0 エピローグ
―― エピローグ ――
久しぶりにあの時の夢を見た。
突っ込んでくるトラック。動けない僕。その間に颯爽と割り込んで、トラックを止めるように立ち塞がる男の人の後ろ姿。
そのときから――僕は、あの男の人にお礼を言うことを人生の目標の一つにした。そして、この不思議な力の正体を知りたかった。
片方はようやく叶った。
片方はきっと、これから叶える。――きっと。
まどろみの海から浮上してきて、うっすらと目を開けた。
小さな穴がたくさん開いた天井。どうやら学校の保健室らしいと検討をつける。僕は……えっと、いったいどうなったん――そういえば!
「センリ!」
「どうした?」
「のうわっ!」
真横にいた。
センリは――広川千里は、僕の寝ていたベッドの横に、保健室備え付けのパイプ椅子を出して座っていた。学生服。眼鏡。長めの髪。いつも通り――とは少し、違う。
よくよく見てみればその表情は、心なしか、見たこともないくらいにすっきり爽やかだった。眼鏡の奥の瞳に光があって、なんというか、そう、『憑き物が落ちたような』と形容するのが一番しっくりくるような、晴れやかな真顔。
「……、どうした? 飛び起きたりして。そして僕の顔をじっくり見たりして」
「あ、ああ……センリ……お前、大丈夫なのか?」
「……、? 僕はなんともないが。何かあると言えば、むしろ君の方がなにかあったんだぞ、春詠。体中痣だらけで、学生服も泥だらけ。そのまま寝かせるわけにはいかないから、仕方なく体操着に着替えさせたんだ。一人では大変だっただろうな」
言われてタオルケットをどけてみれば、今の僕は、上はワイシャツ、下は体操着の長ズボンだった。むぅ……見られたりしてねぇよな。センリなら、まあ、いいか。一人でやったと思うし。
「それで、センリ。何か聞こえたりとか、しないのか? 人の声が聞こえたりとか」
「……? しないぞ。なんだそれは」と真顔で首を傾げるセンリ。
てことは……!
「……、ただ、な」歯切れ悪そうに、センリは続けた。「なんというか、悪夢から醒めたような気分がしているんだ。腫れ物が取れたというか、憑き物が落ちたというか。頭の中の八割ほどを占めていた重りのような何かが、すとんと抜け落ちたような気がする。要領を得なくて済まない」
そうか。やっぱり――治ったってことか。初めて見たその笑顔は、心洗われるような温かさだった。
でも。
「センリ」
「なんだ?」
「友人が知らず知らずのうちに罪を犯していたら、どうする?」
「それは刑法か? 民法か? それとも」
「刑法と……人倫に悖る罪だ」
「取り返しは?」
「つかない」
「……もし僕がそうなら」センリは声を強張らせた。「言ってくれ、頼む」
そのとき、隣のベッドからごそごそと音がした。カーテンで仕切られているから見えないが、誰かいるらしい。すると、センリが立ち上がる。
「……、では、僕はそろそろ行く」
「そっちにいるの、誰?」
「君を助けた人だ。僕も助けられた、んだと思う。彼女が君に話があるというので、僕は少し外すことにするよ。どうやら、僕らはグラウンドで倒れていたらしいんだ。……それじゃまた明日、学校で」
そう言って、センリは出て行った。入れ替わるようにカーテンが取り払われて――そこにいたのは、髪にかんざしを刺した、美貌の二年生。珍しく鋭さのない目をした、戸波節菜さんだった。
「おはよ……春詠」
「あ、おはようございます、戸波さん。……って」
この人、今、名前で……。
「なに……あたしの挨拶、そんなに珍し?」
「いえ。それより、この状況は?」
でも言及すると元に戻されかねないので、僕は話を別方向に巡らす。なんだか戸波さんの寝起きが悪そうな気もするが、それも無視。突っ込むと逆切れされかねない気がした。
「あぁ、はいはい……昨日あんたが志術の使い過ぎで気絶したから、ここへ不法侵入を犯して運び込んだの。それだけ」
ぞんざいな大筋だけの説明だった。それでも運んでもらったことには変わりないので、僕は気持ちを込めてありがとうございました、と頭を下げる。
「お礼なら、あっち」
けれど戸波さんは、親指で自分の背後を指した。そこにはもう一つ、カーテンで区切られたベッド。「行ってみなさい」と言う戸波さんに従って、僕はベッドを立って、そのカーテンを開けた。
「あ。あー……」
そこには、なんか凄いあられもない格好で寝乱れている、髪の長い同級生がいた。目のやり場に困ったのでとりあえず戸波さんへ向けてみて、
「何の承諾をあたしに求めてるわけ? 一応その子の貞操は守るつもりだけれど」
不機嫌そうに睨まれたので、視線を逸らしながら際どいところにタオルケットを掛け直してやった。揺唄の寝顔は見るからに幸せそうな感じで、完璧に無防備状態。いい夢見てやがるんだろう。
「その子が言い出したの。三姫さんも賛成したから、わたしも手伝った。だから、礼はその子に言いなさい。わたしじゃなくて」
「……そうですか」
僕は改めて揺唄を見る。
――揺唄は、小さくまとまった形のいい丸顔をしている。口角が少し上がり気味で、今はそれをむずかるみたいに動かしている。猫っぽい。普段丁寧に撫でつけられている長髪が乱れて、白いシーツに散乱していた。腰の無い、猫毛と呼ばれるやつだ。
ふと興味が湧いて、その一束を手に取ってみる。やっぱり柔らかくて、さらさらしている。絡みつかずに指が抜ける。女の子……というか揺唄の髪って、こんな気持ちいい感触なのか。知らなかった。
「それから。あんたの存在を仮認定するわ」
「仮認定……」
「ええ。仲間に加えてあげる。下っ端だけれどね」
「下っ端……」
「まあ、あんたの志術、実戦でもそこそこ通用するみたいだし。一応管理下において置こうってこと。今後は……まあ、詳しい話は追々しましょうか」
戸波さんの目が向いたと同時に、色っぽい唸り声を上げながら揺唄が目を覚ました。身を起こして、目と口元をこする。
「おはよ、ハルちゃん。起きてたんだ……。からだ、だいじょぶ?」
「ああ。多分、大丈夫だ」
「そ、よかった」と頷いてから、
「ん、んんんんん~っ! ……んな~」
と人目も憚らず大きく伸びをする揺唄。そして一発で爽やかそうな顔。便利だなあ。――だがしかし、その朝顔のような表情が、戸波さんを見つけて一変する。
「まだいたんですかぁ、戸波さん」
……棘が生えた感じだな。それを真に受けたわけではないだろうが、戸波さんもどこか険のある風に「いえ、すぐに帰るわよ」と応じると、僕の耳元に口を寄せてこう告げた。
「じゃあ、また後日」
そして身を翻して保健室を出て行った。……なんで寄せましたかあなたは。
気付けば、何故か揺唄がじっとりとした目で見ている。
「ハぁルぅちゃぁんん……いまぁ、なぁんて言われたのぉ~ぉ?」
「なんで幽霊口調なんだよ。飯野平太か」
「誰それ」
通じなかったか。
「と、とにかく、なんで幽霊口調なんだよ」
「だぁってぇ……」
「お前、そんなキャラだったか?」
「う~ん。どうだろ。時々幽霊ごっこはするけど」
「するのか……」
まあ、揺唄なら分からなくもない。
「それから、お前が保健室に運んでくれたんだってな。ありがとさん」
「どーいたしまして」
言って、揺唄は手櫛で髪を直しに掛かる。ふむ。女性のたしなみって感じがして、悪くない。
ん。おや? 気にかかる事実に思い当たったぞ。
「それはそうと、さっきから皆して『おはよう』って言ったか? カーテンとか明るいな、よく見たら。今何時だよ」
「え? えっと……」揺唄は携帯電話を取り出す。「七時半過ぎ。四十分なる」
「朝ぁ!」
無断外泊! 母さんが心配してる! ていうか米も研いでないし皿も洗ってないよ! ……と絶望に打ちひしがれる僕に、揺唄が更にとんでもないことを告げてくれた。
「家には電話入れといたから、大丈夫だよ」
「……ハイ? 家?」
「そう、家」得意満面の笑みで、揺唄。「ハルちゃんのケータイの電話帳から『自宅』を呼び出して、掛けるだけ。ほら、これでバッチリ。あたしアッタマ良いよね! それから、やっぱりお母さん心配してたみたいだったけど、『春詠くんは今日、友達の家に泊まるみたいです』って言ったら、嬉しそうに『そうですかー。甲斐性なしですが、うちの息子をよろしくお願いします』ってさ。ハルちゃんのお母さんって、声きれいだよね。別に何するわけでもないけど、あたし『分かりましたー』って答えちゃった。てへ☆」
「☆とかつけんな」
オイオイ。そのノリってもしかして……いやもしかしなくとも、母さん、勘違いしてるよね、絶対。僕、無断外泊は家出以外したことないもん。
「ん? んー? ……あ。あっ。ああっ! ああああっ!」
今更ながらに気付く愛すべき阿呆約一名。
「あ、あたしたち、もしかして……ソーユー誤解を受けちゃった?」
あぁぁあ! ったくもう、今頃気付いたのか!
「なんで自分のケータイから掛けなかったんだよお前! 頭良くないぞ!」
「だってしょうがないでしょ! いちいち自分のケータイで掛けるの面倒臭いじゃない! あたしだって疲れてたの! それにあたしから掛けたって似たようなもんでしょうが!」
「うっ」それはそうかも。
「大体ハルちゃんはあたしじゃ嫌だって言うの? それって女の子に対する侮辱だと思う! 即刻撤回を要求するっ!」
「なんで裁判官口調なんだよ!」
「なんでもいいじゃん、そんなの! ハルちゃんには今すぐ慰謝料を請求します! 明後日ハルちゃんの奢りでラーメン食べに行きません!」
「はぁ? 駄目に決まってんだろそんなの!」言ってから止まる。言語処理が発音に追いつく。「待て。今なんだって?」
「駄ぁ目ですよーだ。一度した約束は絶対だよ。『ハルちゃんの奢りでラーメン食べに行きません』を『駄目』って行ったんだから、『ハルちゃんの奢りで食べに行く』ってことだよね?」
……なんてことだ。この素早い遣り取りの間に、そんな巧妙な口述トリックを仕掛けていたとは……っ!
だが、ここで言い争っても不毛なことだった。それはすでに経験則だ。「分かったよ……」と僕は力なく頷いた。
「やたーっ! ごちになりますっ!」
ガッツポーズをする揺唄の横で、僕は頭を抱える。
最近揺唄が変です。
戸波さん。早速『百一物語』が絡んでるのかなと思えてなりません。
「そうだ。言おう言おうと思ってたんだけどさ」
「……あ? なんだ」
「ハルちゃん、昨日の夜、『突き上げ』とか『月割り』とか『月落とし』とか、超恥かしい叫び声あげてたよね。ただ手を振ってるだけなのに、なに叫んでるのかなぁと思ってたんだ。それだけなら別に良かったんだけど、『月割り』と『月落とし』は某人気小説家の食用菌類が使ってるから、全面的に別の名前考えた方がいいと思うよ」
何故十六歳のこいつがこんなことを知っているかは聞くまい。彼女には姉がいるという予備知識を持っていれば納得は可能だ。いっそコンシューマ版を買ったと考えてもいい。
だがな……。
最後の最後がこんなオチってどう考えても決まらな過ぎだぁ!
Intersect-Last
彼氏と登校中だった岡佐倉三姫の携帯電話が鳴った。取り出す。着信は『戸波節菜』となっていた。
「ごめん、あかる。先行ってて」
「ん? 電話? 別にいいじゃん」
「いいから行って。お昼のお弁当、あーんしてあげないわよ」
三姫は彼氏の尻を蹴りつけた。はいはい、と苦笑して、彼氏は先に学校へと向かう。
通話開始。
『おはよう、三姫さん。春詠の目が覚めたわ。それに被害者の彼も。見たところ後遺症はないみたい。とりあえず、仲間に入れることだけ伝えたわ。揺唄が露骨にこっちを睨んでくるんだもの。疲れるわ』
「まあまあ。恋する乙女は強し、って。ね、節菜?」
『……ふん』
不機嫌そうな鼻息。
『そちらは?』
「回収した投影札は、昨日の夜のうちに本局に郵送しといたから。鑑定結果は一両日中だって。それから『遮断』の札は速達で来るから、明日にはあの〈耳〉の子の記憶を完全に消せるよ」
『まあ……願わくは、彼がこれから、安全に生きられることを祈るだけね。大丈夫だとは思うけど』
「そうだね」
『それに――明馬春詠も。命の恩人なんて、今時流行らないのにね。本局に問い合わせたけど、そんなデータは見つからなかった』
「でも割と乗り気でしょ?」
『悪くはないわ。……ともかく、どこかで見切りをつけさせないと。さっさと叶えてあげたいわ。それで能力封印して』
「春詠くんの方も、あんまりやばい事件には関わらないことを祈るだけ、か」
『そういうこと』
「あんたの方も、これから頑張んなくちゃね」
『……。……切るわ』
「はいはい。じゃあね」照れ屋さん。
通話終了。
これで一つの出来事が終わった。けれど、これからも問題はそれなりに山積みだ。大きく嘆息して、三姫は携帯電話をしまう。
《こちら側》の人間がいつも心に刻んでいる一節を唱え、そして、彼氏を追って走り出す。そうすることで、三姫はいっときの日常へ帰還する。
――それは、最も一般的な遮断結界の詠唱のなかの数音令。
『閉じよ閉じよくるくると閉じよ』
――始まりも終わりもなく環のように閉じよ。
『全てを無くすは如何なる力ぞ』
――全てを無に帰すのはどんなチカラか。
『全てを包むは如何なる力ぞ』
――全てを内包するのはどんなチカラか。
『戸じよ戸じよ来る来ると戸じよ』
――何人が来ようとも戸を開けてはならない。
『空を拝みて之を拒み』
――空を大切に思うならば空を拒まなくてはならない。
『地を仰ぎて之を防ぎ』
――地を尊ぶならば地に接してはならない。
『海を望みて之を疎んじ』
――海を愛したければ海を嫌わねばならない。
『家族を顧みて之を遠ざけよ』
――家族のためを思えば家族を近くに置いてはならない。
『生之血を飲むは如何なる体ぞ』
――命を繋ぐ血を減らすのはどんな身体か。
『幸福を食むは如何なる力ぞ』
――幸せを奪うのはどんなチカラか。
余人をそこへ引き込んではならない。ただ徒に幸福を奪ってしまうから。
故に、その領域はこう呼ばれる。
《オフ・リミッツ》と。
Intersect out.
Game set.




