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なんてこともあったなぁ、なんて、果胡は今は焦げ茶の髪の毛先を弄りながら呟いた。リタが初めて聞いたような顔を見しているが当然だ。彼には伝えていない話なのだから。バートに言われたことが悔しかったのか悲しかったのか、その後もオリヴィアは逃げずに真面目にバートの授業を受けた。後にも先にも、真面目に受けたのはその一回だけだったけれど。
「あの人、面倒な人だけど、その分熱心で愛情ある人だからなぁ」
「それは当時のオリヴィアも知っていたんですけど、あんなにガチギレされるとは思ってなくて驚きました。一瞬殺されるかと思いましたよ」
あの目は絶対そうだ、と果胡は思い出して寒気を覚えた。あんなバートの目を見たのもあの時が最初で最後だった。聞くところによると、剣を持つバートはしょっちゅうあんな感じだということだが、結局オリヴィアの生きている間でバートが戦っている様子など見ることはなかったので、教官にもなれるほどの腕だという剣技は見れずに終わっていた。
「そういやお前に護身術を教えていたのもバートさんだったんじゃなかったっけ?一緒に基本的な剣の型は習ったろ」
「習いましたけど、本当に基本の基本。実践向きではないですし、バートが相手になってくれることなんてなかったですよ」
「ま、王女に戦いの剣を教えるわけないわな」
リタは最後の銀食器を磨き上げると、トレイに綺麗に並べてその上に布巾を掛ける。そしてヨイショ、とジジ臭い掛け声と共に持ち上げると、席を立った。
「ちょっと持って行ってくる。こっち戻れないかもしれないけど、今日はお前はここで寝ていいって許可もらってるから安心していてもいい」
「ありがとうございます。よく許可貰えましたね」
「ん、まぁ、バートさんの口利きもあるし、医務官達とは色々と面識も深くてな」
リタは顔は広いけれど、敢えて言うほど医務官にそんなに顔が利いただろうか。オリヴィアが死に、果胡がこの世界に来るまでにコミュ力上げているとは。昔から何故か人に好かれるタイプではあったので、リタのコミュニティが広がっていたことは何ら不思議ではない。オリヴィアしか話し相手がいなかったあの頃とは違うのだ。
恐らく結構な重さのトレイを片腕で抱えたリタは、大人しくしてろよ、と布団を果胡に掛けて部屋を出ていこうとした。だが、ドアに手を掛けようとしたその時、向こう側からノックが聞こえ、ドアが開いた。
「失礼」
「バートさん」
入ってきたのは水が入ったグラスと小袋を持ったバートだった。果胡はゲ、と表情を歪めて布団の中に隠れる。
「どうしたんすか」
「いや、薬師に薬を処方してもらったから届けに来ました。飲めるようだったら飲んで、早くよくなればいいと思いまして」
「え……、わざわざ?」
「城に長居させるわけにもいきませんし、だからと言って体調の悪い女性を追い出すわけにもいきません。早く回復して頂くのが一番でしょう」
それもそうだが、果胡の半仮病をよく信じたな、とリタはバートに聞こえぬようボソリと呟いた。昔はあれほど鋭く見抜いていたのに、十六年という月日は感覚を鈍らせてしまったのか。
バートはそれもそうですね、というリタの適当な返事を気にも止めず、カツカツと靴音を鳴らして果胡の寝ているベッドの横に立つ。髪が長くてスラリとした体系だから、さながら亡霊のようだ。
「起きているのでしょう?」
話しかけられることを避けようと狸寝入りを繰り広げていた果胡だが、一瞬でバレた。顔も背けているし、なんなら一瞬本当に眠りそうになったくらい完璧だったはずなのに。
これ以上嘘をつく理由も見付からず、果胡はゆっくりと振り返ってバートの顔を見る。ほんの少しだけ、あの頃より歳を重ねた様子があったが、相変わらず女性のような繊細な容貌をしている。広い肩幅や男性特有の骨格がなければ性別は判断出来ないだろう。
「……すみません」
「何故謝るのですか?」
「いや、何となく……、その、お城の医務室を使わせてもらって」
「城だろうがどこだろうが、医務室というものは傷病人のためにある場所です。至極真っ当な使い方をして何が悪いのですか」
「……、相変わらず」
「はい?何ですか?」
「いーえ。何でも」
十年以上の月日が経っても、頭が固く、真っ直ぐなところは変わらない。鬱陶しいのに嫌いにはなれない人である。
バートはサイドテーブルにグラスと薬を置くと、では、と淡白に言ってその場を立ち去ろうとした。
「あ、あの、」
果胡は、彼が部屋から出て行く前に、その広い背中に声を掛ける。目線だけではなく、身体ごと振り返るところがバートらしい。
「何でしょう?」
「あ、いや…、その、ありがとうございました」
「…いえ、人として当然のことをしたまでです」
そう言うと思った、とは声には出さず、果胡は心の中で笑う。その声が聞こえたとでも言うのか、バートは僅かに眉を顰めて、果胡の顔をじっと見つめ、首を傾げた。
「……あなた、名前を聞いていませんでしたが」
「ああ、すみません。希成果胡と言います」
「カコさん…。詮索するようで失礼ですが、どこのご出身で?」
「え?しゅ、出身?」
まさかの質問に、果胡は冷や汗を吹き出させた。バートの向こう側にいるリタがまだ部屋を出て行っていなかったので助けを求めるが、肩を竦められた。面倒なことに関わりたくないと顔に書いてある。
まさか異世界から来たと言うわけにもいかず、だからと言って架空の土地の名を出せばバートにはすぐバレる。今この段階で果胡の事情を話す段階でもなく、どうしたものかと考えるうちにバートの不審な目はますます色を濃くしていった。
「言えないようなところなんですか?」
「いえ、そういうわけでは」
「では、どこなのでしょう?」
答えを渋るほど疑いの目が強くなっていくのは分かっている。早く答えなければ怪しまれると、果胡は脳内をフル回転させて、非常に便利な一つの答えを導き出した。
「…その……、私記憶喪失でして…」
少し目を伏せて斜め下を見る。躊躇いながら言うこの迫真の演技はバートには効果覿面だった。切れ長の目をパチクリと瞬かせ、今度は彼の方が焦ったように目線を泳がせた。
我ながら万能なパワーワードを思いついたと、果胡はニヤリとした。この設定なら全てのことに説明がつく。出生を言えないことも、答えるまでに躊躇った理由も、これ以上詮索された時の言い訳にも。
更に果胡は畳みかける。
「名前も本当は偽名でして。書庫に来たのも、何か自分のことが分からないかと思って調べてたんです」
「…そう、でしたか……。いや、申し訳ない。デリカシーのないことを訊いてしまって」
「いえ、いいんです。素性の知れない者を怪しむのは当然のことです。慣れていますのでお気になさらないでください」
過剰な苦労した身の上話は逆に疑わしくなる。果胡はちょうどいいくらいの頃合いを探りながらバートの顔色を窺っていった。あまり長い話をすればボロが出てくる。早く出て行ってくれないものだろうかとチラチラとバートの顔を見ていたら、その向こうで何やらリタの顔がきゅぴん!と輝いた。何かを思いついた顔だ。いやな予感しかしない。
「そういえばバートさん」
「はい?」
リタは疲れた、と銀食器の入ったトレイを一旦机に置き、空いているベッドに腰かけた。話を切ってくれたのはいいが、一体何を言い出すつもりかと果胡はヒヤヒヤとする。
「城の求人募集って出てませんでしたっけ?」
「求人?」
「…っ!?」
思わず変な声が出そうになって、果胡は慌てて自分の口を手で塞いだ。目線だけで正気かお前、とリタに訴える。果胡の慌てように恐らくリタは気が付いているだろうに、彼は素知らぬ顔をして話を続けた。
「そ、求人。その子、記憶がないから身寄りもないらしくて。話を聞けば仕事も見つからなくて生活にも困っているみたいだから、もし城で働けるところがあればいいかなぁ、なんて」
「働けるところ、ですか」
ふむ、とバートは覚えている限りの脳内の城の求人情報を探る。やがて、バートドットコムはいいものがヒットしたのか、あ、と声を漏らした。
「そういえば一件、求人ではないですけど人手不足を嘆いていたところがありましたね」
「本当に?それ、どこです?」
こんなの時に何故とんとん拍子に話が進んで行くんだ、と果胡は頭を抱えたくなった。そして、バートドットコムは、果胡に絶望を叩きつけるのだ。
「ここですね」
果胡はとりあえず、バートが持ってきた薬を酒のように呷った。




