ゴッドかチャンピオンか
教育棟の奥にある、王族の子供のために造られた小訓練場。そこは子供の練習には十分な広さがあり、馬術と剣術の両方を学べるようになっている。
屋内にはそれぞれの設備棚が置かれ、子供用の鞍や手綱、木剣や防具が整然と並ぶ。室内の半分は細かな砂を敷いた馬術用の一角で、もう半分は石床になっていて剣術の訓練に使われている。
屋外には小さな馬場があり、低い柵で囲われていて簡単な走行練習ができ、その隣には二、三頭の馬を収めるための馬小屋があり、そこには私専用のとても優美で端正な相棒がいる。
「わっ……寒い」
「身体を温めましょうか。少し早いですが、準備運動を」
「はーい」
朝早かったからか、冷たい空気がまだ残っていて、上着の前を軽く合わせながら準備運動を始める。肩を回し、足を伸ばして身体を解している間に、リオルガは設備棚から私専用の物を取り出して手際よく準備を進めていく。
「いち、にい……さん、しい……」
毎年行われているという狩猟会まで、あとひと月ほど。
王族が所有する森で行われるその行事は、社交シーズンの締め括りとして位置づけられており、参加するのは王族と、王都に残っている王宮の中枢に名を連ねる貴族の当主たちだけ。多くの家はすでに領地へ戻っているため、妻や子供の姿はほとんどなく集う人数も限られている。
狩猟会といっても主役は大人達で、私は馬に乗って森を散策する程度だと聞いた。それでも最低限の馬術と剣術は必要で、そこで私の腕前をお披露目することになるのだろう。
「狩猟会のときには、もう貴族会議は終わっているよね」
国王陛下と矛と盾の承認を得れば、次期王候補は事実上決まる。
ただし、これは国の根幹に関わることなので貴族会議は必ず開かれ、そこで可決されることによって正式に次期王候補として認められるという。
けれど、その貴族会議には王妃様の生家である侯爵家、その派閥の者達がいて、私の粗を探して突いてくるはず。だからイシュラ王は、私の教育にこの国の最高峰を付けて万全を期した。
それだけではなく、政務も任せられるとジルが判断したことで、そちらも教育課程に組み込まれることになった。
なので、貴族会議でどこぞの誰かさん達が口を挟む隙などないはず。
「軽やかに馬に乗って、操ったりもできないし、弓どころか木剣を振ることすら危ういのに」
貴族会議で承認されれば、この狩猟会が次期王候補としての内々の顔合わせになる。
それなのに、これで大丈夫だろうか……とぼやくと、上着を脱いでシャツの袖を捲ったリオルガが、「大丈夫ですよ」と微笑んだ。
「狩猟会では私と馬に乗られるので落ちる心配もありません。手綱も私が握っておりますので」
「せめて一人で乗れればよかったのだけど」
平均的な身長に満たないため、無理だと判断されてしまったのだ。
クリスとソレイルは侍従が手綱を握り一人で跨るらしく、絶対に二人に笑われてしまうとガクリと肩を落とす。
「おのれ、身長め……」
最後にぴょんぴょんと何度か手を上げて身体を弾ませ、「よし」と言って馬小屋へ向かって駆けていく。
「ゴッド!」
馬小屋の中には、手入れの行き届いた美しい毛並みの馬が繋がれている。手前からクリスの馬、ソレイルの馬、そして一番奥、そこには淡い銀灰色の毛並みを持つ馬が。
「数日ぶりだね、ゴッド。ああ……美しい」
この馬小屋の中で一番、いや、世界で一番美しい相棒へと一目散に駆け寄り、声をかける。
「今日もゴッドが一番」
銀灰色の毛並みは光を受けるとキラキラと輝き、瞳は深い青で、とてつもなく美しい特別な馬種。気性が穏やかで、体格もがっしりとしているため落馬の危険がほとんどなく、私が乗るのであればこの馬が最も安全だということで選ばれた。
とてもとても美しいゴッドを神様のように崇め、見惚れ、ほうっと息を吐いたあと、そっと手を伸ばす。
「……撫でさせ、っ、むっ」
私の手にゴッドがゆっくりと顔を寄せてきたので、もしかして!と期待したのも束の間、伸ばした私の手はぐいっと押し退けられた。
期待させるだけさせて拒絶するという技を繰り出す、とんでもなくツンデレの、ツンの方が圧倒的に多いのがゴッドである。
「リスティア様、お怪我は?」
「顔で退かされただけだから、大丈夫。撫でるのが駄目なら、ブラッシングでも」
手入れ用のブラシをそっと近付けてみるも、ジッと見られたあと尻尾でペシッと叩き落とされた。
通う回数が少ない所為か、それとも愛が足りないのか、いつもこうして冷たくあしらわれてしまう。
「ご飯かな?それとも、外……外に出たいのかも」
これは?あれは?と身振り手振りを交えてゴッドへ尋ねるも、ツンと澄ました顔でただ私を見ているだけ。そんな高貴な姿も美しいのだとうっとりしていれば、トン、トン、と肩を叩かれ振り返ると。
「何をされているのですか?」
「シリル」
普段より簡素な服を着たシリルが、どこか呆れたように私を見ていた。
「あれ?もっと後で来るって聞いていたのに、早かったね」
「兄上に会える時間は多ければ多いほどいいので」
友のためではなく、どうやら兄であるリオルガとの時間を確保するためにいそいそと来たらしい。
「それで、何を?」
「ゴッドと親交を深めているところだよ」
右手にブラシと左手にニンジンを持ちながらそう言うと、背後からまたもや尻尾が飛んできた。
「馬相手に何をしているのだか……」
シリルはゴッドを横目に溜息を吐くと、リオルガに「今日はよろしくお願いします」とはにかんだ。
とてつもなく可愛らしい笑みを零すシリルは、黙って立っていたらゴッドと並ぶくらい綺麗なのに、私の方へ向き直った途端いつものツンと澄ました顔になってしまう。
「……似ているかも」
「何がですか?」
「ゴッドとシリルが……あ」
そう口からポロっと零すと、シリルの口角がゆっくりと上がっていく。
「似ているとは?」
「それは……」
さっさと吐けというシリルの圧に負け、ガクリと肩を落としながら白状する。
「ゴッドは、この通り綺麗で高貴で、それでいてとても良い子なのに、ツンが……あの、素直じゃないというか、わざと冷たく振る舞うようなことがあるんだけど、そういうところが似ているなって」
「馬と、似ていると?」
シリルは一瞬だけ言葉を失ったあと、ゆっくりとゴッドへ顔を向けた。
「まさか、馬と同じだと思われていたとは」
「えっ、と、嫌だった?」
「嬉しい人などいないと思いますが」
「でも、ゴッドはこんなに美しくて、馬界の中の王様のように高貴だよ」
「では僕のことも、美しくて、高貴だと思っているのですか?」
「うん」
勿論だと即答し、高貴オブ高貴は当然リオルガだとそちらへ顔を向けると、くいっと上着の襟元が引っ張られ、思わずのけぞった。
「えっ、え……」
驚いて見上げると、私の襟を咥えているゴッドが。
「ゴッド……?えっ、あの……わっ、引っ張らないで」
そのままずるずると引っ張られ、ゴッドの横へ配置されてしまった。
「……ブラッシング?」
触ってもいいぞとばかりに顔を上げたゴッド。そっと首元へブラシを当てても尻尾は飛んでこず、歓喜に震えながら優しくブラシをかけていく。
いつもは私が何をしようと拒絶するというのに、これはどうしたことだろう……!
「随分と傲慢な馬ですね」
「ゴッドは傲慢じゃないよ。とても良い子で、隠せない気品が漂っていて、見惚れるほど美しい馬だよ?」
「気品や美しいのは否定しませんが、良い子ですか?どう見ても態度が悪いと思うのですが」
「それは愛情表現だよ」
「主人を引きずって、ブラッシングをさせるのが愛情表現だと?」
「いつもは触らせてもくれないよ?」
だからこれは立派な愛情表現なのだと胸を張れば、シリルは首を横に振って見せた。
「そもそも、そのセンスのない名前は何ですか?」
「神だからゴッドだけど?」
「……」
「チャンピオンと悩んだんだけど、そっちだと強そうな感じがしてゴッドには似合わないかなと」
「すごいのめり込みようですが、兄上の馬の方が大きくて綺麗ですよ?しかも、白馬です」
「……白馬」
それは是非とも見てみたいと目を輝かせると、リオルガが「家におりますよ」と教えてくれる。
「王都にある家?」
「はい。そこに僕の馬も、勿論白馬です」
「シリルも……」
絵物語に出てくる王子様のような二人だから、白馬はとても似合う。
本物の王子様であるクリスは白馬というより漆黒の馬という感じだし、ソレイルは……ポニーのような可愛らしい馬が似合いそう、とそんなことを考えていると。
――ペシッ。
頭に尻尾が飛んできた。
「……っ、ゴッド」
とても軽く叩かれているので痛くはないのだけれど、段々とリオルガの目が怖くなってきているのでやめてほしい。うちのお母さんは怒らせると怖いのだと、身を以て知ることになってしまう。
「嫌われているのでは?」
「とても仲良しだよ。ね、ゴッド……ゴッド?」
深い青の瞳にジッと見られ、綺麗だなあと思いながらハッとする。
これはブラッシングの手を止めるなということだと思い、慌てて再開しようとすると、またもやくいっと上着の襟元が引っ張られた。
「……シリル」
「練習をした方がよろしいのでは?ひと月なんてあっという間ですよ」
「あ……!」
そうだったと、本来の目的を思い出し離れると、リオルガがゴッドの頭に手を添え頭絡を付けていく。革の帯を通し、金具を留め、そこに手綱を付けると、太い横木を押し上げた。
「では、ゴッドを外に出しますので、二人は先に馬場へ」
リオルガに連れられ外へ出るゴッドはどこか機嫌がよさそうに見える。
「ゴッドだけじゃなく、他の馬もリオルガのことが大好きだよね」
「馬はとても繊細で臆病な動物ですから、穏やかで落ち着きのある人を好むといいます」
ゴッドだけではなく、あの馬小屋にいる馬は皆、リオルガに驚くほど懐いている。
「そういえば、王子宮殿で騒ぎが起こったと父上から聞いたのですが」
声を潜めたシリルの言葉に、第一王子のお茶会後のことだろうと小さく頷く。
「第一王子殿下のお茶会に招待された下級貴族の子供達が、私を見かけて王子宮殿の中まで追いかけてきたみたい」
「追いかけて……?」
「不審者だと思われたみたいだけど」
「だとしたら、侍女か侍従に言って確認させるべきでは?何故、自ら動くのか」
理解できないといった顔をしたシリルは、少し考えたあと「あの男爵令嬢ですか?」と口にした。
「メリア?」
「はい。普段は無視する下級貴族と妙に親しくしていたので。ただ、男爵令嬢である彼女の本来の立ち位置はそちらなので深く考えていませんでした。まさかと思いますが、関わっていますか?」
「多分」
どう見てもメリアの言動はおかしく、クリスとソレイルの援護がなければ彼女も処罰対象だったはずだ。
「もうメリアに付きまとわれてはいないの?」
「そうですね……あれ以降、初めて顔を合わせましたが……妙に大人しくて、どこか変だった気も」
頻繁に王妃様のところへ通っていると聞くし、きっちり教育されているのかもしれない。
だとしても、あの急な変化には違和感しかなく、大人しいと思ったらこうして何かしら騒ぎを起こすのだから信用ならない。
「お茶会に最後まで残るべきでした」
「最後までいなかったの?」
「残るよう、それとなく言われましたが、変に噂が立つと困るので会の半ばで退出しました」
珍しく落ち込んでいるシリルに苦笑し、トン、トン、と背中を軽く叩き慰める。
「お茶会後のことだったから、最後まで残っていたとしても同じだったと思うよ」
「……それもそうですね」
「うん」
「周囲が心配しますので、自衛くらいしっかりしてください」
ほんの少し前までしょんぼりしていたのに、もうツンとするシリル。
やはりゴッドとシリルはそっくりだと思いながら、ゴッドに馬具を付け始めたリオルガの下へ向かう。
「狩猟会では兄上と一緒に馬に乗るんですよね?」
「そうだよ」
当初の予定では、私の背丈ほどの高さしかない小柄な馬に一人で乗る練習をするはずだった。馬具も全て私に合わせて特注されていて、子供用の小型鞍は深めに作られ、鐙は短く、手綱は軽くて、握力の弱い私でも扱える物になっている。
そして、どの馬具にも小鳥のマークが入っているという手の込みよう。
――けれど。
「狩猟会まで日がないのと、小柄な馬に一人で乗るのは危ないみたい」
小柄な馬だとはいえ、歩くだけでも大きく揺れる。その揺れに耐えるためには身体をしっかりと支える筋力が必要になる。だからまずは剣術で身体を作り、それから一人で乗って歩行訓練に入ることになった。
それに、狩猟会では成馬が何十頭と集まる。その中に小柄な馬が交ざれば、体格差で押されてしまう危険がある。大きな馬は歩幅も広く、ちょっとした動きでも小柄な馬には強い圧力となり、蹄が当たるだけでも大怪我につながるのだとか。
ではそこに近付かなければいいのでは?と思うが、一緒に行動するクリスとソレイルは成馬なので、一人乗りは見送られてしまった。
「乗馬の練習も、暫くはリオルガと一緒にゴッドに乗って、馬に慣れるところから始めるみたい」
「小柄な馬だとしても、リスティア様だと……すぐに落ちてしまいそうですしね」
シリルにジッと上から下まで見られ、ふっと笑われた。
「リスティア様、どうぞ」
リオルガが私の腰に手を添え、軽々と抱き上げた。ふわりと身体が浮き、ゴッドの背の上にある補助座へ座らされる。
地面が急に遠くなりきゅっと縮まっていると、リオルガが落ち着かせるようにそっと私の肩を叩いた。
「そのまま」
「はい」
手綱を調整し、ゴッドの首筋を軽く撫でたリオルガは、長い脚をひと振りで鞍へ掛け、軽々と私の後ろへ跨った。
「歩きますよ」
「わ……っ」
村から王都へ戻って途中、イシュラ王と一緒に馬に乗ったときは、コアラのようにしがみついていたので全く何ともなかったのだけれど、こうしてちゃんと乗るとなると話は別で、思っていたよりもずっと難しい。
ゴッドがゆっくりと歩き始めると大きな身体が上下に揺れ、私の身体もぐらぐらと振られる。必死にバランスを取ろうとして、思わず手綱を強く握ってしまった。
「以前よりはとても上手に乗れていますよ」
褒めて伸ばすリオルガにコクリと頷き、今日もお尻と足が筋肉痛になるだろうと覚悟を決める。
「もういっそ、兄上の腰に紐で縛っておけばいいのでは?」
そう真顔で言うシリルに返す言葉が見つからず、頬を膨らませた。




