋏を持つ。赤い紐を切る。結が横から鈴を持ってくる。いつの間にか。四人で一つの仕事になっていた。
月夜が紙を折る。小麻里が形を見る。木乃葉が紐を切る。結が鈴と合わせる。
「これ」
月夜が出来上がった一つを持ち上げた。
「誰が作ったことになるんですか」
小麻里が答える。
「みんな」
「ずるい答え」
「でも合ってる」
結が笑った。木乃葉は自分の切った紐を指さす。
「私はここ」
「主張が細い」
月夜は笑った。
***
最後に、本殿横に新しい紙垂を掛けることになった。小麻里が一つを月夜へ渡す。
「これ、あんたの」
「私の?」
「最初にちゃんとできたやつ」
月夜は紙垂を見る。よく見ると、少しだけ右の折り幅が広い。確かに、自分が作ったものだった。
「これ、使うんですか」
「使えるって言ったでしょ」
「練習用かと」
「使えるもの捨てない」
小麻里らしかった。月夜は紙垂を持って本殿横へ行く。結が紐の位置を教える。
「そこ」
月夜は結ぶ。一度。少し緩い。やり直す。今度は、ちゃんと留まった。白い紙が、風に揺れる。他の紙垂と比べれば、ほんの少しだけ形が違う。
でも、そこにある。
「……私が作ったの、分かりますね」
木乃葉が横から覗く。
「ちょっと不格好だから」
「言い方」
「でも、いいんじゃない」
木乃葉の尻尾が一度揺れた。
「明日見ても、月夜のって分かる」
その言葉に、月夜はもう一度紙垂を見た。明日。今日だけではなく。明日もここにある。自分がやったことが、少しだけ残る。
それが、思っていたより嬉しかった。結が最後の鈴を月夜へ渡した。
「これも結べる?」
月夜は赤い紐を見る。
「やってみます」
輪を作る。一度くぐらせる。少し緩い。結が横から指を一本添えた。
「ここ押さえて」
「はい」
結ぶ。今度は、ちゃんと鈴が下を向いた。ちり。小さく鳴る。
「できた」
月夜が言うと、結はすぐに頷いた。
「うん。これなら大丈夫」
誰かの手を借りながら、最後は自分で結べた。それも、今日覚えたことの一つだった。
月夜は、完成した鈴を手の中でもう一度見た。小さな音だったけれど、今の自分にはちゃんと聞こえた。
***
昼食は、結が作った冷たい素麺と、卵焼きだった。月夜は箸を持って言う。
「結お姉ちゃんの料理って、静かですよね」
結が瞬きをする。
「料理が?」
「はい」
「また変な褒め方してる」
小麻里が言う。月夜は少し考えた。
「食べると、さっきまでのことがちゃんと一日の中に入る感じです」
結は、少しだけ目を細めた。
「それなら、よかった」
木乃葉が素麺をすすりながら言う。
「じゃあ私は?」
「何がですか」
「私の役割」
月夜は少し考えた。
「余計なこと言う役」
「ひどい」
「でも」
月夜は続けた。
「木乃葉が何も言わないと、それはそれで静かすぎる気がします」
木乃葉が止まった。小麻里も。結も。月夜は遅れて、自分が何を言ったのか気づいた。
「……今のなしで」
「もう聞いた」
木乃葉の口元がゆっくり上がる。
「寂しいんだ」
「違います」
「私がいないと」
「そういう方向に持っていかないでください」
小麻里が素麺を取りながら言った。
「でも、前より騒がしくても平気になったね」
月夜は少し黙った。たぶん。そうだった。結がいる静けさ。小麻里の短い言葉。木乃葉の余計な一言。どれも。今は少しずつ分かる。
自分がどこへ入ればいいのかも。昼食のあと、片づけまで終わると、四人は縁側へ出た。
結が冷たい麦茶を持ってくる。小麻里は濡れた手を手拭いで拭く。木乃葉は、当然みたいに一番風の通る場所に座った。月夜は少しだけ迷って、いつもの場所に座った。結の隣。反対側には小麻里。そのことに、座ってから気づいた。
「……」
木乃葉が見る。
「何」
「いえ」
月夜は自分の座った場所を見る。誰かに言われたわけではない。名前札もない。でも、最近はここへ来る。食事でも。休憩でも。
「私」
「うん?」
結が返事をする。
「ここ、いつから私の席になったんでしょう」
小麻里が月夜を見る。
「勝手に座ってるだけでしょ」
「ひどい」
「でも、毎回そこ」
「じゃあやっぱり席です」
木乃葉が自分の横を叩く。
「こっち空いてるよ」
「今日はいいです」
「今日は、ってことは次ある?」
「言葉尻」
木乃葉が笑う。結は麦茶を月夜へ渡した。いつもの青い線の湯呑み。月夜は受け取る。冷たい。
「紙垂」
結が本殿のほうを見る。
「ちゃんと残ったね」
月夜も見る。白い紙。少しだけ不格好な折り目。
「明日もありますよね」
「雨でも降らなければ」
「現実的」
小麻里が言う。
「雨なら替える」
「それでも」
月夜は少し考える。
「今日、私が作ったことはなくならないですよね」
結が月夜を見る。
「うん」
風が吹く。月夜の作った紙垂も、ほかのものと一緒に小さく揺れた。木乃葉が麦茶を飲みながら言う。
「じゃあ次は、もっと大きいもの作る?」
「何ですか」
「鳥居」
「無理です」
「即答」
「木工から始めないでください」
小麻里が少し笑った。
「まず紙をまっすぐ折れるようになってから」
「今日できました」
「一枚」
「三枚」
「数えてるんだ」
「大事です」
笑いが少し続く。月夜は何も考えず、湯呑みをいつもの右側に置いた。そこには、湯呑みを置くたびにできる薄い丸い水跡が残っている。誰も席を決めていないのに、手だけはもう迷わなかった。湯呑みの底から落ちた水滴が、その丸い跡に重なった。休憩のあと、月夜は器を運ぶ途中で、本殿横を一度見た。
自分が折った紙垂が、まだ揺れている。小さなものだった。でも、今日の自分がここにいた印としては、明日まで残るこれ一つで十分だった。
そ、その! 私が!……冨樫になったわけじゃなくて、なりたいんですけど……正直に言うと、また知り合いの友達のバンドのボーカルが逃げて、代打で出ることにはなったんですが、それで二十日近く休んだ言い訳にしたいわけじゃなくて……許してください!




