伴侶候補
「慣れればすぐですよ。大丈夫です」
優しいリオルガに励まされながら、何とかバランスをとる。
揺れに合わせて私の身体が前に倒れないように、リオルガが支えてくれているが、狩猟会当日は何時間も馬に乗っていなければならない。
「せめてふらふらしないようにしないと」
「歩行の揺れに慣れたら少しだけ走らせてみましょうか」
「飛んでいかないようにするね」
決意するようにそう言うと、横を歩いているシリルが「飛ぶ?」と首を傾げているが、飛ぶのである。
初日の訓練のとき、こうしてリオルガとゴッドに乗り、思っていた以上に楽しくて調子に乗り走らせてもらった。
すると、歩行の揺れとは比べものにならないくらい大きく身体が跳ね上がり、危うく鞍から飛んでいきそうになったのだ。慌てて手綱を握りしめ、リオルガが後ろから抱き留めてくれなければ、ぴょんと飛んでいってしまっただろう。
「乗馬ってとても危険なものだよね……」
「馬は生き物ですからね。思い通りにはいかないものですから」
そんなことを話しながら馬場を一周すると――。
「おーい、リスティア!」
遠くから声がして振り向くと、木剣をぶんぶんと振っているソレイルと、ノクトを連れたクリスがいた。
「あの二人がどうしてここに?」
「授業予定を押さえられているようですね……降りましょうか」
先に降りたリオルガが私の腰に手を添え、それを確認してから鞍から身体を持ち上げ、鐙から足を外す。
「っ……わっ」
重心をうまく取れず、身体が横へ倒れそうになった私を、リオルガが軽々と抱き上げた。
「……ありがとう」
「いえ。降ろしますよ」
ふわりと身体が浮き、丁寧に地面に下される。
「今、落ちそうになっていなかったか?」
それを見ていたらしく、木剣を肩に乗せたソレイルがきょとんとした顔でそう口にした。
「馬から降りるだけなのに」
「ちょっと体勢を崩しただけです」
「ちょっと?」
どうしてそうなったのか理解できないといった様子で、ソレイルはゴッドと私を交互に見ながら心底不思議そうに言葉を続ける。
「乗馬なんて座学や礼儀作法より楽だろう?」
ソレイルは座学もそれなりに優秀ではあるが、乗馬と剣術はクリスよりもできると聞いた。
きっと脳みそまで筋肉で出来ているのだろうと半眼しつつ、「人それぞれです」と訂正しておく。
「ただ乗って降りるだけだぞ?」
「乗って降りるだけでも大変な人もいるんです。そもそも、見てください」
私はソレイルの前に立ち、自分の頭の上で手を横に振ったあと、背伸びをしてソレイルの頭の上で同じように手を横に振って見せた。
「ほら、これだけ身長が違うのですから」
「なるほど。小さいと大変なんだな」
そうかと頷いたソレイルは、少しだけ考える素振りを見せたあと、勢いよく話し始めた。
「少し見ていたが、背筋は曲がっているし、足の使い方も悪い。馬が少しでも速くなると膝が浮いていたし、足が馬体に沿っていないから揺れに負ける。膝で支えられないと、重心が上に逃げて体勢を崩す。それと、爪先が外に向いていた。あれでは力を入れられないから、後ろにクラウディスタ卿がいなければ落ちてしまう」
とても正しく指摘したあと、ソレイルはポン……と私の頭に手を乗せ、「励め」と鼻で笑った。
「……ふっ、っ」
横で私とソレイルのやり取りを聞いていたクリスが笑いを堪えきれず吹き出し、「ごめん」と小さく謝るが、肩が小刻みに震えている。
「クリスお兄様」
名前を呼ぶと、クリスは口元を押さえながら、どうしようもないというように目を細めた。
「っ……はは、だって、おかしくて」
「おかしいことなどありましたか?」
「ふっ、はは……」
何がおかしいのか本気で分かっていないソレイルの背中を、クリスは軽く何度か叩きどうにか笑いを抑えた。
「凄いよね。悪意なく未熟だと言うのだから」
「み、未熟だと言ったわけでは」
「分かっているよ。でも、そういうところが凄いよね、ってこと」
嫌味でも皮肉でもなく、ただ楽しげにそう言うクリス。
ソレイルはただ純粋に駄目だったところを指摘してくれただけなのだろうが、クリスだったらその指摘を相手のために使うことはなく、攻撃する材料として使うのだろう。
「どうやら、リスティアは剣術だけでなく馬術も出来ないようだね。身体を使うことは苦手なのかな。でも、最低限は出来ないと、狩猟会もその他の場でも、それを必要とされるときに使えないのでは話にもならない。父上のようになりたければ、全ての民の模範とならなくてはね」
それが正しいとでもいうように、こちらはふんだんに悪意を混ぜてきた。
「小さいというのを言い訳にしてはいけないよ。だって、大きくなったとしても力では敵わないだろう?」
言われていることはどれも間違ってなどいなく、今の私に返せる言葉はない。
仕方なくただ黙って微笑みながら、脳内でクリスを足蹴にして高笑いする筋肉まっちょな自分を想像する。
「励み」
ます……と、そう最後まで口にする前に、背後にいたシリルが前へ出て、私を背に庇うように立った。
「どうやら第一王子殿下は、勘違いされているようですね」
勘違い?と、クリスもソレイルも、私と同じことを思ったらしく、同時に小首を傾げる。
「王女殿下の場合、馬術や剣術が未熟であったとしても何も問題はありません」
「どうしてかな?」
「伴侶が補えばいいのですから」
「……伴侶」
「っは!?伴侶……」
コクリと頷くシリルの言葉に驚き、クリスとソレイルが思わず声を漏らす。
私はというと、ああ、その手があったと感心しながら、騎士団や常備軍といった強そうな職種を模索し始める。
「なるほどね、伴侶が補えばいい、か」
その言葉の何かがクリスを刺激したのだろう。
穏やかだった声も眼差しも酷く冷たくなり、纏う雰囲気が一瞬で変わった。
「そうだね、王女であればそれでいいのかもしれない。でも、リスティアはただの王女ではなく次期王候補を狙っているんだよ。自分の無能を伴侶に補わせるなんて、そんな甘えが許される立場かな?」
それは甘えだと、そうはっきり告げたクリスに、シリルはふっと笑った。
「甘え、でしょうか?王は一人で立つものではありません。王が伴侶に支えられることは弱さではなく、王として当然の在り方です。王の伴侶とは、王を補い、支え、守るために存在する者。己の全てを差し出し、命を捧げる覚悟で王を支える、それが王の伴侶の務めです。王が全てを一人で背負うなど、むしろ愚かではないでしょうか?」
「……愚か、か。そこまで献身的で、優れた伴侶であればいいけれどね」
目を伏せ、そんな者などいないとでもいうように痛ましく笑ったクリスに、シリルがゆるく首を振り。
「幸いなことに、優れた伴侶候補がこうして身近にいます」
自身を指差した。
「……ん?」
あれ?と、クリスは目を瞬かせ。
「は……?」
シリルをまじまじと見つめるソレイル。
「えっ、と、シリル?」
私は、着地点がどこかおかしいぞ?とシリルの肩をそっと叩いた。
「何か?」
「伴侶候補って」
「言葉通りの意味ですが……僕では不満だと?家柄もよく、持参金も多く、年齢も問題ない。政治的立場も国王に絶対的忠誠を誓う国王の矛と称される家です。そして何より、美貌、気品、教養を兼ね備えていますが?」
「そうではなくてね」
「それに、兄上はリスティア様の護衛騎士であり、既に忠誠を誓っています。その弟であれば何かと都合が良いかと思ったのですが……まさか、兄上を狙っていたわけでは」
カッと目を見開き、怒気を含んだ声音に、「狙っていません!」と必死に否定する。
絶対的忠誠を誓っているからと言っていたくせに、大好きな兄のことになるとその忠誠心がどこかへ吹き飛ぶのだから、シリルが伴侶では駄目だと思う。
そもそも、伴侶になる理由が私のためというより、ずっとリオルガといられるからという方が大きいように見えるのだけれど。
「その話は取り敢えず一旦、置いておいて」
両手を軽く上げてシリルに向かってそう言ったあと、クリスとソレイルの背後に向けて「どうしてここに?」と声をかけた。
「見学ですよ」
本日もとても美しいジルが、低い柵に腰かけ、手に持った日傘をくるくると回しながら笑みを浮かべる。
「乗馬と剣術の訓練をされていると聞いたので、見学に。随分と面白そうな話をされていましたね」
「盗み聞きですか?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。堂々と聞いていましたよ」
まったく、この人は……と呆れていると、クリスが眉根を寄せ「ゴルジ卿?」と呟いた。
「王子殿下方もいらしたのですね」
「ゴルジ卿が、わざわざ見学に?」
「ええ、座学も礼儀作法も短期間で修められた王女殿下ですから、他のご才能はどれほどのものなのかと興味がありまして」
「興味、ね……」
クリスは肩を揺らして笑うとジルへと歩み寄り、ゆっくりと顔を近付けた。
「主を決めたようですね」
皆に聞こえるようにそう言うと、ジルは肩を竦めて微笑んだ。
「さあ、どうでしょう」
「貴方が理由もなくこうして顔を出すはずがない。それに、興味など、そんなもの父上以外に口にしたこともないのでは?」
「ただの気まぐれですよ」
「ああ……そうか。誰が裏で手を回しているのかと思えば、貴方でしたか」
「さて、何のことでしょう」
「それを教えるために、ここへ来たのでは?」
「考え過ぎではありませんか?偶々、時間が空いていただけで、意図はありませんよ」
「矛と盾が揃ったか」
憤るでも焦るでもなく、ただ事実を淡々と受け止めるように呟き、クリスは背を向けノクトを連れ歩き出した。
「え、兄上……!?」
ソレイルは慌ててその後を追い、馬場を出て行った。
「ジル……」
何しに来たのだと睨む私をよそに、本人はまるで気にも留めていない様子で、いたずらが見つかった子供のように軽く笑う。
「気付かれたようですね」
「気付かせた、の間違いですよね?」
「私は何もしていませんよ。まあ、気付かれるかなとは思っていましたが」
平然としているジルに近付き、日傘を没収する。
「あっ……!」
「王妃様にもすぐに伝わりますよ」
「問題ありません。矛と盾が揃った以上、貴族会議での可決はほぼ確定しています。数週間後には、正式に次期王候補として認められるでしょう」
「それまで待たなくてもよかったのですか?」
「むしろ、今のうちに知っていただいた方が良い。次期王候補が確定すれば、王妃殿下とオルダーニ侯爵は王女殿下を排除するために動くでしょう。嫌がらせで済む段階はもう終わっています。立場を奪うことが出来ない以上、狙われるのは命です」
「そうすると、暗殺に毒殺……あとは」
「狩猟会での誤射、落馬、それと初舞台となる夜会での転落など。これらはどれも事故として処理しやすく、仕掛けてくるとしたらそのあたりでしょうか」
「どれもありそうですね」
「こうした手口は昔からよく用いられているものです。対処は難しくはありませんが、決定が下りてから急に動かれると事前の動きを察知できません。暗殺計画というものは、表に出る前の準備段階を追うことが何より重要ですので」
それはそうかと頷けば、ジルは「豪胆ですね」と愉快そうに口元を緩めた。
「それと、王子宮殿ですが、統括宮殿ほど出入りが厳しくありません。正式なお披露目までは王子宮殿で生活されますが、この期間は王妃殿下とオルダーニ侯爵が最も動きやすい時期でもあります。王妃殿下から権限を取り上げたとはいえ、人を紛れ込ませることは容易かと。そのため、王子宮殿の侍女と侍従は全てクラウディスタ、ゴルジ側で固めます。食事は二重に検査し、部屋の周辺には常時護衛を置かせていただきます」
「分かりました」
手に持っている日傘を見つめ、これではないとぽいっとジルに返し、木剣を取りにいくことにした。




