狩猟会
社交シーズンの終わりを告げる狩猟会。その準備に取りかかるため、貴族会議が終わった翌日から王宮は慌ただしくなった。
春の訪れと共に始まる社交シーズンでは、各地の領地から貴族達が王都へ移り住み、高位貴族の夫人方が開くお茶会を皮切りに、大小様々な催しが続いていく。各家が主催するお茶会や夜会が連日開かれ、社交界に初めて姿を見せる令嬢達のデビュタントも王宮で催される。
夏になると社交シーズンは終わりを迎え、その締めくくりとして王族が所有する森で狩猟会が行われる。その頃になると、ほとんどの貴族達は領地へ戻り、王都に残っているのは中枢を担う高位貴族の当主だけとなる。そうなると狩猟会は毎年同じ面々となり、政務で常に顔を合わせている者同士だからこそ、互いに譲れない意地がぶつかり本気の狩りになるという。
その狩場となる森は王宮の背後に広がる、城壁の外側へ続く広大な私有地である。古くから王家の私有地として管理され、王都の住民が立ち入ることは固く禁じられてきた。
王族が行う狩猟会や行事など、全てこの森で執り行われるのだとか。
森の中には狩猟に適した獣道や、整備した見張り台、休憩用の小屋などが点在している。王宮から近いが、奥へ進むほど人の気配は薄れ、王都の喧騒とは無縁のとても静かな場所。
狩猟会の際には騎士が森の入り口から奥まで配置され、緊急時には王宮へすぐ戻れるよう小道まであるらしい。
「っ、へ……くしゅん」
ずずっと鼻水をすすると、またくしゃみが。
今日は朝からくしゃみが止まらず、花粉症だろうか?と布で鼻を押さえると、側にいたリオルガが怪訝そうな顔で私の額に手を当てた。
「熱は……なさそうですが」
「ん、っ……くしゅん」
風邪をひいたのだろうかと心配するリオルガに、大丈夫だとヘラッと笑って見せる。
ここ数日、少しだけ体調を崩していたので心配させてしまったのだろう。
「この通り動けるし、熱がないなら問題ないよ」
なるべく温かくして、滋養のあるものを食べて過ごしていたけれど、それでも風邪をひくときはひく。
それに、寒さで体調を崩すことなど日常茶飯事だった修道院暮らしを思えば、これくらいで風邪とは言えない。
「今日は熱があっても参加しないとっ……へくしっ」
「もしつらくなったら、すぐに言ってください」
「うん。だから、そんなに心配し過ぎないで」
くしゃみの所為でむずむずする鼻を押さえながら、椅子にかけてあった上着を手に取った。
今日は狩猟会なので、普段のドレスやワンピースではなく、乗馬服を着ることになっている。そこでリタが用意してくれたのは、私の体格に合わせて仕立てられた濃紺の乗馬服だった。
馬に乗り慣れていない私のために、既存の物より生地は柔らかく動きやすいものにされ、胸元には小鳥を模った留め具が。長い丈のズボンも同じ色で揃えられていて、裾を黒いブーツに収めると少しだけ背が伸びたように見える。
「リスティア様、上着のボタンを留めますね」
ボタンをひとつずつ丁寧に留め、小鳥の留め具をかけたリタは、ずっ……と鼻をすする私を見て心配そうに眉を寄せた。
「お鼻が……どうしましょうか」
「どうしても駄目だったら、綿を詰めるから大丈夫だよ」
「……綿を」
ぴたりと動きを止め、「綿」と呟くリタ。その後ろでイルダとジーナがひそひそと話し、大量の布をリオルガに手渡している。
「ねえ、リタ。リオルガに渡しているあの布は」
「リスティア様。やむを得ず綿を詰めたとしても、その上から必ず布をお使い隠してください」
何に使うのだと訊く前に用途を教えられ、綿を鼻に詰めて外へ出すわけにはいきませんよ?という強い圧を感じ、ぶんぶんと顔を縦に振って頷く。
渡された美しい刺繍の施された薄手の布は、ベールのようにも使え、顔に巻いても品があるのだとか。
「それじゃあ、行ってきます」
扉の前に並んだリタ達に手を振って挨拶をし、リオルガと一緒に部屋を出た。
村にあった森の話、王都の森はどれほど広いのか、狩猟会ではどんなことをするのかなど、そんなことを話しながら足取り軽く王子宮殿から出ると、外では侍女や侍従達が森へ向かう支度に追われていた。向こうに持っていく荷物が多いらしく、何度かに渡って運ぶらしい。
「お兄様達は?」
「第一王子殿下は、既に向かわれているそうです。第二王子殿下はまだ支度をされている途中だと」
「私達は午後からだから、ゆっくりでもいいはずだよね?」
午前中は大人達の意地をかけた本気の狩りなので、そこまで早く向かう必要はない。
なので、できることならゆっくり起きて、午後から向かいたかったくらいなのに……。
「王妃殿下は、謹慎が解けてから久々の公の場になります。ですから、第一王子殿下が側に付き、不安を抱く派閥の者達を落ち着かせるのではないでしょうか」
「ああ……それで」
貴族会議で次期王候補として可決されたことは、王妃様もクリスも既に知っているはずで……。
王妃様のあの無言の睨みと、クリスの容赦ない毒舌を思い浮かべ、王族用の天幕に一緒に押し込まれるとかどんな修行なのだろうと眉を下げる。
「やっぱり、午後からにしようかな」
「それですと、陛下がお怒りになられるかと」
「うぐっ……」
私の狩猟会での出番は午後からなのに、イシュラ王に「午前中から来い」と言われ、こうして早い時間から支度をして向かっている。
午前中に何があるのだと尋ねてみても、「来れば分かる」としか答えず今に至っている。
「何がしたいのか、よく分からない人だよね」
お母さんはあれとどう意思の疎通をしていたのかと溜息を吐くと、リオルガがふっと微笑んだ。
「きっと、獲物を見せたいのだと思いますよ」
「……獲物?」
「はい。陛下は毎年、かなりの数の獲物を仕留められていますから」
「どれくらい?」
「大型のものですと、鹿を必ず一頭は仕留められていますし、年によっては二頭ということもあります。あの森は管理されているものなので、獣の数が限られていますから、確実に大型のものを仕留められるのは相当な腕前ですよ」
「大きさはどれくらい?鹿の他には何を?」
もしかしたら熊とか猪もいるのでは?と目を輝かせながら尋ねると、リオルガが少し驚いたように瞬きをした。
「リスティア様は、怖がられないのですね」
「怖い?」
首を傾げると、リオルガは口元に手を添え、少し考えてから言葉を続けた。
「狩猟会は森に生息している生き物を狩りますので、ご婦人やご令嬢方には不人気だと聞いております。それに、幼い子供は残酷だと泣いてしまうこともありますので」
「確かに、好きな人はいないのかもしれないけど」
節度や品位を学ぶ貴族の息女達には、生き物を狩る行いは粗野で残酷に映るのだろう。私だって、一度目の人生での狩猟会では目を背けていたくらいなのだから。
けれど、人間は環境が変われば順応するもので、二度目の人生では自ら包丁を持って肉や魚を調理していた。それに今の人生だって――。
「豚も鶏も、うさぎも羊も、血抜きから捌くところまで見たことがあるよ?」
「……」
いつも冷静沈着で隙のないリオルガが、絶句したまま固まってしまった。
あまりの珍しさにまじまじと見つめていると、我に返ったリオルガがそっと手を伸ばし、優しく私の頭を撫でた。
「もう、そのようなことをされる必要はありませんよ」
「そうだけど、平民はそんなものだよ?」
「そうですね」
重く頷き、どこか感心したように呟くリオルガにふはっと笑う。
眉を顰めるわけでもなく、軽んじるようなこともない。誰に対しても敬意を忘れず、立場に関わらず人を尊重できる。
貴族でこうしたことを自然にできる人は稀で、だからこそ彼のような人を育てたクラウディスタ家の人々はとてもよい人達なのだろうと思える。
「ここから森へ入れます」
王宮の裏手には森へ直接入れる専用の入り口がある。王族や王宮に勤める者だけが使う裏門で、そこから馬で数分進むと木々が途切れて開けた平地へ出るという。それとは別に、王都側にも森へ入れる道があり、貴族達はそちらから馬車でやってくるのだとか。
「リスティア様の馬は天幕近くへ移されていますので、ここからは馬車で向かうことになります」
門に用意されていたのは王族用の移動馬車。装飾は控えめだけれど、中は少しでも快適に移動できるよう工夫されているらしい。
リオルガと共に馬車に乗り込み、ゆっくりと裏門を出る。
王宮から離れると次第に緑が濃くなり、遠くに天幕の布地が揺れるのが見えた。
時折聞こえる鳥の音に耳を澄ませながら、窓から見える景色を堪能していると、広く開けた平地へたどり着いた。
「もう狩りは始まっているのかな」
「この時間ですと、既に森の中へ入られているのではないでしょうか」
馬車から降りると、そこには狩猟会のために設えられた天幕がいくつも並んでいた。その中で最も大きな天幕が王族のもので、その少し後方にある天幕は参加している貴族の当主達のもの。そしてそれらの脇にあるいくつもの天幕が、夫人達の談話用に用意されたものらしい。
「私は王族用の天幕だよね……」
さあ、苦行が始まると遠くを見つめていると、リオルガから「いいえ」と予想外の返事が返ってきた。
「王族用の天幕のすぐ側に、同じ大きさのものが見えますか?」
「同じ……あ、あった」
「あの天幕は、陛下が矛と盾であるクラウディスタとゴルジのために用意された天幕です。リスティア様はそちらに」
「いいの?」
「はい。リスティア様は次期王候補となられましたので、矛と盾がお側にいるよう陛下より命じられております。それに伴い、正式にご挨拶をさせていただくために両家も全員本日の狩猟会に出席しております」
今ばかりはイシュラ王に感謝しかなく、もしかしたらここへ来て初めてありがたく思ったかもしれない。
心の中で拍手を送りつつ、「全員?」と小首を傾げる。聞き間違いでなければ、クラウディスタとゴルジ家が全員揃っているということになるのでは。
「体調が気になりますので、午後まで天幕の中でお過ごしください。温かい飲み物と喉によい甘い物を用意させてあります」
「はい」
ここでも細やかな気配りを欠かさないお母さんなリオルガに感謝し、イシュラ王への感謝などぽいっとどこかへ飛んでいってしまいながら、いそいそと案内された天幕へ入ると――。
「……あ、れ?」
狩猟会の場とは思えないほど麗しいご婦人達と令嬢、そして端正な顔立ちの男性達が優雅に談笑していた。
(あれ?ここだよね?)
目をごしごしと擦るも変わらず、混乱したまま一度外へ出て、もう一度中へ入ってみたがやはり同じ光景が広がっている。
変わったのは、とんでもなく麗しい人達の視線が私へ集まっていることだろう。
「リスティア様、どうかされましたか?」
「……」
どうすればいいのか分からず、そっとリオルガを窺っていると。
「何をなさっているのですか?」
呆れたように私の顔を覗き込んだシリルの姿が目に入り、やはりここで間違いないのだと半眼する。
「兄上、何かあったのですか?」
「ここに来るまでは特に何も……ただ、体調が思わしくないので、ひとまず奥へ。温かい飲み物を」
「はい」
てきぱきと用意してくれるクラウディスタ兄弟に身を任せ、天幕の奥へと誘導されていく。
厚手のふかふか下敷物の上に座らされ、背にはいくつものクッションが設置され、肩にはもふもふした毛皮、手には温かいミルク。
そんな至れり尽くせりの私を、他の人達が少し離れたところから窺っているのを感じた。




