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世界は全てを理不尽にして神子に押し付ける  作者: 咲乃いろは
第二章 秘められた事実
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変わったものと変わらないもの

「吐きそう」

「大丈夫か」


枕に突っ伏す果胡に、定型文のような無感情さでリタから反応が返って来た。本日の一通りの仕事は全て終えて、自分の寝床に帰る前に果胡のところに寄ってきたのだ。本来なら、他の入院患者がいればこんな夜中に立ち入ることはないのだが、今はタイミングよく誰もいない。


「医務室勤務だなんて…、正気ですかリタ…」

「何が嫌なんだ?どこでもいいから働かなきゃならないんだろ」

「それはそうですけど、よりにもよって医務室。城の医務室。運動場のトイレ掃除の方がまだマシ…」


あの誰もが最高に嫌がる外のトイレ掃除。運動場というワードを知らないリタが何だそれ、と首を傾げた。

医務室と言えば、城の中でもとんでもブラック企業で有名な場所だ。休憩休暇という言葉を知っている者はおらず、人間の尊厳を踏みにじられるという。患者より自分の身体を見た方がいいのではないかという人に治療される身にもなってくれと、何度騎士たちからのクレームが幹部へ入れられたことか。

そんな実態を知っている果胡は、この場を人を救う地獄と捉えている。


「雇ってもらうんだから文句言うなよ。修羅場に立ち会う自信がないか?」

「そんなんじゃないですよ。どんな過酷な職場だって、大抵のことは耐えられます。問題は過酷さではないんです。医務室で働けば、嫌でも不特定多数のいろんな人が来るでしょう。私はそれに耐えられる気がしません…」

「ああ、そういうことか。まぁ、怪我や病気は一生避けて通れるというものでもないからな。バートだけでなく、これから知っているやつにも会うかもしれないな」


果胡は呑気に言うリタの頬を叩き回してやりたくなった。そもそも果胡はあまり人が得意ではない。嫌いと言うわけでないが、怯えてしまうと言った方が正しいのかもしれない。ある程度の付き合いを重ねれば、明け透けな性格を晒せるのだが、そこそこの付き合いでは無理だ。ましてや、果胡のことを知らない、だが果胡は一方的に知っているというこの複雑な環境で上手くやっていけるわけがない。


「心労で吐きそう」

「そんなに心配しなくても、果胡の持ち場は内勤ではなくて隊に就く医務官補佐だろ。ここ十年で騎士団の顔ぶれも大分変わったし、思ってるほど知り合いに会うこともないかもしれないぞ」

「だとしても、少なくとも医務室長とは会うでしょう?一番会いたくないのに」


果胡が医務室に来たくなかった理由はそのこともあった。今日はたまたま出張で留守にしていたから良かったようなものの、顔を合わせたら尻尾巻いて逃げ出すところだった。

はぁぁ、と重い溜息をつく果胡に、リタはやっと果胡の憂鬱さを理解したらしい。ああ、と妙な納得した声を漏らして、組んだ脚の上に頬杖を突いた。


「そういえばお前、バート以上に医務室長のこと避けてたもんな。基本的に世話焼きな人苦手だったっけ」

「そうですよ…。医務室長はバートの数十倍世話焼きです。あんな顔で。医務官としてはうってつけの人材だとは思いますが」

「遅かれ早かれお前なら世話になる人だろ。諦めろ」

「どういう意味ですかそれ」


確かにオリヴィアは生傷が絶えなかったので、バートにしょっちゅう医務室に連れて行かれていた。オリヴィア自身は放っておけば治るからいいと拒否していたのだが、女の子に傷が残ってはいけないとバートが抱えてでも連れて行っていたのだ。ああいう時に限ってバートは騎士本来の力を出すからずるい。

バートと医務室長に囲まれる時間はそれはもう最悪だ。あれやこれや心配と説教と講和が始まり、治療をしてもらったのに医務室に来る前の方が元気だったくらい疲弊していたものだ。


「まぁ、真面目な話、本気で駄目そうなら断ってもいい。その時は俺が口添えしてやるし、他の仕事も探すの手伝ってやるから」

「成り行きとは言え一度引き受けたんですからやりますよ…。駄目ではないだけで本気で嫌ですけど」


大体、こんな状況にしたのはリタにも原因の一端はある。したり顔で味方になってやるといった発言は慎んでほしい。

けれど、恐らくこうして強引にでも話を進めなければ、一向に果胡の仕事など決まらなかっただろう。仕事の内容云々より、果胡には人間関係の方に不安があるとリタには分かっていたのだろう。それから、リタにはもう一つの目的もあったのだ。


「城で働けば国の情勢も分かりやすい。神子であるお前が転生した理由が大それたことなら、情報収集には(ここ)が一番適している」

「本当、リタは昔からちゃっかりしてますよね。手際がいいというか効率がいいというか世渡りが上手いというか」

「お前が下手くそすぎるんだよ。誰よりも人のことを考え、気持ちに敏感で傷つきやすく脆い。優しさだけでは作られていない優しさを持っているのに、上手く表現が出来ない。そりゃあ人が怖くもなるよなぁ」

「……煩い。今日は疲れたからもう寝ます。リタ向こう行ってください」


揶揄うリタにむくれた果胡は、頬を膨らませて布団を肩まで被る。そんなに寒くはないからここまで布団に丸まる必要なないのだが、隠れてしまわなければやってられないのだ。


「図星さされて怒るなよ。子どもか」

「子どもですよ。まだ十六ですもん私。リタおじさんよりも十も下」

「まだ九だ。そこんとこセンシティブだからな?気を付けろ」


同い年だったのに、いつの間にかこんなに差が出来た。オリヴィアにとってリタは大切な友達で、大事な家族で、ずっとそこにいることが当たり前の存在だったのに、果胡は置いて行かれた気分だった。いや、置いて行かれたのだ。オリヴィアの時は十年という年月が満たぬまま止まり、リタは当然足を止めずに行ってしまった。勿論誰が悪いわけでもないのだ。等しく訪れる時の制裁というものに誰もが逆らえなかっただけ。リタは空いてしまった距離など全く感じさせないけれど、彼を見れば分かる。十六年という時が経ってしまったのが。男の子から男性になったのが、よく分かってしまう。


「…少し見ぬ間に随分大きくなりましたね、リタ」

「親戚のおばちゃんかよ。…そりゃ成長もするさ。十六年も経ってんだから」

「十六年も経っているのに、私は成長していません。ずっと甘っちょろい考えの子どものままです」

「………」


こんな泣き言、困らせてしまうだろうか。せめて聞こえていなければいいと、果胡は枕の中に声を埋めたのだけれど、返事が止んだということは、しっかりリタにも聞こえていたようだ。聞いてほしくないのなら声に出さなければいい。つい口走ったということは、多分、聞いてもらいたかったということ。リタの反応を見たかったということだ。

ふと、頭に触れた体温に、枕に埋めた顔を少しだけ上げる。大きくなったリタの手が、弄ぶように指に髪を絡ませていた。





「どうせお前は、これから十六年後も変わらないから大丈夫だよ」





このまま時を止めず生きた場合、今のリタと同じ年齢になる。そうなった時、果胡はリタを見る目が変わるのだろうか。時を止めたオリヴィアでも、十六年生きた果胡でも、リタという人間の前ではいつも同じオリヴィアであり果胡である。十六年前も十六年後も、変わらないものがきっとあるのだ。


「…ちょっとは変わりますよ、私だって人間ですから成長します」

「へぇ、どの辺が」

「布団を剥ぐな胸を見るな」


果胡はお世辞にも豊満とは言えないそこを隠すように身体を丸めた。やっぱりリタは変わった。昔はこんなに露骨な男ではなかったはずだ。

リタは意地悪そうな笑みをしまい、持ち上げた布団を果胡の上に戻した。それから、子どもを寝かしつけるように頭を撫でる。


「冗談はさておき、本当に今日はもう寝ろ。怪我の所為だろうが、少し熱がある」

「え?あ…」


リタの手が掠めた首筋と額が少し熱を持っていると、果胡は今更ながら気が付いた。自分でも気が付かなかったことをいつの間にかリタが把握しているなんてことも、昔から変わらない。

リタは乱れた布団を簡単に整え、最後に果胡の頭をもう一度撫でてから席を立った。





「おやすみ、カコ」





リタは変わった。


そんな甘い顔と声が似合うような男ではなかったはずだ。










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