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オフ・リミッツ  作者: 霜前七七五
第一部
11/28

4-3


     3


 それから先も三姫さんは、本当にレーダーを備えているかの如く(曰く、「これくらいは感知できるの」とのこと)現場を見つけ出しては、『解呪』とやらを手早く済ませていった。現場は全て、細い路地の奥や民家の隙間など、普通の人が立ち入らない、陰気臭い場所ばかりだった。

 それは四箇所目に向かう途中のことだった。

 三箇所目――廃屋(といって差し支えない民家)の裏で、カラスの磔刑を発見し、解呪を行なったあと、三姫さんの携帯電話に着信があった。

「節菜だわ。なんだろう」

 不思議そうな口調で言って出た三姫さんの、その顔が唐突に強張った。数回返事したあと、眉を曇らせて、通話を切る。携帯電話のボディを額に当てて、嘆息。

「しくじったぁ……あたしの間抜け。春詠くん。急いで学校へ戻る。走るわよ」

「な、えっ? 五つ目は?」

「節菜が回るって。さ、急ご」

 言うなり、三姫さんは走り出した。訳が分からないが、ともかく僕も後を追う。

「ちょっと、下手するとこりゃまずいかもなぁ……、何もなければそれに越したことはないんだけど、何かあったら――あたしは節菜に斬られても文句は言えないわね。これ」

 前を走る三姫さんの呟きが聞こえる。

「どうしたんですか、いったい?」

 僕の問いに、三姫さんは僅かに振り返って、

「悪魔召喚」

 かもね、と付け加えた。



Intercect4.2


 ――ハルちゃんとあたしって、格別仲がいいってわけじゃないのよね。

 陽もとっぷりと暮れて、夜。

 五付揺唄は、校舎裏の縁石に《てん》と腰を下ろしていた。自分の膝に頬杖をつき、月を眺めつつ取り留めのない物思いに耽る。

 理科の授業で何を何度習っても、揺唄にとって、月は空想を作り上げる重要な装置だった。とても幻想的。それで、ゆっくり眺められるのがいい。太陽と違って、長いあいだ見つめていて、その間ぼーっと考えることが出来る。

 雲の小袖をまとった月が、高笑いしながら辺りを照らしている。おーっほっほっほ、あたくしの美貌に、街灯如きが敵うものですか。裏庭の隅に立っているボロい街灯と比べると、同じ白い光でも、そんな風に言っているみたいだから不思議だ。月の方が断然高い空から見下ろしているし。きっと春詠がどこにいるかも見えているに違いない。

 ……まただ。

 溜め息混じりに、揺唄は首を傾げる。最近――ここ二週間ばかり、春詠が気になって仕方がない。別になんにもない、普通の男友達だったはずなのに。かといって、何か特別なことがあった記憶もない。第一、《好き》って感情がしないのだ。

 うむぅ、と唸って、もう何度目だろうか、揺唄は記憶を手繰る。

 春詠と本格的に知り合ったのは、中学二年の六月になってからだった。それまでは存在は知っていても、さほど接点はなかったのだ。顔はよく見ると整っていて、成績は中の上くらいで、やけに言動が主婦っぽくて(タイムサービスのことや掃除洗濯の方法や各種洗剤の取り扱いに詳しかった)、左手での腕相撲が負けなしな男子、と、そのくらいか。

 そして――中学二年の六月。

 普段は温厚そうで、多少の荒事も笑って誤魔化す明馬春詠が、クラスメイトと大喧嘩をやらかした。

 当時保健委員だった揺唄は、ワイシャツを朱に染め、鼻と右拳の先と唇の端から血をしたたらせる春詠に付き添って、保健室へ行った。そのとき初めて、五付揺唄は、明馬春詠という個人を認識したのだった。

 教室に戻ってから、喧嘩の話を聞くともなく聞いた。春詠は喧嘩に左手を一度も使わなかったというのだ。揺唄は不思議に思った。その頃の揺唄は(今でもそうだが)腕相撲で強いなら、殴る力も強いのだろうと考えていた。だから、どうして左手を使わなかったのか、それに、普段滅多に怒ったり怒鳴ったりしない明馬がどうしてそこまで激昂したのかも、気になった。

 それで揺唄は、持ち前のフレンドリー精神で、治療を終えた明馬春詠に話しかけたのだった。「ハルちゃん」と。

 けれどそのときの会話を、実はよく覚えていない。

 ただ覚えているのは、「左腕は絶対本気で使ってはいけない、と決めている」こと。「母親と仲がいいのを馬鹿にされてカッとなった」こと。そして――「カッと」なりつつも、最後の一線で自分を制御し切っていた、とても同い年とは思えないほどに大人びた男の横顔。

 もっとも――春詠のその表情は、押し寄せる日常の波にすぐに浚われてしまったのだが。

「ん……んん?」

 何か思い出しそうな気がした。頭の中にとげが引っ掛かったような、軽い不快感。しかし、思い出せそうもないので諦める。

 ふと携帯電話の時計を見る。六時四十二分。付き合いの多い揺唄にとっては、携帯電話が鳴らない日の方がむしろ珍しい。月が綺麗だから、たまにはいいじゃない。そう自分に許可を出す。

 月を見上げて、思わず溜め息を漏らす。月は小袖を脱ぎ捨て、ネグリジェに似た薄雲に素肌を覆っていた。神々しさに一層の箔をつけているのは、うっすらと現れている虹輪だった。月の虹。いい雰囲気だ。

 ともかく、揺唄と春詠はそうして知り合った。

 揺唄は中学の頃、吹奏学部に入っていた。春詠は帰宅部だった。夕方のタイムサービスに向かう彼に、部活は邪魔だったのだ。相変わらずほとんど接点のない二人だったが、どういうわけか与太話仲間、あるいは漫才コンビとして、それなりの付き合いをしていた。時間が合えば、一緒に帰ったこともある。そういえば、文化祭実行委員もやったんだったか。

 そうこうするうちに、偶然同じ地元の高校に入り、同じクラスになった。お互いに気に掛けていたわけではないのでさほど感動もなく、「あれ。また一緒だね。よろしく」「ああ。こちらこそ」的な挨拶をしたくらいだった。元より交友関係としては遠いので、それ以上引き合いも遠ざかりもしなかった。

 そこで記憶は、今年の四月の終わりに突き当たる。

 ここの部分が実に曖昧。

 何もなかった――ということはないはずなのに、どうしてもそれが思い出せない。記憶を探っても、入り口のない高層ビルと向かい合っているように、思考が堂々巡りしてしまう。

 今日、『たつべい』で分かれてから跡を尾けたのも、これが理由だった。春詠が最近連絡を取り合うようになった戸波という二年生と、岡佐倉さんという姉の友達でもある三年生。何をされた憶えもないが、とりあえず疑ってみたのだ。

 ――その結果が、この待ちぼうけである。

 きっと校門で、携帯電話で少し話しこんでしまったのが失策だったのだ、と揺唄は考える。とりあえず戸波先輩の荷物の傍に腰を下ろしていたが、果たしていつ帰ってくるのやら。しかも今考えれば、尾行してからどうするかを何も考えてないことに気付いた。

 本当、自分は考えナシである。

 はぁ、と溜め息をついたとき、裏門に誰かの人影が見えた。すわ三人のうちの誰かかと近くの植え込み(ドウダンツツジ)に身を隠す。自分の鼓動に耳を澄ますこと十数回、やがて街灯の下に出てきたのは――

 クラスメイトの、広川千里だった。

 長めの髪と、銀縁眼鏡。神経質そうな歩き方で中庭を抜けてくる。そんな外見的特徴を全てすっ飛ばして揺唄が凝視していたのは、彼の顔だった。堅物の科学者か哲学者を連想させる、白い顔。その顔が――凍っていた。能面のような、とはよく聞く比喩だが、今の彼の顔は、虚ろな表情を作って固められた蝋細工だった。昼間も顔を合わせたが――あそこまで不気味な顔ではなかったはずだ。

 揺唄が訝っているあいだにも、千里は揺唄の少し離れた場所を過ぎて、グラウンドに出ていった。揺唄もなんとなくその後を尾ける。初めての尾行が一日二度、今日は尾行記念日ね、呑気にそんなことを考えながら。

 校舎にほど近い松の木の影から、千里を窺う。

 すると――何かが立っていた。

 グラウンドの中央に佇む、千里とその影。今はグラウンド全体を無感動に照らしている月の光が、何故か寒気を誘う。

 千里はその『何か』と話しているが、遠くて聞こえない。揺唄は目をしばたいて、その『何か』――『誰か』を凝視する。目をこすって、また注視する。しかしよく見えない。あれは――何故か薄っぺらく、そして細い。紙を立てたような頼りなさだ。

 会話を終えると、千里が『何か』から幾つか物を受け取った。大洋紙くらいの紙が広げられて、千里がその上に膝をつく。彼は右手を動かしながら、左手の方を少し見て、また右手を動かす、を繰り返す。左手にある何かを見ながら何か書いているように見える。

 絵だろうか、と揺唄は思う。こんなところで絵を描くのか、変わった人だとは思っていたが、やはり変わった人だった。案外、面白そうな人だとも考えられる……そんな五付揺唄本来の思考が、湧き上がってくる。だが、同時に生まれている別の感情が、それを行動に移すことを阻害していた。

 ――恐い。

 彼本人が、ではなく、何か漠然としたものが恐い。悪寒がする。良くない。嫌な予感がする。止めた方がいいんじゃないか。

 勘が良い、とは時々言われる。特に春詠には多く言われるが、しかし彼の場合は分かり易いだけなので、それは彼自身が鈍いだけだ。その勘が――警告を発している。

 書き終えたと見えて、千里は立ち上がった。『何か』と二・三言を交わし、まだ左手を見ながら、今度は何かを唱え始めた。

「――――」

 ぞく、と揺唄の肌に鳥肌が立つ。内容は聞こえないが、その響きだけで鳥肌が立った。身体の何かが引かれる感覚。思わず自分の長髪を手で押さえる。髪の毛を全部、痛みのないままに抜かれたらこんな気分になるんだろうか。もう片方の手を、松の木の肌にぎゅっと押し付ける。少し心が落ち着く。こうしていないと、しまいには自分の身体のパーツ全部がいつの間にかなくなりそうな気がした。

 そうしている間も、千里は音節を紡ぐ。彼にはこんな感触がないのだろうか、と揺唄は訝しがる。音節は止まることなく続けられ、悪寒はますます増大するばかりだ。とうとう揺唄は、セーターが汚れるのも構わず、松の幹に身体を押し付けた。八十七の胸が潰れる。このくらいで形は崩れないよね、と場違いな心配をした。

 やがて音節が終えられた頃には、揺唄はじんわりと汗をかいていた。額を掻こうと指をやって、自分の状態にようやく気付く。何もしていないのに息が上がっていて、心臓の鼓動も早い。そのくせ、寒い。鳥肌が立って、身体の内側が震えている。風邪をひいたときに似ている。六月とはいえ夜はまだ少し肌寒いから、本当に風邪かも、とも考える。けれど揺唄は、考えただけで、真実そうだとは全然思っていなかった。

 ――はたして、その考えは正しかった。それは風邪ではない。彼女の体内から来るものではなく、体外から来る作用に他ならなかった。

 ただし彼女は、その答えを知る由もない。

 ふと見ると、千里の周りの空気が揺らいでいた。頭を振って目を凝らす。彼は右の方を見ていた。十世高の正門がある方向。自分の体内の異変に疑問を抱きつつも、ひとまずそれを隅に追いやり、揺唄は彼の視線の先を見る。

 視線を向けると同時に、怒鳴り声が聞こえてきた。



   …



「お待ちしていた」

 十世高校グラウンド。無音の月光が降り注ぐ下で、広川千里は雑音に顔をしかめていた。そんな彼を前に、白い紳士は恭しく頭を下げる。

「……」

「お返しいただけないか……それもよろしい。では、こちらも単刀直入に申し上げよう」そう言って、紳士は帽子を脱いだ。「あなたの仰った戸波節菜――彼女が、わたくしが探していた『時神刹那』と同一人物であることが判明した。ついては、あなたの〈隔体知覚〉を完全に封印して差し上げる」

「そうか」

「少々手順が必要で、あなたの手を借りなくてはならない。よろしいか?」

「何をすればいい」

「では――」と、男は懐に手を入れた。そして取り出したのは、小さく折られた紙と、太めの赤いペン、黒皮張りの手帳だった。手帳は古く、縁は擦り切れている。千里はそれらを受け取る。

「紙を広げて、手帳に書いてある通りの順に、それらの記号を書き写す。その後、同じく手帳に書いてある呪文を唱える。上手く行けば、あなたはその〈耳〉から開放されることだろう」

「上手く行けば――だと?」

「あなたが失敗しなければ、という意味だ」

「……」

 千里は紙を広げ終えた。大きな紙いっぱいに描かれていたのは、奇妙な法則性を持った円陣。魔法陣だろうか――と千里は思うが、確認する気にもなれなかった。手帳を開く。月の光を頼りに一つ一つを確認しながら、慎重に書き写していく。

 縦線、横線、斜線に曲線、点があったり、丸があったり、塗り潰したように見える図形もある。何かの絵に見えることもあるが、それは半ば強引にこじつけての話だった。その意味も発音も、どういう成り立ちかも千里には理解不能だった。ともすれば落書き以下、無意味に見える形の羅列を、順番に、書き写す。

「この文字は――『志字』と呼ばれている」

 注釈? ぴたりと手を止める千里。しかしすぐに作業を再開する。無駄な知識だ。二度と、使わない。使うわけがない。

「世界の法則を表す文字。その意味ではルーン文字に近いが――あそこまで象徴的な意味はない。その意義は虚空に糸を張るが如く。具象性は絵空事ほどに皆無。種類は砂粒より数多。しかしそれゆえに、象徴としてではなく、事象として顕現する――」

「――質問だが」

 千里は男の言葉を遮った。

「何か?」

「この――『志字』。並べる必要はないのか? 普通の文字のように、縦や横に」

「ない」鷹揚に、紳士は答える。「順序さえ守れば、たとえ重ねて書いても問題はない」

「そうか」

 質問から数分――やがて、書き終える。その頃には、半分くらいは残っていた白地がほとんどなくなっていた。

「ご苦労。あとは儀令を唱えればよろしい」

「儀令……これか」

 手帳をめくって、千里はその文言を探り当てた。立ち上がって、呼吸を整える。魔法陣から数歩離れる。緊張のせいか、呼吸が荒くなっていた。言い間違えることは許されない。長い深呼吸をして呼吸を整える。

「命ずる――」

 彼は発音を始めた。十五の音令から成る一儀令の、一音令ずつを、震える声で。

「――蹂躙をもって糧と成す。糧は糧として納めに沈み。絶化は五度、還元は五度。足下より出でて右へ抜けよ――」

 告げるごとに、魔法陣の上空で何かが蠢く。赤い色と臭いが歪む。情動が押し寄せてきて、全身が総毛立つ。

「――熱と風はあらねば好し。冷と土こそ組み上げると知れ。後記する彼らの犠牲の元に。彼らを喰らいて我諸共封印すべし――」

 唱えるごとに、体に汗が滲む。痛みなく髪の毛が万単位で抜けていくような錯覚。心臓が早鐘を打ち鳴らす。身体が一層震えを増した。左手を右手で押さえなくては、儀令の文章が読めない。

 これを耐えれば自分は助かるのだろうか……この長年付き纏われた呪いから開放されるのだろうか。痺れた頭でぼんやりと考える。正常な判断力は、既にない。

「――捧げし贄は向こうに五つ。一つは未に、四足の猫。二つは丑に、双翼の鴉。三つは戌に、臓物の猫。四つは辰に、補う犬。五つは亥に、座する頭――」

 怯えを吐き出すごとに、魔法陣の上に何かが集約するのが分かる。空気が揺らいでいるからではなく、肌が細かく振動している。とてつもなく寒い。身体が重い、身動きが出来ない。緊張で舌の根が張り付く。唾を飲むことすら出来ないほどに乾く。

「――這い出る汝に授けて譲る。淵より来たれ、空ろな虚精よ」

 それでも彼は、最後の音節を紡ぐ。

「一儀令――魔獣作成・〈隔聞〉儀授」

 同時に。

 目の前がぐにゃりと歪んだ。彼は驚き、身を返す暇もなく、飲み込まれた。

 誰かの叫び声を〈耳〉に残して。


Intersect4.2out

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