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第7話 本物を失った国

第7話 本物を失った国


 光の王国の空は暗かった。


 まだ昼だというのに太陽は厚い雲に覆われている。


 王都を守っていた巨大結界は、もはや見る影もなかった。


 かつて空を覆っていた神々しい光は消え失せ、ところどころに蜘蛛の巣のような亀裂が走っている。


 そして。


 ついに、その日が来た。


 バリン――!


 耳をつんざく破砕音が響く。


 王都南門上空。


 結界が完全に砕け散った。


 光の欠片が雨のように降り注ぐ。


 広場にいた人々が悲鳴を上げた。


「結界が!」


「壊れたぞ!」


「逃げろ!」


 恐怖が一気に広がる。


 まるで火事のようだった。


 その日の夕方。


 王宮は大混乱に陥っていた。


 会議室では貴族たちが怒鳴り合っている。


「どういうことです!」


「ミリア様なら問題ないと言ったではないか!」


「聖女の力で十分だと!」


 玉座の横に立つミリアの顔は青ざめていた。


 額には脂汗。


 手は震えている。


「わ、私は……」


「どうした!」


 レナードが怒鳴る。


「結界を修復しろ!」


「できません!」


 その瞬間。


 部屋が静まり返った。


「今、何と言った?」


 レナードの目が細くなる。


「できません……」


「なぜだ」


「だって……」


 ミリアは唇を噛んだ。


「私には本当の聖女の力なんてないもの!」


 空気が凍りつく。


 誰も言葉を発しなかった。


「魔道具を使っていただけです!」


 ミリアは泣き出した。


「お父様が用意してくれた魔道具を!」


「は……?」


 レナードの顔から血の気が引いた。


「魔道具?」


「だって私には聖女の力なんてありませんもの!」


 その瞬間だった。


 重臣の一人が椅子から崩れ落ちた。


「馬鹿な……」


「では本物の聖女は……」


 全員が同じ人物を思い浮かべる。


 エルサ。


 追放した女性。


 レナードの脳裏に、あの日の光景が浮かぶ。


 婚約破棄の夜。


 黙って頭を下げたエルサ。


 泣きもしなかった。


 怒りもしなかった。


 ただ静かに去っていった。


 その姿がなぜか胸に刺さった。


「調べろ」


 レナードは低く命じた。


「全てだ」


「殿下?」


「聖女エルサに関する記録を全て持ってこい!」


 数時間後。


 山のような書類が執務室に運び込まれた。


 レナードは徹夜で読み続ける。


 最初は軽い気持ちだった。


 少し確認するだけのつもりだった。


 だが。


 一枚。


 また一枚。


 書類をめくるたびに顔色が変わっていく。


「何だ……これは……」


 十年前の疫病。


 治療完了。


 担当者、エルサ。


 七年前の洪水。


 浄化完了。


 担当者、エルサ。


 五年前の魔獣襲撃。


 被害最小限。


 担当者、エルサ。


 三年前の干ばつ。


 農地回復。


 担当者、エルサ。


 二年前の疫病再流行。


 終息。


 担当者、エルサ。


 全て。


 全てだった。


 王国が誇ってきた功績。


 奇跡。


 平和。


 繁栄。


 それらの中心にいたのはエルサだった。


 レナードは震える指で書類を握る。


「そんな……」


 そこへ老宰相が入ってきた。


「殿下」


「知っていたのか」


「何をでしょう」


「エルサのことだ!」


 声が裏返った。


 老宰相はしばらく黙っていた。


 そして深くため息をつく。


「知っておりました」


「なぜ言わなかった!」


「何度も申し上げました」


「……」


「ですが殿下は聞かなかった」


 言葉が出ない。


「聖女様は限界でした」


 老宰相の声は重かった。


「睡眠時間は一日三時間」


「食事も満足に取れず」


「毎日祈り続けておられました」


 レナードの脳裏に浮かぶ。


 青白い顔。


 細い身体。


 疲れた目。


 全部見ていた。


 見ていたのに。


 何も気づかなかった。


 いや。


 気づこうとしなかった。


「そんな馬鹿な……」


「事実です」


 老宰相は一冊の帳簿を差し出した。


「こちらもご覧ください」


 開く。


 衣服購入記録。


 ゼロ。


 宝飾品購入。


 ゼロ。


 私的支出。


 ほぼゼロ。


「何だこれは」


「聖女様の記録です」


「服は?」


「ありません」


「は?」


「全てお下がりでした」


 レナードは固まった。


 何を言われたのか理解できない。


「そんなはずがない」


「ございます」


「聖女だぞ」


「ええ」


「王国を支える存在だぞ」


「ええ」


「なのになぜだ」


 老宰相は静かに答えた。


「誰も与えなかったからです」


 胸が痛んだ。


 初めてだった。


 こんな感覚は。


 その夜。


 王都では暴動が起きた。


「本物の聖女様を返せ!」


「エルサ様を追い出したのは誰だ!」


「責任を取れ!」


 石が投げられる。


 怒号が飛ぶ。


 商店は閉まり。


 兵士たちは疲弊し。


 街には病人が溢れていた。


 そして翌日。


 魔獣が現れた。


 結界のない王都へ。


 黒い狼型の魔獣。


 巨大な毒虫。


 空飛ぶ怪鳥。


 悲鳴が響く。


 血の臭いが漂う。


 かつてなら結界が防いでいた。


 かつてならエルサが救っていた。


 だが今はいない。


 執務室の窓から炎を見つめながら、レナードは呆然としていた。


「私が……」


 声が震える。


「私が追放したのか」


 老宰相は答えない。


 答える必要もない。


 事実だからだ。


 レナードは椅子に座り込んだ。


 窓の外では黒煙が上がっている。


 人々の悲鳴が聞こえる。


 そして初めて理解した。


 自分は聖女を失ったのではない。


 本物を失ったのだ。


 国そのものを支えていた唯一の存在を。


 愛するべきだった女性を。


 守るべきだった婚約者を。


 自らの手で捨てたのだ。


 だが。


 気づいた時にはもう遅かった。



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