返品不可
「授業はここまでとなります」
ぶ厚い教材を閉じ、そう告げたオーバン。
「終わった」と思わず声を漏らすと、オーバンがコクリと頷く。
「これで、第一王子殿下と同じくほぼ全て終えました」
「やっと、終わった……」
「ほっほっほ」
感極まり両腕を高く上げて喜ぶと、オーバンとリオルガが拍手をしてくれた。自分で思っていたよりも日数がかかり、内心焦っていただけに感無量である。
こきこきと首を鳴らし、「では!」とすぐさま部屋を出ようとしたところで、オーバンが首を傾げた。
「午後の授業はお休みのはずですが、どちらへ?」
午後に授業がない日は、オーバンと愛弟子達とおやつを食べながら論議をしているのだが、今日は所用があるのでこのままお開きとなる。
私はふふんと顎を上げ、自分のぶ厚い教材をその場で掲げて見せる。
「これで、ぶん殴ってきます」
「……はて、聞き間違いでしょうか」
「ぶん殴ってきます!」
「それは、それは……」
目をぱちくりさせるオーバンに「それでは」とお辞儀をして、ちょうど部屋に入って来た愛弟子達に「ごきげんよう」と挨拶をして部屋を出る。
「あ、あれで、誰を殴るのでしょうか……?」
「誰じゃろうなあ……ほっほっほ」
背後でそんなことを言っていることなど知らず、意気揚々と目的の場所へと向かった。
「リオルガ。ジル・ゴルジに面会の通達は?」
「前以てしてあります」
いつ終わるか分からなかったというのに、既に手筈を整えているなんて流石リオルガ。
枢密院の長ともなれば、国の政務の中心にいる。たとえ王女であっても突然訪ねていくことはできない。王族が私的に誰かと会うのは政治的な意味を持つからだ。
王子、王女が重臣達と接触するというだけで色々と勘繰られてしまう。だからこそ事前に「王女殿下は枢密院の長との面会を求めておられます」といったことを通達し、国王の承認も必要となる。
「あと数日で終わるだろうとオーバンから聞いていましたので、ゴルジ卿の今週の予定は全て調整させてあります」
「間に合ってよかった。あやうく無駄になるところだった」
「間に合わないわけがありません。あれほど努力されていたのですから」
王妃様とクリスが動き出したことで、ではこちらもさっさと片付けてしまおうと事を進めた。
まずは目の前のことからだと、座学、マナーと礼儀作法を早急に終わらせ、週に一度しかない乗馬と剣術もようやく形になってきたところ。
ふん、ふふん……と鼻歌を歌いながら、目的地である統括宮殿内にある枢密院へ。そこは統括宮殿の中でも特に人の往来が少なく、窓も少なく昼下がりの光はほとんど届かない。灰色の石壁と石床が続き、余計な物のない通路は薄暗く不気味な感じがする。
あのジル・ゴルジの華やかさとは真逆で、本当に彼はここにいるのだろうかと疑ってしまうほど。
奥へ進むと木製の扉があり、リオルガが扉をノックすると「どうぞ」と声が聞こえた。
「ああ、もうそんな時間でしたか」
装飾らしきものはなく、机と椅子、大きなソファーと低いテーブルが置かれている。壁際には膨大な書類を収めた棚がいくつも並び、全体的に黒と灰色で統一された部屋。
その中で、ジル・ゴルジは大きなソファーで横になり、片手で書類らしきものを捲っていた。
「何もありませんが、どうぞ」
細い縁の眼鏡を外したジル・ゴルジはゆっくりと身体を起こし、横になったまま手に持っていた書類を持ち直すと、対面のソファーを指し示す。
そのけだるげな姿はいつにも増して妖艶で、下ろしてあった長い髪が邪魔だったのか、眉根を寄せながら横で緩く結わき溜息を吐いた。
(……あれ?この人、女の人だっけ?)
一瞬、本気でそう思い、目をごしごしと擦る。
「王女殿下?」
「……だめだ、分からない」
「はい?」
ふむ……とジル・ゴルジを見て諦めたあと、リオルガからぶ厚い教材を受け取る。
そのままソファーではなくジル・ゴルジの横まで歩いていき、不思議そうに私を目で追っていた彼へと教材を大きく構えた。
「え、は……?」
ゆっくりと目を見開いたジル・ゴルジを見つめたまま、ぶん……と彼の頭上めがけて振り下ろすと。
「なに、を……」
パシッと手で止められてしまい、落胆する。
細身に見えても節がくっきりと浮く腕は太く、教材を引こうとしたがびくともせず、驚くほど力が強い。
「放してください」
「いや、これはどういうことで」
「再挑戦するので、一旦放してください」
「放すわけがないだろう」
ぐぐっと互いに教材から手を放さずにいると、ちょっとした隙を突かれジル・ゴルジに取り上げられてしまった。
「どういうつもりだ……」
教材をしっかり背中に隠して私を睨むジル・ゴルジに、にっこりと微笑む。
「結果で殴る、を実行しただけです」
「……いいか?それは成果を出して黙らせるといった意味だ。物理的に殴ると言うことではない」
「知っていますけど」
「……」
唖然とするジル・ゴルジの膝の上にリオルガからパスされた紙束を置き、対面のソファーへ腰を下ろす。
「殴られる理由などありませんが?」
「ありますよ」
何を言っているのだと笑うと、ジル・ゴルジが眉を顰める。
「クラウディスタの若造は、直感というとても曖昧なもので仕えるべき主を決めたようだが、そうした浅はかな冒険は私には出来ません」
「……」
「あとは、まだまだ子供だね……と。それと、その決断をいつか後悔する日がこないことを祈ろう、だったかな」
以前、ジル・ゴルジがリオルガに言った言葉をそのままなぞるように口にする。
「そう、リオルガに言っていましたよね」
「よく覚えておいでで」
「私には、今まで何もされてこなかった王女殿下が、今から学ばれても間に合いません。試してみればいい、とも言っていましたよね」
「……そうですね」
「私自身については、教育も受けておらず平民育ちですから、何を言われても仕方がないことだと思っています。でも、リオルガのこととなれば話は別です。身寄りのなくなった私を迎えに来てくれたときも、味方などいない王宮でも、彼はいつだって寄り添い、信じてくれた大切な人です。その人に言われたことは一語一句覚えていますし、物凄く腹が立ちました」
そう言って、ジル・ゴルジの膝の上に置いた紙束を指差す。
「オーバンからいただいたものです」
「これは」
「座学の授業はほぼ全て終えました。それをまとめた修学記録です」
「全て……?」
すぐさま膝の上の紙束を手に取り、穴が開くのでは?というほど読み込むジル・ゴルジを眺めながら、私は口を開く。
「ゴルジ卿はとても捻くれていて、抜け目がなくとても面倒な人ですけど、次期王候補となるには味方に付ける必要があるそうです」
「ええ、そうですね」
「でも、媚びを売っても、誠心誠意手を尽くしたとしても、なびくとは思えません」
「随分と率直に言われるのですね」
遠回しに言ったところで時間の無駄だと、そう言った意味を込めて肩を竦めて見せる。
「しかも、後ろ盾もあり、優秀で人望もあるクリスお兄様にすら忠誠を誓っていない人です。ではどうしようかと考えたときに、取り敢えず規定値まで達してから結果で殴ってみようかと」
「そこに戻るのですね……」
「はい」
「普通は結果を出して認めてもらおうと、そういった考えになるのでは?」
認めてもらう?何のために?
「あれ?言いましたよね。大切な人への言葉に腹が立ったのだと」
「言っていましたが、殴ったところで忠誠など余計に誓いませんよ」
「それはいいんです」
「……いいとは」
何か言いかけたジル・ゴルジより早く、私が「リオルガ」と声をかければ、笑顔を浮かべたリオルガがさっと別の教材を取り出した。
「おい……まっ……!」
――ベシッ。
リオルガはさっとジル・ゴルジの下へ行き、薄い教材で彼の頭を叩いた。
懐に入るくらい薄い物なので、殴るというより軽く叩いた程度で終わってしまったけれど、ジル・ゴルジの焦った顔が見られたのでよしとする。
「その修学記録に書かれているように、お兄様達に追い付きました。あとはこれから抜き去る予定です」
「人の域を外れていますね……」
異質さと驚愕、そしてわずかな畏怖が混ざった眼差しに、そっと苦笑する。
「それと、盾は要りません」
「……は?」
リオルガとの相性も悪く、面倒で手のかかりそうな盾など要らない。
「矛と盾の承認がなければ、次期王候補にはなれませんよ?」
「それは絶対ですか?」
「絶対とは?」
メレーヌ様と話していたときに気付いたのだけれど、矛と盾は国王の代わりではなく、国王の手足なのだ。国王の意思を実行することはしても、その意思に反して我を通すことなどしない。
それに、矛と盾も人間なのだから、どうしても合わないとか気に入らないとかもあるだろう。過去には、それぞれが別の王子に忠誠を誓ったことだってあったかもしれない。
そうであれば、最終的に誰を次期王候補とするかを決めるのは、国王陛下なのではないだろうか。
「私はお兄様達より優秀だと自負していますし、その実力も証明しました。それと、私はオーバンと愛弟子達を唸らせるほど様々な知識にも通じています」
ジル・ゴルジの探るような眼差しを真正面から受け、笑みを浮かべる。
「必要であれば、貴族を黙らせることも、消すことも厭いません」
「……随分と」
そこで言葉を切ったジル・ゴルジは何と言おうとしたのだろう。
随分と物騒だ、あるいは、傲慢だろうか?
そんなことを思いながらソファーから立ち上がり、ジル・ゴルジの横へ立ち、彼を見下ろす。
「でも、そんなことよりも、後ろ盾のない王女というのが貴方にとって何より魅力的で、必要としているものなのではありませんか?」
ジル・ゴルジの片眉がわずかに上がり、ふっと笑う。
「優秀なクリスお兄様でも、扱いやすそうなソレイルお兄様でも駄目だった理由は、オルダーニが権力を持ち過ぎることになるからでは?絶対王政であっても、外戚が王権を侵すようになれば、国王に仕えている者達は本来の務めを果たせなくなります」
この国最大の派閥を抱え、その派閥の貴族達を使って様々な事業を動かし、資金も潤沢。私を殺そうと画策して失敗しても、それでもまだかなりの力を持っている。
「その点、私には面倒な後ろ盾も親類もなく、縋れるのは国王陛下だけ。優秀ならそのまま王にすればいいし、出来損ないなら後ろで誰かが補佐すればいい。これほど扱いやすく、そして安全な存在はいません」
私を見上げるジル・ゴルジの顎を人差し指で持ち上げる。
「だから色々と言っておきながらも、裏では助けてくれようとしていたんですよね」
「……何のことだか」
「上層部へのお披露目のとき、それと私の座学の進度の情報を隠したのも」
普段は人を見透かすような目をしているのに、今はその目がわずかに警戒を帯びている。
「選択肢は私にあります。要るのか、要らないのか。貴方は、どちらがいいと思いますか?」
ペッと顎を払うと、ジル・ゴルジは一度深く溜息を吐いたあと、天井を見上げて唸り声を上げた。
「……誓いますよ。ええ、誓ってさしあげましょう」
「嫌ならいいですよ」
「とんでもない」
ジル・ゴルジはゆるやかに首を左右に振って立ち上がると、皮肉めいた笑いではなく、どこか無邪気な柔らかい笑みを零した。
「その若造が必要とされ、私が要らないなどあり得ません」
その言葉と共にジル・ゴルジは床に片膝を突き、背筋をまっすぐに伸ばす。騎士が忠誠を誓うときと同じ、リオルガにしてもらったもの。
「誓いましょう」
私の手をそっと取り、ゆっくりと持ち上げ額を寄せる。
「貴方の歩む道を守り、貴方の選ぶ未来を支え、貴方の望む国を作るために力を尽くしましょう」
その言葉を聞き、ほっと安堵する。
これでようやく……とジル・ゴルジのつむじを見ていると、顔を上げた彼と目が合った。
「私のことは、ジルとお呼びください」
「それは」
「主となられたのですから呼び捨てください」
それは嫌だなと思っていたのが顔に出ていたらしく、先手を打たれてしまった。
「ジル、と」
渋々頷くと、全ての生き物を魅了するような笑みを向けられ、これは見ては駄目なやつだと目を細めて視界を遮る。
(大分面倒そうな人だけれど、制御できるだろうか)
取り敢えず、手を放せとしっかり掴まれている手をぶんぶん振っていると。
――バン!
勢いよく扉が開き、ゴツ、ゴツ、と重い靴音が部屋に響く。
「さっさと、その手を放せ」
大股で歩み寄ってきたイシュラ王はジルの腕を物凄い力で払うと、ひょいっと私を抱き上げ「この変態が」と吐き捨てた。
「変態とは、これはまた」
「これに触れるな」
「忠誠の誓いをさせていただいただけですよ。妙なことを言わないでください」
「俺の許可を得てからにしろ」
「許可を……?」
どういう理屈なのだと呆れながら、暴君を発動させたイシュラ王の肩をポン、ポンと叩く。
「……何だ」
「ジルを手に入れました」
「そのようだな」
「手懐けることは無理だったので、力技と頭脳の合わせ技での勝利です」
よくやった、くらいは言ってくれるだろうとそっと覗うと、イシュラ王はぎゅぎゅっと眉間に皺を寄せ、心底嫌そうな顔でジルを指差した。
「あれを側に置くと面倒だぞ」
面倒も何も、必要だから手懐けろと言ったのは誰なのだ。
「それでしたら、必要なときだけ呼んでいただければいいですよ。私も色々と忙しいので」
「側に置かなくてもいいらしいです」
「あれは必要か……?」
「要らないといったのに、押し売りされました」
「俺が返しておいてやる」
膝を手で払い立ち上がったジルは、「返品は不可能です」と私達に微笑む。
「始めるか」
そう小さな声で囁いたイシュラ王に、望むところだとしっかりと頷いた。




