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23、牛

 今月末をもって閉園します――。その貼り紙に衝撃を受けた。僕は落ち着きを欠いたままで受付に向かった。


「いつもありがとうございます。千円になります」


 見知ったスタッフが言う。面持ちはかすかに暗い。


 僕は不躾を承知で尋ねた。


「そこの貼り紙って……」


「そうなんです。オレも説得したんですが、うちの親父はきかなくて」


 そう告げるスタッフも中年を過ぎている。ため息をつく顔は、いつもより老けて見えた。


「ごゆっくりどうぞ」僕が離れると、通り一遍の挨拶を送ってくれた。


 園内に入ると、木の柵や檻が並ぶのが見える。ウサギにオウム、山羊。柵は黒ずんで腐り、檻も塗装が剥げている。くたびれた、という言葉が似合う。


「この牧場も歴史は長いしね」


 自販機でモナカタイプのエサを買う。3つも買うと手のひらが埋まった。すると山羊が駆け寄ってくるので、差し出した。全部をあっという間に平らげるのを、黙って眺めていた。


 道なりに雑木林をゆく。そこを抜けると、視界が一気に開けた。広々とした青空に、なだらかな草原。そこかしこで牛が放牧されている。


 胸いっぱいに空気を吸い込む。この光景を愛していた。突き抜けるような解放感が、たまらなく好きだ。それが間もなく消えると思うと、この絶景が遠ざかるように感じられた。


 そんな時、1人の老人と出くわした。見知った顔で、ここのオーナーだ。彼は草の詰まったポリ袋を背負いつつ、会釈をした。


「あの」


 僕はとっさに声をあげた。


「どうしてここを閉めるんですか」


 オーナーはゆるりと空を見あげた。


「恥ずかしい話、資金繰りが厳しくてね。もう限界ですわ」


「それは、切実ですね……」


「あたしは未練なんてありませんがね。十分働きましたから。こいつらの行くアテも出来たし。もうやることも無いんです」


 オーナーは、牛の尻を叩きながら笑った。そして会釈して去っていった。


 草原に残されたのは僕と、牛たちくらいのものだった。


「君たちは辛くないの? 故郷を失うようなものじゃないか」


 牛に何を求めているのだろうとは思う。この喪失感を分かち合いたいのかもしれない。しかし牛達は延々と草を食むばかりで、悲壮感の欠片もなかった。


「呑気でうらやましいよ」


 軽口を言ったつもりが、それは思ったより僕の深いところを刺した。脳裏で次々と言葉が組み合わさり、重なる――。


 次の瞬間、僕は理解していた。


「そうだよ。君たちの方が正しいんだ」


 牧場が消えてしまうのは辛い。しかし今こうして、愛する光景に包まれている事とは関係がない。


 この瞬間を見ずに、先ばかりを気にしている。それは果たして賢いと言えるのか。そう思えば、自然と笑みがこぼれてきた。


「今という瞬間を無下にしてはいけない。その時が来るまで、好きなように過ごすべきだよね」


 僕はそっと牛の背中を撫でてみた。草の束を噛み締めた顔が、咀嚼を終えて、こちらに向いた。


そこで牛が笑ったように見えた、ウッシッシと――。



ー完ー

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