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死凶血禁。
それは、遺失されつつある志術という異能をかき集め、まとめ上げる組織。現代科学と現代常識に世界の隅へと追いやられた古代技能を、保護し、統合し、集積する機関。同時に彼らは、科学の手の届かない存在にも対応する。悪霊、悪魔、妖怪、物の怪、妖術、呪術、超常現象その他諸々、ありとあらゆるジャンルに対応する。自分達が存続できる空白を保守するために。
媒介師団。
それは、死凶血禁に敵対する組織。人員不明、規模不明、分からないことだらけの正体不明の集合体。志術を利用し悪用し、求める者にはその目的の是非を問わず能力と方法と知識を与えうる。悪霊、悪魔、妖怪、物の怪、妖術、呪術、禁術、超常現象、その他諸々、ありとあらゆるジャンルを提供し、手段を選ばず暗躍する。自分達の存続できる空白を拡大するために。
それが――志術を扱う二組織の対立図。
そんなことを、以前節菜さんの口から聞いた。
媒介師団への対処、そのための、失われた武月志術の回収、僕のところへ来たかづみちゃん。何故なら彼女は武月の血を引いているからだ。対処、対処、相手組織にその動きがあったなら、自分の組織ははたしてどうするか。先手を打てるならば、どういう手段で自衛を計るのか。
簡単だ。
敗因があるなら、潰すだろう。
思考より先に身体が動いていた。
隣にいた三姫さんの身体を抱いて横っ飛びに跳躍。悲鳴とか上げられたけど気にしない。今の今までいた地点に火球が着弾し、火柱が上がるのを視界の隅で確認した。
二・三回転ののち膝立ちで起き上がり、素早く左手に全神経を集中させる。
イメージは投網の回収。左半身に、左手に、意識を集める。左半身にくまなく広がっている網を――血流にたゆたって広がっている網を、絞り、まとめ、引き上げ、丁寧に巻いて、畳んで、畳んで、小さく、小さく、圧縮。圧縮。圧縮。
そして、
「――だぁらっ!」
飛来する火球を――別方向へ殴り飛ばした。左腕全体に電流じみた激痛が走るが、無視。そんなことに構っている時間はない。
初弾のとき、かろうじて志術の気配を感じ取れたけど、方角の限定までは出来なかった。だから一度回避してから、目視で火球を捉えて、攻守一体の一動作……、角度的に可能かどうかは賭けだったけど、結果としては成功した。
火球の殴打方向は男性――時神劫、と節菜さん。彼女が抜けられなければ火球は直撃する以外なく、直撃すればタダでは済むまい。それでも、あの人ならやってくれると僕は踏む。
馬鹿、と節菜さんの口が開いたように見えた。
次の瞬間、節菜さんが地面を蹴って、中国雑技団よろしく垂直に逆立ちした。上方向へは無防備だった拘束をするりと抜け、弧を描いて離脱する。
――だがんっ。
「……やるじゃないか」
時神劫、劫さんの背後にあったブロック塀に、火球は直撃した。消滅の瞬間に燃え上がり、けれど塀には丸く煤けた痕跡しか残っていない。バスケットボールくらいの大きさだろうか。
節菜さんは体操選手のような身のこなしで、僕の隣に立つ。
「馬鹿みたいなことすんじゃないわよ。どうすんのよ、その腕」
「う、それはその――」
「来てるッ!」
――弁解しかけて、横から体を掻っ攫われた。
元いた位置に、火柱。
気付くと、僕の身体は節菜さんにお姫様抱っこされていた。すぐに投げるように降ろされる。
……そんな場合じゃないけど、すげえ傷つくな、これ。
「わたしだってしたかないわよ」
節菜さんの方も複雑らしかった。
「――天晴れだったが、二撃目は興醒めだな」
僕が不安にさいなまれる前に、そんな声が頭上から降って来る。
見上げれば民家の屋根に、一人の男性。年の頃は劫さんと同じくらいだろうか。彼とは違ってがっしりした肉体、それに刈り上げた頭。鼠色のパーカーを羽織っている。
あの人が、火球の犯人か。
「しかし、いい勘はしているな、明馬春詠」低い声が空気を震わす。「それに、反射神経、発動、発想、身のこなし。どれをとっても一般人とは思えない」
「なるほど。俺の妹はそういうとこでも優等生か。或いは生徒がいいのかも知れないが――」
「時戸公」
それを節菜さんの硬い声が遮った。
「時戸公。そして芒生火鎚。――裏切り者にして出奔者。あなた方をここで始末します。自首と自害も認めません」
始末……だって?
それは殺すってことか。
あの人たちを……お兄さんを?
視線で尋ねても、返答はない。視線一つ返ってこない。
代わりに、三姫さんが僕の肩を叩いた。「春詠くん。彼は『敵』なのよ」
「彼女の言う通りだぜ、春詠君。俺たちは一度死凶血禁を抜けた身だ。で、もう戻るつもりはない。本来なら俺は、そいつとは一切関係ないんだよ」と彼はそいつを顎で示す。「あるとすれば、既に千切れた血縁関係という赤くて細い糸屑だけさ。それだって、そっちじゃ綺麗さっぱり掃除済みかもしれないが。なにせ死凶血禁最強たる時神一族の一員だからな。裏切り者とは縁も所縁もなくしておくべきだろ」
「世迷い言は、そこまでですか」節菜さんは音も無く構える。
僕は――何も、言えない。この人たちを止める手段が、僕には、無い。三姫さんを見ても、首を横に振るだけだった。
「あなたの事情など知りません。話を聞く気も起きません」
「だろうな。それが正しい死凶血禁志術使いの在り方だ。実を言えば、俺だってお前に会いに来たわけじゃない。俺の目的は大体分かってるだろうから、品を明かしても同じだろう」
実際に言葉にされると、少しだけ現実味が増す。すると、三姫さんが僕の脇を固めるように密着して、囁いた。
(春詠くん、少ししたら合図するから。防衛戦よ)
様々な思考が一瞬頭を過るが、僕はその通告を無言で受け入れる。重心を低めに落とす。
「ははあ、逃げ腰だな、春詠君」
「……だったら、どうだって言うんですか」
「まあ、無理もないか。元一般人だし。しかし、真に遺憾ながら君の一生もそろそろ終わる。覚悟してくれ。――では、」と劫さんは手を伸ばし、サインを出すような仕種をした。「殺るぞ」
「承知」
「今っ!」
二つの短い詞、一瞬遅れて爆ぜる重低音と甲高い金属音が同時に響いた。
Intersect2-1 IN.
門戸が侵入を拒絶する――時神劫、そして立場として彼に居並ぶ芒生火鎚から見れば、刹那と三姫が春詠の背を守る様子は、まるで堅固な門のようだった。
二人の少女は、互いの肩を門扉と為すかの如く密着させていた。三姫の右手にあるのは、黒焦げになった志術札。刹那の左手にあるのは、幼少の頃より肌身離さぬかんざし、紅雛汲簪朝桜。ただの一瞬で得物の抜刀を済ませ、既に戦闘態勢に入っているのだ。
重低音と、金属音。前者は無論のこと、火鎚の火球である。春詠の背中を直線で狙った火球は、三姫の手にある札一枚に相殺された。後者は劫の手による攻撃であったのだが――
刹那が、落ちてきた何かを握る仕種を見せる。銀色の針が掌中にあった。
「これ……暗器ってやつ?」
「ええ、気をつけて」戸惑う三姫に節菜は警戒を促し、「――相変わらず、時戸公、姑息な手段を使っているのですね」
「そう言うな。生きる手段の一つだよ。お前とは違うんだ」
いささかの距離を取って、劫は言った。悪びれる様子は無い。
業を煮やすでもなく、行くわよ、と節菜は三姫に視線を送る。
劫も劫で、火鎚に視線で指示を出す。
双方無音のまま、戦闘は実体へと移行した。
芒生火鎚の足が瓦を蹴った。民家の屋根を疾走し、距離を詰めて畳み掛けるつもりだった。
口ではいくら無感情を装っているとはいえ、戦闘となれば自らの手でけじめを付けに来る、それが二人の間での時神刹那に対する共通認識であった。つまり、火鎚が警戒すべきなのは札使いの娘。火鎚が推し測るに、彼女の実力は自分には遠く及ばず、特に戦闘力と速度ではこちらに明らかな分がある。そう踏んだのだった。
不意に風鳴り音を〝察知〟した火鎚は、踏み出した足に胴を無理矢理に引きつけた。右の首筋に熱が走る。左足と両手で屋根の縁に急停止。
「――行かせると思って?」
劫と自分との直線距離上、分断するように人影が立っていた。
ずっとそこにいたかのように悠然と。
「いい足してるけれど、わたしの半分ってとこかしら」
「……」
首筋に流れる感触に、火鎚は思惑が外れていたことを悟った。読まれていたのかも知れないが、反応して追いつかれたとも考えられる。どのみち抜け切れるものでは無かったという事でもあろう――時神志術の『速さ』からは。
「才能とは、恐ろしい物だな」
「欲しくなんてなかったわよ。要らないとも言わないけど」
「……しかし、こちらに来るとは予想だにしていなかったぞ、劫の妹」
言葉に、僅かに刹那が顔をしかめる。その間に、火鎚はゆっくりと身を起こし、体勢を整える。傷は浅く、戦闘行動に支障はない。
「お前は劫の相手をする物だとばかり思っていた。私怨とは言わないが、私情くらいは挟むだろうというのが俺達の予想だったが。どうやら俺達はお前を舐めていたらしい。謝罪しよう」
「わたしがそんな甘いこと考えるわけ無いでしょうに。それに三姫さんじゃ貴方を止められないことくらい承知してるわよ。――ねえ、それより聞きたいことがあるの。貴方達の目的って何なの? 春詠を殺すこと? かづみちゃんを殺すこと? どっちにしろ様子がおかしいんじゃない?」
「意味が判らないな」
「寝首をかけば済むだろうって話よ。待ち伏せ、闇討ち、毒殺、一般人の春詠を殺すなら他にも手段はある。それなのに、奴は何故わざわざ顔を出しにきたの? 何を企んでるの、貴方達は。殺すだけじゃない何かがあるんでしょ?」
「……知らんな。言う訳が無かろう」
話は終わり、とばかりに火鎚は腰を落とし、同時に自らの志誓心象を構築する。周囲の空気に陽炎が立ち始める。
――火球。火鎚のそれは火球である。真円劫火、意婆心炎。歪みの無い純朴で頑なな円の中、鑪より燃え盛る火を幻像する。憎の火、義の火、憤の火、命の火、あらゆる火は綯い交ぜとなり、一つの炎として火鎚という炉に燃る。其は恒温の最高熱。陽よりのたうつ体温の劫火。
「でしょうね。拷問は専門じゃないんだけど」
刹那も応じて、呼吸を整えた。緩い南風がやみ、刹那を中心とした巻き込む流風に変わった。黒漆の長髪が風に乗り――視覚から、掻き消えた。
火鎚は首を左腕で庇った。最小限の動きで、先ほどの傷と同じ位置を。
全く同じ位置を狙ったかんざしは、火鎚の下腕に食い立っていた。拳を握り緊張させた筋肉が鎧と化し、そして薄い衣服すら貫通を防いでいる。
「惜しい。防刃なのね」
「そういう――」声より早く拳に炎が灯る。「――ことだ」
まばたきほどの間隙もない踏み込み。
右肘で胴を打ち上げ左の炎で焼こうとするも肘に手応えは無く、瞬時に炎を打ち出す挙動に変える。風向きから推測した刹那の離脱方向へ向けて火道を作る。
たん、と。
刹那が眼に見えて着地したのは全く見当違いの方向だった。即物的な結果としては、刹那の髪を焦がすことすら叶っていない。
飽くまで、即物的な結果としては。
刹那の柳眉が僅かに寄っているのを、火鎚は見逃さなかった。明らかな動揺の色。恐らく火道の射線は外れてはいなかったのだろう。
またも刹那の姿が掻き消える。
陽炎が、ぶれる。
火鎚は足一本分だけ下半身を引いた。読み通りの風切り音。蹴り上げの予備動作を見せ、それを全身の筋肉で無理矢理押さえ込む。風向きから離脱方向を推測し、今度は両手、二方向へ火道を放つ。
――と、一方の火道が、旋風にぶち当たるようにして巻き上げられた。案の定、降る火の粉の中に、時神刹那が立っていた。
「……謝るわ」と刹那が言った。「わたしもあなたを舐めていた。まさか見切られてるなんてね」
「造作もないことだ」
「って言う割には、」と刹那が太股を示す。その通り、火鎚の右大腿部には一筋の裂傷があった。「何かのトリックだろうとは思うんだけど、ね」
常人からすれば視認することすら出来ない速度、それが時神志術の常である。動体視力外の速度と視覚の死角、不意を突く挙動、時神の戦闘方法は人体の認識の急所を突く。それは死凶血禁の人員とて例外では無い。現に火鎚も、刹那の姿を目で追いきれていないのだ。火鎚にあるのは予測推測と自身の能力、そしてセンスのみ。刹那が訝るのも無理は無い。
「でもま、完全に見切られているんではないみたいだし、いいわ、どうせ。逃がさないもの」
ふぅ、と刹那は再び息を整え、三度、掻き消えた。両者の熱が陽炎を更に攪拌する。
…
「やってるなー」
手で庇を作って、劫は遠くを見ていた。彼の視線の先には小さく火道が映っている。
「それで? あたしたちはどうしますか? あたしはこのまま何もしなくてもいいですけど。というか、早く帰りたいですけど」
春詠を後ろに隠して、注意深く、三姫が言った。ゆっくりと両手を動かしながら、空に何かを描くような仕種を止めずに。
「んー、そうだな。俺の目的を果たしたら戦闘終了ってことで。どう?」
「……随分身勝手ですね」
春詠に言われて、劫は苦笑を浮かべる。
「まぁ俺も暇じゃないんだ。察してくれ」
「だったら帰ってあげたらどうなんです? 節菜さんのところに」
「そうしたいのは山々なんだけどな」ぽりぽりと頬をかいて。「今更戻ったってどうせ本局の連中に処刑されるだけだし」
「処刑なんて、そんな……」ことはない、と言い切ることは、春詠には出来なかった。
「それより、劫さんの目的ってなんなんですか。どうしたら帰ってくれるんですか?」
「ん、と。最大の目的はそりゃ、それだよ、それ」春詠を――正確にはその腕を指さして、劫は言った。「春詠君の腕、そこにある武月志術。レアだからさ。俺も欲しいんだ」
「……そう言われてハイっていうやつはいませんよ」
「まぁそうだろうね。三姫さんはどう? 今ここで春詠君を裏切ったら、命だけは助けてあげる。どう? 悪役っぽい台詞だろ」
「お答えできかねますね」三姫は表情を崩さない。
「事務的な受け答えだな」
「最近面接練習してるんで」
「大学受験――か」
「……」
「そんで、第二の目的は、春詠君の殺害」
言うが早いか飛んで来る仕込み針。だが、悪戯な風は針を乗せ、春詠を避けるようにして逸れていった。
「いきなり飛ばさないで下さい。驚きます」
「俺も。驚いたな」
「こんなこともできますよ」
三姫が劫を指さす。すると、笛に似た高音と共に劫の左上腕が裂けた。綺麗な桃色の肉が顔を覗かせる。
「あと、それは危ないので外してください」
三姫が二度、指で円を描くと、劫の両袖が千々に破れた。甲高い音を立てて両手の暗器がアスファルトに落ちる。
春詠の驚く声が聞こえる。
劫は自分の両腕をじっくりと見た。剥き出しになった下腕には真皮に達する無数の切り傷。左腕には大きな裂傷。どれも不思議なことに血は出ておらず、肉の色を惜しげもなく外気に晒している。
「うーん、きみも暗器使いか?」
「そうだったんですか、三姫さん?」
「あのねぇ、春詠君……、……まぁいいや、とりあえず少し下がっていて、危ないから」
この技はつい先日身につけたものだから、春詠が知らないのも無理はない。むしろ暗器使いということにしておいてもいい気がした。
傷だらけの腕をだらりと垂らして、劫は悠然と歩いてくる。まるで近所のコンビニに行くようにゆるやかなテンポで、三姫の方へ向けて。両腕はノーガードのまま、誘うように三姫へ近づく。
「動かないで」
踏み出した劫の足に傷が開いた。
「動いたらどうするつもりだい?」
「足を失くしますよ」
「いいとも。アキレス腱でも平目筋でも何でも持って行くがいい。しかし、出来るのかい? きみに」
「必要とあらば」
「なるほど。――まぁ、少し場所を変えようか」
くつくつと笑って、劫は三姫と春詠の横をすり抜けた。川沿いの道を、節菜たちとは逆方向へと歩き出す。川沿いの土手は下草が生え揃っており、今の時間は誰もいない。
三姫はゆるやかな手の動きを止めずにその後を追う。少しでも妙な動きを見せれば撃ちこむ。そのつもりだ。
劫は振り向いて、後ろ歩きで遠くを見る。
「いやはや花火が綺麗だな」
「……花火、ですか」
「ファイア・ワークスとでも言おうか。火の業、なんてね」
その視線の先にあるのは、火鎚の志術と刹那の志術のぶつかり合いだ。炎と風がかち合って、派手に火の粉が散る。それがある一点を中心に起こっているために、床置き花火のように見えるのだ。
「そうだな、少し話をしようか。刹那がどうして高校に来れたか、分かるかな。きみたちは、刹那の身の上話、聞いているかい?」
「いえ、僕は、詳しくは」
「節菜は――我侭を聞いてもらってるって」
「その通り。許婚の事は?」
「詳しくは……知りませんけど」
「ふむ、なるほど」劫は頷く。「あいつの許婚というのは、時神本家の末子だ。底の知れないやつさ。よく遊んでやったけどね」
最後にあったのは何年目だったかなぁ、と劫は首を傾げる。
「本来志術使いには学問なんていらない。何故なら、俺たちは本質的には直感で物事を理解する職人だからだ。岡佐倉の系譜に連なる三姫くんなら分かるだろ。式は理性で紡ぐものじゃなくて感情を折り重ねるものだ。そこに論理的思考はむしろ邪魔。志は真っ直ぐであって、こねくり回すものじゃない」
意図が読めず、三姫は同意も反論も口にしない。こちらとしては話が長引く事は好都合だからだ。本気でやりあう気も、必要性もない。三姫はそう考えていた。
「――閑話休題。それでも刹那は、普通の高校に入学したいと申し出た。夫に、そして爺に頭まで下げて、反対も押し切って、下手な矜持も投げ捨ててね。そうまでして――」
一呼吸の溜め。
「――あいつは、普通の生活ってやつに憧れてたのさ」
「……」
「あのむっつり堅物で無駄なプライド持ってて自信過剰で面倒臭がりで無気力そうなくせに直情的なツン九割の刹那が、だ。そんなもの、死凶血禁が崩壊でもしなけりゃ仮初で終わるだろうに。泡沫の夢なんてロマンチックに追い続けてるのさ。笑うに笑えない一抹の笑い話だ」
「そう……ですか」
「そういうこと」
春詠は、じっと聞いている。これまで知らなかった、節菜の冷たい言動に隠されたもの、それを知って、彼はどうするのだろうか。
「刹那は」劫を睨んだまま、三姫は言う。「あの子、部活入ってるんですよ。女子野球部。女の子でも硬式野球だと全国大会があるんですけど、でもやっぱり地区予選勝ち抜くのって難しいみたいで。それでも、この地区は独自のリーグ戦があるから、よく試合してて、楽しいって。うちの学校は結構健闘してるみたいです」
「へぇ、そりゃすごい。あいつ、野球に志術使ってないだろうな」
「大丈夫だと思いますよ。って言っても、根本的に身体の作りが違いますし、公平じゃないとは思いますけど。攻走守揃った四番ショート兼オールマイティプレイヤーの巴御前って言ったら、ちょっとした有名人で。ファンクラブだってあるんですから」
「なんで静御前じゃないんだよ」
「たまにそう言う人がいるんですけど……何なんです、その、静御前って。源義経の奥さんでしたよね」
「あー、知らないのかい。世代の違いかな。……って言っても、春詠君は知ってるようだね」
「ええ、知ってます」
「え~春詠くんずるーい」
「ずるいって言われましても……」
「えぇと……牛若丸って知ってるかな」
「義経の幼名、ですよね」
「そう。昔プロ野球にね、守備の名手と謳われたプレイヤーがいたのさ。小柄なくせに、あまりに華麗なボール裁きをするからついたあだなが『牛若丸』。……知らないかな?」
「……いえ、全然」
「面接で言ったらオッサンにウケるかもよ」
「一応覚えておきます」三姫はそう受けて、だから――と続ける。「お兄さんが心配する必要なんて、ないですよ。きっと。刹那だって分かってるはずですから。そんなに長く続かないのは。それでも楽しんで、折り合いつけて、そういうつもりでいるはずですから。あんまり、あの子のこと構わなくていいと思います。許嫁の人のことは、あんまり聞いたこと無いですけど……刹那も、きっとその人のこと、嫌いじゃないんじゃないかなって」
「兄としちゃ複雑な気分だがねぇ」
「男性特有の独占欲です、それは」
「手厳しいなぁ」
笑う劫のポケットから、不意にバイブレーションの音がした。律儀に断って、劫は携帯電話を取り出し頬に当てる。「はいもしもし。こちら劫。うん、あいつは今刹那とやりあってる。俺は足止めされてるとこ。うん、はい、分かりました。じゃ後で」そしてピ、と切る。「……うん? どうしたの?」
「いえ、なにも」「ありません」
足止めされてるという部分にゼスチャーだけでツッコミを入れかけていた三姫と春詠だった。
「そうかい? ともあれ、今別働隊から連絡が入ってね。任せていた用事が終わったらしいから、そろそろ暇乞いをしないといけない」
「あら、そうなんですか。もっと遊んでいっても良かったのに」
「さっきデートのお誘いを断ったのは誰だったかな」
「女の子が引き止める場合は別なんです」
「まったく……女の子ってのはみんなわがままだな。本当に手が焼ける」
「どういたしまして」んべーっと舌を出す三姫。
「まぁ、とりあえずここは一旦引こう。また連絡するよ」にやりと笑って、劫は右手を高く掲げる。それを振り下ろす動作と共に、闇色の欠片が五つ、散った。五つの欠片は地面につくと楕円形の影を形作り、そこからまるで浮かび上がるように黒い人型が現れる。「これは置き土産ってことで」
「これって、まさか……」春詠がぎりと拳を握る。
「ご明察。原材料は君の友人のあれと同じものだよ。機能はただの式神だけどね。一定の知能を持たせるの、大変だったんだから」
「む――」
火鎚の視線が自分から外れた。
呼吸を整えて視線を追うと、その先には数体の影を召喚した劫と、それらと退治する二人の姿。まずいか? わずかに逡巡しかけると、チ、と火鎚の舌打ちが聞こえた。両手に纏っていた炎が消える。
「この勝負預けるぞ」
「――へぇ。尻尾巻いて逃げ帰るつもり?」
「安い挑発には乗らん」
火鎚はそう言って、構えを解く。先程からの攻防は防戦一方だったにも関わらず、その様子にはまだ余裕がうかがえる。
「そう、じゃこうならどうかしら。――妹はどうするの、お兄さん?」
「……くく」
不意に漏らされた含み笑いに刹那は眉を顰めた。「何がおかしいの……? あなたの妹のこと、アイツから聞いてるんでしょう? その後の処遇も、今どこにいるかも」
「ああ、そうだ。聞いている。だからこそ……いや、今はそんなことはどうでもいい……どうでもいいんだ」
「どうでもいい……? 本気で言っているのかしら」
「これ以上語ることはない」
火鎚がコートのポケットヘ手を入れ、半身を引く。敵意のない動作は明らかに逃走の準備姿勢だ。何か奥の手を出すと察知して刹那は再び志術を発動させ、前傾姿勢から追撃の手順をシミュレートする。だが、一瞬遅かった。火鎚の懐から放たれた手の内側には丸く固められた布。それが空中で生地の弾性に従い、ふんわりと広がる。
「逃がさ――あ……い、いやぁぁぁぁ!」
悲鳴が上がった。
刹那の。
完全に取り乱した声は、空に羽ばたく布を直視したせいである。
毒薬ではない。
煙幕でもない。
素材は綿一〇〇%で、前側には小さなワンポイントのリボンがあしらわれ、反対のやや襠を持たせた側にはデフォルメされた可愛らしい象のプリントが刺繍されている、ファンシーなパステルピンクに染められた三角形の布地である。鋭い動体視力か時間展延、或いはそれに準ずる能力を持つものであれば、じっと目を凝らせばその三角形の布地が二重になった部分の裏側だけが純潔を表す白であることが見て取れただろう。それは刹那にはとても懐かしいものであり、同時に見慣れたものであり、同時に一目見ただけで羞恥を呼び起こされるものであり――要するに。
「あンンの――――クソアニキぃぃぃぃぃぃ!」
眼前の敵の存在も忘れ、普段のキャラも忘れて、全力でズタズタに引き裂きたい記憶だったのである。
突如として耳に届いた奇声に三姫と春詠は思わず振り返った。
「うわ、ほんとに投げやがった……」劫は顔を覆っている。
「い、一体何をしたんですかあなた!」
「いやぁ、うん、そのう……ちょっといたずらをね……。いやぁやりすぎちゃったかなぁこれ。よし分かった、俺殺那に殺される前に逃げるわ。あとよろしく頼む」
「逃がすわけが――」「三姫さん!」札を取り出しかけた三姫の腕を正確に狙った刃物は春詠によって弾かれた。投げナイフ。目の前の劫は微動だにしていない。つまり、新手?
気を取られた一瞬の隙に、劫は背を向けて一目散に駆け出した。滑稽なまでに全力疾走だったが、その速度は人智を超えていた。姿を確認できたのはほんの一瞬。劫もまた、時神志術を受け継いでいる一人だったということだろう。
「あれ、下手すると殺那より早いんじゃないかしら」
「どうでしょうね……それより、この状況をどうにかしないと」
二人は相変わらず弑呪鵺――シズヤと呼ばれた使役獣に囲まれているのだ。ニ対五。相手の実力は未知数。三姫の志術覚で推し量るに一体一体なら対処できないこともないだろうが、この数では少々きついか。先程からずっと待機状態にしていた式神に、更に四序令を加え、力を蓄えさせる。
――と。
「……二秒」
傍で、学生靴がアスファルトを踏んだ。殺那だった。顔を俯かせ、朝桜を持つ手は小刻みに震えている。三姫は手の動きを止め、声をかけようとした春詠も凍りついた。――というより、そうせざるを得なかったのだ。殺那の放つ重圧に、どす黒い殺意に、渦巻く怒りに。
触らぬ時神に祟り無し。
風に乗って、黒髪がざわりと広がった。
Intersect2-1 out.




