城の柱
責任と言ったら責任なのだが、果胡は仕事に復帰早々、バートの世話担当に割り当てられた。医療行為は行えないので主な仕事は体調観察、身の回りの世話などだ。確かにバートに助けられたし、彼の処置を一番にしたのも果胡だ。責任をもって退院まで世話しろと言われたら何も言い返せないし、仕事だと言われればそれまでだ。いくら前世に複雑な因縁があろうと、未だにあの眼鏡の奥の鋭い瞳が苦手だろうと、エリスに命じられればイエスの他ないのだ。
憂鬱ではあるが、バートもカコに対して特別な感情はない。勉強しろと追いかけ回されることもないし、大股で歩いても、逐一はしたないと注意されることもないのだ。
「バート、食事を持って来まし、た、よ…」
果胡が昼食を運んできたとバートがいる一角のカーテンを開くと、彼は身を起こしていて、陽の光に照らされて無駄に輝くベージュの瞳と目が合う。眼鏡の奥の聡明な眼差しが果胡のものと交じり合った時、僅かに見開かれた。
「……何してるんですか、バート」
「あ…、いや、これは……」
バートの前には机の上に数々の書類が広げられている。バートは少し慌ててそれらを片付けようとするが、果胡はバッチリ見てしまった。その中身の詳細は分からないが、ぱっと見ただけでも仕事の書類だと言うことは分かる。
「エリスー?エリスー!バートが仕事してますー!」
「いやっ、ちょっ、カコさん!やめ…っ、すみません!すぐに止めますからエリスにだけは!」
一瞬前までの優美な出で立ちはどこへやら、果胡が大声でエリスの名を呼ぶと大慌てで果胡の口を塞ぐ。だがもう手遅れだ。エリスが『ゴルァ!バートー!!しっかり療養しろと言っただろうがぁぁぁ!!』と鬼の形相で突撃してきた。目上の人間に対する礼儀も忘れて、バートが如何に重傷だったか、仕事せずにちゃんと休む重要性を捲し立て、広げている書類を全て奪って果胡に見張りを申し付けて仕事に戻って行った。普段冷静なバートも、エリスの患者に対する執念深さには身を小さくするしかないようだった。
「…はぁ…、仕事が溜まる…」
退院した後の方が気掛かりだ、とバートは頭を抱えて背中を起こしたベッドに預ける。
「エリスもエリスで大袈裟ですが、あなたもあなたですバート。療養中に仕事は禁止だとあれほどきつく言われていたでしょうに。まだ傷はちゃんと塞がってないんでしょう?」
「おかげさまで経過は良好です。さすがに動き回ることはできませんが、ベッドの上で出来る仕事だけでも片付けておかねば、この後の激務が目に見えているんですよ。それに、皆さんに迷惑もかかりますから…」
確かにこの城でバートが抱えている仕事は多い。バートを中心に城内の仕事が回っていると言っても過言ではない。彼の代わりになる者がいないのが現状であり、彼がこうして入院して滞っている仕事があることも事実だ。だが、だからと言って、周りの人間もバートに無理をして仕事をしてほしくはない。不器用で非効率的ではあるけれど、どうにかバートがいない穴を埋めようと皆頑張っている。それをバートは分かってくれているのだろうか。
「そう思うならしっかり休んで、一刻も早く仕事に復帰してください。中途半端な休息は休息にはならずに至極非効率です。治療に関してはエリスの右に出る者はいないんですから、ちゃんと彼の言う事をきくべきです」
「…………分かってますよ…」
納得いっていない表情ながらもバートは頷いた。それもそうだろう。しょっちゅうエリスに怒られていた果胡、いやオリヴィアに言われているのだ。説得力の欠片もない。
考えてみればバートに注意するなど、昔だったら珍しい光景だった。無謀なことをしていたのはオリヴィアばかりだったし、悪さをしているのもオリヴィアばかりで、その責任をバートがいつも負っていたのだから。ガミガミガミガミと小姑みたいに言わなくたって分かってるよと、その時はそう思っていたけれど、あの時の彼はこんな気持ちだったのかと、果胡は今更ながら実感する。
「皆あなたが大事なんです。どうか分かって下さい」
「…………」
『オリヴィア様、皆あなたが大事なんです。どうか…、どうかご理解下さい』
真剣な目で言われたあの時、彼はまだ眼鏡をかけていなかった。いつの間にか眼鏡を掛ける頻度は増えてきて、今では一日の殆どを眼鏡をかけて過ごしている。加齢もあるけれど、それほどに目を酷使することが多くなっていた所為だ。
「…し、新参者が偉そうなことを言っているのは分かっています。けれど、この城に来てからの短い間でも、あなたがどんなに頼りにされているか、どんなに重要な役割を担っているのか、目を瞑ってでも分かります。…だから、この城にはあなたが必要です。どうか最後まで、この城を支えて頂きたいんです」
ずっと、ダウズウェル家に。
そんな果胡の懇願が伝わったかどうかは分からないけれど、瞬きを多くして驚いていたバートは、そのうちふっと息と共に笑い声を漏らした。
「バート?」
「フフ…、いや、すみません。なんか本当にここで生まれて育ってきたみたいなこと言うんですね。ここが、とても大事だと」
勿論、大事だ。
オリヴィアにとってここは家。ここで生まれて育ってきたのだ。愛と愛と愛に囲まれて。
「大事ですよ…。だって、私ここしか行くところがないんですもん」
「そうでしたね。すっかり馴染んでいるから、どうもあなたが昔からここにいるように思えてなりません」
その通りだよ、とは言えなかったから、果胡は眉を下げた笑みでぎこちなく笑った。
「だからあなたがいつまでも臥せっていては、この城はいつか回らなくなります。…早く元気になって下さいね」
「…そうですね。早く復帰しなければ、あなたにいつまでもそんな顔をさせてしまったままです。この傷が消えてなくなるまで、あなたのその、いくら言っても振り払おうとしない罪悪感を拭いきれそうにはないですからね」
優しく細める眼鏡の奥の目は、何ら昔と変わらなかった。たった薄いレンズ一枚を隔てただけのこと。
これで少しでも拭えるのならとでも言うように、バートの親指が果胡の目の下をなぞる。一時は冷たくなっていた彼の手の体温をこうして感じるだけで安堵する。あそこでもし失っていたら、悔やんでも悔やんでも悔やみきれなかっただろう。バートが助けたのはオリヴィアではないのだから。
「食事、置いておきますから温かいうちに食べて下さいね。今日はリタの愛情が入っているそうですよ」
「ああ、今日は彼厨房手伝いですもんね。隠し味に余計なものを入れていないといいですが」
果胡はさっきまで書類が広げられていた机に食事を置くと、残っていた仕事を終わらせてしまおうと立ち上がる。そこに思い出したようにバートは声を掛けた。
「そういえばカコさん」
「はい?」
「今夜のお祭りには行かれるんですか?」
「お祭り?」
思いもしない単語に、果胡は疑問符を浮かべながらもそんなものあったっけと記憶を探った。さっきリタと会った時もそんなこと言っていなかったと思うが。
「毎年、この季節に城下町で行われるんです。神子祭と呼ばれるんですが、比較的神子が誕生しやすいルヴィフィア国では神子を祭る風習があるんです。一年何事もなく神子が生き、世界が平和に過ごせますよう願う祭りです」
「そ、うでしたっけ…。すみません、記憶が…」
「あ…あぁ、すみません。デリカシーがなかったですね…」
大丈夫です、と言いながら果胡は無理矢理に笑顔を作る。気にされない笑みを浮かべるには、少々混乱していて余裕がなかったのだ。
本当に何の話だ、と。神子を祭る風習?聞いたことない。平和を願う祭り?知らない。
「その…、神子祭とは毎年あるんですよね?」
「ええ。催し物や出店で賑わいますので時間があったら行ってみるといいですよ。本来は神子が特別に皆の前で神託を受ける時間があるのですが、今年は中止ですね…」
あんな事件があった後だ。神子の身が危険なのは元より、ロッテの精神状態も良くはないだろう。それを楽しみにしている民も多いのだが、神子が再び危険に晒されては元も子もないので、協議の結果今年は中止になったらしい。ちなみにその協議へはバートは参加していない。まだ彼が高熱に魘されている中、バート以外の管理職たちで決めた。バートも参加するとごねていたが、四六時中エリスに剥きまくった目で見守られていては、大人しくベッドに寝ているしかないだろう。
「神子祭…神子祭かぁ…」
果胡が忘れてしまっているだけか。
だがそれならばこうして話しているうちに思い出しているはずなのだが、その気配は全くなかった。それにリタが何も言わなかったのは、彼も単に忘れていただけなのか。




