選ばれた責任
「カコー?カーコ!」
コンコン、とノックが先程から何度か続いている。果胡をカラスのように呼ぶのは、リタの声だ。返事は返ってこないのに、中に果胡がいると何故か確信していて、ドアの前から立ち去ろうとする気配がない。数分はその状態が続いたのだが、そのうち入るぞ、と断ってドアが開いた。
「………入っていいって言ってないんですけど」
「返事ないから倒れてるんじゃないかと思って」
倒れているんじゃないかと心配していた様子ではない。呑気にベッドに寝転がりだすのだから。
「何か用ですか?私今日は半休頂いたので、今絶賛休みを満喫している途中なんですけど」
「満喫している顔色じゃないけど。……エリスに聞いた。ぼーっとしてて仕事にならんから部屋に戻したって。何、体調戻ってないの?」
「………いえ、」
果胡は机の上で突っ伏していた顔を上げ、代わりに肘をついて両手で額を覆った。その顔色は、否定の言葉が信じられないものだった。リタは隙間から見えたその顔に僅かに目を細めた。
「……カコ、何かあった?」
だらけた格好で、顔だけ険しくさせてリタは神妙に言った。
眉を顰めたまま口を閉ざしていた果胡だが、やがてぽつりと呟くように話し始める。
「────…いです…」
「うん?」
「聞いてないです」
「何を?」
果胡は蒼白の顔で振り返って、リタにあらん限りの力で訴えた。
「神子代理があんな美女だなんて聞いてないんですけど……!!」
「…………はい?」
何故そんな重要なことを教えてくれていなかったんだとばかりに、果胡はこちらに召喚されてから一番衝撃を受けていた。
「………何言ってんの、お前」
「神子代理ってあの人、何ですかあのロッテって言う人!めちゃめちゃ美人なんですけど、めちゃめちゃエロかったんですけどどういうことですかあれ!」
「どういうことか俺が説明してほしい。本当に何があった」
とりあえず落ち着け、とリタが思わず立ち上がっていた果胡の肩を押さえて再び椅子に座らせる。そのことで我に返った果胡は、取り乱しました、と小さく謝って一度深呼吸をした。
「…今朝、お風呂で神子代理…ロッテに会ったんです」
「ああ、巨乳だったろ」
「……っ!」
「待て、すまん、俺が悪かったからそんな悲しそうな顔するな胸を揉むな」
果胡はお世辞にも大きいとは言えない自分のそこを、少しでもボリュームが出ますようにと願いを込めるが、今更遅い。どんなに嘆いてもロッテにはもうこの小ぶりさを見られたし格付けされた。豊胸手術でもしない限り、これ以上大幅に大きくなることはないだろう。しかも美人でスタイルもよくて人当たりもいいときた。少し話しただけなので為人は全部は把握しづらいが、少なくとも果胡には悪い人間には見えなかった。
「だって、神子代理があんな完璧人間だなんて……!」
「えーと…、意味が分からんのだが、お前は神子代理にどんなイメージを?人を喰らいそうな醜い姿だったら良かったのか」
「はい」
「『はい』!?」
こくん、と頷く果胡に、リタが目を剥く。果胡は人の不幸を喜ぶようなタイプではないはずなのだが、今度ばかりは仕事を早退する程にショックを受けている。果胡自身もこんなに動揺するとは思っていなかったのだが。
「ちょっと待てカコ。ロッテに何かされたのか?悪口言われた?お気に入りのシャンプー使われた?下着隠された?」
「全部不正解です。正解だったらどんなにいいか」
「よくねぇよ。いいから何考えてんのかちゃんと言え」
ずぅん、と項垂れる果胡にいい加減痺れを切らして、リタが果胡の額を指で弾く。小さな衝撃に瞑った目を再び開いても、果胡の目線は床を行ったり来たりしていたが、そのうち観念したように口を開き始めた。
「…だって、神子代理なんて嫌な役回り、誰だってしたくないじゃないですか…」
何か恥ずかしいことかのように、果胡は小さく零す。
散々焦らした答えがそんなことで、リタは思わず、は?と口を開けて目を瞬かせた。だが果胡にとってはとてもとても重要なことで、頭が働かなくなるくらい気になることで。
「神子なんて簡単に言えば神と人間の生贄です。神を信じるために、人間を監視するために、神子を通して世界が創造される。崇拝され、信仰される理由がそうだと理解したとき、この世で一番の絶望を覚えるんです。それなのにその代理なんて、受け入れられますか?本来だったら自分ではなかったはずなのに、人の絶望を自分が背負おうと思いますか?」
私にはとてもできない、と果胡は声を低くした。
「…お前だって、その絶望に向き合って来たんだろ」
「私は良いんです。本当に神子だから。向き合わなければならない運命だと受け入れることが出来ます。逃れられないんだって諦めもつきます。自分の絶望だから。…でも、ロッテは違うでしょう?ロッテではなくても良かった。たまたま選ばれただけ、たまたま神力を少し持っていただけ。そんな人他にもいたはずなのに、何でってそう思うでしょう?」
ロッテがもっと醜くて、救いようのない悪人で、誰も彼もが遠ざけてしまって、たった一人でしか生きていないようなそんな人間だったら、果胡もこうは思わなかっただろう。だけどロッテは多分違う。誰もが羨む容姿、人に好かれる柔らかい性格、控えめだけど芯のある雰囲気、生まれてからずっと、周りには人が溢れていたのだろう。そんな人に背負わせるような荷物じゃないのだ。
「お前はいつもそうだな、カコ」
「…何がですか」
呆れたような、諦めたような、だが納得したようなリタの声は、俯く果胡の視線を上げた。
「人のことばっかり考えているから人が怖くなるんだよ。自分が人の犠牲になろうとするから、人に敏感になる。……そんなに、背負わなくていいのに」
「私は神子です。神と人の荷を背負うのが神子の役目です。他人に渡していいものじゃない」
「そりゃ神子は神子にしか出来ない。代理で務まるものでもない。だが、それはお前が決めたことじゃないだろ?ロッテだって神子代理を背負いたくないと言ったわけでもないだろ?」
「………」
全てを悲観するのは、ある意味高慢だとリタは優しい声で言った。ともすれば忠告にも聞こえる言葉を、宥める言葉に使うなんて、狡いと果胡は悔しくなる。
叱られているのに受け入れられている。そんなリタの言葉には、全てを納得する他なくなってしまうのだから。
黙った果胡が落ち着いたのだと分かると、リタはポケットから飴玉を出して机の上に置いた。今日国王が城下町に出た際、町の子ども達に配っていたのを数個くすねたとは勿論言わない。
ただこれは、果胡の機嫌取りだ。
「一週間後、今年の特別騎士任命の儀がある」
「…え、」
「知っての通り、任命の儀はどんな役職であっても、神子の承認を得なければならない。神の意を聞き、神の祝福を得る証として」
誰よりも果胡が一番知っている。神子の大事な仕事の一つだ。特別騎士だけではない。国王の就任も、名のある名家の戴冠も、騎士が騎士として生きる忠誠を誓う時も。
神が中心のこの世界は、必ず神の下でその心を問うのだ。
そういえば果胡は忘れていたけれど、リタが騎士になった時はオリヴィアが彼に帯剣の儀式をしたはずだ。その剣が折れても尚、国に預けた心は命尽きるまで折れないと、誓いを立てて。
「……ロッテが……、やると言うことですよね?」
「当然。今までもそうしてきた」
「あれは一応形だけのものだし、神託を聞くとか言うけど、神はそんな都合よく喋ってはくれません。適当にそれっぽく言ってればいいだけなのですが……」
「え、そうなの?」
「でも、そんなのロッテは知りませんよね?私はたまたま神が『そんな儀など知らん。お前らで勝手にやれ』と言ってきたからそうしてたけど」
「え、そうなの?」
「ロッテに神託が受けられるほどの神力はないはずだし、戸惑ったのではないでしょうか。今までの神子が、どれほどいかにも有難い神託を受けたように言う技術が身に付いているか」
「え、そうなの?」
要は儀式など人間の自己満足である。神はそんなものに付き合うかと冷たいのだ。どうせ神の声が聞こえるのは神子だけだ。人間の行事に神が参加する義務もないし、参加しなかったところでバレるのは精々神子くらいだ。他にやることあって忙しいからそっちで適当にやってくれ、といつも寝ているのだ。
「神なんてそんなものですよ。神子に自分の仕事を押し付けるんです。最低な上司でしょ?」
「神と神子の間にそんな上下関係が出来ていたのは知らなかったが、まあロッテはオリヴィアとも遜色なく出来ていたと思うけど」
「……それなら安心ですが」
ロッテが苦労したかどうかまでは分からないが、とりあえず周りが違和感ない程度にやれているならいいと、果胡は胸を撫で下ろす。神がこれを見て、何を考えるかは知らないが。
神の適当な仕事ぶりに驚かされていたリタは、気を取り直して話を戻す。最初からこれが言いたかったのだと。
「俺も参加するんだけど、ロッテの仕事っぷり、お前も確認しておくか?」
その方が安心だろ、とリタは飴玉を口に放り込んだ。
「そういやカコ、言い忘れたけど」
「何ですか?」
「お前が落ち込んでいた理由だけどな、仮にも同じ神子という立場なのに、自分があまりにもロッテの美貌に引けをとったからっていうのは、全体の何割を占める?」
「八割ですね」
「多いな」




