上か下か真ん中か
リタとバートは殆ど同時に謁見の間を出た。リタの数歩分だけ先を歩くバートは、特に変わった様子などなく、いつも通り伸びた背筋で歩いている。きっと、連日の激務で疲労はピークだというのに。
「すみませんでした」
零すように呟いたリタに、バートは足を止めて振り返る。その先では、リタが腰を曲げて頭を下げている。騎士ならもっと綺麗な礼が出来るだろうという、褒められた形ではなかったけれど、彼らしいと言えば彼らしい。
リタの頭がすぐには上がらないと分かると、バートはため息のような深呼吸のような息を吐き出し、掛けていた眼鏡をポケットにしまった。
「…何のことですか?」
「感情に任せ、不遜な態度を取りました。あなたがカコの最大限の安全を図ってくれ、ベルクマン家へ行かせたことも本意ではないと分かっているのに」
「ああ、そのことですか」
本気で忘れていたのか、バートは不意を突かれたように目を丸め、それからリタに頭を上げなさいと静かに言った。
「別にリタが謝ることはありません。あなたが言ったことは全てその通りですよ」
「仮にそうだとしても、あれはただの八つ当たりです。上司に対する態度ではない」
「あなたが今更礼儀を語りますか。何か変なものでも食べました?」
殆ど同じ身長になった頭を、バートは子どもにするようにくしゃりと撫でた。リタがもういい大人で、手が届かないくらい大きく成長してしまっていることは分かっていても、二人の年齢差が縮まることは決してないのだ。ずっと見てきたからこそ、いつまでも同じ目線で見てしまう事はどうか許してほしいと、バートは言葉には出さず胸の内だけで請うた。
「…一応、俺だってある程度の礼儀は弁えているつもりですよ」
「分かってますよ。その辺り、リタは意外と距離の取り方が上手ですもんね、昔から」
「そうですか?自覚はないですけど」
「そもそも、あなたは何でも器用にこなす方です。躓かないし、躓いても大怪我しないし、周りから見てると感心余って憎いくらいです」
「いつからか、周囲から憎しみのこもった目で見られていたことは気付いてましたよ。てっきり俺は日頃の恨み辛みをぶつけられているのかと」
「それもありますよ?」
半分嫉妬、半分本当の恨み。本人が意に介さないのが一番腹が立つ。バートもそんな感情を少しでも抱いた一人だ。
見目麗しい子どもであっただけだったのに、こんなに焦燥感を掻き立てられるくらい立派な騎士になるなんて、誰も思わなかっただろう。
「…でも、カコさん相手にはそうもいかないみたいですね」
横に並んだリタの顔を、バートは可愛がるように眉を下げて見た。動揺でもするかと思ったのに、大して驚いていない表情が見返してくる。少し悔しい。
「そうもいかない、とは?」
「何事もそつなくこなし、余裕のあるあなたが、彼女のことになると感情を見せ始める。礼儀云々よりも、私はそれがただ嬉しかったです」
「嬉しいって…」
変わった人だ、とリタは肩を竦めた。どんなに剣の腕が優れていても、幼い頃はただの悪ガキだった彼にため息をつかれるともバートは思っていなかった。勉強を教えようとすれば逃げるし、その癖要所要所では大人顔負けの頭の回転の速さを見せつけられるし、幼等部を落第したのだって、前日の訓練が過酷で、試験中ずっと寝ていたからだ。後日試しに同じ問題を解かせたら文句なしの満点だった。丸一日訓練休みという褒美をぶら下げなければ解いてくれなかったけれど。
「元より、私はあなたの上司ではないですよ。それどころか、肩書でいえばリタの方が随分と格上。王室付特別一等騎士なんですから」
「俺は肩書だけで上司を上司と言っているわけじゃないんで」
騎士ならば誰もが憧れる地位。バートだって騎士の一面を持っている以上、例外ではない。今も尚、騎士として生きてきていたのならば、リタは確実にバートの上司になっているであろう。ある意味一匹狼のようなリタが上司の役割を進んで引き受けるとは決して思わないけれど。
リタは人間関係に殆ど上下をつけないが、それは自分に対するものだけだ。人に対する忠義や誠実さは誰にも知られないところで誰よりもしっかりしている。そういった意味でも、彼は今の、一番隊に所属しアリスターという上司がいるけれど、時には特別騎士として見上げられる存在にもなるという、曖昧な立場が合っているのかもしれない。
「何にせよ、あなたが思っているほど私は気にしていません。先程のことも、リタのように忌憚なく言ってくれる人がいて助かっていますよ。…というか、あなたのような立場だからこそ言えるんでしょうけどね」
「………」
肩書も然ることながら、その実力、幼い頃から国に仕える信頼、忠誠。これだけのものが揃っている騎士は、リタ=ヴァインツィアルをおいて他にはいない。
「今日は早めに休んでください、リタ。不休の任務で疲れているでしょう」
明日にはまた、頭と身体、ヘトヘトになるまで使ってもらわねばいけませんからね、とバートは自分の執務室に戻って行った。




