30、チョコ
鉄を叩く音が辺りに響き渡る。オレは弟を強く抱きしめながら、心の中で叫び続けた。
(あっちにいけよ、早く!)
金属床を叩きながら響く足音――それは徐々に遠ざかり、途切れがちになる。
「兄ちゃん、もう平気?」
「静かに」
音が消えても油断できない。呼吸10回分、待たなくてはならない。腹で息を吸い込む――震えているのが自分でもわかる――ひとつ。ふたつ。
辺りは静寂を保ち続けた。
「よし、行ったみたいだ」
そう告げると、弟の全身から力が抜けた。オレも両手足を投げ出して床に横たわる。全身に金属の冷たさが伝わってきた。
「兄ちゃん、これからどうするの?」
「どこかに住居群があるはずだ。それを探したい」
「前のコロニーには帰れない?」
「奴らは、1度襲った場所を決して忘れない。諦めろ」
「じゃあどこへ行くの?」
「安全なところ」
「それはどこ?」
「少し静かにしてろ」
暗い通路では、かすかに灯りが点滅していた。非常灯がまだ生きている、つまりは、近くに人間がいる可能性が高い。
しかし、どこへ行けばたどり着けるのか。この網の目状に広がる無数の道を、どう進めばゴールなのかは、オレも知らない。
「兄ちゃん、腹減ったよぉ」
弟が切なそうに言う。
「水でも飲んでがまんしろ」
オレはキャップに水を注いで差し出した。その水すら惜しまなくてはならない。自分もかなり前から我慢を強いられた。
「もう食べ物はないの? 昨日から何も食べてないよ?」
オレは首を横に振った。弟が泣きそうな顔になるので、その頭を撫でてやった。
「あと少し休んだら行くぞ」
薄暗い道をすすむ。手がかりを探しつつ歩くのだが、めぼしいものは何もない。力任せにひしゃげた隔壁。天井の裂け目から滴り落ちる、油混じりの汚水。機械兵の残骸も散らばったままだ。
「激しい戦闘があったんだな」
その時だ。付近で物音が響いた。まるで金属をこすり合わせたような、甲高い音。それは徐々に近づいてるようだった。
「兄ちゃん、これは?」「やつらかもしれない!」
身を隠す場所はなかった。どこか物陰はないか、せめて弟だけでも――。すると、壁の裂け目を見つけた。金属板がひしゃげて、わずかな隙間ができている。
一人だけならば。そう思うと、腹の奥がゾクリと冷えていった。見えないスイッチでも押した気分だ。もしかすると、運命が決まった瞬間かもしれない。
「バケモノはオレが引きつける。お前はここに隠れてろ」
弟を隙間に押し込みながら、バッグを手渡した。中には水、備蓄用チョコレート、そして電磁銃。
銃だけもらっておいた。
「とにかく音に注意を払え。静かになっても必ず10は数えるんだ」
「ねぇ、なんでそんな事言うの?」
「この近くに、きっとコロニーがある。水と食い物も残り僅かだけど、どうにか保たせるんだぞ」
「待ってよ。どうして!?」
弟の見上げる瞳に、涙があふれそうになる。その頭を強く撫でてやった。
「念のためだ。帰ってくるよ、必ず」
「絶対だからね!」
「その前に、願掛けでもしておくか」
オレは、弟の抱きかかえるバッグに手を伸ばし、食料に触れた。それを一欠片だけ取り出す。
「じゃあ行ってくるから」
オレは弟に背を向けて歩き出した。右手に銃を構えつつ、あいた手で食料を口に放り込んだ。
舌先にチョコレートの甘みを感じた、ちょこっとだけ――。
ー完ー




