ご挨拶
私に注がれている視線には、興味や驚きといったものが混じっていて、突然現れた王女が次期王候補になったのだから当然だと、ミルクを飲む。
すると、一人の女性が静かに立ち上がった。
緩やかなウェーブの黒髪をひとつに結い上げ、目元と口元を深紅で彩った、目を奪われるほど美しい女性。羨ましいほど背が高く、乗馬服がとてもよく似合っている。どこからどう見てもジルの身内だと分かるその女性は、ゆっくりと近付いてくると、これまたゆっくりと私の目の前で片膝を突いた。
ジッと見つめられること数秒――まるで警戒心の強い獣を相手にするかのような慎重さに、ぱちぱちと目を瞬かせていると、女性がふはっと、それはそれは眩い笑みを零した。
「お初にお目にかかります、王女殿下。ゴルジ家当主、マルト・ゴルジと申します。陛下の盾としてお仕えさせていただいております」
ゴルジ家、当主……ジルのお母さん!?
パッとジルを見てからマルトへ視線を戻し、彼の女装のお手本が母親だったのだと気付く。化粧もそうだけれど、纏っている空気感が同じなのだ。
マルトが背後へ軽く指を曲げて見せると、壮年の落ち着いた雰囲気の男性がマルトの隣へ進み出た。その男性に続くように、年若い端正な顔立ちで体格のよい青年と、ジルやマルトに似た女性が背後に並び、三人が揃って片膝を突いたところで、マルトが口を開いた。
「こちらが夫のエゾク。そして、次男のノエル、長女のローズです。これより我が家、我が息子ジルが、王女殿下の盾としてお仕えいたします」
言葉を切るのと同時にマルトが横へずれると、ローズと呼ばれた女性と目が合った。
「ローズ・ゴルジと申します。王女殿下の側近としてお側にお仕えいたします」
黒髪の、幼さの残る愛らしい顔立ちの令嬢。淑やかで可憐な風貌なのに、私を見つめる瞳の奥がギラギラして見えるのは気の所為だろうか……。
「よろしくお願いいたします」
そう伝えるとゴルジ家の面々は下がり、代わって銀の短髪の壮年の男性が立ち上がった。
いつも目にしている柔らかな微笑みを浮かべ、穏やかな空気を纏うその姿は、リオルガが歳を重ねたらこうなるのではと思わせるほど、とてもよく似ている。
そしてその男性と共にこちらへ歩いてくる女性が、これまたとんでもなく儚げで美しい人だった。
きっと、リオルガとシリルは両親のよいところを全て詰め合わせたのだろうと、ひとり納得する。
「お初にお目にかかります、王女殿下。クラウディスタ家当主、エトン・クラウディスタと申します。隣は妻のマレーヌでございます。これより我が息子リオルガが、王女殿下の矛としてお仕えいたします。家門共々、どうかよきようお使いください」
ゴルジ家と同じように、私の目の前で膝を突き、丁寧に礼を執ったエトンとマレーヌ。二人が顔を上げると、私の側にいたシリルも両親の隣へ移動し膝を突く。
「シリル・クラウディスタでございます。王女殿下の側近としてお仕えいたします」
シリルにまで正式に挨拶してもらい、何だか気恥ずかしくなりながらもコクリと頷く。
「よろしくお願いいたします」
緊張していたからか少しだけ声が掠れてしまい、エトンとマレーヌがふわりと笑みを浮かべながら後方へ下がっていった。
これで挨拶は終わったと、ほっと息を吐きながらまだ温かいミルクを口に運ぶ。
ごくり、ごくり、と渇いた喉を潤していると、ふと視線を感じてそちらへ顔を向けた。
天幕の端に立ち、圧倒的な存在感を放つマルトと目が合い、慌ててミルクが入っているカップから口を離せば、またもやふはっと笑ったマルトが弾むような足取りで私の下へ……。
「王女殿下、少し失礼いたしますね」
そう告げるや否や、マルトは私を軽々と持ち上げ、自身の膝の上へ乗せた。
「……え?」
状況が飲み込めないまま、胡坐をかいたマルトの膝の上に設置されている。
そして、幼子をあやすような優しい手つきで頭を撫でられ、布で口元を拭われた。
「体調が思わしくないと伺いました。少しでも楽な姿勢でお過ごしください」
「……ふあい」
温かくて、よい匂いもする、とうっとりしていると、「ずるい」と声が聞こえ顔を上げ。
「……ひっ」
いつの間にかとんでもなく近くにいたローズに驚き、小さく悲鳴を零した。
大きな瞳を限界までカッと開き、瞬きもせず私を凝視しているローズが、「お母様」と唸るように口にした。
「王女殿下をお一人で独占されるのはいかがなものかと思います」
独占……?と、顔を上げてマルトを窺うと、彼女はふっと不敵に笑い「羨ましいでしょう?」とさらりと言ってのける。
「昔からこの顔が好きよね。陛下のときもそうだったけど、今回は随分露骨ね」
「分かっているのであれば、交代してください」
「駄目よ。こんなに小さな女の子を抱っこできるのは久しぶりなのだから。うちには暑苦しい次男と、性格のよろしくない長女、あとは……そんなのしかいないのだから」
そんなの、と指差されたジルは肩を竦め、私の隣へ腰を下ろすと慣れた手つきでお茶を淹れ始めた。
「ジル」
「ああ、暫くは終わりませんよ」
湯気の立つお茶を手に、のんびりとくつろぎ始めたジルに助けを求めるも、無理ですと即答されてしまう。
「盾だよね?いついかなるときも助けてくれる、盾だよね?」
「誤解なさらないよう、私的な場では王女殿下の自由を尊重する派ですので」
「し、てき……?」
都合のよいことばかり!とジルを睨んでいると、急に外が騒がしくなり、皆の視線が天幕の入り口へ。騒めきは段々と大きくなり、それと同時にこちらへ向かってくる足音が響く。
「何かあったのだろうか」
そう低く落とされたマルトの声に反応し、ぎゅっと身体に力を入れると、天幕の入り口がバッと開かれた。
「陛下?」
黒と銀を基調とした狩猟礼装に身を包んだイシュラ王が姿を現し、リオルガが小首を傾げる。
「もうお戻りになられたのですか?」
「……」
リオルガに返事を返さず、天幕の中をゆっくり見回したと思えば。
「おい」
私を見た途端、ぎゅっと眉を顰めた。
「……マルト」
「これは、これは、陛下。もう狩りを終えられたのですか?例年より大分お早いようですが、何かございましたか」
私を膝の上に置いたまま平然と話し始めたマルトに、イシュラ王の眉がさらにぎゅっと寄る。
「マルト」
「はい、陛下」
「それを寄越せ」
どれだけ凄まれようがマルトは全く動じず、むしろ楽しげに口元を緩めた。
「午後までまだ時間がありますので、王女殿下のことはお任せになり、どうぞ狩りへ」
「……ジル」
「私には何ともできません」
イシュラ王は降参だと両手を挙げるジルを睨み、入り口の側で傍観しているエトンとマレーヌへ顔を向けた。
「あれをどうにかしろ」
「お言葉ですが、あれをどうにかできる者などこの世にはおりません」
「すみません、陛下。私にもどうとも」
ふふっと笑いあっさりと断ったクラウディスタ夫婦に、イシュラ王は声にならない唸り声を上げ、怒気を帯びた表情でこちらへと向かってくる。
あのイシュラ王が軽くあしらわれているといった驚きと、ナニソノカオコワイといった感情で固まっていた私は、がっと両脇を掴まれ、そのまま持ち上げられた。
「あわ……っ」
身体がぷらぷらと宙に浮き、足が情けなく揺れる。
「目を離すとすぐにこれか」
そう呆れたようにイシュラ王は低く呟き、何か言おうと口を開くより早く、そのまま天幕の外へ運ばれていく。
せめてもの抗議として、イシュラ王の肩を顎でぐっ、ぐっと押していると、「落とすぞ」と脅されすぐに抗議活動を終了せざるを得なくなってしまった。
「どこに向かっているんですか?」
「……あれだ」
あれとは?と振り返ると、そこには大量の獲物が。うさぎ、狐、大きな鳥、そして相当な腕前でないと仕留められないという鹿も……。
乱雑に並べられた獲物の前に下され、これは凄いのではないかとイシュラ王を見上げた。
「どうだ」
相変わらず無表情ではあるが、恐らくこれは褒めてほしいのだろうと察し、うむと頷く。
「凄いですね」
私はイシュラ王のようにひねくれてはいないので、凄いものは凄いと素直に褒めると、イシュラ王は目を見開き驚いたように私を見た。
「これだけですか?」
「……これだけ、だと?」
「国王陛下は毎年かなりの数を狩ってくると聞いていたので」
いち、にい……と数えていると、ぐっと指でつむじを押され飛びのく。
「他の獲物は騎士達が拾ってくる」
「熊と猪はいましたか?」
「そんなものに出会っていたら、今ここにはいないぞ」
それもそうかとがっかりしていると、ピン!と額を指で弾かれ、痛みに唸る。
「狐はあとで毛皮にしてやる」
「……狐」
「白は珍しいからな」
雪のように真っ白な毛並みの狐を眺めていると、背後から声がかけられた。
「陛下」
振り返ると、夫人達を引き連れた王妃様が柔らかな笑みを浮かべ立っていた。
どうやら夫人達と夫の狩猟の成果について話していたらしく、誰よりも早く戻ったイシュラ王の獲物が気になり足を運んだと言う。
「毎年、狩猟会では陛下が一位をさらってしまわれますもの。今年も、どのような獲物を仕留められたのか拝見しに参りました」
王妃様は獲物へと視線を向けどこか満足げに目を細めると、私へと視線を移した。
「リスティア、貴方にとって初めての狩猟会ね。不安なことや怖いことはないかしら?」
娘を案じる母親のように振る舞う王妃様の姿に、夫人達が胸を打たれ息を呑む。慈悲深い聖母に擬態した王妃様に、私も素直な娘で応じる。
「ご心配ありがとうございます」
「一人で馬に乗ることも出来ないのだから、心配もするわ。剣も弓も扱えないと聞いているし」
もしこれが実の娘であったら、弱みとなるようなことなど決して人前で言ったりしないだろう。
「狩猟会とはいえ、馬で散歩する程度だと聞いています。剣や弓は使いませんので、ご安心ください」
「そうね、それなら安心だわ」
そっと私の頬へと伸ばされた王妃様の手を眺めていると、その手は横から伸びてきた手に掴まれ阻まれた。
「陛下、心配する母心だとご理解ください」
「……」
「リスティア、もうすぐ時間なので準備をなさい。天幕の裏に馬が用意されているから侍従とそちらへ。分からないことがあればクリスとソレイルに訊くといいわ」
「分かりました」
「貴方の乗馬、楽しみにしているわね」
「はい」
にっこりと微笑み返事をすると、王妃様は夫人達を連れ戻っていった。
「リオルガがいるから心配はないとは思うが、気を付けろ」
私は黙ったまま頷き、しっかりと準備をするために天幕へ向かった。
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