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「――ぅわぎゃああああああああ!」
「のわっ!」
揺唄が腕の中で爆発した。
気がした。
キメラもかくやという大音声で悲鳴を上げたかと思うと、どん、と僕の身体をおそらく全力を込めただろう両腕で突き飛ばす。僕はその勢いでもんどりうって後頭部を強打したのだった。
……めっちゃ痛え。
後頭部を抑えながら起き上がると、揺唄はこちらに背を向けて、地面に尻をつけて、その小さな両肩をぶるぶると震わせていた。髪の先までもその震動が伝わっているようだった。
さすがに……まずかっただろうか。僕自身、夜、恐くて眠れなかったときには、よく母さんの両腕に抱かれて安心を得ていたものだった(無論今はそんなことしない)。とりあえずそんな経験を踏まえて、人間の命の暖かさを与えてみたのだが……。
揺唄はまだ震えている。なんとか弁解しなければ。抵抗不可能な女を手篭めにしようとした最低男に思われてしまいそうだ。下心なんてないんだ。本当に。
「ゆ、揺唄、その、ごめん。えっと……今のは違うんだ、今のは」
ぴく、と揺唄が反応した。ゆっくりと振り向いて、
「え……違うんだ……?」
地獄から響くような囁き声で言った。
やばいやばい更にキレたよ揺唄がっ! いったいなんでっ!
「だから、つまり、お前が恐がってたから、その、少し協力を……決して下心があったわけじゃなくてだな――」
ああ。くそう。戸波さんが命がけで戦っているっていうのに僕は何をやってるんだ。どうして女の子相手に誤解を解いてなくちゃいけない。情けないぞ、情けなさ過ぎるぞ明馬春詠。
「その子ね、春詠くん?」
視界外から聞こえてきた声に振り返る。この声は三姫さん――
「……………………」
巫女さんがいた。
白の小袖に赤い袴。足元は白足袋に草履。すっきりした顎のラインに艶を添えるように背後で束ねた二房の長髪。肩からかけてあるのは、やたらとポケットの多いたすき。
「ほらそこ、呆けない」
「あ……すみません」
「それから、驚かないでね」
真っ赤なお札を片手に三姫さんは言って、その札を『ぴっ』と放る。目を閉じ、そして九字らしきものを切り、両手を複雑に絡み合わせて、
「――命ずる」
詠唱を開始した。
「閉じよ閉じよくるくると閉じよ、
全てを無くすは如何なる力ぞ、
全てを包むは如何なる力ぞ。
綴じよ綴じよ狂狂と綴じよ、
火を灯して之を強くし、
水を受けて之を吸い、
土に根付き之を固め、
風に乗りて之を表せ。
戸じよ戸じよ来る来ると戸じよ、
空を拝みて之を拒み、
地を仰ぎて之を防ぎ、
海を望みて之を疎んじ、
家族を顧みて之を遠ざけよ。
生之血を飲むは如何なる体ぞ、
幸福を食むは如何なる力ぞ」
三姫さんは目を開ける。
「一儀令、領域作成《遮断区域》」
詠唱が終えられた瞬間、巨大な灰色のドームが展開した。
「……うげ」
目を疑った。
その広さは校庭全体に渡る。それまで月明かりで青白く浮かび上がっていた地面が、蛍光灯に照らされているように鮮明になっている。全面くもりガラス張りのような灰色になっているので遠近感は掴めないが、直径は百メートルをゆうに超えるはずだ。高さも……学校よりはあるだろう。
校庭の遠くに戦場を移していたキメラと戸波さんのシルエットも、今やはっきりと目視できる。ああ、いや、キメラを中心に凄い速度で跳ね回る戸波さんは視認しにくいが。
「これは……?」
「《領域》よ。四方に展開した志術符を起点として、あたしの号令で起動する遮断結界。これを張っておけば、中で何をしても外部にバレることはない。大規模掃討のときはこれを使うの。同時に、『魔』の能力を少し封じる効果もあるから」
僕の呟きに、ツッコミどころ満載の巫女さんが冷静に答えた。
「…………」
彼女を見る。
うん、どっからどう見ても巫女服だ。清楚で凛々しいし、何よりかなり似合っている。似合ってはいるが、そんなものに着替える必要があったのかは甚だ疑問ではある。
「あー。うたぐってる」
僕の視線に気付いたのか、三姫さんが半眼で睨んできた。
「それ……着替える必要あったんですか?」
「大アリ」と巫女さん。「あたしのこれは増幅装置なの。志術式を織り込んだ祈装具。足りない能力を、霊的効果を持つこの服で補ってるわけ。節菜だったら素っ裸で出来ることでも、あたしには札と巫女服がなきゃ出来ないの。だから言ったでしょ、あたしは稼げないって。基本的な能力が低いのよ」
「素っ裸って表現はやめてください」想像しちゃうから。
「そんなことより……」三姫さんは僕から目を外し、座り込んでいた揺唄の傍に屈み込んだ。「きみ、たしか揺籠の妹ね? 名前は……」
「揺唄です」
はっきりした口調で答える揺唄だった。趣味は空想とか妄想とか言っていた気がするので、異世界への順応は早いのかも。
すると、三姫さんが不自然なタイミングで振り向いた。その視線の先には戸波さんとキメラ。徐々にではあるが、キメラの動きが悪くなってきていた。片翼がもげている。
「だいじょぶそうね。それで、揺唄ちゃんだけど」と三姫さんは揺唄を向く。
僕は。
「――三姫さん」
「なによ?」と三姫さんは言葉だけで答える。「あたしはこの子の問診があるんだけど」
「僕は行きます。揺唄は任せます」
「え? 待ちなさい!」がば、と立ち上がる三姫さん。「きみが行ったら死ぬかもしれないのよ? 節菜だけならともかく……あの子にも素人の面倒を見てる暇はないの。きみが死にそうになっても助けてくれないし、どころか見捨てて側面を突く駒に使うかもしれないのよ。節菜はそういう性格なんだから! それでも行くの?」
「はい」
僕は頷いた。
「……そう。でもあたしはそんな人を行かせるわけには――」
動きを封じられるような札を行使されるより早く、僕は駆け出していた。キメラの方へ。進行方向を見れば、キメラの残った右の翼が跳んでいたところだった。汚水色の翼が霧散して、消える。
――死んでもいい。
いや死ぬのは嫌だが、ここで何もしないなんて、指を咥えて見ているだけなんて――それこそ情けない、ただの何も出来ない間抜けだ。戸波さんだけで事足りるからといって、どうして見ているだけで済ませられるんだ。
どうせ結果が同じだからって――偉い人に任せたまま放っておけるか。
全力で戦場への距離を縮めながら、左手に力を込める。
――イメージは、球。
『投網』でないことを自分でも不審に思うが……構わない。改めて、左手に意識を集める。
――イメージは、球。鉄球。左手の先に球がついている。いや、左手自体が球となっている。拳大の球じゃない。もっと大きい。ソフトボール、砲丸、サッカーボール、バスケットボール。まだまだ行ける。巨大に、巨大に。もっと大きく、もっと大きく。
Intersect5.2
「……けしかけましたね」
明るいグラウンドを一直線に突っ切って行く春詠の背中を見ながら、五付揺唄は言った。質問形ではなく、ただ話しかける音程で。それは詰問も非難も込められていなかった。強いて言えば、成果を確かめる共犯者のそれに近い。
実を言えば、揺唄には事態が全然飲み込めていなかった。
どころか、彼女の目にはキメラの影自体が見えていない。野球のホームベースがある辺り――校舎から最も遠い位置だ――で跳ね回る人影と、そこへ向けて疾走する春詠、そして灰色のドームだけが、彼女の視界にはあった。それでも、彼女の心は不思議と穏やかだった。少なくとも、誰かを問い詰めようという気にはならなかった。
さあね、と隣に屈む三姫は答えを濁す。
「そんなことより……あたしにとっての問題はきみ。揺唄ちゃん」
「ビルのことですよね? すんごく高くて、すんごく堅そうで、入り口がないやつ」
「きみにはそう見えたんだ、それ。人によって見え方違うからね」
「そうですか」
興味なかった。
「なんだか開かない金庫みたいで、すごく困ったんですよー。そしたら、」色々と思い返して、揺唄は顔を赤くする。もぞもぞと太股を擦る。少々複雑な思いではある。「……色々、入ってて。壊れたときは、びっくりしました」
「そこなんだよねぇ」
はぁぁ、と三姫が深い溜め息をついた。
「そう簡単には崩れないはずなのよ、そのビル。あたし達にとってちょっと不都合かなって思う揺唄ちゃんの記憶を、そこに押し込めて曖昧にしちゃってたわけ」
揺唄はそれなりに納得する。
「なんだけど、揺唄ちゃんの場合、崩れてしまった。よほどその記憶を求めていたのか、閉じられた記憶と強く結びつく体験とか感情を呼び起こされたのか……どっちにしろ、そこまで大切な記憶となると、気軽に『篭絡』なんてかけられなくなるのよね。だから、記憶の篭絡じゃなくて、完全な遮断をしなくちゃいけないんだけど……」
揺唄はぼんやりと理解する。自分はそこまで春詠が好きなのだろうか。それとも……『ここ』が冷たいのが原因か。後者だとは考えたくないが、前者だと考えるのは気恥ずかしかった。
「この記憶は――消されたくないです」
ぽつんと、正直に呟く。
「この気持ちは、消して欲しくないです。あたし、ハルちゃんが好きなんですから。何回消されたって、何度でも思い出してみせます」
涙が滲んできた。自分で言って自分で感動している。なんだかなぁ、と思いながらも、やっぱりこんなのも悪くないと思い直す。
「だから、金庫に入れようがビルに閉じ込めようが、意味ないですよ。こんなこと誰にも話しませんから。それにこんなこと話したって、またユリのモウソウが始まったーって言われるだろうし……だから」
だから。
「――消さないでください」
いつの間にか左手が、懇願するように三姫の小袖を掴んでいた。今夜から箸を持つと決めている手だ。――春詠に言われて。
「……」
三姫は黙り込む。
『篭絡』ではなく『遮断』ならば、それは呪いの一つだ。術的措置で解呪しない限り、自力でどうこう出来るものではない。選択肢としてはそちらも充分に選ぶに値する――しかし、
「じゃあさ、こうしよう」
三姫は揺唄の手を取って、両手で包む。
「その用件は、二度と口に出してはいけない。もし喋ったら、あたしに分かるようにしておくから。それで約束を破ったら、その時は――ね?」
「ハルちゃんと話すのは? 駄目ですか?」
「会話自体が誰かに聞かれると困るのよ」
「……分かりました」俯いて答える揺唄だった。
三姫は目を閉じるように指示し、少し上気した揺唄の額に、札を当てる。
「ちょっと静かにしててね」
通常の四音令の詠唱に条件付加の三音令を加えて、一序令二音令とする。わすかな光が揺唄の頭の中へ吸い込まれていく。成功。効力を失った札を畳んで袖へ入れ、
「完了よ」
ぽん、と三姫は揺唄の頭に手を載せた。
『遮断』なんて大層な効果の志術符に持ち合わせはなかった。今のところは、これでいい。
遠くで春詠が叫んでいた。
Intersect5.2out
接近する僕に先に気付いたのは戸波さんだった。こちらに背を向けるキメラと向かい合っているのだから当然か。恨めしげな顔つきは変わらず、頬がぴくっと動く。……舌打ちしたな、あれは。
聴覚や視覚があるのかないのか、こちらに背を向けたままのキメラの左後肢を狙って、
「行くぞおらぁあああっ!」
左の拳を振り下ろした。
――世界反転。
「あ――」
れ? と発音するより早く、僕は背中から大地に激突していた。
絶息。
背骨を強打し、肺から酸素が押し出されて、痛みのあまり地面を転げまわる。砂を吸って咳き込んだ。頭がぐらんぐらんする。後頭部も痛い。
どうにか体勢を立て直したところでようやく、蹴り上げられたらしいと理解する。文字通り一蹴か。
「――邪魔なのは二人だったらしいわね」
頭上から冷たい言葉が降ってきた。
「となみ、さん……」
とりあえず、どうにか四つん這いになる。きん、と納刀の音。
「言ったはずよ。保護して見ていろ、って。それにしても……さすがに今回はきついわ。五体プラス人間っていうのは久しぶり」
見上げれば、彼女の視線はキメラに固定されていた。冷徹な声音とは裏腹に、身体や服の各部は土で汚れ、汗で前髪が張り付いている。呼吸も多少上がっているようだ。
僕は彼女の視線の先を追う。
地響きめいた唸り声を上げるキメラ。その身体の大きさは、元の半分ほどにまで縮んでいた。それでも肩までは三メートル近くある。四肢や尻尾の太さは僕の胴くらい。
――と。
「いいところに居合わせたわ、明馬春詠。これが人間を取り込んだ『魔』の『第二段階』と呼ばれる変態よ」
突に、キメラが立ち上がった。天空に向けて吼えるかのように身を起こし、前肢を乱雑に動かす。身体の周囲に再び黒い靄が噴き出し、包みこむ。
「あの状態に手出しするのは難しいわ。見ているほかない。……その間に、少しレクチャーをしましょうか」体の各部の土を払いながら、戸波さんは言った。「あの手の悪魔は本来ならば、捧げられた供物に関係なく人型に近い形を取る。けれど、今回の欠陥だらけの召喚では、まともな人型を取れなかったのね。犬と猫、羽はカラス。形態が獣型なら、知能も獣に準拠する。身体能力、というか、活動や理解の仕方もね。ここまでが第一段階と呼ばれる形態」
黒いもやの奥にある黒い輪郭が、徐々に変化していく。立ち上がった体勢はそのままに、頭はより四角く形を整え、手足はより長く。
「次に、だけど」
悪魔の上半身が風船のように膨れた。下半身は巨木の幹そのままに大きく。形を整えられた二本の前肢が大きく伸びをするように広げられ、その先に、かえでの葉に似た五本の指が開く。
やがて、黒が晴れて行く。
「この手の悪魔も、『第二段階』になると人型を取るわ。ただし、人間を核としてのみの用途で取り込んだときのみ。すると、それなりの知能を発揮して、取り込まれた人間の意志も、残滓程度に持つようになる。そして、そこまで進行してしまった場合、取り込まれた人間の魂は消滅寸前。すぐに祓わないと――命に関わる」
「そんな……」
視界が晴れたときそこに現れたのは――説明の通り、人型だった。
十メートルはあろうかという、キングコングを黒い煉瓦で作り上げた、ごつごつした巨体。オーバーハングのように大きく迫り出した胸は、黒岩でできたゴーレムとも表現できる。
ソイツは胸を目一杯に反らすと、ほとんど物質としか思えない大音響で叫んだ。
思わず顔を覆う。耳が痛いなんてものじゃない。びりびりと肌が震える。体の中の水分までもが振動するほどの大音響だった。
「こうなるとね、少し会話が利くのよ」
ざっ、と戸波さんが一歩踏み出す。
「――それからアドバイス。あなたの重属性志術は、素早い動きに向いていない。時神のそれとは対極に位置する存在だから。どっしり構えて行きなさい」
「え……はぁ」
生返事を返す。顔を庇っていた腕を下ろすと、すでに戸波さんは闇の巨人の目前にいて、
「あなた。聞きたいことがあるのだけれど」
……話しかけていた。
「ちょっ……戸波さん?」
「あなたは黙ってて」
振り向いて一喝される。念のためその背中を追うが、戸波さんは再び、動きを止めている巨人を見上げて言う。
「あなた……君。君に、聞きたいことがあるの。答えてくれないかしら。まず君の名前を教えて」
その声は――僕に当たるときより、数倍柔らかいように聞こえた。
巨人はじっと動きを止めていたが、
「……、……サト」
か細い、声らしき物を発した。洞窟内に反響する岩の泣き声に似た音。
「ごめんなさい。聞き取れなかったわ。もう一度お願い」
「……ヒロエ。チサト」
がつんと。目の前で火花が散る。
ゴーレムが名乗ったその名前。聞き覚えがあるなんてもんじゃない。
それは――それは、センリの名前だ。
どうしてそこで――その名前が出てくる。あいつがこんなことをやったってのか? 小動物を殺して悪魔を召喚? そんな馬鹿な。何が目的でセンリが、あのセンリがそんなことをするっていうんだ。同姓同名なんて聞いたことがないが、なら今のは――僕の聞き違いだろ? そうに違いない――
「ヒロエ・チサトくんね」
そんな願望を、戸波さんの確認の声が打ち砕く。
「ではチサトくん。君は何をしたかったの」
「……ケシタカッタ」
「消したかった。チサトくん。何を」
「〈ミミ〉……ヲ……」とゴーレムは、センリは唸る。
「〈ミミ〉……〈耳〉ね。〈耳〉を消したかった? チサトくん。それはどういうこと?」
「〈カクタイ〉……〈チカク〉……」
「……。〈隔体知覚〉」
戸波さんの口調に狼狽が混じる。
〈隔体知覚〉。なんだそれ。それが、センリを……?
「チサトくん。君は〈隔体知覚〉の〈耳〉を消したかった。それはどんな〈知覚〉なの?」
「……キコ、エル」
「聞こえる。何が聞こえるの?」
「ヒトノコエ……ズット、ゼンブ……キコ、エル」
人の声が――聞こえる?
「そう。それはさぞかし――辛かったでしょうね」
それはつまり、どこにいても誰の声でも全部が全部のべつ幕なしに聞こえる、ってことなのか? なんで? いつから? 今、センリは――センリは、『ずっと』と言った……『ずっと』ということは、それはつまり、『生まれた時からずっと』ということか? それならあいつの、センリの、博学も物知りも、電波で要領を得ないけれど核心を突くような言葉の数々も――人を遠ざけるような――人を嫌うような――人を疎み遠ざけるような言動も、全部が、納得できる。寝ても醒めても夜となく昼となく他人の会話を聞かされ続けていれば――人間嫌いになるのは、それは、当然の帰結だ。
ああ、と思い出す。
だから――
『僕は地獄耳なのだよ』
『地獄耳? 閻魔様が持ってるっていう?』
『そうだ。持っていると、地獄のようなんだ』
『そういう意味だっけ?』
『さあな。違うかもしれない』
――あんなことを。
僕はずっとセンリのそれに気付かなかったってのか。
「それで今回――」
戸波さんの声。
「それを消そうと、画策したわけね」
返ってくるのは唸り声だけ。
「戸波さん……」溜め息をつく戸波さんに、僕は呼びかける。「あれ――あいつは、僕の友人なんです。どうしたら、助けられますか」
彼女は表情を変えずに、僕と、センリだったものを、交互に見遣った。
「喚き立てないのは、とりあえず評価に値するわ」
「それは……どうも」
「結論から言えば、今からあと五分以内にわたしがかんざしで処置を施せばいい。心臓に刺して、解呪。これでいいはず。けれど問題は、それだけじゃ済まないってことよ」
「? どういう……」
「黒幕がいるんでしょう? ヒロエ・チサトくん」
戸波さんの呼びかけ。
しかしセンリだったものは、答えない。
「そろそろまずいわね」
「まずいって――」
「明馬春詠、あんた、あれを足止めしていなさい。わたしは黒幕を潰してくるから。あれの活力源は中の人間だから――動けば動くほど、お友達の命は削られるって寸法なのよ」
「黒幕……いるんですか」
「十中八九」
戸波さんは言う。
「これだけ悪趣味な真似をする輩が、自分の成果を見ていないわけがない。そしてグラウンド全体を見渡せる場所には、心当たりがある。黒幕があそこにいる可能性が高いわ」
歯が軋る。誰かは知らないが、センリを上手くそそのかし、罠に嵌めた奴がいるのだ。そうに違いない。けれど……。
「時間は? 間に合うんですか?」
「間に合うわ。決まっている。わたしを誰だと思っているのかしら? 〈浮姫〉時神刹那を舐めてもらっては困るわね」
凶暴さと獰猛さが滲み出ている眼光で、戸波さんは言った。そしてその視線をつい、とセンリに向け、
「――来るわ」
呟きと同時に、姿を消した。
代わりに現れたものが一つ。
僕目掛けて薙ぎ払われる、真っ黒いハンマー。
「う――」
上半身ごと持っていかれる――そう思った瞬間、頭の上を台風が通り過ぎていった。風圧で横に吹き飛ばされる。
……腰を抜かした、のか。それで助かったのか。情けない、などと思っている暇はなかった。今度は縦に、真っ黒い隕石が振り落とされる。
転がる。
一メートル先に落下した隕石の衝撃で、身体が浮く。跳ね上がった石つぶてが体を打った。落下地点の砂煙が晴れると――そこには、クレーターがあった。一畳分くらいの範囲で、グラウンドが陥没している。
「……まじか」
ここまでとは――正直思っていなかった。あんなのを喰らったら、地面にめり込んで赤い土と化すだけだろう。冗談じゃないな……こんなところで死んでちゃいけない。僕は跳ね起きて――
〝ハルヨミ〟
――ささやき声を聞いた。
音源は分からない。そこからは何の情報も得られない、ただ単純な音としての声。〈耳〉、そう、耳が直接震えているような声。鼓膜と鼓膜がわなないているような声。これが誰のものか分からないほどに、僕は錯乱しちゃいなかった。
「センリ……お前、喋れるのか」
〝ニゲロ。ハルヨミ〟
ゴーレムの体は停止していた。腕を振り上げた状態で、何かに抗うように。
〝ボクハキミヲコロシタクナイ〟
「……駄目だ」
〝ニゲロ。ニゲロ。ニゲロニゲロニゲテクレタノムカラニゲテクレ。ボクハドウナッタッテイイカラ〟
「僕はどうなったってよくねぇよ!」
叫ぶ。勢いで否定したくて叫ぶ。
「いいかセンリ! 僕がここで逃げたら、死人が三人出るんだぞ。一人がお前、二人があっちにいる二人だ。なぁ、お前なら分かるだろ、おんなじ計算ができるだろ。僕の知っている広江センリなら分かるはずだろ。だから、僕は!」
ぐ、と左拳を突き出す。
「この左手でお前を止める」
〝ニゲロニゲロニゲロ――ニゲロニゲロニゲロ――ニゲロニゲロニゲロ――ニゲテクレニゲテクレニゲテクレ――――〟
「黙れよセンリ! 知りたかったんだろ、この手の秘密。教えてやるから、あとは僕とあの人に任せて黙ってろってっ!」
要は足止めをすればいい。ならば、そのための手段が何であっても構わないはずだ。
それに――《僕が死ぬかどうか》、その境界線は誰にも、僕にしか、関係がない。力が無ければ死ぬ。意志がなければ戦えない。決意がなければ戦い続けられない。素人の面倒を見ている暇はないし――死にそうになっても助けない。
――僕がそれに従うわけにゃあ、いかないんだ。
それじゃああの人に顔向けできない。
それじゃああの人の流儀に反する。
それじゃああの人に――なれない。
センリのはずの闇の巨人は、長く尾を引く咆哮を高らかに歌い上げた。それはさながら鬨の声のように。
――タイムオーバー、か。
目を上げて、ゴーレムの真っ黒い瞳を見据える。相手は動かずに、やはりこちらを見下ろしていた。あれはもうセンリじゃない。センリを核にした、憎悪の対象だ。どう料理しようか考えているのだろうか。それは別にどうでも良かった。黙ってミンチになんて、なってやらない。
左手を握る。勝算はある。
「ふぅ……」
殴り合いの喧嘩なんて久しぶりだ。なんというか、こう、漢同士の青春って感じで、悪くない気もする。
左手に、集中。
――イメージは、投網の回収。左半身に広がっている網を、引っぱって、引き絞り、まとめる。舟に引き上げ、丁寧に巻いて、畳んで、畳んで、小さく、小さく、圧縮。圧縮。圧縮し。
振り下ろされる右の拳に、
「うおりゃあああああ!」
『ブォオオオオオオォォォォォォォ――!』
ぶつける。
一瞬、相打ちかと思った。
だが次の瞬間には、僕の体は打球のように飛んでいた。
接地。
五回転。
意識が飛びかけて、口内の《がじ》という不快感に呼び戻される。砂が口に入っていた。ぺっぺと唾を吐く。赤が混じっていた。
「やべぇ……めっちゃ痛い」
体中が痛い。体中の皮膚が打ち身と擦り傷で埋め尽くされてるんじゃないかと感じるくらい痛い。
僕の身長ほどもある黒い拳と、当たり前だが人の拳ほどしかない僕の拳。普通に怪力と、『重さを重ねられた』チカラ。双方の力が相殺し合って、結果的にゼロになったのかと思った。
全然足りてない。
こうなるともう笑えてくる。だけど、
「はは……」
――死んじゃいない。僕は死んじゃいない。
目論見は間違ってなかったのだ。キメラに蹴られたときだって、左腕から蹴られたはずだ。だから、この左手なら、《奴》に対抗できる。普通の人間だったら死んでいただろう衝撃だけれど、地面に造作もなくクレーターを穿つ存在だけれど、僕はそれに対抗し、成功させて、今尚、ここに、生きている。
つまり――あれには対抗できる。
だから僕のやることは一つ。
立ち向かうこと。
死なずに、だ。
叫び声と共に、《奴》が猛然と襲い掛かってくる。今度は左。大きく振りかぶって、斜め四十五度から振り下ろして、僕を今度こそ押し花と変えるつもりなんだろう。
「そうは問屋が卸さない、ってか」
――イメージは、鉄球。左手の先に球がついている。いや、左手自体が球となっている。拳大の球ではない。もっと大きい。ソフトボール、砲丸、サッカーボール、バスケットボール。まだまだ行ける。巨大に、巨大に。もっと大きく、もっと大きく。タイヤ、米俵、金属で出来た大玉転がし。もっと大きな物を想像しろ。まだまだ巨大になっていけ。暗い背景、小さなきらめきが彩る空間――夜空、とんでもなく広い場所、そこに浮いている巨大な球、月。満月。あの衛星に、僕の左手が繋がっていく、それを今、武器としてこの左手に装着するつもりで――取り込む。
第二合目。
振り下ろされる左の拳に、
「――月上げェッ!」
左手の《月》をぶち当てる。
大地震か雷鳴かと疑うほどの爆音。エネルギーの衝突による波が、僕と巨人を中心に砂や小石を巻き上げて拡散するのが、分かった。理屈は多分、以前戸波さんに聞いた〈反発〉だ。踏ん張った両足元の地面が凹んでいる。凄い。
咆哮が響きわたる。干渉に浸る暇はなく。
第三合目。
フック気味の右。
「――月割りッ!」
左手につけっ放しの《月》を小指側から全力で払う。真逆のベクトルの力量が反発し、またも衝撃が爆散する。右足がめり込む。
もはや巨人の声には、叫喚の色が混じり始めている。そう感じる。センリの叫び? ――ストレス解消ってか? だとしたら随分でかいストレスだ。笑っちまう。
相手は十六年分の怨嗟と苛立ちを込めて。
僕は地球唯一の衛星を武器にして。
第四合目。
左のアッパー。
「――月落としィッ!」
肩を開いてから、ピッチャーの投球に似たモーションで、やや交差気味に腕を振り落とす。地面の表面を削りながら迫ってくるミサイルを、タイミングを合わせて――
叩き落す!




