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世界は全てを理不尽にして神子に押し付ける  作者: 咲乃いろは
第五章 侵されていく神子の存在
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存在の証明

「あー、忘れてた」


仕事が終わって果胡がリタに祭りのことを訊くと、そんな答えが返って来た。昼食を食べ損ねたと厨房からくすねてきたパンを頬張りながら呑気に言う。


「忘れてた、って。そんな大きなイベントを?国王も参加するのなら、リタだって仕事あるでしょうに、忘れてたってことあります?」

「あー…」

「大体神子祭って何ですか?私全く知らないんですけど、オリヴィアは何かしてました?」

「あー…」


適当な返事を繰り返すものだから、果胡はリタの手元からパンを奪って残りを全部口の中に頬張った。俺の昼飯、と嘆いている彼を後目に、口をもぐもぐと動かしながら説明しろという圧を掛ける。

リタは何故だか若干言いにくそうにしていたが、そのうち観念したのか、あまり重く受け止めないで聞けよ、と前置きして話し始めた。


神子祭が果胡の記憶にないのは当然も当然。オリヴィアが生きていた時代に神子祭など存在していなかった。祭りが始まったのはオリヴィアが逝去したその次の年、彼女が亡くなった季節に行われるようになった。神子が平穏に生き、世界の平和を願うという祭りの意味は、オリヴィアの死から来ているということはリタ以外の誰も覚えていなかった。オリヴィアが死んですぐ、まだ彼女の存在が失われていない時に制定された祭りは、非業の死を遂げた神子の、謂わば慰霊祭だったのだ。


「だから、お前の慰霊祭に行こうなんて誘えるわけないだろ」

「え、そうじゃなかったら誘うつもりだったんですか?」

「え、駄目なの?」

「駄目じゃないですけど、リタ仕事…」

「どうにかする!」

「真面目に働け」


彼は力の入れどころが毎度間違っている気がするのだ。雑用ならまだしも、王室の仕事を簡単にサボれるわけない。替えの利かない仕事なのだ。


「…どうにも不思議な感覚ですね、自分の慰霊祭だなんて。私の魂はここにあるし、誰も祭事の意味を理解など出来ないというのに」

「神子祭なんて名ばかりだ。時間に淘汰されない理由なんてあるのか怪しいんだから、そんなものいくらだって溢れてる。気にしても仕方ねーよ」

「気にしてたのはリタの方でしょう。私は何も」

「嘘つけ」


強引とも言える力が、果胡の身体を翻らせる。引っ張られた腕の方向に顔が引き寄せられると、むに、と頬を抓られた。






「そんなしんどそうな顔して、俺を欺けると思ったか」






ほんの少しノイズの入ったリタの表情は、怒っているようにも笑っているようにも見える。見下ろしている為か、陰が濃くて果胡にはその顔が何を意味しているか読み取れなかった。


「…欺くだなんてそんな…」

「じゃあ何を考えている?お前は平気じゃない時ほど平気な顔をする」

「そんなつもりは…」


果胡にそんなつもりはない。自覚がないのだ。ただ確かに、言われてみればリタの言う通りで、言われたことで果胡は自分の小さな傷を見つけられた気がする。酷く傷付いているわけでもないそれは、見ない振りすれば見えないのに、目敏くリタが見つけてくるから、気になってしまうのだ。

真っ直ぐ見つめてくるリタの目が逃さないと言っているようだった。こうなってはちゃんと自分の傷と向き合うしかないと、果胡は小さく溜息を漏らす。





「……別に…、気にしているわけでもないですけど、こうやって自分の…オリヴィアの生きた証があるとちょっと考えちゃうんです。生きていたんだなぁって、生きていたのに存在していないんだなぁって。自分がしたことですから、覚悟もできていましたし、ショックだとかそういうんじゃないんです。そういうんじゃなくて、その、」





一音も零さずに受け止めてくれるリタの目にとても耐えられなくて、


果胡は彼の胸に顔を埋めた。








「自分の記憶に自信がなくなっていくんです」








本当にオリヴィア=ダウズウェルは存在したのだろうか。


一瞬一瞬が激しくて、強くて、弾けるように過ごしたあの時間は本物だったのだろうか。全てが虚像で、果胡が理想的に創り出したまがい物だったのではなかろうか。


そうではないという証拠などいくらでもあるし証明も出来るけれど、記憶なんて不確かなもの、真実だと自分に言い聞かせるのは体力がいるのだ。体力が尽きてしまった時、段々と自信がなくなっていく。




「楽しくて、幸せだった日々は人を盲目にさせます。悲しい事や辛い事ですぐに塗りつぶされてしまうくせに、それらは本当に実在したことのように錯覚するんです」




果胡の淡々とした声は徐々に熱を帯びていき、リタの服を握りしめる手に力が入る。焦りとか戸惑いとか息苦しさとかそんなものが渦巻いた感情を少しずつ、少しずつ絞り出しているようなそんな震えが起こった。


「もし私が今錯覚していたのだとしたら、私の中にあるものは全部…」

「カコ」

「全部───…、」

「カコ、聞け」


鎮魂歌にも似た、宥めるような声が果胡の上に降ってきた。同時に落ちてくる、頭を包み込むような体温。

誰のものか、誰の手か、果胡は分かっている。


「リ───…、」

「お前が今話しているのは誰だ」

「……リタ」


平淡で抑揚のない声は、果胡の感情をも削ぎ取る。


「じゃあ、触れているのは誰だ」

「…リタ」

「オリヴィアの幼馴染は」

「リタ」

「小さい頃、バートの眼鏡に接着剤塗って一緒にしこたま怒られたのは」

「リタ」

「陛下の寝室に忍び込んで、髪にほっそい三つ編み作って翌日の式典に所々三つ編みヘアーで出席させる羽目にした犯人は」

「あれ三日くらい解けなかったそうですよ」

「王妃の化粧品使って、将来の為と言ってお前の練習台になったのは」

「あの時のリタ、宇宙一可愛かったなぁ」

「その後王妃に半日逆さ吊りにされたけどな」


頭の天辺から首筋まで、髪を撫でるように滑るリタの手は、顔を上げろと言っているようだった。何故か自然と従ってしまい、上げた目線の先には夕日に染められ始めたばかりの空と、見飽きたほどの美しい顔があった。







「───…全部偽物だと言うのか」







その時のリタは、少しだけ果胡の感情をうつされたようで。





「……すみません」





申し訳なくて思わず謝った果胡に、リタはふっと吹き出した。


「何謝ってんだよ」

「だって」

「いいか、カコ。存在があったからこそ生きた証がある。目に見えないものを疑うんじゃなくて、見えるものを信じろ。幸い、お前には馬鹿な記憶を共有する心強い相手がいるだろ」


やっぱり、あの時リタを選んでおいてよかったと、果胡は改めて痛感した。

全てから忘れ去られることを怖がっていてよかったと。




「……馬鹿な記憶ばかりが信憑性が高くてびっくりしますけど」

「しゃーないな。オリヴィアなんだから」

「殆どあなたとの記憶なんですが。心強いかどうかは諮問委員に掛ける必要がありますね」

「何をぅ。王室付特別一等騎士を携えておいて贅沢な」

「その肩書、そんなに安売りしないで下さいよ。自覚ないくせに」




ということで祭り行こうか、とリタに肩を押される果胡は、当たり前に楽しみですね、と答えた。







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