第二十話 『神社に戻ってからは、ただ普通にお腹が空いていました!』
神社暮らし、今日は西瓜と風の音だけでも十分でした!
一巻 鐘が鳴る前の夏
第二十話 『神社に戻ってからは、ただ普通にお腹が空いていました!』
——
昔の学校から下りてきて、白雲神社の石段をまた踏んだとき、月夜は不思議なことに、安心より先に空腹を感じた。
ついさっきまでは、廊下の端から何かが走ってきて、触れる前にいきなり粉々になって、木乃葉がそれを何でもないように払う光景を見ていたのに、いざ神社に戻ってくると最初に浮かぶのが、お腹が空いた、だなんて。あまりに現実的で、むしろ少し笑えてきた。
夏の日差しはまだ高く、境内の砂は半分ほど温まっていた。蝉の声は、あの古い分校のほうより、ここにいるほうが近かった。
「お腹空いた顔してるね。」
前を歩いていた木乃葉が言った。
「顔でそういうの見えるんですか?」
「けっこう。」
木乃葉の尻尾が一本、軽く揺れた。
「さっきから口開けたままぼんやりしてたし。」
木乃葉の言う通り、分校を出てから、月夜は少しぼんやりしていた。怖かったと言うにはどこか間抜けで、笑えたと言うには背中のほうが完全に落ち着いてはいなかった。けれど、その中途半端な気分が神社の敷居を越えた瞬間、急に現実のほうへ傾いてしまった。結局残ったのは空腹と、少し眠い感じと、日差しに温まった肩くらいだった。
奥の居室のほうへ入ると、結がすぐにこちらを振り返った。
「何もなかった?」
すると木乃葉が短く答えた。
「雑鬼が一匹出たけど、来る前に終わったよ。」
結はそれを聞いただけで、だいたい理解したように小さく頷いた。そして月夜を一度見て、本当に何でもないように付け足した。
「手を洗ってきて。お昼、ほとんどできてるから。」
その言葉を聞いて、月夜は少し力が抜けた。いや、もしかすると、それでよかったのかもしれない。廃校で何かが出たという話を、この神社ではこうして食事前の雑談くらいに扱う。それは変だけれど、今ではその変さにも少しずつ慣れてきていた。
***
井戸端で手を洗うあいだ、手の甲に触れる水は冷たくて、分校の廊下の空気や、陽の入っていた下駄箱の匂いみたいなものが、水と一緒に少しずつ遠ざかっていくようだった。隣では小麻里も手を洗っていて、ちらりと見ると、袖のあたりにごく薄く埃がついていた。
月夜はじっと小麻里を見てから言った。
「……袖。」
「うん?」
「さっき私が掴んだからってわけじゃなさそうですけど、埃ついてます。」
小麻里が自分の袖を見下ろして、指先で一度払った。
「このくらいなら平気。」
小麻里が言った。
「でも覚えてるんだ。」
「何をですか。」
「さっき袖を掴んだこと。」
月夜はなんとなく水をもう一度かけた。
「それは、小麻里が先に言い出したじゃないですか。」
「言わなかったら、あんたずっと驚いた顔で固まってたと思う。」
小麻里は何でもないように言った。
「先に言ってあげるほうが早い。」
それが妙に慰めのように聞こえて、月夜はそれ以上何も言えなかった。
昼食はいつもより少し遅い代わりに、簡単だった。冷やした麦茶、味噌汁、卵焼き、胡瓜の和え物、それから昨日買ってきた味噌でまた作ったおかずがひとつ。結はいつも通り静かに膳を整え、木乃葉はもう自分の席をあまりにも当然のように占めて座っていた。分校の話は、食事が始まってからようやく出た。
「でも本当に、あれってもともとあんなにあっけなく終わるものなんですか?」
月夜が尋ねた。
木乃葉が茶碗を持ったまま答えた。
「弱いのは。」
「強いのは?」
「昼にはあまり出ない。」
小麻里が代わりに短く言った。
「それに出ても、今日みたいにはいかない。」
「その言い方、全然続きの説明になってないんですけど。」
結が味噌汁をよそいながら小さく笑った。
「今日は休むほうで考えて。」
「何かあったようで、結果的には何もなかった日。」
その表現が妙に心に残った。何かあったようで、結果的には何もなかった日。廃校に行って、雑鬼が出て、木乃葉は怖い方向にすごくて、自分は驚いて、それでも結局こうして昼食を食べている。日常が異常に勝ってしまったのか、異常まで含めてこれが日常なのか、まだよくわからなかった。
「じゃあ今日は本当に休みなんですね。」
月夜が言うと、小麻里がすぐに答えた。
「洗い物はするよ。」
「それは休みじゃないじゃないですか。」
「完全に遊ぶ日なんて、もともとない。」
小麻里は平然と言った。
「その代わり、たくさんはさせない。」
口ではつんつん刺してくるのに、結局はちょうどいいところで止めてくれる。だから憎たらしいのに、不思議と嫌ではなかった。
食事が終わると、結は器を片づけ、小麻里は残ったおかずに蓋をした。木乃葉は縁側の端に寝転がりそうな勢いでだらけていて、月夜は水気を拭いた湯呑みを日差しのほうに少しだけ置いた。境内をかすめる風が薄く入り、手拭いの端を少し揺らした。さっきまで分校の廊下に横たわっていた夏の光とは違って、ここの光は落ち着くほうだった。
洗い物は思ったよりすぐに終わった。結が水を用意し、小麻里が洗い、月夜が拭いて元の場所へ戻せばよかった。木乃葉は最初、本当に動くつもりのなさそうな顔をしていたけれど、結が何も言わず空の器をひとつ渡すと、結局それを受け取って運んだ。
片づけが終わると、午後の暑さがまた静かに降りてきた。木乃葉は縁側に寝そべったまま尻尾の先だけをゆっくり揺らし、小麻里は団扇を開いたり閉じたりしながらも、目は閉じなかった。月夜は柱に背を預けて座り、風鈴の音が一度鳴るたびに、なぜか心が少しずつほどけていくのを感じていた。午後の暑さは急に覆いかぶさるのではなく、縁側の端からゆっくり染み込んできた。
昼食を片づけてしまうと、白雲神社の中は、静かすぎてかえって時間が止まったように感じられるほどだった。蝉の声は相変わらずだったが、それももう外の背景音のように聞こえた。風はごくたまにしか通らず、そのたびに風鈴が薄く一度鳴って、また止まった。月夜は柱に背を預けて座ったまま、縁側の下の砂に落ちた軒の影を、しばらく見つめていた。
「眠いなら寝てもいいよ。」
結が先に言った。
月夜は顔だけ少し向けた。結は洗い終えた器を全部片づけて、縁側の片側に小さな盆を置いているところだった。湯呑みが二つと、ガラスの器に入った麦茶、それから残った西瓜の切れ端がいくつか見えた。
「昼寝したら、夜に眠れなさそうなんです。」
月夜が言った。
「じゃあ寝なければいい。」
小麻里がすぐに受けた。
「その代わり、ぼんやりしてないで。」
「ぼんやりするのも、今やるべきことみたいですけど。」
その言葉に、木乃葉が縁側に寝そべったまま笑った。
「それはけっこう大事なことだよ。」
「夏は、何もしない時間が一番忙しいから。」
「それ、完全に何も言ってないじゃないですか。」
「違うよ。」
木乃葉は腕を枕にして寝返りを打った。
「何もしないあいだにも、暑いものは暑いし、風は来るし、音は聞こえるし、西瓜は食べなきゃいけないし。」
「最後だけ欲が強すぎませんか。」
結が盆を持って近づいてきた。
「西瓜は食べていいよ。」
「それはやるべきことだね。」
その言い方が妙に真面目で、月夜は結局笑ってしまった。結が差し出した皿の上には、三角に切られた西瓜が四切れ置かれていた。種がほとんどないところをちゃんと選んであるのが見えて、そんな小さなところにまで手が届いていることが、あらためて感じられた。
西瓜は冷たくて、とても甘かった。口の中に入った瞬間、熱が少しずつ退いていく気がした。月夜が静かにひと口かじると、向かいの木乃葉がなぜかこちらを見た。
「その顔。」
「なんですか。」
「桃味の炭酸水を飲んだときと似てる。」
「なんで覚えてるんですか。」
「覚えやすい顔だから。」
あまりに何でもないように言われて、かえって反応するタイミングを失ってしまった。月夜は西瓜をもう一口かじって、なんとなく外だけを見た。縁側の下では、日差しが少し傾き始めていて、影の端はさっきよりも長くなっていた。
小麻里が西瓜の種を片側に集めながら言った。
「今日は本殿の掃除はしなくていい。」
「午後はそのまま休んで。」
「本当にですか?」
月夜が聞き返すと、小麻里は肩をすくめた。
「分校まで行ってきたから。」
「それに暑い。」
***
少しして、結は奥へ入って団扇をいくつか持ってきた。小麻里は受け取るとすぐに開き、木乃葉は自分の分を受け取るなり、顔ではなく尻尾のほうへ先に風を送った。三本の尻尾がゆっくりふくらんで、また沈んだ。
月夜はそれを見て、結局言った。
「そこまでしないといけないんですか?」
「夏毛の管理は大事なんだよ。」
木乃葉が真面目に答えた。
「下手に湿っぽくなると気分もよくないし、形も決まらない。」
「尻尾にもそういう悩みがあるんですね。」
「当たり前でしょ。」
木乃葉は団扇を止めなかった。
「あんたも髪が長いと、雨の日は嫌でしょ。」
それを聞いて、月夜は自分のポニーテールの先を指先で触ってみた。今日は結んだ髪がいつもより少し緩くて、分校へ行って帰ってくる途中、ほつれた髪が何本か首に貼りついたり離れたりしていたのを思い出した。
「そういえば。」
結が茶を注ぎながら口を開いた。
「明日は、またあかね商店のほうへ行くことになるかもしれない。」
「またですか?」
月夜が尋ねた。
「醤油が足りない。」
小麻里があまりにも簡単に答えた。
「さっき見たら底が見えてた。」
「それをなんで今言うんですか。」
「今言ったじゃない。」
会話があまりにも自然に流れていくので、月夜はなんとなくまた笑ってしまった。最初に神社へ来たときはひとつひとつ緊張して受け止めていた言葉たちが、今では少しずつ自分の側のリズムにも入り込んでいる気がした。
午後が深くなるほど、口数はむしろ減っていった。小麻里は団扇を揺らすのをやめ、少しだけ目を閉じた。結は隣で、何か縫い物のようなものを手にしていた。木乃葉は一度姿勢を変え、完全にうつ伏せになるように寝転がり、頬杖をついて外を眺めていた。その状態でも尻尾の一本はゆっくり動いていたが、月夜はもうそれを見ても前ほど慌てなかった。
もちろん、まったく意識しないというのは、また別の問題だったけれど。
「また見たね。」
木乃葉が呟いた。
木乃葉の言葉を聞いて、月夜はすぐに否定した。
「今回は本当に見てませんけど。」
「じゃあ、私の尻尾が先にあんたを見たのかな。」
「わけのわからないこと言わないでください。」
木乃葉が笑った。
陽がもう少し傾くと、結が先に立ち上がった。
「夕飯の支度は、もう少ししてからにするね。」
「それまでは本当に休んで。」
本当に何もない午後だった。廃校で雑鬼が一匹出たことが嘘みたいに、今の白雲神社には団扇の風と西瓜の匂い、ゆっくりした風鈴の音、それから縁側の端まで滑り込んでくる夏の光しかなかった。
月夜もそれをじっと感じていた。大きな事件も、妙な鐘の音も、誰かの過去もない時間。ただ、生きている人たちが暑さにだらけて、出かけてきた話を二、三度繰り返して、次の買い物の心配をして、西瓜の種を集めて片側に置く時間。
そういうものが積み重なるほうが、もしかするともっと大事なのかもしれないと。
今はまだ、そう思ってもいい午後だった。
その……ええと……私が冨樫先生になったわけではないんです! 起きたら午後四時でして……寝坊助問題なのです!




