見舞い
翌朝、ミカは手枷を果胡に付け直して地上に上って行った。見張りがいないのであれば、多少の神力の消費に目を瞑って両手足の枷、扉に掛かる大層な錠前を外して逃げ出すことは可能だった。だが、目的は逃げることではない。ロッテを見つけ、あわよくば助け出すことだ。
ミカの話から察するに、ベルクマン当主であるバルドルが手に入れた玩具というのは、ロッテである可能性が高い。せめてそれを確認だけでも出来れば、城に土産として持って帰ることが出来る。ひとまずは牢から出て屋敷内に入り込むことが先決だ。
暫くすると、ミカではない人が下りてきた。ミカとは正反対の、でかくてごつくて無愛想な岩みたいな男だ。錠前を外し、果胡の手枷は付けたまま、足枷は歩けるように片足だけ外し、出ろと短く命令する。手の方はミカが殆ど外してくれている状態にしてくれていたので大丈夫だが、足の方はつけっぱなしなので枷が当たっている所が擦り切れて痛い。硬い鉄で出来ているから重いし、動けば骨にゴンゴンと当たってさらに痛い。逃げないから足だけでも外してくれと言ってみたが、食い気味で断られた。当たり前だ。
階段を昇りきれば、半日ぶりの陽の光が目に痛かった。痛い所だらけだ。暗さに慣れた目では朝の柔らかい光でも強烈過ぎて、思わず平衡感覚を失う。フラリと倒れそうになれが、ミカと交代した岩男(そう呼ぶことにする)が手枷の鎖を握っているから地面に激突することはない。バランスを崩した果胡を引っ張るように、鎖を握る手に力を込めたようにも見えた。倒れるのを防いでくれたとも思えるが、それならば肩を支えるとか、腕を引っ張るとかであってほしかった。手首まで痛くなってしまう。本当に支えてくれたのなら、文句も言えまいが。
屋敷は思った以上に広かった。城ほどではないが、一般家庭が住む家二十個分くらいはあるだろうか。二百人ほど使用人達がいるのだとしたら足りなくないだろうかと思うが、全ての使用人が屋敷に住んでいるわけではない。仕事内容によっては、自分の家に帰って通勤スタイルの使用人もいるそうだ。
もう出勤時間を過ぎているのか、ここで暮らす使用人かは分からないが、歩いている間にも何人かの人間とすれ違う。枷がついたみすぼらしい格好に不審な目はしていたが、様子は城内と然程変わらなかった。バルドルは変わった人間であるようだが、使用人達はさして普通の人達である。
「あ、あの、どこに向かっているんでしょう?」
岩男は驚くほど何も喋らないので、何を考えているかも当然分からない。使用人達とすれ違うと言っても、二人で足並み揃えて長い廊下を黙って歩くというのは意外と苦行で、果胡は恐る恐る岩男を見上げてみた。割れそうな顎が立派である。
「すぐに着く。黙って歩け」
無視されるか、お前に質問する資格はないとか言われるのかと思ったが、割と普通に答えてくれた。案外いい人かもしれない。
ミカを巻き込み、やっと屋敷内に潜入出来たのだから、ここで変に反抗して牢へ戻されては事だ。果胡は岩男に誘導されるまま、黙って従い歩いた。途中、ロッテの姿を探したりもしたが、そんな簡単に見つかるわけもない。
***
コンコンコン、と三回ノックされた音の後に、返事を聞かぬまま扉が開かれた。返事を聞いても、どうせ拒否されるだろうと分かっていたからだ。
「起きてるか、アルフ」
そうリタが訊ねたのは、陽が昇った直後くらいの早い時間だからではない。意識を取り戻しているかという意味だ。
ベッドと小さなテーブルと椅子だけが置いてある無機質な部屋に足を進め、布団から顔だけを出すアルフを上から見下ろす。アルフよりも身長が高いリタだが、さすがにこの角度で見下ろすことはない。何より、休息以外の理由でベッドに寝るアルフを見たことなどなかった。
まだ目を覚まさないかと諦めて戻ろうとした時、アルフの瞼はゆっくりと持ち上がる。リタは出て行こうとした足を止め、その一部始終を見守っていれば、アルフの方もようやくリタの姿が目の前にあることを理解したようだった。
「…………何してるんですかリタ」
「見ての通り、お見舞い」
リタはニッと笑って、ポケットから取り出したアルフの章飾をコロン、とテーブルの上に置く。一等騎士の章飾だ。アルフが襲われた時、紋様が見えぬほど血で汚れた。今はそんなことなかったかのように綺麗になっている。
「お見舞いって…。嫌味でも言いに来ましたか。特別騎士がこんな情けない醜態…っつ…、」
「あーあー、大丈夫か。いいから起きるなって。一時は危なかったんだからな、あんた」
布団から出てきたアルフの身体は、服の代わりになるくらい全身を包帯で巻かれている。少し身を起こしたくらいでも血が滲んでくるくらいの大怪我だ。支えがあっても起き上がることは難しいだろう。
リタに宥められ、従うのは不本意だっただろうが、不可能であるものは仕方がない。大人しく枕に頭を戻し、目線だけでリタを向く。
同じ特別一等騎士だというのに、天と地ほどの差がある実力。締まりのないこの表情から、あの疾風のごとき剣捌きが生まれるのだからもはや魔法でも使っているのかと思う。実際、騎士達の中にはそう思っている者も僅かにいる。
「今日仕事ではないんですか」
「仕事だよ、これから。ちょっとその前に同胞の様子でも見ようと思って。こんなとこじゃ誰も見舞いに来ないから寂しいだろ」
「あなたに見舞いに来られるよりマシですよ」
「はいはい。すみませんでしたね」
怪我の具合の割に、アルフの口はいつも通り動く。傷の深さよりも、今ここにリタと二人っきりという方が気になってしまうのだ。顔を合わせても訓練や戦地で業務連絡をするくらいで、こうして会話をすることが殆どない。アルフが元々必要以上に人と関わる方ではないし、リタも干渉する方ではない。この二人の間で関係が深くならないことはごく自然なことだった。
だが、リタがアルフと違うのは、会話を続けようとすれば続けられることだ。関係を深くも浅くも出来る。アルフに対しては、アルフが望んでいないので合わせているだけだった。その証拠に、背もたれにダラリと背を預けて座るリタは、何も考えていない顔をしている。
「……それで?」
「は?」
その割にはいつもより声が鋭くて、唐突に投げられた疑問にアルフは眉根を寄せた。
「それで、とは?」
「お前がやられた日、何があった?」
「何がって…、聞いているはずですが。託宣の間に行ったロッテを待っている中、奇襲を受けました」
「そうじゃない」
リタは低く否定した後、投げ出した足を組んで指でアルフの章飾を弄る。
「お前ほどの騎士がそれだけの傷を受けるなんて尋常じゃないだろ」
「………」
アルフが一瞬息を呑んだのは、横目に見たリタの目が思った以上に熱を持っていて、思った以上にアルフへの評価が高かったからだ。馬鹿にしていたとまではいかないが、リタはアルフを含め他人の実力など興味がないと、アルフは思っていたのだ。
リタに特別他意はないのだろうが、普段彼の気持ちなど聞く機会もないし聞こうとも思っていなかったので、こんな時に調子を崩される。そういえば前に、果胡からリタはアルフを尊敬していると言っていたと聞いた。本当だろうかと疑念を抱きながらも、アルフは襲われた日のことを思い出す。
「…僕の実力不足と言われればそうなんですが、相手はかなりの腕を持っていました。それこそ、特別騎士に匹敵するほど」
「だろうな。…お前の傷、殆ど急所を数ミリレベルで外してある。他の奴らはかなり少ない傷で殺されているから、故意的にやっているんだろうな。…アルフだけ生かす理由があったのか…」
「……それは」
一番大きな胸の傷が痛むのか、アルフは顔を顰めて包帯ごと胸を掴む。そんなに強く掴んでは傷が開いてしまうのではないかと言うほど強く。
だが、これはアルフの後悔だ。
「それは、ロッテのお陰です」
震えるかと思った声を、どうにかそれまで通り無感情を装っていた。込められた虚しさと情けなさ、怒りは感じ取られてしまうだろうけれど。
「どういうことだ」
アルフが平常心を取り戻せるくらいの時間を与えた後、リタは章飾を弄る手を止めて膝の上で指を組む。
「……あの日、僕はロッテを攫おうとした敵と対峙しました。顔は見ていませんが、空気だけで強いことは分かっていましたので、油断をしたつもりはありません。それなのに、相手はロッテを抱えながら、それでも信じられない速さで斬りかかってきて…」
「躱すこともままならないほどにか」
「はい。恐らく僕はそのままだと殺されていましたが、ロッテが大人しくついていくことを条件に、もう殺すなと訴えたんです」
「……ロッテの訴えを聞き入れた…?」
殺された兵は情けも何もあったものじゃないくらい無残に、スマートに斬られていた。躊躇などあったはずもないし、残忍というより機械的に殺されたように見えたのに、そんな人間がロッテの嘆願を聞き入れたというのか。アルフもそうだが、リタもその違和感に反応を示した。
「ただ、見ての通り殺されてはいなくても戦闘不能にはされました。……ロッテは…、攫ったその人間を、どこか知っているようにも見えましたが…」
「知っていたのかもな、お互いに。だからロッテの訴えを聞き入れた、と考える方が自然だ」
「それではロッテが今回のことを知っていたようではないですか」
「というより、いつかはこんなことがあると覚悟していたのかもな」
神子であればそんなこともあるだろうと、歴代神子が感じていたものよりずっと、深くドロドロとした陰湿なものを。
「リタ、ロッテの出生のことは知っていますか?」
「ああ、カコから聞いたよ。ベルクマンは昔から何かあったら名が挙がっていたが、ここまで公に出てきたのは初めてだ。ロッテが神子になったのをいいことに仕掛けようとしてるかもな」
そう言うと、リタは用は済んだだとばかりに席を立ってポケットに手を突っ込む。アルフとしてもこの男に長居はしてほしくなかったが、見舞いと言った割には情報収集に使われただけのような気がして気分は晴れなかった。それなら最初から見舞いなんて言わなければ良かったのに、と。引き留める理由もなかったので、黙ってその背中を目で追うと、部屋を出る直前リタはふと振り返る。
「俺はこれでも仲間をやられたことに腹を立ててるからな」
自分が勘違いされやすいことを分かっているのか、わざわざそう言い、最後にお大事に、とだけ残してリタは出て行った。
いつの間にか、テーブルの上には林檎が置いてあった。
皮を剥ける状態ではなかったが。




