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「おっはー、ハルちゃん」
「おう、おはよーさん」
「お早うSUN? さっむーい!」
「無理矢理駄洒落にすんな。太陽出てる」
「海難事故四日目」
「……は?」
「ブッブー、残念。大洋で照る、でした」
分かるかんなもん。
朝からテンションぶっ飛び過ぎな揺唄だった。
登校途中で揺唄と会うのが、ここ最近の定番シチュエーションになってきた。朝からのきんきん声にも慣れてきたところだ。
七月、それも晴れ間が見えているということもあって、揺唄はブラウス姿。ベストも着ていない。その手の話題が好きな男子の間では、この格好はかなり噂になっている。僕は意識して意識しないようにしているけど。
「いやー、今日は天気いいねー」
だからテンション高いのか。そして揺唄は「ハイこれ」と鞄から布袋を取り出す。
「ん。さんきゅ」
中身は先週土曜日に話題に上った漫画の一、二巻。昨日貸してくれるよう頼んだものだ。それを鞄にしまおうとすると、「あ」と何かを思い出したように揺唄が言った。
「それはそれとして、四日目っていえばあの子、元気にしてる?」
「ああ……まあ、仲直りはしたみたいだ」と予め用意していた答えを返す。
「まー、家出なんてよくあることだよね」
「そうか? もしかして揺唄、家出したことある?」
「そういうハルちゃんはどうなのさ?」
「僕はない」
「う……。あたしは、一回」
「ふーん」
まあ、どちらも珍しくはないのかもな。半々くらいか?
「でも雨の中ってのはないだろ」
「それはないけどさ。でも春休みだったから、夜が寒くって寒くっ………………ていやっ」
「いで」
殴られた。
「何しやがる」
「そういうことなんで聞くかなぁ! もう忘れたよっ」
「ああ……そりゃ悪い」
理不尽だが、ツッコむ気力はない。僕は本来朝には弱いんだ。
それから昨日見たテレビとか、最近読んだ雑誌とか、いろいろなことを適当に話ながら歩いた。
すると途中、珍しい光景に出くわした。
シルバーブロンドの髪をなびかせる女の人と節菜さんが、肩を並べながらいがみあっていたのだ。
あの背中の中ほどまでの銀髪を持つ人はユスティーネ先輩。フルネームをユスティーネ・フォン・ヘルツシュナイダーという。出身国がドイツらしくて、でもって何故か節菜さんとは犬猿の仲と書いてライバルと読む関係らしい。気の強いタイプの美人さんで、銀髪銀眼という日本人に馴染みのない容姿のせいか、正直に言わせてもらえれば、人ならぬ美女といった感じがする。
いがみあう二人の後ろを歩く背の高い男子生徒は、ユスティーネさんの彼氏さん、歩継たつみ先輩(本人同士は否定してるけど、衆人はそう認識しているという良い例)。おっかない感じの先輩だけど、一度だけ話したことがある、穏やかな、自制心の強そうな人だった。
二人とは六月あたりに知り合って、それからまあ、会ったら話すくらいの仲になっている。二人とも、節菜さんと同じ二年生だ。
経験からして、キャットファイトを繰り広げるお二方には近寄らない方が賢明なので、僕は少し歩調を落として歩く。すると同じように揺唄の歩調も落ちた。多分、それが揺唄本来の歩幅なんだろう。
さらにしばらく歩くと、横の細道から見覚えのある後ろ姿が出てきた。
広川千里。銀縁眼鏡に神経質そうな顔つきの友人だ。
数週間前まで目元を隠すほど長かった髪はばっさりと刈られて、今は野球部員だって今時しないだろうという堂に入った坊主頭になっている。僕が伝えるべきことを伝えたその数日後から、センリはその髪型になった。当人たちの間でどのような会話があったかは僕の想像の及ぶ範囲ではないけれど、センリが変わらず学校生活を送れていることは友人として嬉しく思う。……いや、センリは変わった。
落ち着いた雰囲気はそのままに、なんというか、人と話す事に積極的になった気がする。
「ああ、お早う春詠。それに五付」
「おっはよー」「おはようさん」
相変わらず、規則性の感じられる柔らかい声。僕はこれを二次関数声と名付けている。前にそのことを告げたら、眉根を寄せて「僕の声が基軸に接しないっていうのか?」と文句を言われたけど。
「センリ、早いのな」
「うん、散歩だ」
「散歩……?」
頷くセンリに、僕と揺唄は言葉なく視線を交わした。
第一センリの服装は制服で、鞄も持ってるってのに。
「こんな時間にか?」
「そうだ」
肯定するセンリに、またも僕と揺唄は口半開きで視線を交わした。
「けど勿論それだけじゃあない。マッピングも兼ねているんだ。とりあえずは十世高校を基点にして、阿砂日町の一から二丁目までを、冬までには終わらせる予定になっている。道の数や土地の広さにもよるが、一丁目毎に約一月を使う計算をしているんだ。それに、」
「あー、水を差して悪いんだが」僕は手をひらひらさせる。「それって何の意味があるんだ?」
「町のことが知れるじゃないか」当然のことだと言わんばかりに。「僕はこの町が好きだからな。それに、前も言ったろう、景色が綺麗に見えると。何故かは分からないけれど、今はそう思えるんだ。この町のことをもっと知りたい。そして保存したい」
「はへ~。一人でがんばってるんだ」
「一人じゃないんだよ、五付。点撫さんに協力しているから」そこで初めて、センリは笑顔を浮かべた。はにかむような、ばつの悪いような。
協力って……どういうことだ?
「地元の写真をまとめたいんだそうだ。四季折々の姿を写真に収めて、部誌にまとめて発表する予定だ。僕がそのパートナーを買ってでた。僕の用事は、そのついでだ」
その時、センリの背後から「センリくん」と呼ぶ声がした。路地の奥に立っているのは、件の黒鳥さん、黒鳥点撫さんが、姫カットを揺らして立っていた。別のクラスだってのに、センリ、いつの間に。
「センリくん。行こ」
「分かった、すぐ行くよ。――じゃあ二人とも、教室で。僕はもう少し回って行くから」
そう言うと、センリは踵を返して黒鳥さんの元へ。肩が触れるくらいの距離で地図を見ながらルートを検証したりデジカメを覗きながら写真を吟味したりしていた。もしもセリヌンティウスが待ちわびた親友から目の前で「すまない、俺は妹夫婦と共に生きる」と告げられて背を向けられたら、その背を見送るとききっとこんな気分なのだろう。
「いこうぜ」
揺唄に一声だけかけて、学校へと足を向けた。
「ま、まあまあハルちゃん、そんな気ぃ落さないでさ。ね? こういうのって時の運だから。ハルちゃんにもきっといい人見つかるって」
横に並んだ揺唄は慌てた様子で言ってくれるが、そんなところに普通触れないだろ。これが女子と男子の違いなのだろうか。
「じゃあお前とかどうよ?」
あー。僕嫌なやつになってる。
「あたし? あたしは――えっと、その、うん、まあ、うん、えっと、つまりなんていうか、えっとうーんとあのそのどのこの、むにゃむにゃむにゃくちゃらくちゃらちゃっちゃほんぽこりん? 分かった、ブラックハルちゃん?」
「とりえずお前もチップとデールは好きだったことは分かったよ」
「そーなのよ。何回も巻き戻しして覚えたんだから」
無意味な努力だった。
「あと気持ちも分かった。つまりお前は僕のことが嫌いだと」
「そのとーりっ!」
「……傷ついた」
「うそうそ! ハルちゃんのことなんてへのへのもへじくらいにしか思ってないから大丈夫よ」
「案山子が立ってるようなもんだってか」
「ならあたしは雀になってあげよう」
「流石にお前を肩に乗せられるほどの腕力ないぞ。何キロ?」
「さんじゅ……」言いかけてピタリと止まる。「なぁに言わせるのかなぁ、ハルちゃぁん?」
ちっ、失敗か。
「鍛えるための目標を聞いておこうと思って」
「ほんとに乗せてくれる気?」
「男に二言はない」
「だったらせめて細マッチョくらいには肉体改造してよね」
「い、今やってるところだよ!」
「いつからやってるのよ」
「生まれた頃から現在進行形だ」
「『それ』で『それ』なら、細マッチョの才能ないよ?」
もっともだった。
「まぁまぁ。女物も着れればおしゃれの幅は広がるよ、少年」
背中をビシバシ叩かれる。
「せめてLを着たい」
揺唄のおかげで少し気が晴れたが、代わりに心が傷ついた。
揺唄とは大抵靴箱で別れる。
「ハルちゃんハルちゃん」
その直前、妙なことを言い出した。
「今回のテスト、勝負しましょ」
「勝負?」
「そ。勝負」
目立つ胸をさらに反らして、揺唄は言う。透けるからやめろって。
「あたしは今回頑張ってるわけよ。さらに気合い入れるためには、誰かライバルが必要だわ。ってことで、ハルちゃんをあたしのライバルに認定っ」
「いや、僕は」
「嫌なの?」
「嫌ってわけじゃないけど」
他にも人はいるだろうにとか、十世高に入るときの模試の記憶とか、中間の成績とか、そういう諸々の過去が頭をよぎる。ライバルがいることはいいことだと思うが、それって実力が拮抗している相手じゃなきゃ意味ないだろうに。なんか果てしなく怪しい気がするが。
「まあ、そういうことなら受けて立つ。ペナルティは?」
「負けた方が勝った方の言うことを一回聞く!」
「却下」
「えーっ! なんでよう!」
「そんな馬鹿みたいなルールにすんな」
「酷っ! あたしのこと遠回しに馬鹿って言ってるわけ?」
「違うっつーの! 言葉が馬鹿げてるんだよ。『なんでも』なんて無理だろ」
「そんなの分かんないじゃん」
「僕が脱げっていったら脱ぐのかよ」
「うわ、変態だー」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇ。たとえだよ、た・と・え」
「たとえでそれを出すのが変態でしょ。脱げだって」
かちんと来た。
「だからたとえだって言ってるだろが……」
「うふふー、どうかしらねぇ」
揺唄が邪悪な笑みを浮かべる。こんのやろ……。
「だから僕が言ってるのは――」
「そこまで」
瞬間。
ぴっ――と眼前に万年筆が閃いた。
金色の菱形。
目に刺さったら突き立って抜けなそう。そんな想像するだけでぞっとする。恐る恐るその鋭角の元を辿ると、そこにいたのは予想通りの人物だった。
「そこまでです」
彼女はもう一度言って、ブラウスの胸ポケットに万年筆を戻す。右耳の手前にだけ揺れる片三つ編みと、ノンフレームの眼鏡。前髪を左手で払い流して、一冊の文庫本を取り出す。
「明馬君」
本のタイトルは『虐殺機関』。傭兵っぽい男性が銃を持った表紙イラスト。滅茶苦茶不穏なタイトルだけど……これが僕?
「今のあなたの言動は、あなたの評判を『虐殺機関』」
「――はっ!」
気付いた。
周りを見回す。僕に集まっているのは冷たい視線。
評判が、虐殺されていた。
「ということ。分かった?」
「……止めてくれて、ありがとう、白岡さん」
「いえ。私としても、虐殺にさらされている人を見逃すのは忍びない」
笑みを浮かべて、白岡さんは隣の下駄箱へ消えた。
第一学年図書委員長、白岡凛理女史。利き腕は左、視力は遠視、片三つ編みがトレードマークで濫読派、本のタイトルで物事を比喩するという奇妙な癖を持つクラスメイトだった。
彼女の後ろに完全に隠れていた揺唄は、僕の肩にぽん、と手を置く。
「まあ、そう気を落さずにいたまえ」
「お前のせいぜよ……」
脱力のあまり、何故か土佐弁になってしまった。テスト範囲のせいかもしれない。
七月八日水曜日。
僕の日常は、大体こんな感じだった。




