14、鯛
漫画なんかで飯が食えるか――。
職人気質の父とは毎日のように喧嘩をした。毎日のように言い争いを重ねて、最後に折れたのは僕の方だった。転機は公務員試験に合格した事。就職浪人ルートが閉ざされてしまい、さすがに働かざるを得なかった。
「次イベントのポップ作成、よろしくね〜〜」
デスクに資料の山が積まれた。僕以外の職員がデザインに疎いせいだった。
「こんなことの為に絵を勉強したんじゃないのに……」
なまじ評判が良いから、イラストの案件が途切れない。そのせいで僕には、ついでとばかりに仕事が集まるようになった。
いっそ辞表を叩きつけようかと、何度も思った――しかし実行に至ったことは一度もない。知り合いの漫画家志望との世間話が、そうさせるのだ。聞こえるのは過酷なバイト暮らしの日々。二の足を踏むほどに強烈な内容ばかりだ。
「間もなく閉館になります」
17時を前にして、館内に声掛けして回った。そこで、アクアリウムゾーンに着いた時、1人の少年を見つけた。
「そろそろ閉まるので……」
かけようとした声が詰まる。少年が一心不乱にノートを描き続ける姿が、不思議なまでに胸を打ったのだ。
あれはデッサン、魚を延々と描いている。短い鉛筆を握りしめ、脇目もふらず集中する姿に、僕はふと目頭を熱くしてしまった。
(そうだよ。この熱意だよ!)
食えないから何だ、貧乏が何だ、こんなに熱中できたら幸せじゃないか――。
胸を引き裂かんばかりのエネルギーが吹き出るようだった。一言彼と話してみたい、そんな気にさせられた。
僕が背後に立った時、少年は振り向いた。
「絵が好きなんだね」
紙面を覗き込んでみた。鱗を黒く塗りつぶされた鯛が、大きく描かれていた。
(この水槽に鯛なんていないけど)
微かな違和感は頭の隅に追いやって、再び少年を見た。
「とても上手だ。このままいけば、将来は画家や漫画家になれちゃうかも」
少年は答えず、まっすぐな瞳を僕に向けた。
「もし良かったら、僕が教えてあげようか? こうみえて、そこそこ描けるんだよ」
すると少年は、小首を傾げてから小さく答えた。「いらないよ」と。
「いらないのかい? 大人に見てもらったほうが上達できるし、プロへの道も近づくよ」
「別にプロになんてなりたくないよ」
「そうなのかい? その割には、すごく頑張って描いてたんじゃ?」
すると少年は、自分の痩せた腹を撫でた。
――貧乏で買えないから焼き魚を描いてただけ。鯛が食べたいんだよ。
ー完ー




