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経験






オリヴィアはどんな夢を見ていたのか、覚えていない。眠るのが億劫になるほどの夢とは、どんなものだっただろうか。


神子の見る夢とは意味があるものだと言われている。予知夢だとか正夢になるとか、勿論それも無きにしも非ずだが、大半は世界の嘆きが夢に影響してくる、らしい。らしいというのは、神子自身はあまり自覚がない人間が多かったからだ。嫌な夢を見た、恐ろしい夢を見た、何か分からないけど飛び起きた。だけどその詳細は覚えていない。夢とは往々にしてそういうものではある。良くも悪くも世界が動く時は、神子はそういった夢を見ることが多く、ただ覚えていないから大して役には立たない。”何か起こる”という大雑把な予知しか出来ないのだ。

では今朝見た果胡の夢は、それに該当するものだっただろうか。ただただ夢見が悪かっただけだろうか。その判断さえ出来ないほど曖昧なものだ。


「夢、かぁ…」


包帯の補充をしながら果胡が呟けば、目敏くそれを見つけたエリスがキッと目を光らせる。


「カコ!夢を語ってないで作業に集中しろ!気が散漫になると怪我に繋がるからな!」

「はぁい」

「返事に『ぁ』はいらん!」

「はいぃ」


エリスの目がふざけてんのかと見開かれた。怖い。

今日の医務室は比較的ゆっくりしている。先日討伐に行った一番隊の怪我人が数人いるが、どれも命に関わるような怪我ではなく、数日で仕事にも復帰できる軽い怪我なので、常に気を張らなければならない患者はいない。

だから果胡もこんなにぼんやりと仕事を出来ているのだが、常時気が立っているエリスはそれを許してはくれないようだ。






「おい」


「────…はい?」






真面目なのはいいことだが、あんなに力を入れっぱなしで彼は疲れないのだろうかとエリスを眺めていたのに、果胡はエリスが近付いてきていることに気付いていなかった。声を掛けられて初めて目の前まで迫ってきていると驚いて少し身を引いた。

エリスは怪訝な表情で果胡の顔をまじまじと見つめ、顎を掴んでは右に向けたり左に向けたりして隅から隅までチェックした。


「……な、何か?」

「何かぼーっとしているな。顔色も少し悪いし、体調でも悪いのか?」


仕事の上司ではなく医務官の目になったエリスは、さすがに鋭い。変な言い訳は多分通じないし、嘘を吐けば漏れなくバレる。ふむ、と考えた果胡は、エリスの手をやんわりと顎から離させて、しゃくれそうだからやめてくれ、と笑顔で拒絶した。


「体調は悪くありません。少し寝不足なだけです」

「お前今日午後からだったのにか?」

「つい昨日夜更かししちゃって。すみません、眠気覚ましに物品購入に行ってきますね」


これ以上の会話は夜更かしの理由の追及と、体調管理の重要さの講義が始まると分かっている。早めに退散した方が身のためだと、果胡は流れるような動作でエリスに一礼し、さっさと医務室を後にした。しばらくしたらエリスは出張があると言っていたので、出掛けたタイミングを狙って帰ってくれば難を逃れられる。昔培った逃げの算段の組み方は今も健在だ。














***














一応、物品購入の言い訳は嘘ではない。ちゃんと購入リストも持ってきて、果胡は城下町をキョロキョロと見渡した。

大体いつも行く店か、昔行ったことのある店ばかりなので、迷うこともないが、一つ不安があるとすれば、痛み止めの薬草の仕入れ先の店がある場所が、あまり治安がよろしくないということだ。店主の男性は良い人で、果胡も何度か会った人なのだが、店を構えた所が悪かった。十六年前はそんなことなかったのだけれど、ここ最近でそこらはガラの悪い連中のたまり場となってしまったらしい。店主の訴えで国も何度か一帯の()()を試みてはいるのだが、なんせその近くには酒場、女の店等が集まっている。何度掃除しても完全に綺麗になるのはなかなか骨が折れることだ。

せめて日が高いうちにさっさと用を済ませてしまおうと、果胡は一番最初に痛み止めの薬草を買うことにした。


中心街より少し南、建物の狭い隙間を通って路地裏に行くとさらに奥に入り組んだ道が伸びる。方向音痴の果胡には辛い道ではあるが、店の主人が親切に順路を指示した張り紙を事細かに貼ってくれていた。こんなところだから、迷う客はいくらでもいるのだ。張り紙通りに進めば段々と視界が暗くなってくる。一般家庭が住んでいるような家など勿論なく、周りは不穏な店ばかりが集まっていた。昔ここはただの荒地だったはずなので、建物自体は然程古くはない。荒廃した世界に見えるのは、陽の光が当たらないからかもしれない。

途中、目つきの悪い男や様子のおかしい女達とすれ違ったりはしたが、気配を最小限に留めながらこっそり歩いて行けば、特に問題なくスムーズに店まで辿り着くことが出来た。

店のドアを開ければ、上にぶら下がっている鐘がカラン、と小さく鳴った。中にいた店主は眠り被っていたようで、鐘の音ではっと顔を上げる。


「こんにちは」

「あ…、あぁ、カコちゃんか。ごめんごめん、客が少ないものだからウトウトしていたよ」

「眠くなる時間帯ですもんね。セキュリティには問題ありですが、仕方のないことだと思います」


店は主人一人で経営している。見ての通り人通りが激しい場所ではないが、たまに通る人が激しい。何かの拍子に入り込まれたりしたらそのまま強盗なんてことも充分にあり得る。白髪交じりの初老の店主では、とても抵抗できそうにないが、本人はどうも危機感がないのか、気を付けてくださいねと心配する果胡に、大丈夫大丈夫、と優しい笑みを浮かべるだけだった。


「それで、今日は何をご所望だい?」

「いつもの痛み止めを。ストックがゼロになっちゃったので、いつもより多めにしてくれますか?」


店主は了解、と短く返事をすると、カウンターの奥に並ぶいくつもの引き出しから、迷うことなく真ん中当たりの取っ手を引っ張った。目的の物が当然とばかりにそこから取り出され、店主は紙袋に乾燥した薬草を詰めていった。

そして袋を秤にかけ、老眼を眇めながらそのグラム数を紙に記す。丸い小さな眼鏡のレンズの上から覗かせる瞳が、優しく穏やかに果胡に向けられた。


「ところで、今日は一人なんだね。今まではエマちゃんとかリタと来ていただろう?」

「あ、はい。無事、独り立ちしました。エマもリタも他の先輩たちも今日は別件で忙しくて」

「ああ、そう。それはおめでたいことだけど、カコちゃんこそここに来るときは気を付けるんだよ?決して安全な場所ではないからねぇ」


店の場所を移せばいいのだけれど、と店主は独り言のように呟くが、そうは出来ない理由も果胡は知っている。この店は元々夫婦でやっていて、最初は店主の妻が長年の夢を叶えて始めたものだった。それが数年前、妻に先立たれ、店主は妻との思い出を守るようにここに居座っている。決して繁盛しているわけではないけれど、薬草の種類も多く、昔からの常連からの信頼は厚い。これ以上の稼ぎを望んでいないので、店をどこかに移すという選択肢はないのだ。


「…そうですね。そのうち、どこか人に会わない抜け道でも探し出そうと思います」

「ハハハハ。悪いがカコちゃん、私はもうここに二十年近く住んでいるけれど、道は一択しかないんだよ」

「そう…ですかね…?探せばありそうですけど…」


屋根の上とか。

果胡だって二十年前のこの辺の記憶はある。風景は随分と変わってしまったけれど、当時もあった建物を伝っていったらこの近くまで来れることも実証済みだ。バートからの逃亡の際に。

この店が開店したその日に、初めてここの屋根を踏んだのはオリヴィアだということを店主は知っていただろうか。


「まぁ、なんにせよ、出来ればここに来るときは二人以上で、出来れば強い男の人と一緒に来た方がいい。連絡くれれば私が迎えにも行けるから」

「あ、いや、そんな!付き添いは若いもん(リタとか)に任せますから大丈夫ですよ!」

「いやいや、私もまだ若いもんには負けるつもりはないよ?」


正確な年齢は確認していないが、店主は若く見積もっても恐らく六十代後半。ともすれば八十代だって言われても頷く見た目なのに、意気込み若々しい人である。悪いことではないが、無茶だけはしないでほしい。

フォッフォッと自信ありげな笑い声を響かせながら、店主は薬代の金額をレジに打ち込む。珍しい薬草なので決して安くはない金額ではあるが、それでもいつも安くしてもらっていてありがたい。


「いつもありがとうね」

「いえ、こちらこそいつも安くしてもらっ────」


過去が金額を確認し、医務室から預かっている財布から丁度の金額を取り出している時だった。客が訪れたにしては激しすぎるドアの鐘の音が、カランカランカラン!と大きく鳴った。





「邪魔するぜオヤジ!」





殆ど蹴破られたに近いドアは、蝶番が壊れてぶら下がっている状態となっていた。それを気にも留めず、外から入って来たのは背の高い三人の男。ガタイがいいとまではいかないが、引き締められた筋肉が服の上からも分かった。

うわ、と小さく声を上げた果胡とは反対に、店主は妙に落ち着いた様子で、おや、と零しただけだった。こいつら絶対あれなのに。家賃取り立てとかそういう奴らなのに。落ち着いている場合ではないのに。


「お前たち、今日は何か用かい?悪いが今月はお前たちにやる金はないよ」

「いや、今日はそうじゃねぇ」


店主はカウンターから外に出て、何気なく果胡を自分の背中の方へ追いやる。まさか本当に果胡を守る気なのか。言っては悪いが、あんた若干腰曲がってからな!?と果胡は心の中でだけで突っ込んだ。

だからと言って果胡に何かできるわけでもなく、せめて店主をつれてどこかへ逃げ出す算段だけでも整えなければと辺りを見回す。出入口は一つ。裏口もない。この店から出て行くには男三人の障壁を越えていかねばならなかった。絶望的だ。

一人ならばいくらでも逃げることは出来そうなのだが、このまま店主を置いておくわけにもいかない。どうしたもんかととりあえず男たちの武器を確認した。剣、剣、剣。三人とも剣を持っている。他に持っている物はないか、と探す途中で、男の目がこちらに向けられているのに気が付いた。


「今日は可愛い嬢ちゃんがここに入って行くのが見えたんでなぁ!」


あ、そういうことか、と果胡は悟った。

目的はこの店ではない。ならば果胡がここから立ち去れば、店も店主も無事だ。簡単なことではないかと、せっかく盾になろうとしてくれていた店主には悪いが、果胡は今度は自分が店主の盾になるように前に躍り出た。


「今のは褒めて頂いたんですよね。ありがとうございます」

「ちょ、ちょっとカコちゃん」


まさか果胡がこんな行動に出るとは店主も思っていなかったらしく、男たちが凄んで入って来た時より余程驚いて慌てている。果胡は背中の店主に大丈夫です、と一言呟いて、とりあえずこの場から立ち去るシミュレーションを描いた。男と男の間、そこをすり抜け、その途中で剣を奪い、牽制しながら全速力。途中で屋根に上り、中心街まで出て人混みに紛れればこっちの勝ちだ。その後はバートに連絡して、店の様子を見に行ってもらおう。アフターサービスまで完璧にした計画は、いつ走り出すかが鍵だ。


「おーおー、威勢のいい女は好きだぜ?俺達暇なんだよ。奢るから今から付き合えよ、嬢ちゃん」

「奢りとは魅力的なお話ですね。是非ご一緒したいですが、今仕事中なんです。後日、私の連れもご一緒させていただけませんか?ざっと百人くらいなんですけど」


十番隊の暇な騎士たち集めてくればそんなもんかなぁ、と果胡は記憶を頼りに数えたのだが、そう言えば今は王女でも何でもないのだから、騎士を動かす力はない。まぁ、肩書は立派なリタに手伝ってもらえばどうにかなるだろう。嘘は言っていない。

果胡は華麗に微笑んで実に誠実に対応したつもりだが、男たちはこめかみに小さな青筋をピキリと浮かべた。


「…言うなぁ、嬢ちゃん。俺達は贅沢は言わねぇ。お前一人でいいんだよ…!」

「……、」


言うが早いか、男は果胡の腕を素早く掴んで引っ張る。果胡は踏みとどまろうと足に力を入れたけれど、力の差は歴然。声を上げる間もなく、果胡は男の身体に包み込まれた。掴んだ腕はそのままに、もう片方の腕が背中からくびれを確かめるように腰に回る。顔も胸も腹も腿も、全て男にくっついている。酷く気持ちが悪い感触だった。





「や、めてください……」





嫌だけれど泣きつくようなことはしたくなかった。だから思いっきり睨みつけてやったが、男にとってはそれは逆効果だったようで、楽しむようにヒュウ、と口笛を鳴らす。


「いいねぇ、その目、そそるぜ?」

「あんたそそらせるくらいなら、その辺の鼠そそらせた方がまだ楽しいですね」

「っは、言ってろ。強気な物言いも今の内だ。後でお前は俺らの餌になるんだからな」

「────…っ!」


男はニヤリと口端を吊り上げると同時に、果胡の腰に回していた手を服の中に入れ、直接肌に触れてきた。生温かい感触にぞわりと全身が総毛立つ。

果胡は知っていた。これから何が行われるのか。予想ではない、確証だ。想像ではない、経験だ。


経験。





経験だった。
















「────────」
















小さく息を吸ったつもりなのに、肺が空気でいっぱいになる。このままでは肺が破裂する。爆発する。粉々になってしまう。


出さなきゃ。


全て。


吐き出さなきゃ。


全て。


この中のものを。











果胡の喉から、自分のものとは思えない声が通り抜けた。











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