変化か元からか
良くも悪くも、エリスの説教は慣れている。たった一時間ほど正座させられたくらいでは果胡は根をあげない。ただ、久々の過保護に触れて気疲れしたような気はしていた。十六年前までにもうんざりするほど聞いていた健康維持への執念、さっきの金製の入れ物が落ちてきたことで本当に怪我はしなかったのか何だ怪我しているじゃないか何?別件の怪我だと?何故早く言わないんだという怒涛の心配性が襲ってきて、とりあえず疲れた。樹海で負っていた怪我の具合も診られたし、宣言通り新しい傷が出来ていないかもチェックされた。服を引っぺがされたが、医務官モードの彼に羞恥心というものはなくなってしまうし、果胡の方ももう慣れてしまっていて何とも思わない。親より裸を見られている気がする。
果胡はどうにかエリスの重い愛から逃れて、元々任されていた消耗品の補充処理の続きをしていた。今は財務官に承認の印をもらい、医務室に帰る途中だ。ちなみに財務官は果胡も知らない人だったので気が楽だった。
ただ、エリスの愛がまだ抜けない。
「は」
「はぁぁぁぁ……」
憂鬱な気分を紛らわせようとした果胡の盛大な溜息を奪うように、その倍はある憂鬱さを孕んだ別の溜息が重なった。
「……何ですかリタ。私の疲れを倍増させる息を漏らすのは止めて下さい」
「聞いてくれよカコ…」
項垂れたリタの手が、後ろから果胡の肩に乗る。そこから何か邪気でも出ているかのように負のオーラを纏っていた。
果胡は歩を進める足は止めず、奪われた溜息を改めて漏らして目線だけを斜め後ろに向けた。絶望の顔色をしたリタがいる。
「どうしたんですか。借金の利子が跳ね上がりでもしました?」
「恐ろしいこと言うな。似たようなことだ」
「似たようなこと」
恐ろしいことというのは利子が上がったことか、そもそも借金があったことか、似たようなことが起こったことか。とりあえず聞いてくれと言うくらいなのだから、それほど落ち込むこともしくは衝撃的なことがあったのだろう。碌な事ではなさそうだが、とりあえず果胡は肩を落とすリタの話を聞くことにした。
「雑用とは言え、城で働いているんですから、生活に困らない程度のお給料はもらっているでしょう?借金するような稼ぎではなかったでしょうに」
「その給料、減らされたんだよ」
「は?」
長い廊下の先にくすんだ目を向けていた果胡は、思わず振り返って口の形を歪ませた。リタが泣きそうになっている。
「何で。一体何をしたらそんな奇跡が起こせるんですか」
「奇跡なの?俺奇跡起こしちゃった?」
「世界一下らない奇跡ですね」
城に仕える仕事というのは、日本で言う公務員のようなものだ。雇用主が国主であり、元手が確実であるはずなので滅多なことでは給料は下がらない。下がるようなことがあればそれは下がる前に解雇されていることであろう。解雇されるほどでもなく、だがこのままでは目に余るところがあるという、隙間を縫うような処断をされることなど殆どない。
「そんなに目くじら立てることでもないと思うんだよ俺は」
「だから何をしたというんですか。そんな絶妙なラインの対応をされるなんてあなたしかいませんよ」
「いや、別に変わったことは特段何も。ただ洗い物の際にティーポットの注ぎ口を欠けさせちゃったり、急な別の仕事が入ったから料理長に洗い物任せたり、国王様が描いた絵を町の子どもが描いたものと間違えたり、式典中にくしゃみ連発してたりしてただけじゃんかぁ。風邪引いてただけなのに」
「それはまた、絶妙なラインの対応をされるわけですね。自業自得です」
何が意外だったのか、リタはえぇ、と目を瞬かせた。確かに解雇するほどでもないが、何か罰を受けてほしいと誰もが思う生活態度だ。わざとかわざとじゃないか分からないというのもネックなのだろう。とはいえ、そんなに大幅に減らされたわけでもないだろうに、リタは生活苦になると嘆いていた。
「今までそんなカツカツな生活してたんですか?小さい頃からこの城にいて古株でしょうに、いい給料もらっていたんでしょう?」
「それがそうでもないんだよ。皿割ったり装飾品壊したり武器失くしたりしてその分給料から引かれてたから、これ以上基本給まで減っちゃって俺もうどうしたらいいか…」
「この十六年の間にあなたどれだけ駄目になっちゃったんですか」
果胡が思う、共に過ごしていたリタの印象は、もっとこう何でもスマートにこなしていて、悪戯も秀逸で、いつでも及第点を取るような優秀な人間だと思っていたのに。大人になったリタはやはり変わってしまった。
「町の居酒屋のオヤジにもツケ払わないといけなかったのに、俺もう首括るしかない?」
「エリスが飛んできますよ。望みは叶えられないでしょう」
「確かに」
この城には絶対の守護者がいる。いつどこで目を光らせているか分からない。
それにリタがいなくなって事が解決するのなら、減給ではなく解雇まで踏み切るだろうし、居酒屋のオヤジも死んでツケを払えとは言わないだろう。
先日あれだけ大人びた笑みを浮かべて果胡を撫でていたのに、今のこの情けない姿とのギャップが激しすぎて別人ではないかとも思える。
「母様に相談してみたらどうですか。リタのことを溺愛してますから、どうにかしてもらえるのでは?」
「そんなの何か狡いだろ。コネ使ってるみたいで」
「その真面目さがあるんなら仕事に生かしてはどうでしょうか」
思えば、リタは何でも器用にこなすことが出来る弊害か、面倒臭がりで真面目さという点では決して褒められるような生き方をしていなかったと、果胡は何となく思い出してきた。子どもだったオリヴィアだったから気にしていなかったが、今こうしてある程度の社会を学んだ目で改めて思い起こすと、果胡が描いていたリタはただの理想だったようだ。
とはいえ、果胡がリタのこうした愚痴を聞いたところで何もしてやることは出来ず、それは災難でしたねと棒読みの感想を浴びせてやることが精一杯だ。精々今回のことで己を見直す機会になればいい。
リタの方も果胡にどうにかしてもらおうという気はなかったのか、愚痴もほどほどに果胡の持つバインダーのに目をやった。
「何それ、初仕事?」
「医務室の物品補充。今財務官に購入の承認を得てきたところです」
「ああ成程。あ、これ隣町に行かないといけないやつあるな?」
リタはひょい、と果胡の手からバインダーを奪い、チェックの入っている補充品にさっと上から下まで目を通す。およそ全部見えているというスピードではなかったが、少なくともこのうち三つは隣町で購入しなければならないものだという。一つは薬草、一つは薬剤、一つは調剤具。勿論城下町でも売っている物もあるが、この三点に限ってはこだわりのある店から仕入れているらしい。リタがそんなマニアックなことを知っているのは、彼も医務室の仕事を手伝ったことがあるからだ。
「そうなんですか?…うーん…困ったな。隣町までいく道のり覚えていない…」
「急ぎでなければ、俺がそっち行った時買ってくるけど?」
「それは助かります。けど、急ぎではないとはいえ、いつでもいいものではないと思うんですが、特別リタの予定がないのなら私が行きますよ」
隣町は行くのを憚るほど遠くはない。けれどいくら近くても方向音痴を搭載している果胡のナビでは遠くなることもある。城下町だけの買い物で済ますことが出来るのであればそうしたいのが本音だった。リタの申し出は有り難いが、補充品のチェックを頼まれたのはそれが必要だからだ。次いつリタが隣町に出掛ける用事があるかも分からないのに、果胡が易々と頼むわけにはいかなかった。
だがリタは少し考えた後、大丈夫、と笑みを浮かべる。
「明日行くはずだから」
確証のない言い方をしながら、リタは自分のポケットからペンを取り出して補充品リストの購入者の欄に自分の名前を記す。雑に三ヶ所サインすると、バインダーを果胡の手に戻してペンをしまった。
「買ってきたら直接医務室に届けるから、エリスにそう伝えとけ」
「はい…、ありがとうございます…」
お願いします、と小さく下げた果胡の頭にリタの手が優しく乗り、すぐに離れていく。わしゃわしゃと搔き乱されると思っていた果胡は、理由のない違和感に目線を上げると、リタの目は歩いてきた方へ向けられていた。どうしたのかと訊ねる前に、少し慌てた声が廊下に響いた。
「リタ!」
ルヴィフィア国近衛兵師団一番隊隊長。五十メートル程先の廊下の角からリタの名前を呼ぶのは、果胡もその顔を知っている近衛兵師団のトップだ。果胡はオリヴィアの記憶の中から、アリスター=ウォルドロンという名を引っ張り出す。当時は確か四十後半ぐらいだったから、今はもう六十を超えているはずだ。顔や髪の毛には年相応の反応が見えているが、服の上からも分かる鍛えられた筋肉と、ピンと伸びた立ち姿には赤いちゃんちゃんこは似合わない。
「アリスター隊長。どうかしました?」
「仕事だ。来てくれるか?」
「……了解」
距離を縮めぬまま成されたそんな短い会話は、果胡には到底理解できるものではなく、そして訊ねる間もなく、リタはアリスターに連れていかれてしまった。向かった先は確か武器庫の方であり、恐らく武器の手入れでも命じられるのであろう。今度は失くさないよう気を付けていただきたい。




