謝ること
攻防が続いた戦いは一時休戦。耳を劈くような爆音は止み、救護テントに運ばれてくる怪我人も減ってきた。救護テント内も段々と落ち着きを取り戻し、交代で休憩を取れるようにもなる。
一体どのくらいの人がここに運ばれて来たのだろう。どれくらいの命が救われ、どれくらいの命が失われたのか。救えなかった証拠とでも言うように、隣のテントには息をしない人間が並べられている。
「カコさん」
中に入る勇気はない癖に、遺体が納められているテントの方を眺めている果胡に、エマが優しく声を掛ける。先程までの鬼気迫る指示を出す彼女とは別人である。
「エマ…。お疲れ様です。休憩ですか?」
「はい。患者さんたちもとりあえず落ち着きましたから、今のうちに。陛下たちの話し合いがうまくいかなければまた開戦します。カコさんも休まれてください」
そうだ。戦争はまだ終わってなどいない。命のやり取りは続いている。たった一人の神子を巡って。
「…エマが経験した中で、話し合いによって、戦争が終結したことはありますか?」
「え?あ…、えー…と、そうですね…。半々…くらいでしょうか。そもそも話し合いが通じない相手の時もありますし、その点で今回は話し合いに応じてくれただけましだと思います。それに、今回は陛下たちが直々に話し合いをされるのです。きっとうまくいきます」
疲労と精神的衝撃と目まぐるしい光景を見続けたお陰で、果胡はすっかり声を暗くしていた。エマと性格を入れ替えたみたいだ。エマとて最前線で働いていたのだから疲れていない訳ではないのだろうが、彼女には経験がある。慣れているといっては語弊があるが、想像の範疇である分は覚悟が出来ているので、何もかもが初めての果胡よりはまだ余裕があるのだろう。
「…エマ。一つ質問があるのですが」
「何です?」
「国王様とはどんな人ですか?私、失礼ながらあまり覚えていなくて」
擦り切れるほど頬擦りされた記憶、公務も放っておいて一日中オリヴィアを呼んでいた記憶、子どもよりも夢中で遊び、仕事をしろと妻と数々の部下から怒られている姿を見た記憶、たまに真面目な顔をしていたのは、自室に籠っている時くらい。果胡の中にあるオリヴィアの記憶は、鬱陶しいくらい鮮明だ。
ただその分、父親が他からどう見られているか窺い知る機会はなくて。どうせ周りに聞いても実子に本当のことなどいうはずもないと分かっていたから。
エマはそうですねぇ、と暫し考えてからクスリと笑った。
「気さくで、楽しいお方です。城で働く者には勿論、国民にも分け隔てなく家族のように、友達のように接して下さる優しいお方ですよ」
家族とか友達とか、そんなこと言っては失礼かもしれませんけど、とエマは肩を竦めて嬉しそうに言った。失礼と言いながら簡単に口に出せるくらい、エーベルハルト=ダウズウェルという人間は近しい存在なのだ。
敬いを忘れたわけでも、礼儀を欠くわけでもないが、それでも近いと言える立場はなかなか難しい。
「そう、ですか」
「カコさんは陛下にお会いしたことはないんですか?」
「あ…、いや…、…ない、です」
「そうなんですか…。あ、でもそのうちお会いできると思いますよ。陛下は落ち着きのない方ですので、城をウロウロしていますし!」
いや本当にどんな国王なのだ。我が父、いや前世の父ながら恥ずかしくなってくる。思えば玉座にじっと座っていた試しがない人だった。中身は三歳児だ。
エマに悪気はないけれど、これ以上のエーベルハルトの情報は『お前の母ちゃんでべそ』ぐらいの衝撃が来る。
そうですね、と果胡は曖昧に返事をして、渇いた笑いを零している中、どこかで『陛下だ!』と歓喜する声が響いた。
ざわ、と辺りが浮足立ち、エマもぱっと顔を上げた。
ベネ国との会談が終わったのだ。皆が結果の内容を待ち望む中、果胡だけが視線を下げて地面を見つめていた。
空気が変わったのが肌で感じ取れる。国王が姿を現したのだ。多分果胡も、顔を上げれば彼を拝むことが出来る。
「カコさん、どうしました?陛下いらっしゃってますよ?」
「私は大丈夫です。皆さんでお楽しみください」
きっと見てるだけで飽きない人だ。何をしでかすか予想が付かず、あっと言わせる行動ばかりする人だ。人生に刺激が欲しいなら、あの人の付き人にでもなるといい。毎日同じ一日を過ごすことがなくなるだろう。
変な遠慮をする果胡に、エマは果胡の体調でも悪いのかと心配そうに背中を擦った。視線を上げずに俯いていれば、それは気分が悪いと勘違いもされるかもしれない。だが、どうにも合わせる顔がないのだ。あれだけ愛してくれたのに、あれだけ幸せをくれたのに、あれだけ自由をくれたのに、オリヴィアは最悪の親不孝をしてしまった。
親より早く死に、その死も、存在さえもなかったことにした。
どんな顔して、見ろというのか。
初めてなのに、耳に穏やかな、聞き慣れてしまった声がした。少しハスキーな茶目っ気のある特徴的な声。その人の人格を表すような音だ。
「皆、ご苦労。────戦争は終わりだ」
それなのにその言葉は重く、光のようだった。
わっと歓喜の声が上がるかと思われたが、思ったほどの騒ぎではない。全員が粛々と安堵を噛みしめているように空気が緩んだ。そうだと思ったが、予想通りで良かった、と。
どれほどこのエーベルハルト=ダウズウェルという男を信頼しているというのか。こんな適当な男の何処を信じていたというのか。
甚だ疑問だけれど、納得できないわけではない。現に果胡だって、皆と同じ気持ちだったのだから。
「カコさん、大丈夫ですか?ちょっと向こうで座っ……あ、」
果胡を覗き込むエマが不自然に声を上げる。同時に、果胡の視界には、誰かの靴が入っていた。
「君、具合でも悪いのかい?」
上から降る近い声。
恐ろしく懐かしいのに、恐ろしく耳馴染みのいい声。
その音で、何度名前を呼んでくれたか。
転生をすればこうなることくらい分かっていた。
自分の存在を消せば、こんな思いをすることくらい分かっていた。
分かっていたのに、全然覚悟が出来ていなかったなんて。
「……いえ、大丈夫です」
今すぐに顔を上げて、謝りたい。謝ることが多すぎて、大きすぎて、何を謝っていいか分からないけれど。
まずは顔を見て、目を合わせ、始めるのはそこからだ。
「……そうか。戦いは終わった。安心して休んでいいから、我慢することはないからな」
「…ありがとうございます」
なのに、
それさえも出来ないまま、果胡の視界から靴は消えていった。




