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世界は全てを理不尽にして神子に押し付ける  作者: 咲乃いろは
第二章 秘められた事実
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いつか目にしなければならないから


「オリヴィア様、いらっしゃいますか。歴史のお勉強を始めま、うわいる!」

「いたら悪いの?」


バートは()()指定した部屋、この時はオリヴィアの部屋に一度は向かうのだ。この時も中はもぬけの殻だと自信を持ちながら部屋のドアを開けたのだが、国内一の頭脳の持ち主と言われた洞察力はオリヴィアという人間には通用しなかった。

いる。小娘が。窓枠でも机にでもなく、しっかり椅子に座っている。厨房からおやつを盗んでるでもなく、訓練用の剣で手の平の上に何秒立てていられるかゲームをしているわけでもなく。授業の準備こそしていないが、ちゃんと部屋にいて、大人しく座っているという構図に、バートは瞼が炎症を起こすほど何度も目を擦った。


「ん………!?」

「その羽が生えた人間を見るような目は何。勉強の時間と場所を指定しているのはいつもバートでしょう?」

「そ、そ、それはそうですが……、いえ……、オリヴィア様が時間通りに所定の場所にいるなど、天地がひっくり返ってもないと思ってましたので……」

「ひっくり返った?」

「少なくとも私の脳みそは」

「大変」


オリヴィアは肩を揺らしてくすくすと笑った。こうしてただ笑っているだけなら、見た目は他に代わりなどいないほど過不及ない王女だ。何故じっとしていないのか。

バートは気を取り直すように、意味無く襟元を整え、一つ咳払いをする。


「今日はどうされたんですか?やっと勉強をする気になった……とは考えにくいですが」

「失礼ね。私だってその気になればやれるのよ」

「いつもその気になることができていないから困っているんでしょう。王女たるもの、幅広い分野の知識と見解を身に付け、いつ何時たりとも揺るがない思考を生み出す土台を作って置くことが大切なんですよ」

「あーはいはい。耳が取れるほど聞いたわよ。暗唱できるから今度からそれを言う時は私に任せて」


分かっているならちゃんとして下さい、とバートは眼鏡を取り出して高い鼻に掛ける。その様子を目敏く見ていたオリヴィアは、近寄ってきてバートの顔を見上げた。身長差は四十センチを超え、きっとオリヴィアの首は痛いだろう。

何も発さずにまじまじと見てくるオリヴィアに、バートは不審な目を向けた。


「………何か?」

「眼鏡掛けるの珍しいわね」

「え?あ、ああ…。今日は天気が悪いからか、あまりよく見えなくて」

「……ふーん……」


オリヴィアは意味ありげに頷くと、疑い深い視線を残して本棚に向かった。授業で使う本棚を一つ二つと取り出していく。必要な本など把握もしていない、むしろ何の授業をするか分かっていないとバートは思っていたが、オリヴィアは文句のない準備を仕上げてきた。


「さあ、始めましょうか」

「え、ええ……。…………オリヴィア様、本当にどうしたんですか。この前屋根を駆け抜けた時、頭でも打ったんじゃ…?」

「雨で濡れていた箇所を見事に踏んで滑って転んで落ちたのはあなたの方でしょう、バート」

「で、では、どこか具合でも悪いんじゃ……。でしたら早く医務官を……、」


だったら大変だとわたわたと慌て出すバートの腕を、小さな手がぱしりと握った。決して強くもなければ、子どもの力に大の男が敵わないわけはないのに、抗えないという空気が漂った。それはきっと、手の力だけではない。バートを見上げてくるこの自分にも似た薄紫色の瞳の所為だ。柔らかい色をしていながら、何色よりも強い印象を宿す。





「どこも悪くない。…悪いのはあなたでしょう」

「……え?」





少し諌めるようなオリヴィアの声は、バートの動きを簡単に奪った。終始ふざけていた悪ガキが、こんなにも人を圧倒する目を出来るのか、有無を言わさない圧力を小さな身体のどこに持っているのか。押し寄せてきた疑問に、バートは次ぐ言葉を失っていた。国内一の頭脳が聞いて呆れる。

反論するバートの声がないと確認すると、オリヴィアは一つ小さな溜息をついた。


「具合が悪いのはバートの方でしょう?」

「……な、何を……」


確認を取るようなオリヴィアに、バートはたじろいだ。彼女の手から逃れ、離れるように一歩後ろに足を動かす。それなのにオリヴィアは、そうはさせまいと離れた分だけ距離を詰めてきた。さらにそれだけではない。バートの上のシャツをむんずと握ると、ズボンに捩じ込んでいた裾が出るまで上に押し上げたのだ。


「なっ、なっ、何するんですかオリヴィア様!うら若き成人男性の服を躊躇なく剥がすなど……!」

「国に仕える屈強な第一等騎士が何言ってんのよ。仕える主に見せられない身体だとでも言うの?」

「理不尽!」


バートは慌ててオリヴィアの手から逃れようとするが、さすがはいつもバートの目を盗んで逃亡しているだけのことはある。反射神経と動体視力は鍛えられているのか、ちょこまかと避けられてあっという間に腹部をさらけ出されていた。





「ほら、やっぱり」





そこは、殆ど肌など見えぬくらいに包帯で巻かれていたのだ。少し血も滲んでいて、熱も篭っている。

オリヴィアの呆れたような呟きは、少しむくれていたようにも思え、バートは言い訳するように離してください、とオリヴィアの手をそっと握った。


「……知っていたんですか」

「…偶然ね。昨日の夜中、野獣討伐から帰ってくるあなたの隊を見かけた。全員頭から血を被ったような姿だった」

「子どもが見るようなものじゃありませんよ」


バートは握っていたオリヴィアの手を離し、乱れたシャツを直す。内臓がはみ出る直前だった怪我には触れないように気をつけながら。少しでも無理をすればすぐに血が止まらなくなる。


「どうせ休めと言ってもあなたは職務に手を休めるような人ではないわ。今日も這ってでも来るとは分かっていた」

「這わなければならない怪我でしたらさすがに休んでますよ。来れるから来た、それだけです」


オリヴィアは呆れた視線を収めないまま、椅子に戻って用意した本をパラパラと捲る。足は床から浮いていて、姿形は子どもそのものなのに、本に目を落とすその横顔は妙な色っぽさを醸し出していた。


「仕事って大変ね。傷が塞がっていなくても、熱が出ていても、言うこときかないガキんちょの為に働かなければならないの?」

「仕事ってそんなものなんですよ。あなたもちゃんと勉強すれば分かります」

「分からなくていいわ、そんなの。自分の為に苦しむ誰かを見るのが当たり前だなんて思いたくもない」

「いつも苦しませてるのはあなたなんですけどね」


勉強が嫌でも嫌いでも、バートが気に入らなくてもウザくても、せめて逃げないでいてくれたらどんなに楽か。逃げてももっと追いかけやすいルートを辿ってくれたらどんなに楽か。城の外にまで逃げられ、城下町まるごとルートを選択された時など地獄だ。リタを味方に付けられた時になどもっと地獄だ。国の武力の粋を集めたという第一等騎士団員もお手上げの逃亡劇を繰り広げられる。そんな時は割と体力が余っている時が多いからいいようなものの、戦地に赴いた後だったらと思うと鳥肌が立つ。





「……………いつも、分かってやってらっしゃったんですか」

「……何が?」





気が付いたバートに、オリヴィアは本から目線を上げずにとぼけた。


「私が怪我を負っている時や体調が思わしくない時、オリヴィア様は分かるんですか?」

「うーん…。何となく」


とぼけた割には案外素直に答えるオリヴィアに、バートは一瞬目を瞬かせ、すぐに溜息と共に肩を落とした。


「では今日も分かってたから真面目に授業を受けようとしてるんですか?」

「だってこれ以上動いたらバート死んじゃう」

「オリヴィア様のような子どもにまで心配をされるとは、第一等騎士が情けないですね…」


これまでもバートはオリヴィアに体調を気付かれているなんて微塵も思っていなかった。隠そうとしているわけではなく、職務には関係ない、しかも子どもに知らせるようなことでもないと思っていたからだ。職務は誠実に迅速に遂行、それが城に仕える身としての基礎だとバートは胸に刻んでいる。

だがオリヴィアは、それを阻んでくる。何としてでも阻止しようとするのだ。困った子どもである。


「それって情けないの?心配されることが?私は余計なことをした?」


ようやく上げた視線を、オリヴィアはバートに真っ直ぐ向ける。絶対に離さないと言っている目だ。


「…いえ、そういうわけでは…」

「心配されたくないならちゃんと元気になってから働いたら?あなたは変に真面目すぎるのよ。どうせ授業なんていつもあってないようなものなんだし、私の教育係に勤めてる時くらいはサボったら?」


オリヴィアが時々、自分を雑に扱ってしまうのは昔からのことである。本人に自覚はなく、無意識だとは分かっているが、バートはこの子どものそういう所が好きではなかった。


「そういうわけにはいきませんよ。あなたを立派な大人に育てるのは私の役目であり責任です。職務は全うしたい性格なので、何と言われようがお付き合い頂きますよ」

「ああっそ。じゃあ私はあなたに構わず好きようにやるからね?」

「ええ、どうぞご自由に。大人には大人の意地がありますから、思うようにはさせませんよ」


今まで思うようにさせてしかいないけれど。

本気を出しても敵わないものというものは世の中に存在する。それがバートにとってオリヴィアであり、オリヴィアにもそんな世の理を知ってもらわなければならない。

バートはまず手始めに、と、ずいっとオリヴィアに顔を寄せた。急に距離を詰めた彫刻のような顔に驚いたのか、オリヴィアは椅子から転げ落ちそうになる。




「!」

「毎度毎度、騎士団の帰還を眺めるのはお止め下さい」




バートはオリヴィアがいつも傷付いた兵が帰ってくるのを、最初から最後まで見ているのは知っている。自分の部屋の真上、屋根に登って、無感情な目を注いでいるのだ。

それにはオリヴィアも知られていないと思っていたのか、目を見開いていた。


「……知って、たの?」

「あなたの教育係ですからね。知ってますよ」

「ストーカー反対」

「仕事です。…さっきも言いましたが、血生臭い景色など子どもが見るものじゃありません。その分本でも見て下さい」


バートは椅子が倒れないように支えていた手を、オリヴィアの頭に持っていく。片手で収まるくらいの小さな頭。繊維のように細い髪が指を擽ってくる。

本来王女という存在にこんな馴れ馴れしい行動は慎むべきなのだが、今は教育者と学習者という関係だ。バートが先生と呼ばれるべき立場であれば、こうして気軽に触れることも許されるだろう。セクハラで訴えられなければ。


「私が見るものは私が決める。バートに指図される謂れはないわ」

「繰り返しますが、私はオリヴィア様の教育係です。あなたが何を見るべきか判断できるように教育するのは私の役目」

「だとしても、私は見るべきものを誤っているとは思わない。知るべきことは勉強すること以外にもあるわ」


不真面目なのに、ふざけてばっかりなのに、本当にオリヴィア=ダウズウェルという人間は世界を俯瞰した目で見ることができる。だから怖いのだ。その賢さも鋭さも、同じ分だけの脆さも。


「バートが教えてくれることが無駄だと言っているわけじゃないの。けれど、私だってダウズウェル家の人間。城にいる限り、見て見ぬふりは出来な」

「───…んです」

「え?」


バートは抑えた感情を声に押し込めた。全てを抑えることは無謀で、声が上擦るのを避けようとすると、反対に低すぎてオリヴィアには聞き取りづらくなる。

それでもバートの様子が変わったとは気が付いたのか、口を噤んで澄んだ瞳を震えさせた。




「調子に乗るなと言ってるんです」


「────……っ」




例え教育者という立場でも、恐らく失言だ。

けれど、バートは元よりそんな立場など気にしてはいなかったのかもしれない。教育係というより一人の大人として、生まれた時から見守ってきた彼女の従者として、彼女にはしっかり、オリヴィア=ダウズウェルを生きてほしいのだ。彼女が誰よりも人を想い、国を想い、世界を想って達観したその慧眼を持っているからこそ、気を付けなければならないことが多い。


「何度も言います。あなたはまだ子どもです。知らなければならないことがたくさんあり、知らなくていいこともたくさんあります。見なければならないこと、見なくてもいいこと、見てはならないこと。あなたは賢い人間ですが、その分危うい。卓越した先見の明は、時に自分を傷付ける」

「わ……たし、そんなつもりは……」

「そんなつもりがないのは百も承知。無自覚だから怖いと言っているんです。どんなつもりでも、傷付く戦士達を見るのは今はお止め下さい。彼らが何の為に働き、何の為に命を懸け、何の為に血を流すのか。何の知識もないただの子どものあなたが、勝手に判断していい事ではない!」


オリヴィアに悪気があるわけではない。それを分かっていて、こんなに厳しい言葉を浴びせるのはさすがに大人気ないとバートも分かっていた。オリヴィアと似ている色の瞳はもう全く色を変えていて、陰り、熱を帯びた別物となっている。どんなに物怖じしない性格をしているとは言っても、所詮はオリヴィアも小さな子どもだ。バートの迫力に言葉を失っていた。


「……あなたは将来国を背負う人間の一人となります。ルヴィフィア国は大国ですから、一人の女性には重い荷物になることでしょう。想像も出来ない困難が待ち構えていることは必至です。心を折り、砕き、立ち上がれなくなるかもしれません。私はあなたのそんな姿を見たくなどありません。避けられないことならばせめて、早く立ち直って頂きたい」


バートはオリヴィアに目線を合わせるよう、彼女の前に跪いた。オリヴィアの白に近い灰色の髪を掬って目の前で手の平から流れ落とした。


「あなたに今見て欲しいものは別にあります。いずれは、あなたが今見なければならないと思っているものも見ることになります。美しいものではありません。優しいものではありません。一般の人ならば見なくてもいいそれらは全て、段階を経て見て頂くものなんです」


王族という場所に生まれてきた運命を、オリヴィアは受け入れている。人にとっては当たり前のことが、彼女は出来ないかもしれない。普通に生き、生活し、遊び、働き、人生を謳歌できる可能性は低い。それでも大丈夫だという彼女は、大人よりもよく出来た人間だ。

ならば周りの人間は、彼女を見守らなければならない。転んでも、道を踏み外しても、崖から落ちても、光を失わないように。






「自ら闇に突っ込んで行くようなことはお止め下さい、オリヴィア様」






いずれ向き合わなければならないのだから。




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