第十八話 『肝試しをすることになってしまいましたが、思ったより普通に怖いです!』
神社暮らし、夜はだめなので朝に怖い場所へ行くみたいです!
一巻 鐘が鳴る前の夏
第十八話 『肝試しをすることになってしまいましたが、思ったより普通に怖いです!』
——
朝の陽射しが縁側の端まで押し寄せてきたころ、月夜はいつもより少し遅く目を覚ました。
目を開けた瞬間、昨日のことが先に浮かぶと思っていたのに、最初に浮かんだのは外から聞こえる箒の音だった。さっ、さっ。乾いた落ち葉みたいな音ではなく、よく乾いた砂の上を整える音。その音を聞いてから、ようやく昨日、尻尾に触れた感触があとから上がってきた。指先のほうが先に気まずくなるような気がして、月夜は布団の端を顎の下まで引き上げた。
それでもずっと寝ているわけにもいかず、身を起こして奥の居室の外へ出ると、朝の白雲神社はもう半分ほど一日を始めたような顔をしていた。小麻里は本殿の前を掃いていて、結は井戸端のほうで水を汲み上げたあと、たらいを運んでいた。そして木乃葉は、やっぱり働いている人には見えない姿勢で縁側の柱にもたれて座っていた。片手には団扇があり、もう片方の手には古い紙が一枚握られていた。
「起きたね。」
結が先に言った。
「顔は大丈夫そう。」
その言葉があまりにも普通で、月夜はむしろ少し助かった気がした。誰も昨日の話を露骨には出さなかった。小麻里も箒の手を止めないまま、こちらを一度見て短く言った。
「顔洗ってきて。」
「はい。」
その一言におとなしく井戸端へ向かいながらも、月夜はなんとなく縁側のほうをちらりと見た。木乃葉と目が合った。木乃葉は何も言わず、団扇の先で自分の顎を軽く叩いただけだった。昨日みたいにすぐからかってこないその態度が、妙に余計気になった。
***
顔を洗って戻ると、朝の膳はもう用意されていた。ご飯、味噌汁、簡単な漬物、それから昨日あかね商店で買ってきたもので作ったおかずがひとつ。四人が席につくと、結が先に箸を取った。
「食べよう。」
朝食は、最初は静かだった。器の触れる音と、外の蝉の声だけが薄く重なっていた。そこで先に口を開いたのは木乃葉だった。
「今日、山のほうに行ってみる?」
月夜は味噌汁を飲み込む途中で顔を上げた。
「山ですか?」
「あっちに廃校があるでしょ。」
木乃葉が持っていた古い紙を振った。
「今は使ってないところ。」
小麻里がすぐに言葉を受けた。
「廃校じゃないよ。学校そのものがなくなったわけじゃなくて、場所を移しただけ。」
「もともとあった場所が山のほうだったんだけど、地があんまりよくないってことで下に新しい建物を作ったんだよ。」
「だから今は建物だけ残ってる。」
月夜は少し瞬きをした。
「地がよくないって?」
「雨が降ると土がぬかるむし、冬は日陰になるのが早すぎるの。」
結が言った。
「子供たちが通うには不便だったんだって。」
「それにちょっと古かったし。」
木乃葉が付け足して、それから月夜は箸を置き、慎重に尋ねた。
「どうして急にそこへ行くんですか?」
今度は小麻里が答えた。
「特に理由はない。そろそろあんたも、この近くを覚えておいたほうがいいから。」
「村の中はだいたい見たし、今度は山のほうも少しずつ覚えないと。」
木乃葉が横からのんびり付け足した。
「ついでに肝試し気分も出して。」
「朝からですか?」
「夜はまだ、あんたを外に出すわけにはいかないから。」
小麻里が何でもないように言った。
「だから昼の肝試し。」
その言い方があまりにも堂々としていて、月夜は笑えばいいのかどうか少し迷った。それでも考えてみれば、夜にできないことを昼にやってしまうという発想は、ここの人たちらしくもあった。
「でも、そういうところに行って本当に幽霊とか出たらどうするんですか?」
聞いてから、自分の質問があまりに定番すぎたことに気づいた。案の定、木乃葉がすぐ笑った。
「私も霊の字は入ってるよ。だから半分くらいは同族相討ちだね。」
「それ、全然安心できないんですけど。」
小麻里が味噌汁をひと口すすりながら、何気なく言った。
「幽霊が出たら、木乃葉が先に気づくほうが早いと思う。」
「だからあんたは一番最後に驚けばいい。」
「それが一番怖い構造じゃないですか?」
結が小さく笑った。
「それでも三人で行かせるよ。」
「小麻里と木乃葉が一緒なら、大抵のことは大丈夫だから。」
月夜は結局、小さなため息のように息を吐いて頷いた。
「……じゃあ、行くには行きます。」
木乃葉が団扇を畳みながら笑った。
「よし。じゃあご飯食べたらすぐ。」
朝食を食べ終えると、小麻里が簡単に準備をした。小さな懐中電灯ひとつ、手拭い、水筒、それから念のために持っていく御札一枚。月夜はその中の御札を見て、少し微妙な顔をした。
「昼に行くのに、これも必要なんですか?」
「昼だからいらないかもしれないし、昼だから油断すると余計必要かもしれない。」
小麻里が言った。
「こういうのは、とりあえず持っていくものなの。」
その言葉が終わるころには、木乃葉はもう先に庭へ下りていて、今日も尻尾は隠していなかった。朝の光の下の尻尾は、昨日より少し落ち着いた色に見えて、月夜は思わずまた目を向けてしまった。
「なに。」
今度は木乃葉がすぐに聞いた。
「いえ。ただ……」
月夜は少し迷ってから言った。
「学校みたいなところへ行くのに、尻尾はそのままなんだなと思って。」
木乃葉は片眉を少し上げた。
「じゃあ学校の雰囲気に合わせてしまって行こうか?」
木乃葉は続けた。
「そうすると真面目な転校生みたいになって、面白くないんだけど。」
月夜は結局笑ってしまった。
山道へ続く道の入り口に立つと、小麻里が先に言った。
「昔の名前は沢良木分校だった。」
「正式には沢良木小学校高葉山分校。」
月夜はその名前を心の中で一度転がしてみた。高葉山分校。名前だけ聞くと静かできれいなのに、実際には山裾にぽつんと残った古い建物だと思うと、妙な距離感が生まれた。
「行ってみたら、何もないかもしれない。」
小麻里が付け足した。
「ただ古くて静かな建物って可能性が一番高い。」
木乃葉が横で笑いながら言った。
「そしてたまには、そういうのが一番怖いんだよね。」
「その言葉、今言わなくてもよくないですか?」
「反応いいね。」
結局三人はそうして、夏の朝の山道をたどり、昔の分校へ向かって歩き始めた。
***
沢良木小学校高葉山分校は、近くで見ると、思っていたよりもずっと学校らしかった。
月夜は正直、もっと廃屋に近いものを想像していた。窓はほとんど割れていて、廊下は傾いていて、教室の扉には「入らないでください」みたいな紙が貼られていると思っていたのに、実際に山道の先に現れたのは、古くはあってもまだ学校の形をしている木造の建物だった。平屋の本館がひとつ、その横についた小さな倉庫、そして運動場と呼ぶには少し狭い土の広場。屋根は色あせた灰色で、窓枠のペンキはところどころ剥がれていた。それでも誰が見ても、かつて子供たちが出入りしていた場所だということはすぐにわかった。
「思ったより、まともですね。」
月夜が呟くと、小麻里が頷いた。
「それでも管理する人はいたらしいよ。」
「完全に捨てたわけじゃなくて、ただ使ってないほうに近いんだと思う。」
「そのほうが妙ですね。」
運動場の隅には錆びた鉄棒があり、水飲み場は水の流れの代わりに乾いた苔だけを残して立っていた。風が吹くと、運動場の端の雑草がいっせいに擦れる音を立てた。
木乃葉が先に玄関の階段に上がった。
「靴を脱いで入るほど律儀になる必要はないよね?」
「そこまでするほど、中はもう学校じゃないから。」
小麻里が言った。
「でも走らないで。」
玄関のガラス戸は閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。小麻里が手をかけると、扉は古い蝶番の音を立てて内側へ押し開かれた。その瞬間、外とは違う匂いが流れてきた。埃の匂い、古い紙の匂い、乾いた木の匂い。黴の匂いが一気に上がってくるわけではなく、窓がところどころ開いていたのか、中の空気は思ったより淀んでいなかった。
入って最初に見えたのは、玄関脇の下駄箱だった。名前札はほとんど剥がれ落ちていたが、それでもいくつかの段には薄い文字の跡が残っていた。月夜はそれを見ていて、思わず足を少し遅くした。
「どうしたの。」
木乃葉が振り返った。
「いえ、ただ……」
月夜は下駄箱をもう一度見た。
「こういうところって、人がいなくなったあとでも、あまりにも学校っぽいんですね。」
木乃葉はその意味がわかったという顔で、目を一度伏せた。
「それが怖いときもあるよね。」
「だからそういうことは、入る前に言ってほしいんですけど。」
廊下は思ったより短かった。左に教室が二つ、右に職員室と倉庫のような部屋がひとつ。突き当たりには手洗い場があり、その向こうには裏庭が少し見えた。窓から入った夏の光が、廊下の床に長く横たわっていた。木の床は長く使われて木目が削れたところも多かったが、ところどころにはまだ艶のある部分も残っていた。
小麻里が近くの教室の扉を開けた。
中には小さな机がいくつか残っていた。全部ではなく、誰かが片づけかけたように、ぽつぽつと。黒板はまだ掛かっていて、右の壁には色あせた掲示板が貼られていた。紙はすべて剥がされたあとだったが、画鋲の跡だけが残っていて、そこに何があったのか、かえって気になった。
月夜はゆっくり中へ入った。床に積もった埃が、足先でごく薄く散った。黒板の前の教卓の上には、折れたチョークが二つ残っていた。
「本当に学校ですね。」
その言葉があまりにも当たり前で、自分で言って少し変な気がした。
木乃葉が後ろの扉側の窓枠にもたれながら笑った。
「学校だって言ったでしょ、神社だって言った?」
「そういう意味じゃなくて。」
小麻里は残っている机の間を一度見回してから、窓をさらに開けた。外の夏の匂いが、中へ少し深く入ってきた。
「ここは低学年のほうの教室だったらしいよ。」
「分校だから学年が全部別ってわけでもなくて、二学年ずつ一緒に使うこともあったって。」
「じゃあ、子供は少なかったんですね。」
「もともと多くはなかったから。」
小麻里が言った。
「だから下へ移したんだよ。」
月夜は答える代わりに、窓際の小さな椅子をひとつ見た。その瞬間、廊下の外で風が一度長く通り過ぎた。開いた窓が、がたん、と弱く鳴った。
月夜は反射的に顔を上げた。
「どうしたの。」
小麻里が聞いた。
「今……」
語尾が少し曖昧になった。
「何でもないです。ただ、音が大きくて。」
それ以上ではなかった。けれど妙なことに、今窓が鳴る直前、一瞬だけ誰かが息を吸ったような気配があった気もした。
木乃葉が窓枠にもたれたまま言った。
「怖くなった?」
「なってませんけど。」
「ならよかった。」
木乃葉は曖昧に笑って付け足した。
「ここで本当に怖いのは、幽霊より釘とか棘だよ。」
「それは現実的すぎて嫌なんですけど。」
その言葉に、小麻里まで小さく笑った。
三人はまた次の教室へ移動した。今度はもっと小さな部屋だった。壁沿いに長い棚がついていて、片側には古い地図が丸められていた。倉庫兼準備室のように使われていたらしい。小麻里が棚の上を一度見て、色あせた箱をひとつ取り出した。
「これはまだ残ってたんだ。」
「何ですか?」
月夜が近づいて尋ねると、小麻里が蓋を開けて見せた。
中には古い名札がいくつかと、星の形に折られた紙、それから片隅が潰れたノートが入っていた。どれも子供たちの手に触れられていたもののように見えた。大げさな秘密が入っていそうなわけではないのに、だからこそ余計に妙だった。
木乃葉が箱の中を覗き込みながら呟いた。
「捨てるなら、こういうのが一番先になくなってるはずなのに。」
「適当に移してる途中で抜けたんでしょ。」
小麻里が言った。
「分校を閉めるときも、そんなに余裕があったわけじゃないだろうし。」
月夜はその言葉に頷きながらも、ノートのほうをもう一度見た。開きはしなかった。ただ、誰が最後にあれを閉じて出ていったのだろうと、ふと思っただけだった。
そのときだった。廊下のほうで、たん、と短い音がして、三人は同時に顔を向けた。今度ははっきりしていた。窓が揺れた音でも、風でもなかった。誰かが廊下の端のどこかを、手で軽く叩いたような音。とても小さく、とても短かったのに、だからこそはっきりしていた。
月夜は思わず息を止めた。木乃葉の尻尾の一本がゆっくり止まり、小麻里は持っていた箱を静かに棚へ戻した。
夏の光が、廊下の床の上にじっと横たわっていた。
その真ん中に、さっきまではなかった緊張だけが、ごく薄く降りていた。
あたしは!まだ冨樫先生じゃないのです!!




