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オフ・リミッツ  作者: 霜前七七五
第二部
23/28

2-3

   3


 大概の学校がそうであるように、我が十世高校もテスト前一週間には部活動が全面禁止になる。そんなわけで、

「あら。春詠?」

「どうも」

 下校時、生徒玄関を出た途端に節菜さんとかち合う可能性もゼロではない。ゼロに近い数字だったけど。

 節菜さんは周囲へざっと視線を巡らせてから、「あなた、帰るの早いのね」と言った。

 テスト期間である今日午後四時半、授業自体は終わったとはいえ、この時間に帰っている生徒は少ない。揺唄でさえ友人を巻き込んで息巻いていたのだ。

「テストに随分と余裕があると見たわ」

「そういうわけじゃないですけど」人のこと言えないでしょう、という台詞をぐっと飲み込む。

「じゃあ、何」

「タイムサービスがありまして」

 ぴた、と顔面を停止させる節菜さん。

 たっぷり三秒止まったあと向こうを向いて、主夫、とぼそっと呟かれた。それから顔がこちらへ戻ってきて、柳眉が上がる。

「それはとてもいいことね」

「すげぇ白々しいからいっそ直截言って下さい」楽しまれてるのは分かってるけど、ここで突っ込まないと拗ねるんだよな、この人。「そういう節菜さんはどうなんですか? 大丈夫なんですか?」

「わたしもちゃんとやりくりしてるわ。料理も出来るし洗濯もしている」

「そっちじゃなくて、テストの方です」

「……。見て分からないかしら」

 鞄はぺったんこだった。

「諦めてるんですね」

「刺すわよ」

 逆襲したら凄まれた。

 ま、詳しくは知らないけど、三姫さんも節菜さんも実際成績は良いらしい。節菜はうまくやってる、と努力型の三姫さんがぼやいていた。揺籠さんはどうだっけ、とちらりと考えた僕だった。

 ちなみに、三姫さんは漢文や古文を素読出来るという特技を持っている。高校レベルでは絶対使わない特技だが……かくいう僕も、実は古文や草書はある程度読めたりする。一時期嵌まってたんだ。そろそろ覚束なくなってきたけど。

「でも、なら、こんなところで何を?」

「三姫さんを待ってるのよ。用件は色々」

「はぁ」先手を打ってぼかすのは『聞くな』の意思表示、と。

 こくんと頷く節菜さんと校門をくぐり、学校前の橋を抜けて別れる。

 大方、かづみちゃんについて死凶血禁本局に談判する予定なのかもしれない。

 今回の彼女の行動について、節菜さんはご立腹な様子だった。

 過去に面識があったのかどうかは、僕は聞いていない。けど、かづみちゃんの事情――否、かづみちゃんにまつわるどこかの思惑が気に喰わないでいるのはなんとなく分かった。お金と身体を持って転がり込んできた彼女を本局へと突き返してやろうとしていることも。

 僕としては――どうしようもない、というのが正直なところだ。かづみちゃんの事情も聞いているし、ここに来る前のことも、お兄さんのことも聞き及んでいる。どうにか力になってあげたい。けど――

「僕には何もない……からな」

 歯痒いもんだ。僕にできることは、ただ仮初の安息を与えてあげることだけ。お兄さんの代わりで、家族の代わり。坂に転がり落ちる前の、背の低い草ばかりの草原。平らではあっても、求める物はここにない。休むことは出来ても、それでは事態は転がらない。どちらにも。

 ……はぁ。考え込むのも考え物だ。別のこと考えよう、別のこと。校門をくぐったタイミングに合わせて、思考も切り替えることにする。

 今日はかづみちゃんと何して遊ぼうかなー。また音ゲーかなー。僕自身は音ゲーはドがつくほど下手くそなのだけど、それがまた良い塩梅にかづみちゃんと張り合えるレベルになっているから、物事分からないものだ。

 そうと決まればイメトレ開始。僕は曲を脳内再生して、胸の前でバチを握る。太鼓をイメージし、拍子を取って、どんたたどんたた。

「ドラムの練習かい?」

 どんがらがっしゃん。

 太鼓がひっくり返った。

 あ、あっちゃあ……。

 全然気付かなかったけど……いた。誰かいた。そしてなんか変な動作してるところを見られてしまった! 絶対変な人って思われたよ! 僕もうお婿に行けない! そんな予定ないけど!

 話しかけてきた男の人を見る。

 て。

「ん……?」

 目ぇ閉じてるし。この人。

 見られていない……か? 視覚障害がある人なのだろうか。でも僕の動きなんて見なきゃ分からないはずだし、じゃあ今目を閉じた、のか?

「俺もやったもんだよ、そういうの」

 僕の困惑そっちのけで、男性は長い手足でリズムを取り始める。口では軽く言っていたけど、その様子は、腕の交差具合とか、足のリズム感とかが、本当に経験者じみた格好良さで――その実、傍から見るとただの怪しい人だった。

『しゃぁぁぁんっ、だがどんっ!』

 僕に表現させるとこんな感じのフィニッシュ(だと思う)で、彼はエア・ドラムスを締め括った。

 そしてその頃には、僕もこの男性が誰か思い出していたわけで。

「どうも。奇遇、ですね?」

「そうだね。久しぶり」

 目を閉じたまま頷くその人は、励先生のクルマから降りた時に道を聞いてきた、あの洒脱なお兄さんだった。あのときはサングラスだったから気付くのに時間がかかってしまった。

 とすると、まさか、あのときも目を閉じていたのだろうか。でもクルマ使ってたはずだし……。

「気にしないでいいよ。この目は見えるから」

「……え?」

「見えるのさ、普通に」

 ぱち、とお兄さんは目を開けた。悪戯っぽい三白眼がこちらを見下ろす。どこかで見たことあるような――と一瞬思ったけど、すぐにその悪戯っぽさは微笑が引き受け、目は閉じられてしまった。

「戸惑ったかい? まあ、これは俺の癖みたいなものでね。なるだけ視力に頼らないようにしてるんだ。スリルがあってなかなか楽しいんだよ、これが。きみもやってみないかい?」

「いえ、全力で遠慮します」

「そうかい。折角きみの考えが分かる秘密を教えてあげようと思ったのに」

「はぁ……」

 なんで分かったんだ。

「いや、きみが不思議に思ってるんじゃないかと思ってね。思ってない?」

「思ってますけど……まさか読心術とかの類ですか?」

「ハズレ」

 即答だった。

「読心術なんてレアな技能、俺は持ってないよ。簡単なネタさ。背の高い人を見れば身長を知りたくなる。太った人を見れば体重を知りたくなる。不思議なことがあれば正体を知りたくなる。大切なものがあれば失いたくない。体得した能力は可能なら極めたい。期待には出来る限り答えたいし、綺麗な女性がいたらスリーサイズも知りたくなるかもしれないね」

「つまり……コールドリーディング、ですか。お見事ですね」

「その通り。けど、本題はそこじゃなく――」

 男性の語尾が出終わる前に、言葉は唐突な出来事によって遮られた。

 一迅の颶風。

 けれどそれ自体は驚愕には値しない。何故なら僕はその正体たる人物を知っていた、その正体たる能力の知識を持っていたからだ。秒速五〇メートルで移動する物体と、それに伴う暴力的な風圧を、僕は身を持って知っている。だからそれ自体は既知の範疇内でしかなかった。僕が驚愕したのは、むしろ、その知識を持っていたゆえのことだったのだ。

 あり得ないだろ。

 時速一八〇キロの速度で自分へ突っ込んでくる人体を――あろうことか、背後から抱きしめる形で受け止めるなんて。

 目の前。

 今まで会話していた男性の立ち位置。

 そこに男性はいなくて――代わりにいたのは、先ほど玄関で顔を合わせた節菜さんだった。振り上げられた右手には唐紅のかんざし。当然髪はほどけていて、節菜さんが暴れるせいで長い髪が乱れ飛ぶ。男性を振りほどこうともがいているみたいだけど、しかし出来ない。男性が、抱きつくようにさりげなく、長い手足で、ブラウスをまとった節菜さんの胴体や各関節を押さえ込んでいるからだ。多分、反抗不可能なほどに。

 節菜さんの体術の上手さは僕も知っている。身を持って。嫌というほど。だっていうのに男性は、その全てをこの体勢でも封じている。爪先も踏ませない、脇腹に肘も入れさせない、鼻に頭突きも入れさせない、何より振りほどかれず、逃がさない。とんでもないクラスの身のこなしだ。

「……、……」

 そこまで全部色々と判断できて尚、僕は最も根本的な疑問にぶつかったまま、積極的な行動を起こせないでいた。止めればいいのか助ければいいのか、それとも放っておいていいのかがさっぱり分からない。

 だって。

 だって、理由が分からないんだもん!

 なんで節菜さん、この畜無害っぽい人にいきなり襲いかかってんの? そこまで猛獣だったっけ、この人?

 男性が凄くて怪しい人だってのはよっく分かったけど、それ以上に危険人物にはどうしても見えないのだ。他の判断材料皆無。よってお手上げ。

「春詠くん! 節菜は――」すると、校門から三姫さんが息を切らせて走りこんできて、つんのめりそうになりながら勢いを失速させた。「って……あれ?」

「どうしたんですか」

「その、節菜がその人の顔を見た途端、殺気立って志術を開放したのが見えたから、全力で追いかけたんだけど……なんなの、この状況。どうなってるの?」

「僕が教えて欲しいくらいですよ」

 僕たちは顔を見合わせ、次いでくんずほぐれつしている節菜さんと男性を見る。

 嬉しそうに節菜さんの身体を抱きしめる男性に対して、「何をしに来た、この変態馬鹿っ!」と普段被ってる猫なんて綺麗さっぱり脱ぎ捨ててマジ声で嫌がってる節菜さん。

 その様は、なんていうか、笑えた。

 どこがどうというわけではないが、ほのぼのな意味で笑えた。空気が、花柄をあしらったピンクのグラデーションになっている。こうして見比べてみると顔も兄妹くらいに似ているようにも見える。

 あと、抜け出そうとする節菜さんが、段々とただの駄々っ子に見えてきた。

「……この人、誰なんでしょう?」

「さあ……」と三姫さん。

「仲良さそうに見えますね」

「そう、見えるね」

「節菜さん、嬉しがってません?」

「そう思えるね」

「そういえば三姫さん、彼氏さんは一緒じゃないんです?」

「あんなやつ知らないわよ。彼女が勉強教えてやるっつってんのに友達に走りやがって」

「はぁ。そうですか」

 ぼそぼそと交わす話が聞こえたのか、節菜さんの両目がぎらりとこちらを向いた。そして鬼じみた一喝。

「あんたたち二人、こっちを見るなぁ!」

『……はい』

 後ろを向く。

 それで箍が外れたのか、お兄さんが調子に乗ったようで。

「やめろ! やめなさいこのド変態! 放せ、放せこのっ! ……っ! ちょっとどこ触ってんのよこの馬鹿! 変態! 今すぐわたしに切られろ! 死ね、死ね死ね死ね! 今すぐぶっ殺してやるからその首差し出しなさい! 放せっ、放せったらっ!」

 うーん。もう節菜さんキャラだだ崩れ。その後も発勁みたいな息遣いや足音が聞こえるけど、一向に逃げられる気配がない。

 しばらくすると、春詠くん、と三姫さんが耳を寄せてきた。

(そろそろ止めた方が良くない? あとから怨まれそうで)

(節菜さんに?)

(うん。それに……嫌な雰囲気がするんだよね)と三姫さんは言う。(あんまり、あの人のペースに乗せられない方が良いかも知れない)

(分かりました)

 頷いて、二人で向き直ると、節菜さんは小休止を入れていた。多少体勢は動いていたが、まだ抜け出せていないらしい。それより、息を乱して小汗をかいている節菜さんなんて初めて見たぞ……この人、本当に何者だ。

「悪いけど、そろそろその子を放してもらえますか?」と三姫さんが言った。「あなたがやってることは犯罪に当たります。警察呼びますよ?」

「でも、これは正当防衛だと思わないかな? 俺が放したら、節菜は確実に俺の首を取る」お兄さんは目を閉じたままの顔を三姫さんに向ける。「スポーツカーを止めるには、サイドブレーキを引いておくしかない。走り出したら、流石に俺でも止められないからね」

「死凶血禁の方ですか?」

 三姫さんは納得したような声を出したその言葉を、

「違うねぇ」

 お兄さんはやんわりと否定する。

 ど……どういうことだ?

 死凶血禁以外で志術を使うところなんて――

「あ――まさか――」

 三姫さんが息を飲み、同時に僕も答えに行き着く。

《媒介師団》。

「その通りだ、三姫さん。そして春詠君」

 両目を開けて、お兄さんは名を呼んだ。

 僕と三姫さんの名を。

「我々に名は無く、我々に目的は無い。敵の敵は味方じゃあるが、味方であっても仲間ではない。死凶血禁を敵対敵視し、死凶血禁にのみ損害を与える。故についた仇名は暫定的に《媒介師団》。俺はそのまとめ役をやらされている。俺の名は――そうだな、」

 躊躇するような間があってから、

「時神劫(ときがみこう)、と言う。――妹がお世話になっているね」

 節菜さんが、ただ単純に舌打ちをした。



投稿するパート間違えてたo...rz

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