お仕事見学
――コン、コン、コン。
厚い扉は音をほとんど通さず、執務室の奥から返事は聞こえてこない。その代わり扉が内側から開き、ローガットが姿を見せた。
「……王女殿下?」
私を見て目を瞬かせたあと、皺の刻まれた目元がふっと緩み、「どうぞ」と横にずれたローガットに中に入るよう促される。
「陛下は政務の最中ですが、王女殿下がお越しだと聞いたら喜ばれることでしょう」
それはどうだろうかと苦笑しながら執務室の中へ足を踏み入れ、「あれは……」と奥にいる人を指差し、隣にいるジル・ゴルジを見上げた。
「国王陛下ですよ」
当然だろうと言わんばかりの顔で返されても困る。
ぼさぼさの髪に、目元にはうっすらと影。机に突っ伏すような姿勢で書類をめくり、物凄い速さでペンを走らせたあと、親の仇かのように印を押している人物がイシュラ王だと誰が思うだろうか。
どこからどう見ても、徹夜続きの下っ端である。
「あれは、大丈夫なの?」
「昨夜は珍しく二時間ほど仮眠を取られていたので、問題ありませんよ」
「二時間……?それは問題あるのでは」
「仮眠を取る余裕があるのであれば、大丈夫だと思いますよ」
どうということはないと話すジル・ゴルジと、心配する必要はないと言うリオルガ。
あれが通常なのだとほのほのと笑う二人など当てにならないと判断し、ローガットを見ると静かに首を横に振られ、やはり大丈夫ではないのだと呆れる。
「重要な政務はないと言っていませんでしたか?」
「ありませんよ。ただ、量は変わりませんので」
そう言って、ジル・ゴルジは別の机に置かれていた書類を手に取り、イシュラ王の机にどさりと置く。
すると、その音に反応してイシュラ王がゆっくりと顔を上げ、パチッと目が合った。
「……リスティア?」
くたびれた姿なのに、どうしてこうも品があるのか……。
そんなことを思いながら近付くと、イシュラ王はかけていた眼鏡を外し、大きく伸びをした。
「……っ、はあ。お前を連れて来たのは、ジルか」
「はい。遊びに来ないかと誘われたのと、どういった雰囲気なのか知っておくべきだと言われたので」
「陛下のためにお迎えにいってきましたよ」
「菓子を食べに行っただけだろう」
よくお分かりでと笑うジル・ゴルジと、そんな彼を鼻で笑うイシュラ王のやり取りは、主従というより長年の友人のように気安い。
次期王候補の盾というより、イシュラ王の盾と言われた方がしっくりくる気がする。
「それで、この部屋に遊ぶものなどないが」
「遊びに来たといっても、本当に遊ぶわけではありません」
「……そうなのか?」
目頭を指で揉み、首をゆっくり回したりと、どう見ても疲れているイシュラ王は、頭が上手く働いていないのだろう。
たたっ……と机の横へ回り込み、イシュラ王の側まで行くと、腕にいた小鳥の人形を膝の上に置いてあげた。
「おい」
枕にもなり、クッションにもなる、ちょうどいい固さの人形だと頷いて見せれば、何故かイシュラ王の眉間にぎゅっと皺が寄った。
「それ、ありがとうございます」
「……気に入ったか?」
「頭を置くのに最適でした」
「頭……?」
イシュラ王は小鳥の人形を両手で持って掲げ、様々な方向から眺めたあと「頭?」と首を傾げた。その姿は妙に幼く見え、やっぱり頭が回っていないのだと溜息を吐く。
「休憩……というよりは睡眠の方が必要そうですけど、それが無理なら適度に休んでください。しばらくはここにいるので、頃合いを見て休憩させますからね」
適当に暇を潰しながら監視しておこうと思いそう告げると、後ろから肩をトン、トンと叩かれ振り返る。
「机と椅子をご用意してありますので、どうぞ」
「へ……?」
あちらにとジル・ゴルジが手で指し示した先には、小さな机と椅子が。それをイシュラ王のすぐ隣へ移され、瞬く間に椅子に座らされていた。
(すぐ隣で監視しておけということだろうか?)
そう思いジル・ゴルジを見ると、彼はニッと笑みを浮かべ。
――ばさっ、ばさ、ばさ……。
私の机の上に、紙束と冊子を積み上げた。
「これ……」
何故かペンまで置かれ、呆然としながら机の上とジル・ゴルジを交互に見て尋ねると、彼はイシュラ王の机の上にも書類を積み上げながら「仕事です」と口にした。
「言語も算術もでき、深い知識もお持ちなのですから、とても簡単なお仕事ですよ」
「でも」
「機密文書などはありませんし、小さな村や町に対してのものばかりです。王族として初めて行う政務としてはちょうどよい内容かと」
「おい、ジル」
「何もせず座っているだけでは退屈でしょう。それに、こうして並んで政務をしていると仲の良い親子のようですよ」
「……」
「では、どんどん進めてください」
一瞬、ジル・ゴルジを止める素振りを見せていたイシュラ王は、何か考えたあとふいっと顔を逸らして政務へと戻ってしまった。それを見て、私も観念して紙束へと手を伸ばす。
「どんどん追加がきますからね。退屈している暇などありませんよ」
手を叩き、満面の笑みで促すジル・ゴルジは、何だかとても生き生きとしていた。
時刻はどれくらいだろうか――。
「……うー……終わった?終わり?もうなし?」
唸るようにそう呟き、机の上を鋭い眼光で隅々まで見回す。
すると、隣から吹き出す声が聞こえ、「何ですか」とキッと睨み付けた。
「いや、随分と集中してやっていたな」
「集中しないと終わりそうにない量が置かれていたんです。しかも、追加だと言っておかわりまでくるんですよ」
諸悪の根源はどこだ!と執務室内を探すも姿はなく、私の唸り声だけが静かな部屋に響く。
「疲れたのか?」
「あれを見てください、あれ。あの量を一度にやらされたんですから、疲れもします」
「そうか……俺も流石に、疲れたな」
深く息を吐き、ぼさぼさの髪をかき上げたイシュラ王は机に肘を突き、私に向かって微笑んだ。
(これは、相当疲れているかも)
無表情、無口が標準装備で、弱音など吐きそうにない人がこの有様なのだ。これはもう、末期である。
「それで、ジル・ゴルジは……はっ、まさか追加を」
「それで終わりだ」
「っはー……よかった」
「あいつなら、軽食を摂りに行くと言っていたが」
「あ、休憩……!」
イシュラ王を休憩させるはずが、何故か自分も休憩なしで働かされていた。
ぺたっと机に突っ伏し、ジル・ゴルジめ……と心の中で呪う。合間にリオルガが飲み物を飲ませてくれていなかったら、干からびていた。
「これで、お仕事は終わりですか?」
「……いや」
「まだ何かあるんですか?」
「あれだ」
イシュラ王が指差した先には、目を疑いたくなるほど積み上げられた巻き文が。今の時期になると各領地からぞくぞくと報告が届き、それに対しての回答を求められるのだとか。
「ちゃんと、寝ていますか?」
「ああ」
「じゃあその目元の影は何ですか」
睡眠時間が足りていないのだと非難すると、苦笑したイシュラ王は自分の目元を指で撫でた。
「いつものことだ。気にするようなことではない」
「いつか倒れますよ」
「今まで倒れたことは一度もないが?」
「それは若かったからです。もう歳なんですから、身体を第一に考えないと」
「……」
「あと、食事もきちんと……っわあ!」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられ思わず声を上げると、イシュラ王は「誰が歳だ」と言いながら、さらに容赦なく髪をかき回してきた。
何をするのだ!とその手をバシバシ叩いていると執務室の扉が開き、ジル・ゴルジが軽食を持って戻ってきた。
「随分と楽しそうですね。軽食をお持ちしましたので、休憩を。急ぎのものは?」
「あらかた終わった」
「それは上々です……王女殿下も?」
「渡された分は終わりました。あ、もう駄目ですよ。王子宮殿に戻って夕食を食べるので」
「こちらで食べていってもよろしいのですよ?」
「今日はお肉の日なので嫌です」
そうきっぱりと断り、ジル・ゴルジに向かって腕をバツにすると、ははっと笑われた。
「まだまだお子様ですね」
机の上にハムの挟まったパンと果物が置かれ、今だけはお子様でいいとフォークを持つ。
「こちらもどうぞ。まだ熱いので、お気を付けてください」
「ありがとう、リオルガ」
ふわっと甘い匂いのする紅茶に頬を緩めた、その直後。
「はい、どうぞ」
ジル・ゴルジが、フォークで刺したぶどうをずいっと私の口元へ差し出してきた。
「……何ですか?」
「どうぞ、そのままお召し上がりください」
はい、どうぞと言われて食べるほど仲はよろしくないのだと、楽しげなジル・ゴルジに向かって首を横に振り、リオルガを見上げた。
「お任せください」
何も言わなくても、うちの頼もしいお母さん兼護衛騎士兼侍従であるリオルガには伝わったらしい。
ベシッ!とリオルガによってジル・ゴルジの手が叩き落された。
「ふざけているのか?」
「それはこちらが言うべきことかと。何をなさっているのですか?」
「お子様なのだから、食べさせてさしあげようとしただけだ」
「必要ありませんので、以後そのようなことはされませんように」
「何故お前が決める」
「私はリスティア様の護衛騎士ですよ」
顔を合わせる度にバチバチする二人を眺めながら、薄く切られたリンゴをもぐもぐと食べる。
国王の矛と盾だというのに、どうしてこんなにも仲が悪いのだろうと考えながら、自分が食べる合間にフォークで刺したぶどうをイシュラ王の口元へせっせと運ぶ。
「……俺にまで食べさせる必要はないと思うが」
「こうでもしないと食べないからです。はい、どうぞ」
渋い顔をしながらも大人しく果物を食べるイシュラ王に良い子だと頷き、ローガットとニヤリと笑い合う。食べられるときに食べさせないといけないという謎の使命感に取りつかれ、パンまで完食させた辺りで王子宮殿へ戻ることにした。
「思っていたよりもまだ明るいけど、お茶会は終わったのかな?」
「先ほどイルダが終わったと報せにきましたので、心配されることはありませんよ」
何事もなく終わればいいと思っていたけれど、こうもあっさりと終わると逆に心配になってくるのは何故なのか。しょぼしょぼする目を細めながら王子宮殿へ戻り、まだ片付けられていない庭園を一瞥し、中へ入る。
「よし!」
誰にも会わず無事に戻って来られたと胸を撫で下ろし、あとはもう夕食を食べて眠るだけだと気を抜いていたときだった。
「ねえ、そこで何をしているの」
王子宮殿内で聞くはずのない子供の声に驚き、思わず振り返った。




