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第12話 息づく片鱗

 熱い。

 そして、どうしようもなく心地良い。


 湯当たりして火照(ほて)った肌に、初秋(しょしゅう)の夜風を浴びるような。そんな快感を(ともな)う感覚が、腹から胸、腕、指先へと、ゆっくり(めぐ)って染み込んでいく。


 目を開けると、灯火の光が乱反射する岩肌の天井——それから、私の側に座り込んでいた弓丸が見えた。長いまつげを雪のように伏せ、ふぅ、と小さく嘆息(たんそく)する。 


「……この手を取るのは、これで最後だ。じゃないと君は、人を離れる」


 (くく)(ひも)でまとめ、まくり上げられた水干(すいかん)の左袖。その手首を握る右手の指の隙間から、赤い(しずく)が朝露のように(したた)っている。


「ゆ、弓丸、それ、もしかして……」

「ご明察(めいさつ)


 私が意識を失っている間に、弓丸は左手首を切り落としていたようだった。弓丸から血をもらえば、たいていの傷は治せる。それはつまり、私がある程度傷を負っても死なないということを指す——それで私は、今回の(さく)提案(ていあん)したのだ。


 こんな無茶苦茶な馬鹿げた策、今となってはどうして思いつけたのかさっぱり分からない。でも、あのときは無我夢中で。人を傷つけるなとは言いながら、使えるものは余すところなく利用する捨て身の策を。思いついたばかりか、ためらいの欠片(かけら)もなく実行してしまった。


「君のその怪我(けが)を治すには、短時間で大量の血を(とう)じる必要があった。だから、これが最善の方法だった」


 私があの場から逃げようと飛び出せば、真っ先に(ねら)われることは分かっていた。そして、あの男の目的は私を殺すことではなく、実を作るための血を手に入れること。だから私は自らの身を差し出し、(すき)を作り、弓丸を隠す盾となった。


 でも。これは、あまりにも。


「ごめんね。その……」

「僕が許可したことだ。でも、こんなに血がいるとは予想外だった。人だった頃の感覚が、だいぶ薄れてしまっていたらしい……それに」


 弓丸が、手首の切れ目をギュッと強く握りしめる。私の腹に視線を向け、申し訳なさそうに目をそらした。


「こちらこそ、すまなかった。痛かっただろう」

「弓丸の気にすることじゃないよ。提案したのは私だし、傷だってこうして」

「そういうことじゃない、って。この洞穴(ほらあな)に入る前、君は言ってた。その意味がよく分かったよ——今度からは、僕もできるだけ自分の体を傷つけないようにしよう」

「あ……」

「……もしかして」


 私を見下ろす縦長の瞳孔が、スッと細く(するど)くなる。


「君は、最初からそのつもりだったのか」


 寒空に冷えた手で、首筋をそっと触れられるような感覚が全身を包む。

 あの状況下で、そこまで考えていたつもりはなかった。けれど、もしかすると私は——無意識のうちにそれを望んで。

 いや、まさか私が、そんなことを。


「実は、君があの案を提案してきたとき——ほんの一瞬、君の瞳から光が消えて真っ黒になったんだ。あの瞬間、僕は君に気圧(けお)された」

「真っ……えぇっ?」

「見間違いかと思ってたんだが。あれが何か関係あるのか」


 そんなこと、私に聞かれても困る。自覚はなかったし、今までそんな妙なことを言われた経験もない。思い当たる節はゼロだ。


「あの、弓丸……」

「……まぁ、今はいいか。君のその、不遜(ふそん)な呼び方も(とが)めはしない。不思議と、君に気安く呼ばれるのも悪い気はしない」

「どうも、すみません」


 肩身を(せま)くしながら、そろそろと身を起こす。なにかこう、弓丸さんと呼ぶのは座りが悪かった。弓丸様と呼べばよかったのかもしれないが、うん、それこそ今更(いまさら)だ。


 下を見ると、弓丸の手首の傷口から()れた血が、岩のくぼみに()まっていた。しばらくすれば(つな)がるにせよ、どうにも痛々しい。背負っていた通学リュックに、何か使えるものがあったかもしれない。

 そう思って周りを見ると、壁際で仰向(あお)けに転がっている体があった。


 あの男。日向(ひなた)さんだ。


 脚は人の形をしたものに戻っており、胸もちゃんと上下している。ヤドリ(づた)も白い実も、そんなものは最初からなかったかのように、忽然(こつぜん)と姿を消している。男の額に刺さっていた矢も無くなって、弓丸がつけていたブレスレットは元の状態に戻っていた。


「よかった……生きてる」

「命は奪わないって言っただろう。神や化生(けしょう)のモノにとって、約束っていうのは絶対なんだ。(たが)えれば最悪死ぬ」

「し、死ぬ? 神様って死ぬことあるの?」

「二度殺された神だっている」

「そうなんだ……」


 なんとなく、何があっても弓丸は死なないと思っていた。もちろん、人よりはずっと丈夫(じょうぶ)で長命で、歩道橋から落ちたって死にはしないんだろう。でも、死ぬ時は死ぬ。

 私は自らの身を差し出し、(好き)を作り、弓丸を隠す(たて)となった。けれど、弓丸だって命懸(いのちが)けなのだ。


 傷の(ふさ)がった腹に、そっと手を重ねる。すっかり綺麗(きれい)に治っていたが、制服は破れたままだった。

 夢じゃない。現実だ。


「まさか、お腹に空いた穴に矢を通すとは思わなかったけど。これほどの腕なら、相当期待されてたでしょ」

「……弓は外せば死ぬだけだ。そう教えられて育った」

「ふうん……」


 今の生活からはなかなか想像できないが、その(ころ)にはその頃の考え方があるんだろう。弓丸が自分の身をあまり(かえり)みないのも、それが関係しているのかもしれない。


「親族との付き合いもある。弓が上手いっていうのは、周りの武家から一目(いちもく)置かれるためにも大事なことだったんだ。早我見(さがみ)爺様(じさま)も、(はち)(こく)に聞こえたりし……」

「早我見?」

「いや、それはいいんだ。そんなことよりほら、君の友達もお目覚めだ。体については心配ないから、安心するといい」


 薄づきのマニキュアを塗った手が、私の通学リュックを拾い上げる。昨日の夜、横断歩道で別れて行方不明になって、それ以来の再会なのに——なんだか(ひど)く、久しぶりに感じる。


「瀬名……」


 赤いインナーカラーに、ぱっちりとした瞳。お化粧は落ちているけれど、あまり印象は変わらない。鳴井瀬名が、怪訝(けげん)な表情で私たちを見下ろしていた。

 

「ねぇ藍果。その男の子、誰?」 

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