特効薬
「ということでバレました」
「だろうな」
バートのところに行ったその足でエリスにも話をし、果胡が神力を持つということを知っている者はリタ、バート、エリスの三人となった。エリスはロッテが代理の神子だということを知らないので、果胡が本物の神子だと疑うことはない。ただ、神子ではない人間に治癒の技術があることに驚いていた。
「エリスには危うく人体解剖されるところでした。魔力にしろ神力にしろ、その神秘はまだ詳しく明らかになっていないのだから、解剖したって分かるわけな…、リタ?聞いてます?」
「…んー、聞いてるよ。エリスに人体解剖してもらって巨乳にしてもらうんだろ」
「出来るんならやってもらいますけど」
この世界にはまだその技術はないはずだ。あるとしたら魔法で変装することくらい。
聞いていると言いながら自分のベッドに寝転がってうたた寝しているリタに、果胡は身を近付けてジト目を落とす。
「さっきから何ですか?人の大事な話を面倒そうに聞いて。状況報告、迷惑でした?」
「んー…、いやー、そうじゃねぇよ。報告ご苦労」
「上司か」
いつもながらに半眼の瞳がぼやりと果胡を向く。いつもはこんな目をしながらもしっかり果胡の話を聞いていて、それなりに自分の考えやこれからのことを考えてくれるのだが、今日のリタはどうもやる気がない。いつものことだと言われればそうなのだが、いつもに増して何も考えていない表情をしていた。
果胡は不思議に思って、見下ろすリタの顔に手のひらをくっつけた。ほんのり温かい体温にリタの目が僅かに見開く。
「……なに?」
「いや、熱でもあるのかと。何かぼんやりしてるから」
「ないない。ただちょっと頭痛くてな」
「頭痛?……あー…」
言われて窓の外を見れば、どんより曇った空が落ちてきそうに低い。鉛色の雲が視力の届く限り、ずっと奥まで広がっていた。雨が降る直前の、湿った空気が張り詰めているようだ。
「気圧が低いんですね。リタ、偏頭痛ありましたっけ?」
「あったよ、昔から。弱ってる姿をお前に見せたくなくて隠してたけど」
「そういえば天気が悪い日はやたら機嫌と目つきが悪いと思ってました。あれ、頭痛かったからだったんですね」
「そんなに?笑顔の努力はしてたんだけど」
「目つきは怖いのに口元だけ笑っているからどんな悪巧みをしているのかと、バートがヒヤヒヤしていましたね。実際、いつもより大人しいから恐怖に拍車をかける」
「何故かバートの対応がビクビクしていたのはその所為か」
悪巧みをしているとしたら本当はオリヴィアの方で、リタはそれに付き合うだけだったのだが、その形相があまりに真に迫っていたために、リタが計画、実行犯だと冤罪をかけられそうにもなった。そのうちバートには、リタは頭が痛いだけなのだと悟られ、気圧が低い日などは気を遣われていた。尤も、それはオリヴィアがいなくなった後のことだったが。
「でも珍しいですね、リタがぼんやりするくらい体調悪いこと。そういうの隠すの上手そうなのに」
「まぁ昔はかっこつけてひた隠しにしてたからな。悟られないようにするのは得意だけど、今更かっこつけても意味がないことに気が付いた」
「かっこつけてもそれを凌駕する駄目さが滲み出ちゃうから」
「そういうこと」
むしろ仮病を使うことは多くなったとしみじみしながら、リタは枕に顔を半分埋める。長めの髪が顔に掛かり、枕との間に見える顔色は確かに少し悪い気もする。元々覇気のない顔だから、眠いだけだと言われれば納得しそうだけれど。
「大丈夫なんですか?」
「ん?ああ、大丈夫だよ。動けないほどつらいわけじゃないし、ちょっと寝てれば」
「私今から仕事なんですけど、後で薬持って来ましょうか?」
「いや、いいよ。薬、あんまり効かないから」
「え?効かないんですか?」
エリスが監修し、優秀な薬師が作る城の薬はどこの物より効果が高い。オリヴィアだって熱を出した時や体調が優れない時、お世話になったのは覚えているので、確かな情報であるはずなのだが。
疑問を浮かべる果胡の表情に、リタはクスリと笑いながら、疑っているわけじゃないと言う。
「うちの薬師が優秀なのは百も承知。でも俺、一応王室付特別騎士だからさ」
「あ…」
見たことがある。オリヴィアの目の前で、当時エーベルハルトについていた特別騎士が毒見をしていたこと。外出した先で、城の中で、国内でも、出所がはっきりせず、国王の口に入るものは全て誰かしらが毒見をする。その殆どが特別騎士がすることになり、特別騎士はその為の訓練を受けている。毒に耐性ができているということは、毒と表裏一体の薬も同じことなのだ。劇薬と呼ばれるくらい強い薬でなければ、毒に慣れた身体には殆ど効かない。特別騎士は、単に剣の腕があるだけではないのだと今更ながらに痛感する。
「そんな顔すんなよ。何も不治の病にかかったわけでもあるまいし、薬が効かなくてもこれまでそれで乗り切ってんだから」
「でも…」
「それに、俺のこれは精神的なものが大きい。薬でどうにかできるものじゃない」
「精神的なもの?」
万年ぼんやり軽薄男が、精神的に何か衝撃を受けることでもあるのだろうかと、果胡は本気で目を剥いた。彼を本気で痛めつけるものがあるとすれば、きっと借金くらいなのだと思っていたのだが。
驚きを隠し切れない果胡に、リタはそんなに意外かと不機嫌になる。
「まぁ、なんだ……、城に来る前のこと思い出してな」
「…昔の、リタ…?」
「そ。あまり記憶にはないんだけど、俺がいた村が焼かれた後、酷い雨が降っていた。戦火が消えたのはいいけど、業火に燃え尽きた後の雨は黒い。それが怖くて、暫くはずっと夢を見ていた」
リタは今はもうなくなってしまった村の出身だ。そこで過ごしていた時のことは覚えていないし、親の顔も覚えていないという。覚えていないことを話すことも出来ないし、オリヴィアからも敢えてリタと出会う前のことを訊くことはなかった。
だからこうしてリタが城に来る前のことを話すのは初めてかもしれない。
「ここに来てから良くしてもらって、そんなトラウマはすぐになくなったけど、黒い空だとか重い空気だとか、あの時と似たような環境が揃ってしまった時、頭で理解するよりも早く身体が反応してしまう。戦火も雨もたった一瞬のことで、お前と過ごした日々の方が何倍も長くて楽しかったのに、なかったことにはできないみたいで」
頭ではなくて、心が覚えている。
最初は理解できなかったくらいだ。何にそんなに反応しているのか、何が身体を痛めつけているのか。幸せの日々に埋もれていて見えずにいた。
「…本当は、ずっと辛かったんですか?」
「いや、そんな感覚は全くない。だからどうしようもないんだ。でも…」
半分枕に埋めていた顔を持ち上げて、リタは目の前に落ちてきた髪の毛先を指に巻き付ける。
「カコと会ってから、随分と頻度が減った。薬が効かなくても、カコで充分だ」
「!」
キザな微笑みで、キザな台詞を、キザな行動で、こんなにも画になるイケメンは狡い。それが事実だろうがそうでなかろうが、リタ自身がそう思っていることは本当だ。
本当だと思わせるところがまた腹立つのだけれど。
「…っ、ばっ、ま、また適当なこと言って…。馬鹿言ってないで寝て下さい。気休めでしょうが、後でエリスに言って何か薬草煎じてもらいますから」
「適当じゃないんだけどなー。…ま、いいや。じゃあ仕事の時間になるまで手握っててよ」
「はい?」
「病人は甘えたくなるの」
「それ病人自身が言う台詞じゃないですよ」
ん、と綺麗な手を差し出すリタに、果胡は訝し気な目線を向ける。握り返してくれることを信じて疑わず、むしろ誘導でもしているかのような挑戦的な笑みを浮かべるリタの顔が、より果胡の反骨精神を煽って来るのだ。
甘えているくせに果胡を試しているような意地の悪い表情。頭が痛いなんて嘘なんじゃないかと思うけれど、それが事実かどうかははこの際もうどうでもいい。
殆ど無意識に、果胡はリタの手に自分のそれを重ねてしまうのだから。




