2章 日常に現る闖入者
◆二章・日常に現る闖入者◆
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「どうです、春詠さん?」
三姫さんが中学時代に着ていたセーラー服は、かづみちゃんにはやはりサイズがやや大きかった。それでも、スカートをひるがえして嬉しそうに尋ねてくるかづみちゃんに、僕は一言、よく似合ってる、と言った。
特にベルトできゅっと締まった腰なんかは、かづみちゃんのスレンダーさがさらに強調されていて、(三姫さんと三年を共にした制服ではあるけれど)女子中学生特有の清純さが溢れていた。……ところでこのきゅっと締まったセーラー服、三姫さんや揺唄が着たらどうなったんだろう。
「? どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
「変な春詠くん」
くすくすと笑う三姫さんは、休日の今日も制服を着ている。
土曜日。かづみちゃんとのデート生活は三日目を迎えていた。外界をあまり見たことがないというかづみちゃんのために、いろいろな場所へと足を運んでいたのである。おとといは図書館や駅などの公共施設、昨日はデパート、そして今日は学校。かづみちゃんは本当に大金を所持していて、デパートで厳選した数着の服の値段を見た時には思わず桁を指折り数えてしまった。
「こんなにいっぱい部屋が並んでると、迷子になっちゃいそうです……」かづみちゃんは、頼るように僕の右手を握り直す。「春詠さんの普段いるところはどちらなんです?」
「僕の教室は三階かな。向こうの棟だから、渡り廊下を通らないと」
「ふふ、なんだか楽しみです」
「楽しみにするようなことは無いと思うけどなぁ」
「春詠さんにとってはそうかもしれませんけど……わたしにとっては、なんでも新鮮ですから。この壁や廊下の匂いだって、不思議な感じがしますし」
「二人とも、ほんと仲いいわねぇ、お姉さん妬けちゃうなぁ」と後ろを歩く三姫さんからからかい半分の声。
「片方余ってますよ。いかがです?」ぶらぶらと手を振ると、「遠慮しとくよ。一応彼氏持ちだし」と断られた。もし受けられても僕が困っただろう。
かづみちゃんの宿は相談の結果、節菜さんの家に決まった。一人暮らしで時間やスペースの融通が利くというのがその理由だ。言い出したのは意外や意外、節菜さん本人からだった。三姫さんも家は広いし、僕の家も部屋は余っていると告げたのだけど、最終的には節菜さんの主張に押し切られた形になってしまった。それが決定したのがつい昨日のことなので、かづみちゃんは二日ほど僕の家に泊まった計算になるのだけど、その二日の間にうちの母親ともすっかり打ち解けてしまったのにも驚いた。母さんはやっぱり女の子っていいわよねえと喜ぶし、かづみちゃんもかづみちゃんで最初こそ落ち着きなく受け入れていたものの、明け透けに接する母さんにすぐに憂慮は吹き飛んだらしかった。女同士ってすごいなぁ。母さんは昔からそういうのは得意だったとは聞いたけれどさ。
そんなわけで、かづみちゃんは節菜さん宅で寝起きし、昼間は図書館で時間を潰し、夕方からは僕や三姫さんと出掛けたり――節菜さんはそういう交友はしないたちなのだった――僕の家で遊んだり、そういうライフスタイルを送っていた。
『その歳で通い妻持ちかぁ』『爛れてるわね』――というのが御意見番たちのやっかみである。
「はい、ここ」音を立ててドアを開けても、そこには誰もいなかった。まぁ休日だし当然だろう。がらがらの椅子と机が規則的に並んでいるだけだ。「僕の席はここね。こう座って、黒板に書かれたことをノートに写すわけ」机の中からノートを出してぱらぱらとめくってみせる。
「先生はここに立つんだよ」三姫さんが教壇に立って、仰々しく咳払いし、眼鏡を直す。
「この机って、全部人が座るんですか?」手近な机に手をおいて、かづみちゃんは教室内を見渡した。そして感嘆混じりにため息をつく。「なんだか、すごく賑やかで、楽しそう」
「賑やかなことは間違いないね。楽しいかどうかは、どうだろう」
「楽しいと思うよ。春詠くんも進路決めるときになったら分かる」
「先生、どんよりしないでください」
「はぁ~い」
「進路? ってなんですか?」
「高校三年になるとね、大学に進学するか就職するか決めるのよ。うちの学校は進学が多いかな。っていっても、今の御時世ほとんどどこも進学だけどねー」
「高卒で働く人は少ないですよね。逆に貴重になってる気がします。そういえば、三姫さんは?」
「んー……実家継ごうかなって」
「神社ですか」そういえばこないだの宴会で言ってたな。覚えてるのかな。
「姉さんたちはみんな家出てるしね。特にやりたいこともないし……ううん、やっぱり家にいたいなって思うかな。生まれ育ったところだし……あー……もうやめ。やめよやめよ。気分が滅入るから。もっと楽しい話しよう!」
「大変なんですね……」曖昧な笑みを浮かべるかづみちゃんだった。
「かづみちゃんにはまだまだ関係ない話よ」三姫さんは手をひらひらさせる。「かづみちゃんは、勉強はどうしてたの?」
「家庭教師の方がいましたので、その方に」
「小学校で習うことはほとんど?」
「だと思います」
「うーん、じゃあ……」三姫さんは少し考えてから、白いチョークで二次方程式を黒板に書きつける。「これ解ける?」
「えっと……」
「難しかったかな?」三姫さんのちょっとだけ意地悪い笑みはしかし、
「何について解けば……」
の一言で消し飛んでしまった。
「じゃあxで」
「x=-3.-2ですか?」
「うん、正解」三姫さんは頷く。「じゃあ今度はこれ、訳せる?」今度は十単語程度の英文。
「……『ワンの絨毯にはとても沢山の』、ええと、『知性を持った生物が存在している』……? ワンっていうのは、人名ですか?」
「うん、人名よ。ここでは『ワンの絨毯』で一括りの名詞。はい、これも正解」黄色いチョークに持ち替えて、両方の問題文に丸をつけた。「どうやら小学校の教育課程は完璧みたいね」
「そうなんですか? 良かったです」無邪気な笑顔を浮かべる。
うん、今のは小学校レベルじゃなかったよね。どう見ても。
黒板の文字を綺麗に消した三姫さんは、思い出したように窓の外を見た。「うーん、残念だなー。普段ならグラウンドで部活してるんだけどね」
「部活?」
「部活動。課外活動の一環で、グループで集まって一つのことをするのよ。グラウンドでするのは、野球とか、サッカーとか。ほかにはバスケットボール、将棋、料理、演劇、あとは部誌を発行したりとか」
「部活動で発行する雑誌でしょうか」
「そ。文芸部や写真部が私的に定期的に発行してる冊子ね。文芸部は小説や漫画が載ってるの。うちの学校のやつのタイトルは『霙』っていうのよね。文章と漫画を両方掲載するつもりで、二つのものが交じり合うように、って名前つけたんだってさ。写真部の方はまぁ、写真集になってるわね」
そのへんは僕も何度か読んだことがある。教室に配布されたり図書館に置いてあったりするし、文芸部にも知り合いがいるからだ。
かづみちゃんが何か言いさしたそのとき、無遠慮な音を立てて教室の扉が開いた。
「誰かいるの? って、岡佐倉さん」
「あ、しーちゃん先生。やっほー」
「やっほー」
現国担当の支倉先生だった。長身をヒールでさらに高くし、スカートスーツに包んだオフィス街にでもいそうな風貌ながら、そのフレンドリーさから女子にも男子にも人気のある先生だ。飾らない苦笑を浮かべてから、眼鏡の奥の瞳を僕とかづみちゃんへと移す。
「きみは明馬くんだったね。そちらの女の子は? 見たところ兎鶴木中の子なのかな?」
「そうそう、あたしの後輩です。佐藤かづみちゃん」
「佐藤です。よろしくお願いします」ぺこりと頭を下げる。
「学校の見学したいって言ってたんで、休みの日だけど、連れてきてみたんです」
「そうだったの。どう、この学校は?」
「今部活動のお話を聞いていたところでした。沢山あって、活発なんですね」
「我が校は生徒の自主的な興味を育むため、その一環として部活動に力を入れていますからね。オホン」校長先生みたいな言い草をする支倉先生。それから渋い顔を作って、「でも、そういうのはできれば教務室にまず通してもらわないと、困るよ。見つけたのがあたしだったから良かったようなものの」
「あはは、すみません。ちょっとだけだからいいかなって」
怒る方も謝る方も、形式的なもんである。
「じゃあ、あたしは何も見なかったことにしておくけど。見つからない程度にしておいてね?」
「はーい」
僕たち三人の行儀の良い返事を聞いて、支倉先生は満足気に去っていった。
「……ああー。びっくりした」
三姫さんが両肩を落とす。かづみちゃんに制服を着ておいてもらったのは万が一こんなことがあったときに言い訳を立たせるためだったことは言うまでもない。決して僕がかづみちゃんのセーラー服姿を見たかったからではないし、第一この案を言い出したのは三姫さんだ。僕がそれに賛同したのは飽くまで余計なリスクを回避するためでしかない。便乗はしたけど。
「釘刺されちゃったし、そろそろ帰りましょっか」
「すみません、わたしのために……」
「いいっていいって。ほかならぬ妹分のためだもの」
妹分、ねぇ。
「というわけで、、春詠くんちでエアライド大会よ!」
「はいっ!」
あぁ、また見学か……。




