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戦場の実態

戦場とはどの時代、どの世界だって惨いものだ。武器が飛び交い、火の粉が舞い、煙が上がる。怒号と絶叫、苦痛と悲嘆が延々と広がっている。植物も動物も焼かれ、黒い土は何が燃えた跡なのか分からない。武器は壊れ、人が人の上に積み重なり、もう二度と動きはしないというのに、終わりのないとどめを何度も刺す。

勿論オリヴィアの記憶に、戦場の景色などない。ずっと安全な所で、守られていたのだから。





「────…、」





瞬きが出来ない。目を逸らせない。この景色を網膜に焼き付けよと、脳が指令を出してくる。

足元には矢が突き刺さる。一歩間違えば当たっていた。怖い。恐ろしい。震える。震えて仕方ない。逃げたい。ここから離れなければならないのに、足が震えて動かない。





「カコさん!!こっち!!」


「っ!」





強い力で引っ張られ、視界が流れる。力の入っていなかった肩が抜けそうになったけれど、そんなことお構いなしに果胡の腕は抵抗する間もなくぐいぐいと引っ張られて行った。























「なななな何やってたんですかあんなところで!」

「ごめんなさい…」


爆撃と矢と刃物が飛び交う中、まさか突っ立っている奴がいるなんて思わない。さすがのエマも声を荒げずにはいられなかった。怒っていると言うよりは、果胡の気が狂ったかと思われる行動が理解できなくて困惑している。

泣きそうになっているエマに、果胡は平謝りだ。当然である。集団からはぐれてしまって、激戦地に足を踏み入れてしまったのだから。


「わ、私たちは救護班ですから、ここにいて傷付いた兵士たちを治療するのがお仕事ですっ。カコさんは戦わなくて大丈夫なんですからね?」

「あ、いや、戦おうとしたわけではないんですが…。すみません、皆とはぐれてしまって、何処に戻っていいのか分からなくなって」

「だとしても、あんな危ない所にいちゃ駄目です!何で逃げなかったんですか!」

「すみません…」


逃げなかったというか逃げられなかったというか。何を言っても言い訳にしか聞こえないと、果胡は口を噤んだ。エマだってそんな危険なところまで果胡を探しに来てくれたのだ。感謝こそすれど、果胡に言い訳をする権利はなかった。


「とととりあえず、ここら一帯は安全ですので、何があってもここからは離れないで下さいね?」

「分かりました。というか、離れる暇もないでしょう。…こんな光景を目にすれば」


エマに連れられてやってきたテント内。救護テントだということはひと目で分かった。

中には怪我人で溢れていたのだから。


「……ええ。早速仕事にかかりましょう、カコさん」


エマは腕まくりをし、二つ結びの髪を一旦解いて、一つに括り直した。それまでのオドオドした彼女はどこへやら、キッと強めた眼差しが、大きな眼鏡の奥で光った。

感覚的に、果胡は察知した。あ、この人はできる人だと。

エリスが認めたのだから、当たり前だけれど、








***









エマが手を動かし始めてからは、あっという間に怪我人の処置が進んでいった。まず彼女は手際がいい。処置のスピードもさることながら、患者の捌き方も迅速で丁寧だ。おまけに第二隊の救護班に対する指示も的確で、皆が戸惑うことなくスムーズに動けていた。

勿論果胡へ対する指示も分かりやすく、どんなに怪我人が増えようと決して慌てず、だが常に脳はフル回転だった。


「カコさん、持ってきた包帯を一メートルと二メートルの長さで十本ずつ用意して下さい。それから、多分消毒液がなくなる頃だと思うので、隣の物資テントから持てる分だけ持ってきて下さい。ついでに、残りの消毒液が何本か確認しておいてもらえると助かります」

「分かりました」


指示の順序、状況の把握、人の動きに合わせた指示の出し方。どれを取っても、今エマに勝る人材はいない。果胡は密かに感心しながらも、そんな場合ではないと邪念を振り切って手を動かす。

テント内は惨状だった。呻く声や嗚咽する声、血の上に血が落ち、地面に並んで横たわる兵士達はざっと数えても二十人弱。エマによるとこれでも少ない方であるという。まだ戦は始まったばかりだから、これからまた増えるのだと。

今でも酷い怪我を負っている者ばかりなのに、これよりも酷い怪我は出てくると言うのだ。肌が見えないほど血塗られている身体より、骨が見えるほど抉られている傷より、肩腕を切り落とされ、片目を潰され、半身を焼かれ、息をしているかしていないか分からない状態で運ばれてくるよりまだ酷く。


これ以上の傷を負ってくるのだと。


「……」


果胡は止めるわけにはいかない手を機械のように動かしながら、細く息を吐いた。先程から何度も何度も同じように深呼吸を繰り返している。こうでもしなければ、震えを誤魔化せないのだ。込み上げてくる吐き気を紛らわせることが出来ないのだ。甘く見ていた恐怖を受け止めきれないのだ。

気が緩めば涙が出そうになる。だが、泣けば視界が歪む。視界が歪めば仕事が止まる。そんなことしている場合ではないのだ。今は気を張り、エマの指示に集中しようと、果胡は二十本目の包帯を裁ち切った。












果胡は物資テントに行く際に、初めて救護テントに結界が張られてあることに気が付いた。救護テントは安全な所に張られているとは言え、絶対の安全が保証されているわけではない。隊には、数人魔法を得意とするものがいて、その者達で主要テントは結界を張るのだ。

魔力や神力は大方魂に宿るため、一応果胡も結界を張ることはできるはずなのだが、何せ果胡の身体で魔法を使ったことはない。魔法を使用できるかどうかの検証はまたいろいろと試さなければならないだろう。

それより今は消毒液だ。急いで物資テントに取りに行かなければならない。


「………れ?」


物資テントは救護テントの横隣。出てすぐに隣に移ればいいことだと、果胡は憶測を見誤っていたのだ。



右だったか左だったか分からない。



「やっちまった」



しかもテントなんてどれも似たり寄ったりで、見分けなど殆どつかない。どうしたもんかと右往左往しているうちに、救護テントまで見失った。何故こんな時に隣にも行けない方向音痴なのだと、果胡は改めて自分の能力を呪った。

こうなったら全てテントを開けて挨拶して回るか。新人ですお願いしますと言った先にお偉いさんが戦略会議でもしてたら殴り飛ばされるだろう。トイレだったらどうする。漏れなく変態扱いだ。いや、躊躇っている場合ではない。変態と成り果てても、果胡は果たさなければならない使命があるのだ。


迷っている暇はないと、果胡はまずは手近なものから調べようと、周りよりは比較的小さなテントに手を掛けた。




「お前、何をしている?」

「!」




中の様子を確認する前だ。果胡は突然の低い声に肩を震わせ、振り返った。百八十は超えるであろう長身、バランスよく備わっている筋肉、実によく似合っている黒い軍服に身を包み、ゾクリと背筋が凍るような獣の目を据えている人物。

変に動揺しては悪さをしようとしていると勘違いされかねない。大きく音を立てる心臓を宥めながら、果胡は彼に向き直って軽く会釈をする。


「お疲れ様です、アリスター隊長」

「……お前は…?」


疑う目を隠しもせず、アリスターは果胡の頭の天辺からつま先まで、機械を通すように目線を這わせた。途中で救護班の腕章を見つけ、多少は信頼を得たようだったが、アリスターにとって見慣れない顔は気を抜く理由がない。


「先日から医務室勤務になりました、希成果胡といいます」

「キナリカコ…?どこがファーストネームだ」

「ああすみません、カコでお願いします」


散々厳しい眼をした割に、アリスターは思わぬところに疑問を抱いたようだった。確かに、この世界では耳にしない名前だろうし、日本でだってそんなにポピュラーなものでもない。むしろ名前に関しての反応は慣れているため、果胡としては僅かに緊張が解けた。


「…カコ…、…ああ、エリスが言っていた奴か。確か今日が初めての戦地救護だと」

「あ、はい。宜しくお願いします」

「して、ここは本部テントだが、何用だ?」

「えっ?あ、いや…」


身元の疑惑は晴れたものの、不審な行動については見逃してくれない。ここは周りが敵だらけの戦場だ。気を緩められないのは当たり前だ。

嘘をつくのも変だし、果胡は正直に迷いましたと白状すると、アリスターはそこで初めて果胡に対する警戒心を緩めたようだった。オリヴィアは厳格な人物だと感じていたし、この人の笑った姿など見たことがない。ただ、苦手というわけではなかった。真面目で、自分にも周りにも厳しく、自分の信念を貫く真っ直ぐな瞳。己が真に忠誠を誓う者のためだけに動き、命を預ける。多くは語らず、ただただ怖い人間だと勘違いされることも多々あるが、その分信頼を置く騎士たちも多い。その生き様、実力、空気感。憧れを抱く者は少なくなかったのだ。少なくとも果胡は、アリスターにそんなイメージを持っているし、バートとエリスとアリスターの内、誰かと一日過ごさなければならないと言われたら、迷わずアリスターを選ぶだろう。


「物資テントは反対方向だ。ほら、あそこ、一つだけ形の違うテントが見えるか?」

「ああ、はい!あ、隣に救護テントありますね。あんなに近くにあったとは」

「どこをどうやったら迷うのか逆に教えてもらいたい」


果胡は多分、物資テントが死角となる側の出口から出てきてしまっていた。よく周りを見ないままとりあえず右に曲がり、ウロウロとするうちここまで来てしまったのだ。アリスターが示してくれたところまでは随分距離が出来てしまっていた。

警戒が呆れに変わってしまったアリスターは、小さく溜息をつくと、そういえばと呟いた。


「リタを見なかったか?お前はリタが城に連れてきたと聞いているから、リタののことは知っているだろう?」

「え?えぇまぁ。知ってはいますけど、今どこにいるかは知りませんよ。行き道は一緒にいましたけど、現地に到着してからは一回も姿を見ていません」

「そうか。…あいつ、もうすぐ陛下が到着するというのに、どこ行ってるんだ…」


チッと舌打ち交じりに悪態をつくアリスター。彼の感情が見える表情は珍しい。


「…陛下?────…国王様、ということですよね…?」

「ああ。他に何が?」

「……いえ、」


果胡はアリスターに見えないところでキュッと拳を作った。

陛下。国王。王様。どんな言い方をしても、それがルヴィフィア国の主を指すということは変わらない。ルヴィフィア国を代々治めるのはダウズウェル家。そして、今統治するのはエーベルハルト=ダウズウェル。


オリヴィアの父親だ。


城に居ればいつか顔を合わせると思っていたし、免れないことだとは覚悟していた。ただ、気持ちが追い付いているかと言われればそうではなくて。




「カコ?どうかしたか」

「ああいえ、何でもないです。でも、ここに国王様が来られるんですね?」


いけない、と果胡はすぐに視線を上げた。無理な質問は不自然だったかもしれないが、アリスターはちゃんと答えてくれる。


「ああ。戦の進展がない。このままでは敵も味方も無駄に犠牲を増やすだけで、問題の解決にはならぬと陛下直々にこの地に赴き、ベネ国陛下と話されるそうだ」

「戦争が治まるならそれが一番だと思います…でも何故、リタですか?国王様が来られることと何か関係が?」


果胡にはリタの所在は分からないが、戦力として応援に来ていると言っていたのだから、少なくともこの戦地にいるのは確かだろう。もしかしたら最前線に身を投じているのかもしれない。激化する戦の中にいると思うと、彼の身が心配ではあるが、果胡に安否を確認できる術はないし、どちらかといえば指揮を執っているアリスターの方が現状は把握できているだろう。アリスターがリタの安否を気遣っているのなら確認を取れば分かることだろうし、国王が来ることとの関係性が分からない。

だが、疑問符を浮かべる果胡に、何故かアリスターの方が訳が分からないという表情を滲ませた。


「何を言っている?」

「そちらこそ」

「あのサボり魔がいないと話にならんだろう」

「確かにリタはサボり魔ですが、それとこれとどんな関係が?」

「はあ?」

「え?」


お互いに首を傾げ、どうも会話が噛み合わない。どうにか意思疎通を図ろうとするが、言葉を交わせば交わすだけ二人の会話はどんどんとずれていった。

第三者が入らなければ恐らくこの会話は平行線だと思われる中、見計らったかのように呑気な声が果胡の後ろから聞こえてきた。




「あっれ?アリスター隊長にカコ。こんなとこで何してんの」




アリスター隊長を始め、ほぼ全員が同じ黒の軍服を着ている中、一人だけ真っ白な服に身を包んでいる。これだけ目立てば普通見失うはずもないのだが、転移でもしてきたかというほどに突然、そこにはリタがいた。

その姿を見るや否や、キッとアリスターの眉が吊り上がる。


「リタ、お前今まで何処行ってた!探したんだぞ」

「何処って、見ての通り戦場ですけど」

「それは何処をどう見たらその答えに辿り着く?ピカピカの軍服着やがって」

「え?いや…、あっ、ほら、汚れてるここ!」


シミ一つない綺麗な軍服は、とても血が飛び交う戦の中にいたとは思えない。鞘に納めている剣はどうなっているのか分からないが、全身を見回してやっと糸くずのような汚れを見つけるあたり、多分剣の刃もピカピカに輝いているのだろう。

こんな緊張感で張り詰めた場所でも変わらず、駄目人間へとなってしまったかつての幼馴染の姿に果胡は目頭が熱くなる。なんかすみません、と母親のような気持ちで果胡は心の中で謝罪した。

アリスターもリタのことには慣れているのか、ここで説教している暇もないとリタの襟首を引っ掴んだ。


「ではカコ、もう迷うなよ」

「あ、はい。ありがとうございました」


リタも小柄というわけではないのに、アリスターは彼を子どもでも扱うかのように軽々と引っ張って行ってしまった。






「ま、とりあえず無事でよかった」





また後でなー、と手を振るリタを遠い目で眺めながら、果胡はそれだけ呟いて物資テントに急いだのだった。










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