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「誰かと約束あるんだっけ?」
「そ。ちょっと野暮用」
「ふぅん。じゃーばい、ハルちゃん」
「じゃーばーい」
揺唄と『たつべい』の前で別れて、高校への道を戻る。いつものように六時の約束で、戸波さんと三姫さんに呼ばれているのだった。
今日ははたして何をするのか。また体育センターに連れて行かれて手合わせ、とかだったらかなり嫌だ。死凶血禁上層部に僕の力量を報告する、という大義名分を盾に、ゴールデンウィーク中に青痣を作られまくったのだ。
戸波さんはああ見えて、それとも雰囲気通りというべきか、めちゃくちゃに凄い。一撃一撃の威力はさほどではないけれど――とにかく、速いのだ。且つ、しなやかで、的確。蹴られた瞬間に吹っ飛ぶのではなく、よろめいた間隙に次の二発が叩き込まれている。そう気付いたときには足を払われて、背中を床に打ち付け、肺に肘を落とされている、といった具合だ。
女性に手を上げるのはなぁ……と最初は思っていた僕だったが、すぐにそんな認識は生温いと知った。いっそ清々しいくらいにレベルが桁違いだったのである。「本気を出しなさい」とよく発破を掛けられたが、本気を出そうが出すまいが変わらなかった。攻撃を空振っているだけでいい運動になるくらいだった。
対して戸波さんは、僕と何戦交えても汗一つかいたりしない。服装は体操着(上半袖、下は長ズボン)なのだが、戸波さんのポロシャツが濡れているところを、僕は一度も見たことがなかった。……微妙な言い回しだが。
そうこうするうちに、十世高校門に到着。
沈みかけた夕日で、校舎が赤黒く染まっている。男子野球部もそろそろ練習を切り上げるのか、バックネットの近くに大勢たむろしていた。集合場所は校舎の裏手である。いつもの空き教室ではない。校舎の一角を迂回するように回ると、そこに二人はいた。
「――やっと来たのね。遅いわ」
「こんばんは、春詠くん」
「あ……どうも。こんばんはです」
近付きながら、二人をそれとなく観察する。
戸波さんはいつもの制服姿。長い黒髪はかんざし(あかひな、だっけ)でまとめられている。バットでも入っているのか、細長い袋を肩に掛けていた。そして――いつもは穿いていないのに、何故か黒タイツ着用である。すげえ魅惑的であります隊長っ。……改めて見ると、戸波さん脚長いな。
一方、三姫さんは私服。落ち着いた装いで、茶色っぽい薄手のブラウスに、足首まであるロングスカート。ショートブーツ。少し膨らんだショルダーバッグを肩にかけて、洒落た美術部員といった風情だ。普段耳上で結っている髪は、今は後ろに流されて、どうも二股に分けられているみたいだ。
ふむ。本当に意外な私服だな……。赤いセーターに黒いミニスカートとニーソックスだったら、流石に出来すぎだとは思うけれど。でも今は髪型違うか。
「邪魔な荷物があったらあっちに置いて」
僕が寄っていくと、戸波さんはそう言った。自分を見下ろして、肩掛けカバン一つしかないのを確認する。筆箱とノート二冊しか入っていないので、ぺったんこだ。その事実を告げると、戸波さんは肩に掛けていたバット袋を下ろし、ジッパーを開ける。
――それは、バットではなかった。バットより細いもの。
巻かれていた紫の高級そうな布を剥ぎ取ると、そこに現れたのは、凝った意匠の赤い鞘だった。
刀だ、と判ずるまでに数秒かかった。床の間の飾りだと思った。
かんざしと同じように唐紅を基調として、柄や鍔には、見るも豪華な金細工が施されている。それでいてけばけばしい雰囲気はなく、例えて言えば、皇女か王妃の如き気高さ。
けれどその中身は、最強と謳われる凶器。
戸波さんはその赤い鞘の、柄のすぐ傍を持つ。左の腰に溜めるようにして、半身に構える。
僕の方へ――右足を出して。
「冗談……ですよね」
「本気」
「偽物……ですよね」
「本物」
「ね。ねぇ。三姫さん」声が、否、声帯が震えている。「これ、冗談ですか。止めて欲しいんですけど」
三姫さんは微笑で首を振った。あたしは何も知らないよ、とでも言う風に。我関せず、と言わんばかりに。
かすかな金属音がして――これが鯉口を切った音か――戸波さんに目を戻すと、すでに刃がこちらに向いていた。
飽くまで無表情な戸波さんの顔。
その手前には、ぎらつく刃先。
今すぐ人を殺したがっている、今すぐに僕を喰らおうとしている、今すぐに赤く染まりたがっている、無機質な鉄色が獰猛そのものにしか見えない。いくら鞘のデザインが綺麗でも、いくら鍔の造りが精巧でも、いくら柄が美しくても、その用途は、血を浴びるためにあるのだと、高らかに主張されている。
けれど同時に――
心が惹き寄せられるようでも、ある。
極限まで鍛え上げられた妖しさ、磨き上げられた崇高さ。夢に現れ死にいざなう悪魔に似た、耐え難い魅力。力無き者を優しく抱く殺戮の女神。あの刃に斬られたら、さぞかし気持ち良いのではないか。体を斬られる痛みも快楽に変換されて、斬られるごとに絶頂がこみ上げてくるのではないか。血液と同じ勢いで魂すらも開放されてしまうのではないか。
そんな妄想に駆られて僕は一歩踏み出し――
「――くっ」
そうになった自分の頬を両から張って、左足を踏みとどまった。
ふざけるな。妄言も大概にしろ。一体全体何を考えてやがるんだ僕は。斬られることが気持ち良さそう? 明馬春詠はいつからドMになった馬鹿野郎。母さん残して死ねるか阿呆。しかも抱くとか絶頂とか、僕ァまだ童貞だよチキショウ! そんな経験はねぇ! そんな世界は知らない!
「明馬春詠」
名を呼ばれて、我に返った。
かすかに口角を上げているような気がしたが――一旦ぎゅっと目を閉じて視界を鮮明にすると、やはり彼女は無表情のままだった。
抜いていた刀が、一度納刀される。
いつの間にか、僕は戸波さんの射程圏内に置かれていた。約三メートル。一投足の距離。
しかしこれは、僕が身を翻して逃げた場合のことも想定しているのだろう。戸波さんが一歩でこの倍の距離を詰めたのを、僕は身を持って知っている。その時は正拳突きで、悶絶するだけだったけれど……そちらがその気なら、背を見せた途端に首が飛ぶはずだ。胃液どころか血が噴き出す。
おそらく叫んでも誰もこないだろう。三姫さんが絡んでいるなら防音の方法があるかもしれないし……息を吸って吐く間に、戸波さんなら首が飛ばせる。疑う余地無く飛ばせる。悲鳴ではなく、やはり鮮血が上がることになる。
「あなたは今、どこにいる」
詰問形だった。
質問の意図が――読めない。まさか十世高、又は校舎の裏などという、その場凌ぎの答えを求めているわけではないだろう。僕が答えられずにいると、戸波さんはもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「あなたは今、どこにいる」
「十世高の校舎の裏です」
殺気と共に鯉口が切られた。
「次にふざけた返答してみなさい。斬るわ」
残機ゼロ。
何も言えなくなった。
じっとこちらを見つめたまま、目を眇めて、戸波さんは言う。
「あなたは今、境目にいる。日常と非日常、普通と異常の、境目。常人が暮らす区域と――常人が立ち入ってはいけない区域との、境目」
境目にいる。
戸波さんは繰り返した。
「わたしや三姫さんは、すでにこちら側の人間よ。後戻りは出来ないし、するつもりもない。だけれど……あなた、明馬春詠は、まだ、普通。普通の人間に戻れる。そのチカラも封印できるし、記憶は記憶篭絡で覆い切れるわ。自分が自分でなくなるわけでもない。――そういうことを踏まえて、明馬春詠」
今度は鯉口が切られたままで、戸波さんは再び詰問した。
「あなたの進退を聞かせて」
「僕は――」
成程。そんなことを聞いていたのか。それならば、僕の答えは決まっている。
「――進むに決まっていますよ」
「いま本局に出している報告書だけれど」
予測はしていたのか、戸波さんは表情を変えずに続ける。
「あなたに関する処置代行は、わたしたちに任されている。本局にとって不都合なものは、場合によっては処理される。言ったでしょう? 本局からの通知の結果次第では、最悪、あなたを殺すこともあり得る」
戸惑いも淀みもなく言い放ち、戸波さんは刀を抜き放った。
ゆっくりと僕に歩み寄り。
刃を首に、当てる。
互いの目を、合わせる。
冷たい。
押し付けられているのに、突き放されるように冷たい。
見つめられているのに、すれ違うように冷たい。
これは――かんざしの焼き直しか?
答えは否……だろう。
あのときは、ただの暴力としての脅迫――《脅す》脅迫だった。けれどこれは、ただの暴力としての脅迫ではなく――どちらかと言えば、《迫る》脅迫。選択の強制ではなく、選択の強要。
「もしそうなったとき――もしあたしや三姫さんとやり合うようなことになったとき、それでもあなたはその意思を貫き通せるのかしら。その意志を貫き通す力はあるのかしら。力を保ち支える、もしくは補うほどの決意はあるのかしら」
「…………」
「ないなら、退きなさい。意志。能力。決意。どれか一つでも欠けているのなら、さっきの選択は撤回した方がいいわ。力が無ければ死ぬ。意志がなければ戦えない。決意がなければ戦い続けられない。わたしたちに会えたことで――こちら側に関わりを持てたことで、随分と喜んでいたようだけれど。話を聞こうとは思わないから、自分の中で、問いなさい。それで答えを出すといいわ」
「……あなたは」
僕は、かろうじて声を出す。斬られるかもな、と思いながら。
「あなたには――あるんですか」
「あるわ。わたしには」
きっぱりと答えて、戸波さんは刃を離した。三歩後退して、刀を納める。踵を返して紫の布で刀を包み、最初と同じように細長い袋に戻して、担いだ。
「じゃあ、三姫さん。二手に分かれましょう。あなたはこいつをお願い。わたしは東から北に向かうから。終わったらまた、ここ集合で。それから――明馬春詠。詳しいことは三姫さんから聞いて。この件は、あなたの参考になるはずよ。さっきの答えは、この件が終わったら聞かせてもらう」
三姫さんが承諾するかしないかのうちに、戸波さんは宵闇の中へ消えていってしまっていた。
僕はその様を……
「春詠くん」
三姫さんに肩を叩かれるまで、呆然と見送っていた。
「まあ、気を取り直して、行きましょう。説明は歩きながらするから。それとも、帰る? あたしはそれでも構わないけど」
「いえ。行きます」
軽く頭を振って、僕は答えた。戸波さんの言葉が頭の中で残響して、そうしないと何も聞こえないような気がしたから。
Intersect4.1
陽の傾いた住宅街を、細長い袋を肩に担いだ、十世高校の制服を着た少女が一人歩いていた。目を閉じたまま、しかし確かな足取りで、よろめくようなことは決してない。時折すれ違う親子連れや老人が不思議そうに彼女を振り返っても、彼女は頓着しなかった。
――これは戸波節菜の自己鍛錬の一環である。視覚に頼らず、記憶と歩幅、聴覚、触覚で道路を歩く。
生体自己制御の精度を上げるだけでなく、志術の発動に必要な像想像力を養ったり、適度な緊張感を保つ訓練、風の流れや音から状況を判断する訓練にもなる。
とはいえ、節菜も修行中の身。
ふと足を止めて目を開ける。すると、目の前には路上駐車の車があった。さすがに停止している無機物までは感知できないため、こうしたものは事前に確認し、脳内地図にインプットしておくのだが……。小さく嘆息して、節菜は振り向く。道路幅を確認して、肩の刀――『浮姫』を左肩に担ぎ直す。おそらくこの重量が重心を微妙に狂わせていたのだろう。
愛刀のうちの一振りとはいえ、『浮姫』は、普段は滅多に持ち歩かない。ましてやこれを持ったまま公道を歩くなどという経験は、数えるほどしかなかった。国の許可は受けていないので、銃刀法違反で捕まりかねない代物なのだ。
節菜は車を避けて、再び目を閉じ、歩き出す。
そんな得物を持ち出したのは、あの少年――明馬春詠のためだ。
志術によって特殊な効果を持たせた武器を〈祈装具〉と言う。『浮姫』の場合は、硬度強化、極端な軽量化、軽度暗示装置、この三用途を刻志されている。
硬度強化は武具として最低限の処置であるし、所詮は非力な女子の片腕、鋼の棒をそのまま振り回せるはずもないため、時神志術を刻み込んである。戦闘状態の『浮姫』は、一〇〇グラム程度の体感重量しかない。
〈暗示装置〉というのは、読んで字の通り。催眠術の五円玉に当たるものだ。しかしあそこまで形式的――かつ象徴的だが形骸的――なものではない。志氣を利用して相手の脳内に軽度の錯乱を掛ける、そのためのれっきとした〈装置〉である。かんざし……紅雛汲簪朝桜にも同じ効果を付与してあり、三姫の記憶篭絡を持ち出すまでもない場合はこちらで済ますこともしばしばだ。
先ほどは――これで春詠を錯乱させた。
その結果――これを春詠は跳ね除けた。
「ふ……」
久しぶりに骨のある件だ――節菜は薄く笑みを浮かべる。洗濯物を取り込もうとしていた婦人がその様子を見ていて、怪訝そうな顔をした。気付いてはいなかったが、節菜はすぐに表情を引き締める。
節菜は目を開け、スカートのポケットから羅針盤に似た器具を取り出した。〈志振盤〉。志術反応を探査、検出する装置である。節菜は志術の発動認知の大部分を視覚に頼っているため、こういった器具を用いた方が探索効率が良い。
こと荒事以外の件に関して言えば、節菜はあらゆる面で三姫に劣る。それは探査と解呪も例外ではなく――不完全な志術式を探すとなれば、尚更だった。
最近周辺地域で多発している小動物殺し、その現場に志字の痕跡が見受けられるということは、以前三姫に伝えた。今回の行動は――言わば、その一斉摘発である。犯人の心当たりはあるが――〈媒介師団〉――それにしてはやり方が杜撰で、回りくどい。まるで、全くの素人に委ねているように。
志振盤に従ってしばらく歩くと、徐々に人通りが少なくなってきた。斜めに走る道路が増えてきて、幅もまちまちになってきた。節菜はそのうちの一本、いかがわしい目的を持つ者ですら入らないような細い路地に入っていく。
そこには、三毛猫が死んでいた。
「……酷いわね」
嫌悪感を露わに、節菜は眉根を寄せる。
三毛猫は腹を切り裂かれていた。中身を取り出され、土の上に整然と並べられていた。頭は生首で、バランスが取れず横に転がっていた。まき散った血は固まって黒くなっている。ところどころに文字のような形が見える。
死んでからしばらく経っているのか、腐臭がする。しかし遺体の腐敗は激しくなかった。虫も湧いていない。
節菜は手を合わせて、目を閉じる。十秒ほど黙祷。目を開けて、節菜はかんざしに手をやった。抜く。支えを失った長髪が自由落下し、艶やかなカーテンを作り出す。
「来世でお幸せに。猫ちゃん」
節菜はそのかんざしを、猫の遺体の上空に突き立てた。
――解呪。
すると、猫の遺体が急速に腐敗を始めた。みるみる肉が崩れ、色が変わり、狭い路地空間には更に強い腐臭が立ちこめる。
節菜は頷いて、その場を立ち去った。
どこかからかすかに猫の鳴き声が聞こえた。喜んでいるのか、怒っているのか、呼んでいるのか――風のいたずらなのか、判然としなかった。
Intersect4.1out
一発で意識が覚醒した。
昔からホラー映画は好きじゃなかったんだ。特にアメリカン・ホラーは。スプラッタで恐怖を演出するのが力技っぽくて嫌だった。脳漿、内臓、凶器、鮮血、暴力――そんなものをこんな風に目の前に出されたのだから、目が覚めないわけがなかった。
口を押さえて、逃げ出しそうになる足を押さえつける。視線は逸らせない。
目の前にいるのは、犬だ。柴犬。年齢は分からない。何故って、体格が分からないくらいにばらばらにされているからだ。無論、死んでいるに決まってる。
死臭が鼻を潰す。鼻腔から涙腺にまで昇ってきて、目が痛い。呼吸するのすら嫌な空気だ。胸いっぱいに吸い込んだら、僕までそちらへ仲間入りしてしまいそうなほどに。
「辛いなら見なくていいよ。でも、見るのなら黙祷して欲しいな」
押さえ込んだ声で三姫さんが言った。それから、「……このぶんなら必要なかったかも」とよく分からないことを呟いた。
三姫さんの黙祷に、僕も倣った。長く感じた。
それから、三姫さんは肩から降りていたバッグの外側から、栞くらいの紙を取り出し、何事かを口の中で唱えた。すると一気に死骸の腐敗が進んで、腐臭もいっそうきつくなった。三姫さんはその紙を、丁寧にたたんでポケットへしまっていた。
僕は耐え切れなくなって、三姫さんに先駆けてその裏路地を出た。夜の冷たい空気が身体を清めるように感じて、僕は何度か深呼吸した。買い物帰りのおばちゃんが不審げな目をして通って行った。
三姫さんは気を悪くする風でもなく、僕のあとから出てきた。
「……すいません」
「少し気が削がれた?」
「え? あ……はい」
残酷とも取れる質問に、僕は頷く。三姫さんが歩き出して、僕も後を追う。三姫さんがそうでないことは、なんとなく、分かっている。
「あれはね、成仏させてるのよ」
「成仏、ですか……?」
「そう。まあ、本当は、解呪なんだけどね。時々あるのよ。通販で黒魔術の本とかグッズとか手に入れて、実際に使っちゃうやつ試しちゃうやつ。さっき血文字があったんだけど、気付いた?」
僕は力なく首を振る。そんな余裕はなかった。
「だろうね。あれは初見じゃキツかったと思うよ。正直、あたしもちょっとびっくり。……そういう類の本とかグッズって、不完全だったり、でっち上げだったりすることが多い……ていうか、ほとんどそんなのばっかりなんだけど、あんぽんたんは、そんなこと知らずに使うのよね。そんで、死んでるのに中途半端に縛られちゃうと、ああなる」
中途半端に縛られる。死に切れない、ということだろうか。だから解呪を行なった後に、急激に腐敗が進んだ。そう納得するのが近いのだろう。
「あたしと節菜は今回、それを解呪して回ってるってわけ。節菜の方も一つ終えたみたいだけど、あたしがやるのはあと五箇所くらいかな。結構活動的なあんぽんたんか、それとも複数人か、多分後者だと思うけどね」
五箇所……。あんなのを、あと五つも回るのか。
無言のまま、しばらく歩く。三姫さんのブーツの音がやけに耳に響いていた。
「随分効いてるみたいねぇ」
三姫さんが、赤い空に向かって呟いた。
「そりゃあ……勿論」
「ふふん。そんな気に病むことでもないんだけどねー」
手を後ろで組んで、三姫さんが軽そうに言う。傍から見るとデート中の二人に見えるのかな、などと考えてから、すぐに打ち消した。
「例えば、あたしを見てみなさい。意思も能力も決意もないわよ」
「……ないんですか?」
「ない」
やけに自慢げに断言される。
「そりゃあ、岡佐倉の姓を持ってるから、それなりに札とか作れるけど? でも、血も随分薄まってるし。うちは岡佐倉は岡佐倉でも末端だし。それに、岡佐倉は色んな種類の札を作るから、万能がモットーなのよ。けど実際、それは器用貧乏ってことでしょ。裏を返せば、特にこれと言って何もない。特徴がないのが特徴、みたいな。節菜より色々使えるってだけでね」
「……戸波さんと三姫さんって、どっちが強いんですか」
「禁番は根っからの戦闘タイプだからね。条件によるかな。普通にやりあったら、節菜には絶対敵わない。どちらが相手をねじ伏せるかだったら、節菜の圧勝よ。どちらが相手から逃げおおせるか……でも、やっぱり節菜の圧勝かな。唯一勝てるシチュは、そうだなぁ、志術的トラップ障害物競走、とかだったら多分勝てるよ」
「はぁ……」
「どんなんだよ、って感じだよねぇ」
あははっ、と屈託無く笑う三姫さんだった。
「ちなみにね、意志も決意もないのよ。家がたまたまこんなんだっただけ。蔵を掃除してたら、本が出てきてね。使えるなら使おうかしらー、みたいな感じで。でも、普通そんなの、自分の生活に関係ないじゃない? 中学の頃くらいに、別にいらないんじゃないかな、って思ったのよ。それでお金稼げるわけでもなし」
「稼げないんですか?」
「あたし程度じゃあ無理。節菜だったら、クチはあるだろうけど」
そんなものなのか?
「まあ……」と三姫さんは目を細める。「あたしの場合はね、一回、事件があって。結局勘違いで収まったんだけど、それなりに考えるところもあったし。それで除霊士みたいな真似ごと続けてたら、二年になって、節菜が入学してきて、じゃあ組みましょうか、と。あたし、索敵みたいなのは得意なのよね」
「レーダーみたいな言い草ですね……」
「実を言うと、ツインテールはその機能を高めるためなのよ。デュアルレーダーってやつ? 妖気を感じると、こう、ぴーんと」
言って、両腕をアイスラッガーみたいにぴーんと伸ばす。
「ま、嘘だけどね」
「そりゃそうっすよ。お父さん目玉ですか」
「目玉っていうよりは案山子かな。細っこいのよ、うちのパパ」
笑う三姫さんの横でも……幾分心は軽くなったけれど……僕はまだ笑えなかった。
「ところで……」
「うん」
「意思と決意って、どう違うんでしょうね。だって、意思も決意も、何かをしよう、ってことには変わりないですよね」
それは簡単、と三姫さんは唄うように唇を動かす。「意志は、しようとすること。決意は、すると決めること。『志す』のと『決する』のは全然違うわよ。小説家になろうとすることと、小説家になろうと決めることは、全然違うでしょ」
「でしょうか。戸波さんは――」
「ん?」
どんな意志と決意があるんでしょう、と言いかけて、止まる。ここでそんなことを言っても、詮無い気がした。それにこういうことは本人から聞きたくもあるし、聞くべきだと思ったから。
「――戸波さんって、もしかして、僕のこと嫌いだったりするんですかね。それで仲間に入れたくないとか。いつも不機嫌そうだし」
「それはないね」やんわりと、だが強い調子で断言される。「節菜は、自分が気に入らないからって他人を嫌うような子じゃない。それはあたしが全面的に保障する。一人、お互いに反りが合わない子がいるけど、それなりに楽しくやってるみたいだし。ていうかねー。時神の仕事してるときはいっつも不機嫌なのよ、あの子。本局のこと嫌いだから」
「え……?」
本局が嫌い? 思わず足を止める。
「あっ! ちゃあ……」
クチ滑ったぁ、と三姫さんは頭を抱えてしゃがみこむ。そのまま「やっばあ……節菜に怒られるよ」とひとしきり嘆いていた。が、すぐに立ち直ると、凄いスピードで僕の肩を掴んでがくがくと揺すぶる。
「ね、このこと絶対言わないでね! 言ったらきみもタダじゃ済まさないからね。あたし分かるんだからね、そういうの。お願い! この通りだから!」
頭を下げて、両手をパンッ、と合わせるポーズ。おまけで《どうかしら?》とでも尋ねるように、笑顔と共に両手が少し倒れ、とどめに星でも飛びそうなウィンク。めちゃくちゃ色っぽい仕種だった。ほとんどの雄生命体がどぎまぎしつつ自分でも意図せぬうちに頷いてしまうような、そんな迫力があった。
「……分かりました」
だからというわけではないが、僕は引いた。
「だから駄目だってば。そういうのは興味本位に聞いていいものじゃ…………って、え? ええ?」
「なに言ってるんですか?」
「だって、ほら、こういう時って、『もっと詳しいことを聞かせろ』とか言うんじゃないの? それであたしが格好良く、『そういうのは興味本位にきいていいことじゃないんだよ』ってたしなめるんでしょ? え、そういうノリじゃなかったの?」
「違いますよ」
「違わないよぅ……春詠くん、きみ、もしかしてノリ悪いとかって言われない?」
「言われません」
「まじですか」
頭を抱える三姫さん。ちょっとちょっと。その仕種はさっきも見ましたよ。
「リピートはボケの基本でしょ?」
「いやあなた、いつもそんなこと考えて生活してるんですか」
「まぁ、三割くらいかな。あと五割は色んなことで、残りの五割で彼氏をどういじめようか考えてるのよ」
「合計おかしいです」あと彼氏はいじめるものではないはずだ。
「延べ時間に決まってるじゃないの。もう。とんちを利かせなさいっていつも言ってるでしょ?」
「いえ利いてません」
「あら。言ってなかったっけ?」
「聞いてませんし利いてません」
「なんでよぅ……春詠くん、きみ、本当にノリ悪いよう……」
今度こそポーズでなく頭を抱える三姫さんだった。
この人、こんな愉快なキャラだったかしらん?
「うう、ま、ともかく……」
空気を仕切り直すように言って、三姫さんは歩き出す。
「……多分ね、きみが認められたら、節菜から話してくれると思うから。あの子の意思と決意。あたしの時もそうだった。あの子ってね、厳しいんだか優しいんだか分からないのよ」




