記録帳
国王にだけ忠誠を誓う矛と盾と称される二つの家は、代々その役目を継いできた名家である。
現国王であるイシュラ王を支えている矛と盾は、それぞれの家の当主であり、国王の意思を実行するための最高補佐官として国政と軍務を担っている。
その二つの家の子息、または子女である跡継ぎ達が、次期王候補の矛と盾になる者達。この跡継ぎ達が特定の王族に忠誠を誓ったとき、その王族は次期王候補となる資格を得る。矛と盾は忠誠を誓った次期王候補の補佐をし、候補が国王となればそのまま国王の矛と盾として仕えることになる。
では、具体的にどう補佐するのかというと――。
まず、盾であるジル。彼は私の政治的安全を守る者。
王妃様、貴族派閥、王宮内の情報網といった、私にとって脅威となり得るものの動きを事前に察知し、封じ、必要であれば情報を操作し、私が安全に動ける環境を作らなくてはならない。
また、私の外部評価を管理し、行動が誤って伝わり不要な敵意を持たれないよう調整する。そして必要とあれば、邪魔となる存在を政治的に、または別の方法で取り除く。
ただし、その最終判断は全て私が行うこと。
次に、矛となるリオルガ。彼は私の身体的安全を守る者。
王宮は決して安全というわけではなく、王妃様の生家とその派閥、王子達、そして何かしらの思惑を持つ貴族達、それらが牙を剥いたときに排除に動く。それだけではなく、実務補佐も担う。政治を学び、政策を立てるだけでは足りず、それを実行するために現場へ赴いて必要な情報を集め、声を届けること。
そして、次期王候補とは、国王の代行者として権限を持ち、王宮の政治構造に直接影響を及ぼす立場である。
制度上、次期王候補を決めるのは国王と、矛と盾となる者であり、王妃様がどれほど強い影響力を持っていたとしても、選出の際に介入することはできない。
そのため、王妃様と生家は矛と盾の家に取り入ったり、親類や派閥の者をその家に嫁がせて親類関係を作ったりと、間接的な手段を用いるしかないのだとか。
矛と盾を手に入れた以上、次期王候補はほぼ確定したも同然。
あとは国王の承認が下り、上層部への通達が行われ、貴族会議を行い、皆に正式にお披露目となる。その過程の中で、王妃様は私が次期王候補となった事実を知ることになる。
そうなればほぼ確実に王妃様は動く。制度上の決定権を持たない以上、私を排除するためには政治的な圧力や情報操作といった間接的な手段に頼るか、あるいは暗殺や毒殺といった物理的な排除に踏み切るしかない。
王妃様、そしてクリスとの対立は避けられず、私が次期王候補となった瞬間から即位したあとも、王妃様が自らの立場と派閥を維持している限り、形を変えながら続いていくだろう。
「……長い、長い闘いだなあ」
ジル・ゴルジを手に入れ、イシュラ王から一通り説明を受けたあと自室へ戻ってきた。
これからのことを考えながら夕食、お風呂、寝支度を済ませ、ベッドの上で記録帳を広げ、ペンでひとつひとつ書き留めながら、その横にさらに書き足していく。
紙面は細かな文字で埋まり、ジル・ゴルジと書かれている部分をペンでぐるぐる丸く囲む。
『私が王女殿下を見初めたのは、初めて顔を合わせたときですよ?』
いつから利用する気でいたのだという問いに、ジルは淡々と答えた。
『オルダーニ侯爵家よりも力が強いのか、と王女殿下が訊ねられたでしょう?政治構造を理解していて、自分の立場を冷静に分析し、危険を正しく把握していた。そして何より、陛下にとても性格が似ている。好感しかありませんよね』
ははは、と笑い、イシュラ王から『見初めただと?』と言われ蹴られていたジル。
ゴルジ家の当主は彼の母親で、現国王の盾としてイシュラ王を支えている女傑。
『母はとても恐ろしい人ですが、妹と弟は私に似てとても素直で良い子ですよ』
素直で良い子のところでイシュラ王とリオルガが同時に眉を顰め、私は思わず『素直?良い子?誰が』と口にしてしまった。
「妹……ジルの、妹……」
彼には妹と弟がいるらしく、私が次期王候補となったときに妹を側近として送ると言われた。
矛と盾はどちらも次期当主としての役目を兼任するため、補佐役の層を厚くする必要がある。
そのため、ジルは伯爵令嬢であり一時側室として望まれた妹を側近として、リオルガは伯爵令息であり友達でもあるシリルを私の右腕として、社交活動の代行、貴族との折衝、派閥の調整、情報収集といったことを任せ、二人共名目上は王女の話し相手として王宮へ出入りさせるのだとか。
「それと……ふふふ」
記録帳の真ん中に大きく書いた、リュシーおばさんとアルドおじさん、それとエドの名前。
次期王候補となれば、女性の護衛騎士が必要になる。今はまだ子供だから問題なくても、成長すれば生活に密着する場面が増えるから。王宮外での入浴、着替え、夜間の護衛など、男性では不都合が生じる場面が確実に出てくる。
そこで、新たに護衛騎士として私に仕えてくれるのが、元々騎士だったリュシーおばさん。
そしてもう一人――。
『エドガルドも護衛騎士として側に置く』
現在エドは貴族であるご祖父様の下で当主教育と貴族教養を猛特訓されているらしく、私の正式なお披露目のときに護衛としてリュシーおばさんと一緒に紹介されるのだとか。
『それまでに使えるようにしておけと言ってある』
イシュラ王がエドのご祖父様に直接圧をかけたらしく、今頃きっとエドは瀕死なのではないだろうか。
一瞬だけ心配したものの、あのエドである。根拠など何もないけれど、エドならどんなことでも大丈夫だと思えてしまうのだから、実は凄い人なのかもしれない。
『アルドは常備軍の指南役として既に動いているから、会おうと思えば会える』
『会いに行ってもいいんですか?』
『会いに来させる』
そう言って、イシュラ王は私の頭を優しく撫でたあと。
『心許せる者が側にいた方がいい』
とても優しい眼差しでそう口にした。
ふふふと堪えきれない笑いを零しながら、記録帳の真ん中にたくさんお花を書き足したあと、隅に小さく書いてあるメリアの名前へ視線を落とす。
クリスが主催したお茶会以降、何かと理由をつけて私の周囲に現れるようになったメリア。
あの王子宮殿での一件は、私がまだお披露目前なので大事にせず、下級貴族の子供達の処罰は各家への注意だけとなった。メリアは彼等を止めたというクリスとソレイルの援護によってお咎めなしとなり、後宮への出入りは今も許されている。王妃様のお使いだと言い、王子宮殿へ度々訪れるのも変わらず。
ただ、何故か王子宮殿の外へ出ると、以前よりも頻繁に顔を合わせるようになってしまった。
以前のように突拍子もない行動をするわけではなく、むしろ妙に親しげで、クリスやソレイルに向けるのと同じ温度で話しかけてくる。まるで昔からの友人であるかのように自然に隣へ立ち、好意を口にし、微笑みかけたり甘えたりと距離が近い。
それなのに、目の奥は冷めていて、こちらの反応を探るように時折ジッと観察されているのだから気味が悪い。
「何がしたいのか……」
メリアの名前にペンで線を引き、はあっと深く溜息を零す。
記録帳を閉じ、ぽふっとベッドに顔を埋め、パタパタと足を動かしたあと左右に転がる。
「明日は……乗馬と剣術だ」
毎回必ず筋肉痛になり、三日ほど歩くのも座るのも辛かったことを思い出し、げんなりとする。
頑張って階段の上り下りをしているというのに、使う筋肉が違うのかどこもかしこも痛む。
「でも……」
明日はシリルが来ることになっている。
馬術も剣術も、歳の近い子供とある程度一緒にやった方が上達は早いという理由で、リオルガがシリルを呼んでくれた。
「シリルはどのくらいできるんだろう」
あのシリルが筋肉痛になっている姿など想像できず、きっとそつなくこなしているのだろうと、毛布を手繰り寄せ目を閉じた。




