貴族会議
貴族会議とは、国王と中枢を担う貴族が集まり、国の重要事項を協議する場である。国王の権力は絶対ではなく、領地、軍事力、財力を持つ貴族は国王と遜色のない存在であり、彼等の承認や協力がなければ国は動かないとまで言われている。
そのため、貴族会議は王の決定に正当性を与え、反乱の口実を潰すための場として機能し、同時に貴族同士の利害調整を行い、国王が軍勢や税の提供を求めるための政治交渉の場でもあった。
要は、国王と貴族が互いの力を認め合いながら国を運営するための権力交渉の場であり、国王の決定は貴族の承認によって初めて国の決定として成立する。
けれど、この国は違う。
この国では、国王の判断ひとつで国が動くほど、権力が国王に集中している。他国のように貴族の承認を必要とせず、国家の重要事項は全て国王が決める。貴族会議はその決定を公の場で示し、国として正式に扱うための儀式のようなもの。
絶対王政国家では、貴族会議の目的が他国のそれとは大きく異なっているのだ。
ただし、王位継承に関しては、国王と矛と盾が指名した次期王候補を貴族会議で可決するという、伝統として残されたものが必要とされている。これは実質的な承認ではなく、反乱の口実を与えないための形式的な追認であり、ただの手続きに過ぎない。貴族は意見を述べることが許されているが、それは不満を安全に吐き出させるためのものであり、決定権は国王にある。
結局のところ、国王が決めたことを国として公表するための場なのだろう。
その貴族会議が、いよいよ始まる。
「では、入りますよ」
ジルの言葉と共に会議室の扉はゆっくりと開かれ、張り詰めた空気のようなものがこちらへ流れ込んできた。こざっぱりとした会議室の中は左右に長い机が並び、その両側に貴族達がずらりと座っている。奥には国王陛下の席があり、その右隣は空席。
「どうぞ」
そう囁き横に退いたジルの前を通り、後ろにリオルガとジルを従えた状態で会議室へ足を踏み入れれば、貴族達の視線が一斉に私へ向く。
騒めきなどはなく、重い沈黙だけ。その沈黙は歓迎とは程遠いものだと苦笑する。
(予想範囲内だわ)
平然とした姿勢のまま、会議室中央をまっすぐ進んでいく。突き刺さる視線を鬱陶しく感じながらも、イシュラ王の隣、次期王候補の席へと腰を下ろした。
(わあ……凄い顔)
貴族達の半数ほどが不服そうに眉を顰める中、オルダーニ侯爵は今にも噛みつきそうなほど露骨に顔を歪めている。
まるで、この席に私が座ること自体が許せないと言わんばかりに。
オルダーニ侯爵と彼の派閥の貴族達を牽制するようにリオルガは私の背後に控え、ジルは議長として右端の上座へ座り、とても重苦しい空気の中で会議が始まった。
「議題は、次期王候補の指名についてです」
そうジルが告げるのと同時に、オルダーニ侯爵が手を上げた。
「よろしいでしょうか」
そう尋ねたオルダーニ侯爵にイシュラ王が軽く頷き、ジルが「どうぞ」と促す。
「事前にいただいた議題資料を拝読しましたが、賛同はいたしかねます」
それを合図に、王妃派閥と思われる貴族の当主達が、あらかじめ打ち合わせしていたかのように次々と同調の意見を述べ始めた。
「王女殿下は王宮に来られてまだ日が浅いのです。次期王候補に指名するなど、あまりにも軽率かと存じます」
礼を保った口調ではあるけれど、その言葉には明確な拒絶が含まれている。
「第一王子殿下はとても優秀な方です。第二王子殿下も、まだまだこれから学ばれ頭角を現すでしょう。どちらも正統な王族であり、次期王候補として相応しい方々です」
オルダーニ侯爵は間を置かずにさらに言葉を重ねていく。
「王女殿下は平民として育たれましたので、王族として当然身につけておられるはずの基盤がまだございません。王宮での生活、貴族社会との関わりなど、これらは日々の積み重ねによって身につくものでございます。そのうえで、外交儀礼や貴族社会の習慣、王宮の政治構造といった、国王として国を導くために欠かせない知識や経験が、現時点では十分とは申し上げられないでしょう」
王妃派以外の貴族達が、オルダーニ侯爵の言葉に僅かに反応を示した。
「第一王子殿下は幼い頃より王宮で育ち、貴族達との交流を重ねてこられました。その信頼と期待は、決して軽いものではございません。民の間でも、次期王候補は第一王子殿下だと望む声が強いことは、皆様もご承知のはず。王位とは規則だけで務まるものではなく、民意と貴族の支持があってこそ成り立つものではありませんか?」
他国であれば、ここで王妃様の名を挙げて血統の正統性などを主張するところだろう。
けれど、それはこの国では制度上意味を持たないため、代わりに貴族社会の習慣、民意、教育、経験、支持基盤といった、制度の外側にあるものを積み上げていく。
村への襲撃の件や、息子のマルスもああだったので、親である侯爵も似たり寄ったりだと思っていたのだけれど、どうやら頭の悪い人ではないらしい。
「もちろん、王女殿下が矛と盾の忠誠を得られたことは承知しております。しかし、それは形式的な条件を満たしたに過ぎません。忠誠は国王の資質を保証するものではなく、王宮の実務を担うにはやはり経験と基盤が不可欠だと思われます」
王妃派以外の貴族達がオルダーニ侯爵の言葉に傾き始めているのを感じながら、なおも反対の意を唱える侯爵を眺める。
「拙速な決定は国の安定を損なう恐れがございます。王女殿下を次期王候補とするのであれば、まずは王宮で経験を積まれ、民と貴族の支持を得られるよう段階を踏むべきかと存じます」
内心ではとても苛立っているだろうに、オルダーニ侯爵は声を荒げることなく、冷静に貴族社会の価値観に沿った形で反論を行った。
だからこそ、その言葉は王妃派だけでなく中立派の貴族達にも響いたことだろう。
――でも。
「民と貴族の支持?」
皆、忘れているのではないだろうか。ここにはとても優秀で、民にも愛されている暴君がいるということを。
「言いたいことはそれだけか、オルダーニ」
イシュラ王は、まるで退屈な報告を聞き終えたかのように伏せていた視線を上げ、そう口にした。
「次期王候補の指名は規則に基づいて行う。決めるのは民でも貴族でもなく、国王と、矛と盾だ」
長々と話していたオルダーニ侯爵の言葉など意に介さず、ただ形式として貴族会議を開いただけなのだと、ここにいる者達は今やっと気付いたことだろう。
「王女は矛と盾の忠誠を得た。それが全てだ」
意見など聞いていないという言葉にオルダーニ侯爵が眉を顰めると、イシュラ王が鼻で笑った。
「そもそも、俺がそれを証明しているだろう」
「……何を仰って」
「この国には優秀な王女が二人もいた。民も貴族も、次期王候補は王女のどちらかだと望んでいたはずだ。だが、矛と盾は俺を選び、結果として国王になった。違うか?」
十二歳で次期王候補に指名されたイシュラ王。その頃には既に頭角を現していたのかも知れないけれど、年齢差のある姉二人にはオルダーニ侯爵が主張した基盤も経験も、民と貴族の支持も及ばなかったはずだ。
「王女殿下方は、王位継承権を放棄されました」
だから今話していることとは別だと、そう主張するオルダーニ侯爵の言葉に、空気が一変した。
隣からピリッではなくビリッとしたものを感じ、瞬時に身体を離す。もしこの場が大切な会議でなかったら、椅子から飛び降り逃げ出していたかもしれない。
「放棄させられた、の間違いだろう?」
普段どんな言葉にも余裕を保っているイシュラ王が、姉である王女の話題になった途端、怒りのような感情を出した。
きっと、これは触れてはいけない領域だ。
何かを察したオルダーニ侯爵も、喉が詰まったように言葉を出せずにいる。
「矛と盾が忠誠を誓う前に理不尽になされたことだ。オルダーニの言うように、全てを備えていた王女達がな」
メレーヌ様と王女達に親交がないことは聞いていた。
でも、イシュラ王と王女達がどのような関係なのかは、聞いていない。
「規則よりも、民や貴族の支持が必要だというのであれば、俺は王にはなっていないだろうな」
「そのようなことはございません」
「オルダーニは、俺の正当性そのものを否定したいらしい」
「っ……」
そうではないと否定するように、オルダーニ侯爵はゆるく左右に首を振るも、イシュラ王から向けられる圧に耐え切れず、とうとう完全に口を閉ざしてしまった。
「王女の座学、マナーと礼儀作法は、王子達と同水準だ」
イシュラ王がそう告げると、静まり返っていた部屋が騒めいた。
「王宮に来てまだ日が浅い王女が短期間でそれを成し遂げたのは、努力と才覚の証だ。経験はこれから積めばいい。これは矛と盾が支え、俺が育てる」
これ、と言いながら、イシュラ王が私の頭を掴んで引き寄せた。身体を離していたことがばれていたらしい。
「王女を次期王候補に指名する」
意見を求めたのでも、納得を促すのでもなく、国王が下した決定だった。
「以上をもって、終わります」
立ち上がったジルの閉会宣言によって、張り詰めていた空気が解けた。
取り敢えず、私の役目は終わったので早々に退出することになった。イシュラ王やジル、貴族の当主達は、次期王候補の正式な告示の時期、貴族への通達、指名儀礼の段取りと夜会の準備について話し合う必要があるらしく、リオルガと共に会議室を出た。
「……っ、はあ」
扉が閉まるのを確認したあと、詰まっていた息を吐き出し、凝り固まった首と強張った肩を解す。
「座っていただけなのに、疲れたような気がする」
「ただ座られていただけではありませんからね」
ん?とリオルガを見上げると、よくできましたとでもいうように微笑みながら頭を撫でてくれる。
「あれでも王宮中枢に名を連ねる家々の当主達です。一見すると穏やかで害がなさそうに思われますが、あれは皆、腹の底で様々な思惑を抱え、抜け目なく情勢を読み渡り歩いている者達です。それらの値踏みする視線を浴びながら、平然を装っておられたのですから、とても疲れたことでしょう」
「国王陛下のあの圧に比べたら優しいものだよね……」
あのピリッではなくビリッとしたものを思い出し、身震いする。
「でも、次期王候補になったら貴族会議にも出席するのだし、慣れていかないと」
「今日のような場は、これから増えますからね」
「それに、政務とボランティア活動も……」
そんなことを話しながら来た道を戻っていると、背後から声がかかった。
「王女殿下」
さっきまで嫌と言うほど聞いていた少し掠れた低い声。
どうしてここに?と驚き振り返ると、オルダーニ侯爵がゆっくりと歩いてきた。
「王女殿下。少しだけお時間をいただけますか」
前に出ようとしたリオルガの腕を押さえて制止すると、目を伏せすぐに動けるよう私の側に立った。
「ごきげんよう、オルダーニ侯爵。先ほどは示唆に富むお言葉をありがとうございました。おかげで、王宮の現状を改めてよく理解できました」
「……それは、何よりでございます」
オルダーニ侯爵と真正面から向き合い、ジルのあの含みのある余裕の笑みを真似て微笑む。
すると、目を細めたオルダーニ侯爵が少しだけ苛立ちをあらわにする。
「それで、何かお話でもあるのですか?」
さっさと本題に入れと促すと、オルダーニ侯爵が口を開いた。
「今日の決定は、王宮の均衡を大きく揺るがします」
僅かに身体が揺れたリオルガの手をさっと握り、大丈夫だと笑いかける。
イシュラ王の次あたりに怒らせてはいけないお母さん兼護衛騎士を刺激しないでほしいと、オルダーニ侯爵へ視線を戻す。
「王女殿下が次期王候補として立たれるとなれば、派閥の力関係は変わり、貴族達は自らの立場を守るために動き始めるでしょう。殿下に近付き利を得ようとする者、距離を置き様子を窺う者、あるいは試そうとする者。そういった思惑の中に身を置く負担は、決して軽いものではございません」
「そうでしょうね」
「それでしたら、今からでもまだ遅くはありません。先代の王女殿下方のように、ご自分から身を引かれてはどうでしょうか」
まだ九歳の子供であればどうとでも言いくるめられると思ったのだろうか。
背も低く、王族らしい気品などもないかもしれないけれど、教育水準は侯爵が優秀だと主張するクリスと同程度だと思い出してほしい。
「どうしてですか?」
「……は?」
「そもそもですが、王女殿下方は自ら王位継承権を放棄したのではなく、放棄させられたのですよ?今の私と同じように」
隣からピリッとしたものを感じたので、繋いでいる手をきゅっと何度か握っておく。
「それと、決定はもう下りましたよ」
誰が何を言おうと、次期王候補は先ほど決まった。
それをまだ受け入れられず、こうして会議を抜け出しやって来るのだから残念な人である。
「もう戻られた方がよろしいかと思いますよ。国王陛下は、オルダーニ侯爵が何をしているのか、きっと分かっていらっしゃいますから」
「……っ」
「お気遣いいただきありがとうございます。オルダーニ侯爵のお言葉を忘れず、今後に活かしてまいります」
話は終わりですよと、小さく手を振って見せれば、オルダーニ侯爵は頬を引きつらせて戻っていった。
会議室に戻りイシュラ王から睨まれる侯爵を思い浮かべ、ふっと笑う。
「よろしかったのですか?」
「よろしくなかったら、どうなっていたの?」
私の質問にふわっと、それはそれは美しい微笑みを返したリオルガを見て察してしまった。
「あれくらい、自分でどうにか出来ないとね」
「私やゴルジ卿にも任せていただかないと、仕事がありません」
二人に任せたら排除一択になるので、それは最終手段に取っておいてほしい。
「仕事はこれから嫌というほど沢山出てくるよ。狩猟会もあるしね……」
王妃様もオルダーニ侯爵も、絶対にこのままで終わらないだろう。
仕掛けてくるとしたら……というジルの言葉を思い出し、ふんと気合を入れ、繋いだままの手をぎゅっと握った。




